水と緑と骸骨と(9)
市街から少し外れたところにある古い家に三人は落ち着いた。
ルパンの古いアジトの一つだ。
「あの男は何者なんだ?」
冷蔵庫からミネラルウォーターを出してグラスに注ぎながら次元は言った。
「言ってたじゃない、南米・マヤ文明が専門の考古学者よ。本を出したり、最近はマスコミにも出ていたり、結構有名な教授だわ」
マリーは次元に差し出された水を飲んで、ふうっと息をつく。
さすがに疲れたようだった。そっけないアジトの部屋の中を物珍しそうにぐるりとひとまわりすると、広い窓から外を眺める。
窓からの隙間風が、彼女のほどいたままの長い髪をふわりとなびかせた。
「それはわかってるけどな、なんであそこにいて、ヘッジズ・スカルを狙うのかって事だ」
次元は苛立ったように、ぐいっとグラスの水を飲み干した。
ルパンも水の入ったグラスを持って、がたんと椅子に腰掛けた。
「ちらりと見たが、気に入らない目つきの男だ。学者にしちゃあ、ずいぶんとキナ臭い男じゃねぇか」
「あなたを探すって言ってたわ」
マリーの不安そうな声を聞くと、ルパンはグラスを置いて立ち上がる。
「マリー、俺の事心配してくれてるのかい?大丈夫大丈夫、俺ッ様はこんなの慣れっこさ〜」
両手を広げておどけて言った。
「まあ、おそらくあのシャル・バレイって男の入れ知恵で、ダニエル親子はヘッジズ・スカルに目をつけたんだろうな」
煙草に火をつけるルパンからライターを奪って、次元は自分のそれにも火をつけた。
「しっかし、五右ェ門のヤツ遅ぇな。まさかTGV(鉄道)で向かってるんじゃあるめぇ?」
「あいつも来るのか?」
意外な気がして、思わず次元は声を上げた。
「ああ、ちょいと調べ物を頼んでる」
ルパンはニッと笑って旨そうに煙草をふかした。
次元は窓から外を見る。アジトの前に停めてあるSSKの向こうから、浪人風の男が歩いてくるのが見えた。
噂をすれば、だ。
部屋に入ってきた五右ェ門は、テーブルの上にばさっと書類を置いた。
「お〜疲れぃ、五右ェ門ちゃん。調べてきてくれたかい」
ルパンのねぎらいの言葉も無視して、五右ェ門は窓のほうに向かう。
「ルパン、こんなものをつけている妙な奴らがうろついていたぞ」
言いながら、ポンとテーブルに小さな光るものを放った。
蛇と羽の模様をかたどったバッジだった。
ルパンはほほう、とそれを一瞥して、口角を上げて不敵に笑う。
「……かなり殺気は抑えちゃいるが、びりびりと気配が伝わってくるからナァ」
次元はガタンと椅子に腰掛け、その両足をテーブルにのっけた。
「ま、まだ手出しはしてこねェだろ」
ルパンも再度腰掛けようとして、マリーが驚いた顔で五右ェ門を見ているのに気づいた。
「マリー、こいつぁ、十三代石川五右ェ門。貧乏侍みてぇなナリしちゃいるが、世界一の剣の使い手さ」
紹介された五右ェ門は、少々戸惑ったように背筋をピンと伸ばして彼女の前にまっすぐ立った。その彼の頭のてっぺんからつま先まで、マリーは繰り返し眺めた。
「……あの、マリー・ブリルです」
それだけ言うと、ためらいがちに右手を差し出す。五右ェ門の方も照れくさそうにもじもじと右手を差し出し、握手をした。
パリっ子じゃあ、刀を差した浪人なんざ見るのも初めてで驚くのも無理はないだろう。
次元はおかしそうに二人を眺める。
テーブルの資料を、ルパンは食い入るように読んだ。
その内容についての説明はルパンに任せたようで、五右ェ門は黙って刀を抱きながらソファにあぐらをかいている。
「で、どうなんだ、ルパン。何かわかったのか?」
せっつくように言う次元に、ルパンは落ち着けと言わんばかりにそのグラスに水を注いだ。
「大体はな。思ったとおりだ。『ククルカン』だ」
そう言って、五右ェ門が投げたバッジを指でつまんだ。
「ククルカン?」
次元とマリーは声をそろえてルパンの言った言葉を繰り返す。
「ククルカンてなぁ、マヤ神話に出てくる至高神さ。アステカで言われているケツァルコアトルってぇ呼び名の方が知られてるかもしんねぇな」
「そりゃ、どっちの名前も聞いた事くらいあるが、そいつが一体?」
ルパンは相変わらずそのバッジをもてあそび続ける。
