土曜日の学校は、なんだか楽しげ。
私ももちろん休日の部活動は好きだけど、今週は練習がない。
テニスコートの近くに来ると、その周囲はびっくりするくらい騒がしい。
見学の女の子達で一杯だ。
こういった様子は時々見かけていたけれど、間近で自分も参加するのは初めて。
女の子達は皆友達同士で来ているようで、一人で来た私は勝手がわからず、遠巻きに戸惑っていた。
「さん!」
すると、すぐさま私を見つけてくれた鳳くんが走ってくる。
「来てくれたんですね」
「だって、約束したじゃない」
私が言うと彼は嬉しそうに笑った。
初めて見るジャージ姿の彼は、本当に元気一杯といった様子。
「こっちで見ているといいですよ」
そういうと彼はコートの裏手の方に私を促して、目立たないように中の見学者用のブースに入れてくれた。私は少しドキドキする。鳳くんは、きっと本当の彼女にはこんな風にしているのに違いないと、想像してしまって。
昨日、木陰のベンチでお弁当を食べた時の彼の穏やかな顔を思い出す。
鳳くんは、本当はどんな女の子にどんな恋をしているのだろう。
なぜだかふとそんな事を考えてしまった。
「今日は非公式ですけど、校内戦みたいなものですから特に見学者も多いんですよ。びっくりしましたか?」
「うん、ちょっと。やっぱりテニス部、人気あるのね」
「すごい先輩ばかりですからね」
鳳くんが得意げに笑って言うと、誰かが傍を通って彼の背をたたいた。
「あ、宍戸さん!」
彼は嬉しそうに振り返る。
「よぉ、」
片手を挙げて挨拶してくるのは宍戸くん。彼は去年同じクラスだったから、私も顔見知りだ。
「さん、俺、宍戸さんとダブルスのペアを組ませてもらってるんです。今日も宍戸さんと組んで試合をするんですよ」
鳳くんは、まるで改めて私に宍戸くんを紹介でもするみたいに、説明をしてくれた。
宍戸くんとペアを組んでいるのが嬉しくて仕方ないというように。
私はどう振舞ったら良いのかわからなくて、内心『鳳くんがいつもお世話になってます』なんて思ってみては、お母さんじゃあるまいしと、おかしくなってしまう。
「あっスイマセン、僕、ちょっと準備に行ってきますね、じゃあ」
鳳くんは時計を見ると、そう言ってあわてて駆けていった。
「……あいつ二年だからな、レギュラーとはいえいろいろやる事あるんだよ」
残された宍戸くんは、満足そうにその後姿を見送って言う。
そして彼は、ぎゅっぎゅっと帽子の位置を直しながら私を見た。
「長太郎、最近、張り切っててさ」
「うん?」
「……ほんっと、あいつ、の事好きなんだなあって。わかりやすい奴だよ」
宍戸くんは私を見てそう言うと、クククとおかしそうに笑った。
私はそんな彼をじっと見る。
「いい奴だろ? 長太郎」
宍戸くんの嬉しそうな笑顔に少し戸惑いながら、私は肯いた。
私には、宍戸くんが本当に鳳くんを好きなんだなあと、心に響く。
「といる時、あいつどんな感じ?」
彼のさりげない質問で、今週一緒にすごした鳳くんが私の頭にフラッシュバックするように思い浮かぶ。
「……そうね、落ち着いてて人の気持ちがよくわかって、自分の事もよくわかってて……よく気がつくけど、押し付けがましくなくて。静かで穏やかだけど、強くて。素直で……」
私は、自分の中にいる鳳くんを探した。
私の中の鳳くんは、いつでも笑いかけてくれて、近くにいて、安心させてくれて。
その彼をどう表現したらいいかわからないけれど、そんな言葉が私の口をついて出て、宍戸くんに話しているはずなのに、まるで自分自身に話しかけているような気がした。
コートの周りを走り回る鳳くんを見てから宍戸くんに視線を戻すと、彼は満足そうに笑っていた。
「へえ、、長太郎の事よくわかってんじゃん。あいつ、体はでかいけど、ちょっと子供みたいなとこもあるし、優しくしてやってくれよな」
宍戸くんの嬉しそうな笑顔に、私ははっと我にかえった。
そうだ、違うんだ。
「あの、宍戸くん」
私は思わず言った。
宍戸くんの表情は、鳳くんへの思いで溢れている。
「あの……鳳くんは私と……本当につきあっているわけじゃないの」
「え?」
私の言葉に、宍戸くんは怪訝そうな顔をしてから、鋭い目つきで私を見る。
私はじっとその視線を受け止め、宍戸くんを見つめ返した。
