例えば20歳を過ぎていたならば。
1〜2歳の年齢の違いなど、その外見や性質にほとんど影響する事はないだろう。
けれどローティーンの僕には、それは大きくのしかかる。
僕がそれを言うのはおかしいかもしれない。
なぜなら僕は、おそらく多くの人から羨望されるだろう恵まれた体格を持っているし、自分で言うのも何だが、同級生と比べても落ち着いた性質をしていて、実際の年齢よりも上に見られる事がほとんどだ。
だから僕は正直なところ、同じ年頃の男にコンプレックスを抱く事など皆無と言っても良い。
けれど、それは男に関してだけ。
女の人には……。
僕らの年齢の女の人は、どうしてこう、一年違うだけでまるで別世界の人のように見えるのだろうか。
一学年上のあの人は、僕の同級生などと比べ物にならないくらい大人っぽくて美しくて、そして聡明だ。すらりとした身体のラインは「子供」の域はとっくに過ぎていて、「女の人」という表現がぴったりで。
そんな彼女を目の前にすると、当然彼女よりずっと背の高い僕でも、まるで小さな子供のような気分になってしまうのだ。
だから僕はいつも、彼女をドキドキしながら見ている事しかできない。
そして今、そんな彼女が、僕の目の前で男に頬をひっぱたかれていた。
「お前はそういう事を言うから、俺だって疲れるんだよ!」
男は彼女をひっぱたいた後、激昂した顔でそう怒鳴る。
彼女は頬を押さえて、それでも髪を整えながら冷静な顔で男を見た。
彼は肩を震わせながら彼女に背を向けると、遠巻きに見ていた女の子の一人に何かを告げ、女の子とその場を去った。二人の手には、小さな楽器ケースがあった。
その場にいたのは、何も彼らと僕だけではない。
ここは学食やサロンのある交友棟で、今時分、部活が終わる頃には学年を問わず多くの学生がいた。
僕が、部活を終える時間にクラスメイトと待ち合わせて用事をすませていたように、ちょうど多くの者が集まる時間帯なのだ。
この場に居合わせた多くの者は、多分、目の前で繰り広げられたドラマの事情を、僕がそうしたように瞬時に判断した事だろう。
付き合っていた男女の、男の方が心変わりをして女に咎められるが、男が女を切り捨て、新しい女と去ってゆく。
そんな感じの、陳腐なドラマのような内容が。
おそらくその内容は、間違いようもないくらい正しい事だろう。
けれど。
キャスティングが間違っている、と僕は感じた。
男にひっぱたかれて、切り捨てられた女。
さんは、そういう役をするべき人ではない。
それにストーリーだって。
このストーリーも、なんだか違う。
彼女の恋のストーリーが、こんな風で良いわけがない。
僕は気づくと、人ごみをかきわけて彼女の傍に走り寄っていた。
「さん、すいません、待ちましたか?」
僕はわざと、人に聞こえるような声で言った。
彼女は驚いた顔で僕を見上げるが、何も言わない。
「行きましょうか。遅くなってしまったので、お詫びに俺がおごります」
僕は彼女の背にそっと手を添えて、サロンの出入り口に促した。
彼女はそれに逆らわない。
ギャラリーたちは静かに通路を開け、僕らはサロンを後にした。
僕とさんは黙って歩き続け、特別教室棟の横の辺りでゆっくりと足を止めた。
交友棟で僕がさんに言った事はでたらめだ。
僕はさんとあそこで待ち合わせなどしていないし、何の約束もしていない。
そもそも僕とさんは、同じ文化活動委員というだけで、その委員会活動以外で会う事など、まったくなかったのだから。
それでも僕は彼女の事をよく知っていた。
三年生で委員長の彼女は、学内でも飛びぬけて目立つ美人で、しっかりしていて成績も良くて。委員会では時に辛辣できつい事を言ったりもするけれど、それはとても筋の通っている事で、僕はいつも彼女を賞賛のまなざしで見ていた。
そして彼女が、同じオーケストラ部のバイオリンの月島さんとつきあっている事も知っていた。二人で一緒に歩いているところを、部活の帰りによく見ていたから。
「……鳳君、部活、終わったところなの?」
ようやく口をひらいた彼女が言ったのは、そんな事だった。
「はい。今日は自主トレをしない日なので、ゆっくり帰るところです」
一瞬僕は彼女が、ありがとう、とか言うのかなと思ったけれど、やはりそうではなかった。
さんは簡単にそんな事を言う人ではない。
僕は知っている。
彼女は、その美しさや聡明さに見合うくらいに、プライドが高いのだ。
だから僕は、彼女にこう言った。
「さん。少しの間、さんは俺と付き合っている事にしませんか? そうですね、一週間くらい。一週間もすれば、みんなさんと月島さんの事など忘れると思います」
彼女はその美しい目を大きく見開いて、僕を見上げた。
そう、僕も冷静な男だ。
今日の出来事が学校中に知れ渡った明日から、さんが、それでも表情も変えず冷静に日々を過ごすだろう事は容易に思い浮かんだ。けれど、そんな風に見せるため、彼女がどれだけのエネルギーを消耗するのかも想像できた。
彼女はプライドの高い人だから。
そして僕はこう見えて、自分を知っている。
あのキャスティングに、この僕が割って入る事でどんな効果があるのか。
もちろん、さんにもそれは分かっているだろう。
彼女は僕を値踏みするように、じっと見つめ続ける。
そして黙ったまま、小さく肯いた。
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2007.5.21(Mon)