「そのククルカンてのは羽の生えた蛇の姿として描かれてる神さんでね、ある団体の名前・シンボルとして使われてるのさ」
ぴんっとバッジを指で次元に弾いてよこす。
次元は煙草をくわえたまま、改めてその羽の生えた蛇を見た。
「……その『ククルカン』てぇ団体さんが、今回の件にかんでるってわけか。そいつぁカルト教団みたいなモノなのかい?」
「いや、そういう訳じゃねえ。歴史はそう古くはなく、1980年代くらいからできた集団だ。アメリカのある有力者が代表で、彼は名前や正体が流布しないように毎年一財産使う、そんなヤツさ。どういう集団かというと、古くからのアメリカの自然を保護し、スピリチュアルな対話をもつっていう、精神活動の交流がメインのグループだ」
「なんだ、どっちにしろウサンくせぇ集団だな」
「そうでもないさ。シャーリー・マクレーンのムーブメント以来よくあるぜ、こういうの。しかし、この『ククルカン』が他のカルトな集団と違うのは、なんといってもその構成メンバーだ。アメリカだけじゃなく、ヨーロッパ・アジアにもメンバーは広く分布し、政治家から財界の有名人、芸能人……『ククルカン』の持つコネクションは計り知れねぇ」
「……じゃあ、あのバレイ教授が……?」
身を乗り出してルパンの話を聞いていたマリーが声を上げた。
まあ待て、というようにルパンはマリーを制止する。
「『ククルカン』の基本的な活動内容は言ったとおりだが、なんといってもメンバーの数が多いから、自然といくつかの派閥に分かれていてね。もともとのネイティブアメリカンの文化の崇拝と精神活動に徹するグループが勿論主流だが、もうちょいアクティブなグループもある。一部を掘り下げて、古代マヤ文明の秘密に迫ってゆくことを目的としている派閥だ。そして、その派閥の中心にいるのが……」
「シャル・バレイか」
次元は短くなった煙草を、ホコリだらけの灰皿でもみ消した。
「ご名答〜。奴は、下っ端構成員だったダニエル・ブリルがヘッジズ・スカルに関係しているということをかぎつけて、うまいこと言ってまるめこんだんだろう。
いや、次元から水晶のドクロって聞いて、ヘッジズ・スカルが真っ先に思い浮かんだわけなんだけどな。あの石板が発見されてから、やっきになってヘッジズ・スカルを手に入れようとするのはどいつなのかってのを調べるのに手間取っちまって、五右ェ門に頼んだってわけさ」
あいかわらずの姿勢でソファに陣取る五右ェ門をくいっと顎でさした。
マリーはルパンの話を整理するように目を閉じたり開いたりしながら、バッジに触っていた。
「……でも一体、『女神の額が照らす』秘宝っていうのは何なのかしら?」
「そりゃわからねぇけど、なんつったって、マヤの神の遺産だぜ?お宝ざっくざくか、それともとんでもない人類の秘密か……」
心配そうな表情のマリーを、ルパンはわくわくしたような顔で覗き込んだ。
「ま、オトコってのは皆そういうのが好きなものさ」
ソファに座り込む浪人、狙われつつも笑ってばかりの大泥棒、テーブルに足をのっけて煙草を吸ってばかりのガンマン。
マリーは三人の男を改めて眺める。
「叔父様たちといい、あなた方といい、ほんと男の人ってしょうがないのね」
ふうっとため息をついて水を一口飲み、一瞬窓の外を見てから、三人の方に愛らしい笑顔を向けた。
マリー・ブリルは何かあるたびに、びっくりしたり、あわてたり、心配したりする、普通の女。
けれど、どんな状況になってもそんな「普通の女」であり続ける彼女を、次元はどういうわけだか頼もしくまぶしく感じた。
「普通」じゃない彼らに、「普通」の女が「普通」に接し続けること自体、稀有なのだ。
どんな女なのか、もっと知りたい。
次元はふとそんなふうに感じた。
その時、アジトの周囲に車の気配がする。
三人の男は瞬時にそれぞれの得物を手にした。
「おい、ルパン……」
「わかってる」
近づく足音に、三人は武器を構える。
次元はマリーの前に立ちはだかり、銃の安全装置を外した。
足音は扉の前で止まり、次の瞬間大きな音を立てて扉が開かれた。
「ルパン!ここに居るのはわかってるぞ!」
現れたのは、警官を従えた銭形警部だった。
「と、とっつぁ〜ん?」
驚いたルパンの素っ頓狂な声が響く。
To be continued >>next