「私と月島くんの事、宍戸くんも聞いてるでしょう。鳳くんは……私を助けてくれて……少しの間だけ、私とつきあっている事にしてくれてて」
宍戸くんは私の言葉の意味がわからないというような顔をしている。
どうして私は宍戸くんに言ってしまったのだろう。
こんな事を話しても、多分、意味はない。
私はきっと、自分が鳳くんを利用したという事を誰かに話したかった。
そして私は、おそらく鳳くんを後輩としてとても大切にしている宍戸くんに、許されるか、責められるかを、したかったのだと思う。
それはまったく私の自己満足にすぎないと分かっているのに……。
「だから鳳くんは、私が月島くんとの件でイヤな事を言われたりしないように……助けてくれてるの。鳳くんが優しいから……私は、頼ってしまっただけ……」
私はどんな顔をしてたのだろう。
宍戸くんは、困ったような、戸惑った顔をして黙って私を見ていた。
テニスコートには、1〜2年生の部員の元気な声、見学の女の子たちの嬌声。
青い空には、ふんわりとした雲が出来ては消え、出来ては消えを繰り返していた。
頭の帽子を取った宍戸くんは、ばさばさと髪をかきむしるとまたぎゅっと帽子をかぶりなおす。
「ふうん、そうか……」
それだけを言うとまた黙ったまま、私の隣で立ち尽くす。
「ま、長太郎との間の事だから、俺は関係ねぇけど……」
宍戸くんは、またじっと私を見た。
「長太郎がを好きなんだって事は、わかってるよな?」
彼の目は、私を責めるでもなく、ただただまっすぐ見ている。
私は何も言えない。
考えた事がまったくなかったわけではない。
鳳くんが私をどう思っているのか。
それを考えれば考える程、月曜に彼が私を連れ出してくれた時、私は彼を値踏みしていたのだという事実が私を苛む。
だから一緒に過ごせば過ごす程、鳳くんが私の中に入ってくればくる程、私は考える事から逃げてしまっていた。彼が傍にいる心地よさに、ただただ甘えて。
何も答えられない私の肩を、宍戸くんはポンとたたく。
「俺と長太郎のダブルスの試合、最初だからさ。ま、せっかく来たんだ。よく見て行ってくれよ」
それだけを言うとコートへ歩いて行った。
私の胸に、逃げようのない課題を残して。
見学者ブースのベンチに、私はゆっくりと腰を下ろした。
間もなく練習試合が始まるのだろう。
テニス部の顧問の榊先生がコートに入ると、部員達が集合した。
学園内でも飛び切り人数の多いテニス部、そしてその生え抜きの正レギュラーの中でも、鳳くんは目立って背が高く、たくましい。
榊先生の話が終わって、各コートに散る瞬間、鳳くんは一瞬私の方を見て、そして宍戸くんと並ぶ。
宍戸くんが言ったように、最初の試合に入るようだった。
相手は、三年の忍足くんと向日くんのペア。
四人がネットを挟んで顔を合わせると、見学に来ている女の子達の声が一段と高まる。
周りの声と反比例するように、彼ら四人は顔を合わせると、ふうっと静かに集中してゆくのを感じた。
その時の鳳くんは、私が今まで見た中で一番男の子らしい顔をしていて、少し驚いてしまった。
審判係の子が声をかけると、鳳くんはボールを高々と放り、そして大きく美しい弧を描いて力強くラケットを振った。
私は座ったばかりなのに、思わず立ち上がる。
鳳くんのラケットに当たったボールは、小気味良い音を立てたかと思うと、実に力強くまっすぐに、本当にまっすぐに相手のコートを直撃する。
ほんの一瞬の出来事だった。
鳳くんのサーブは、力強くて、まっすぐで、恐ろしく速く美しくて。
それまでいろいろ考え込んでしまっていた事など、私の頭の中からすっかり吹き飛んでしまった。
四人の男の子たちの、力いっぱいの技術のぶつかり合いは私の目を釘付けにした。
忍足くんと向日くんのテクニカルな展開に対して、宍戸くんと鳳くんはスピードや力や、そんな風に立ち向かっていたように感じる。
そして、宍戸くんと鳳くんがどんなに信じあっているのかを感じた。
楽器の演奏にその人の性格や思いが表れるように、スポーツでもこんなに「人」が表れる事を私は知らなかった。
四人はそれぞれ見事に自分自身を表現していたけれど、私には、まっすぐにまっすぐにそして誠実にボールを打っては相手を圧倒する鳳くんの姿が突き刺さってきた。
そしてその姿を、ただただすごいと感じた。
