水と緑と骸骨と(7)
クロードの後を追う次元を、マリーは懸命に追った。
廊下をどんどん進み、マリーも足を踏み入れたことのないところに入り込む。
「ねえ、次元」
マリーが心配そうに声をかけると、次元はシッと人差し指をかざす。
クロードの靴音が止まった。
次元は静かに壁に体を沿わせて立ち止まる。マリーも彼の影にかくれてそれにならった。
装飾品がディスプレイされた華やかな空間から、徐々にそっけない雰囲気になってきていた。
そんな廊下に並ぶ扉の一つを、クロードは静かに開ける。
彼がその扉の向こうに姿を消しすと、少ししてから次元もその扉の前に立つ。
マリーの胸の鼓動はどんどん早くなる。コルテラの会社に入り込んだ時よりも、もっと不安な気持ちだった。
次元の手がドアノブにかかった。
「……次元……!」
彼女が制止する間もなく、次元の手はゆっくりと扉を開けた。
扉の向こうは部屋ではなく、広い踊り場、そして階下への階段が続いていた。
クロードの早足い靴音が響く。
次元はくいっと顎をその後に向けた。ため息をこらえながら彼と階段を降りるマリーの背に、そっと次元の手が触れ、静かにゆっくりとささやいた。
「大丈夫だ。俺もルパンもいる」
表情も変えないままの彼を見て、ふうっと息をついた。ため息ではなく深呼吸。
どうしてだかわからないけれど、彼の大きな手、その低い声。それはマリーの心を落ち着けた。
階下に下りるとひんやりした空気に薄暗い廊下。
クロードの姿はもう見えなかった。
二人はだまってその廊下を進む。
祖父の部屋で次元に助け出されたときのように、マリーはいつのまにか次元のジャケットの裾を握り締めていた。しんとした寒々しい廊下を、もはや何も言えずに次元についてゆくだけ。
胸の鼓動をおさめるために、何度目かの深呼吸をした。
彼といると、ため息や深呼吸の回数が多くなる。
と、廊下のすみに投げやりに置かれていた古い甲冑の置物の腕が二人の行く手をさえぎった。
「ここまでだ。静かにしろ」
その地の底から響くような声に、マリーは飛び上がらんばかりに驚いて声を上げそうになる。
すかさず次元の手が彼女の口を覆い、うしろから抱え込んだ。
「おい、ルパン、悪い冗談はやめろ。こいつはこういう事ぁ慣れてねぇんだ」
甲冑の後ろから現れたのは、赤いスーツのルパン三世。
「悪ぃ悪ぃ。奴ら、ココさ」
ルパンはすぐ向かいの扉をさして、すっと廊下の影に身を潜めた。
次元もマリーを抱えたまま続いた。
「……もう離して。叫んだりしないわ」
思いがけず強い力で抱え込まれたマリーは、少しあわてて次元に抗議した。
「ああ、すまね」
次元はさっと彼女を離すと、イヤホンを放ってよこした。
同じくそれを受け取ったルパンはさっさと耳にねじこんでいる。
不思議そうにマリーがそれを手に持っていると、次元が小声で言った。
「さっき、俺がクロードに仕掛けたのを見ただろう?盗聴器さ」
彼らに習ってマリーもイヤホンを装着した。
ラジオのような音声が聞こえてきた。
「状況はどうなんだ?」
それは、ダニエルでもクロードでもない男の声だった。
マリーにも聞き覚えのない声だ。
「……遺言状は確認はできないが、おそらくまちがいなくヘッジズ・スカルは姪のマリーの所有になると思う。かねてから父はそう言っていたからな」
苦々しげなダニエルの声が続いた。
「マリーはどうせあのクリスタルの価値などわかってはいまい。なんとか懐柔するなり、若干強引な手を使うなり、考えろ」
「……マリーは昔からあまり私にはなついていない姪で、なかなか懐柔に応じる風でもなく、今回は婚約者の男も連れてきているし……」
「あの男、どうも胡散臭い。妙に隙がないし、イヤな男だ。どうせマリーの家の財産を狙ってるろくでもない奴に決まってる」
怒りに震えたクロードが会話に割って入った。