食い入るように見ていたその試合は、宍戸くんと鳳くんのペアの勝利で終了。
宍戸くんと鳳くんは、汗まみれのまま嬉しそうに拳をぶつけあい、でもその表情はその場の勝利に喜ぶというより、まだまだ挑戦的な、まるでもう次の試合を考えているようなそんな顔だった。
男の子って、どうしてこんなに、すごいんだろう。
オーケストラで演奏をする時に感じる、ヒリヒリとした緊張感。
きっとそれとはまた違う、私の知らない世界。
そんな中で、あの優しい大柄な男の子は生きているんだ。
試合を終えて、四人で榊先生から何やら指導を受けている彼らを、私はまだ試合の余韻を感じながら、立ったままでじっと見ていた。
榊先生の話が終わると、彼らはようやく一息ついてドリンクを口にする。
そして、鳳くんが私を見た。
嬉しそうに笑うと、走って私の方へやってくる。
彼は男の子の世界から、突然私のいる世界へ入ってきた。
私は少々驚きながら、彼をじっと見つめる。
「勝ちましたよ! 忍足さんと向日さんのペアはうちで一番強いんですけど、宍戸さんと俺ならきっと勝てると思いました!」
あのサーブのように、まっすぐに力強く、彼は言った。
鳳くんは本当に嬉しそうで、その気持ちはとても自然に私の心に侵入し、私もつられるように嬉しくなって笑っていた。
「うん、すごい。鳳くんのサーブ、すごいね。初めて見たけど、びっくりした」
私はそんな月並みなことしか言えなくて。
それでも私のそんな一言に、彼はとても嬉しそうに微笑み返してくれた。
「あ、俺、次の試合の審判なんで、もう行かないといけないんです。さん、お弁当、持ってきてたら、一緒に食べませんか?」
私は黙って肯いた。彼はまた嬉しそうに笑う。
「じゃあ、ここで待っててください」
そう言うと、また走ってコートに戻ってゆくのだった。
不意に、宍戸くんの言葉が頭の中で甦る。
鳳くんは、私をどう思っているのだろう。
私の胸の奥に、ギュウと絞られるような感覚が広がる。
鳳くんが私を好きなのかもしれないと、多分、私は月曜日のあの時に感じてはいた。
もしも私が、心の優しい女の子だったら。
きっと、自分を好きかもしれない男の子を、こんな事に利用しないだろう。
私は、彼が私に恋をしているかもしれないと感じていながら、利用した。
それが、彼を傷つける事になるかもしれないとわかっていたのに。
私はやっぱり、自分の事ばかり考える冷たい人間だ。
私がちゃんと思いやりのある女の子だったら、鳳くんの笑顔や優しさをもっと幸せな気持ちで受け止められたかもしれないのに。
胸の痛みを抱えたまま、私はコートの鳳くんを見つめ続けた。
胸は痛むのに、それでも私は、彼を見るのをやめる事はできなかったのだ。
午前中の試合が終わると、鳳くんはまた私のいるブースへ走ってきた。
「すいません、お待たせしました!」
「ううん、試合、すごく面白かったから、あっという間だった」
私が言うと、彼は満足そうに肯いた。
「よかった。もしかしたら退屈してるんじゃないかと心配だったんです」
私たちはベンチにならんで、いつものようにお弁当を広げる。
今週、毎日一緒にお昼ごはんを食べていたように。
私はすっかり見慣れた、鳳くんのゆっくりとした食べ方を改めて見つめた。
そういえば、彼とこうしてお弁当を食べるのも、これが最後なんだ。
そう思うと、その丁寧な箸の使い方や、とても美味しそうに食べる表情やなんかをついついじっと見てしまった。
「……あの、さん……」
彼が顔を上げて目があって、私はついあわててしまう。
「うん、何?」
「あの……明日は日曜なんですけど……、部活、休みなんです」
「うん?」
「さんは、何か予定はあります?」
「ううん、今週末は部活もないし、特になにもないけど」
私が言うと、鳳くんは一度弁当箱と箸を置いて背筋を伸ばし、まっすぐに私を見た。
「あの、だったら明日、打ち合わせをしませんか?」
「打ち合わせ?」
私は聞き返した。
「はい。その……そろそろ一週間たちますし……打ち合わせをした方が良いと思いますので」
打ち合わせ、という言葉を咀嚼した。
私と彼の件を、どう収束させるのか。
対外的に、どういった形で終わったと見せるのか。
確かに、その打ち合わせは必要だ。
最後の打ち合わせ。
当然ながら、私はその申し出を承諾した。
Next
2007.6.4