「愚痴や言い訳は意味がない。とにかくヘッジズ・スカルを確実に手に入れなければならないという事は、君達もわかっているんのだろうね?」
第三の男は冷静な声で続けた。
「それは十分にわかっている!しかし……この予告状を見ろ」
若干猛ったダニエルの声。
第三の男の、ウッという声が響いた。
「……ルパンがこの屋敷のコレクションを盗むだと?」
「そうだ。それで朝から、警備会社や警察との連絡で忙しかったんだ」
「ルパンがここに……」
男が部屋の中を歩き回っているのだろうか。足音が響く。
「なんでそれをもっと早く言わないのだ?ルパン三世といえば、ダイヤや現金、絵画の窃盗でも有名だが、今までさまざまな貴重な発掘品や秘宝も狙っている大泥棒だ!まちがいなく奴はヘッジズ・スカルをも狙っているにちがいない!」
「……まさか、あれは祖父の秘蔵の品で、奴が知るはずもない」
「いや、奴は油断のならない泥棒だと聞いている」
しばし沈黙が続いた。
「……もしもなんらかの形で、ルパン一味がマリーと接触を図っていたらまずいことになる。ともかく奴がアヌシーに来ているのは間違いない。まずは奴を探させよう」
また足音。
第三の男はクロードから離れていったのか、声が小さくて聞き取りにくい。
誰かに向かって何かを話しているようだった。
「そうだ、マリーとその婚約者という男がここに来ているのだったか?」
再度男の声が大きくなった。
「ああ、私のコレクションを見に来ている」
ダニエルが答えた。
「……そうか、だったら客人として紹介していただこう」
その言葉を聞いて、三人顔を見合わせる。
次元はイヤホンをもぎ取ると、あっという間にマリーを担ぎ上げて猛烈なスピードで廊下を走る。
「……ちょ、ちょっと……」
あわてて抗議しようとするマリーにお構いなしだ。
「次元、急げよ!」
「わかってらぁ!クソッ!手前ぇこそ、気ぃつけろ!」
マリーは声を上げる間もなく、次元の肩に抱えられたまま階段の上の扉の外に飛び出した。やっと降ろされる。
次元は肩で息をしている。
「……大丈夫?」
思わず声をかける彼女の手を取って、また次元は走った。
「まだ走るぜ!」
次元に手を引かれて、マリーは屋敷の廊下を走った。
胸がどきどきする。
全速力で走るなんて、どれくらいぶりだろう。子供のとき以来かもしれない。
しかも子供の頃から、お屋敷の廊下を走っちゃいけませんと言われ続けてきて、かたくなにそれを守って生きてきたのに、泥棒に手を引かれて叔父の屋敷を全力疾走することになるなんて思いもしなかった。
まるで子供の頃、近所の子供の悪戯につきあわされてわくわくした事がふと甦る。
どうしてこんな時に!
廊下に飾られている壷やら何やらにぶつかりそうになりながら、二人はコレクションルームにたどりついた。幸い使用人に会うこともなかった。
部屋の真ん中のソファに座り込んで、二人、呼吸を整える。
「……もう……どきどきハラハラするのはイヤだって……言ったのに……」
まだ荒い呼吸のままマリーは途切れ途切れにつぶやいた。
「……大丈夫、見つかりゃしなかったろうが」
さすがに次元も深呼吸を繰り返して言った。帽子をかぶりなおす。
肩をゆらしながらマリーはもうそれ以上何も言う気がしない。
「早く呼吸を整えろ、妙な誤解をされちゃ困る」
次元の隣で力なくソファにもたれかかっていたマリーは、顔を赤くして次元の肩をひっぱたいた。
「……こんな時に変な冗談言わないで!」
部屋の外で足音が響いた。
思わずマリーは姿勢を正す。
ダニエルとクロード、そしてその後からもう一人、男が入ってきた。
彼は、マリーと次元を、ゆっくりじっと見比べていた。
そのグレーの瞳は鋭くて、思わずマリーは次元の腕をぎゅっと握り締める。
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