水と緑と骸骨と(5

 

次元大介がぼんやりと目覚めると、眠りにつくときに彼をつつんでいた、ほんのりとした甘い香りが相変わらず優しく周囲をただよっていた。

 しばし夢の余韻とその香りのマッチングに身を任せていると、バスルームから出てきたマリーが彼の前で足を止めた。

「おはよう、よく眠れた?」

 まだナイトウェアのままタオルを手に持ったマリーは、少し恥ずかしそうに笑って次元を見た。

 ぼさぼさと額にかかった髪をかきあげながら次元は体を起こした。

「……ああ。こんなに待遇の良い仕事はめったにないからな、そりゃゆっくり眠れたぜ」

 言ってサイドテーブルの煙草を一本くわえて火をつけた。

 部屋のカーテンを開けるマリーを、たっぷりとした太陽の光が照らした。

 蜂蜜色の髪と白い肌がまぶしいくらいに輝く。

 そういえば朝起き抜けに女の笑顔を見る、なんてのはどれくらいぶりだろう。

「朝は苦手なの?」

 まぶしそうに目を細めながら煙草を吸う彼に、マリーは尋ねた。

「……この俺が好んで早起きをする男に見えるか?」

 だるそうに煙を吐き出しながら答えた。

「それもそうね」

 女はおかしそうに笑いながら自室に引っ込んだ。

 

 二人身支度をして、ダイニングに向かう。

 朝食の席には、さすがにクロードは顔を出していなかった。

 マリーは紅茶をすすりながらダニエルに言った。

「そうそう、叔父様の絵画のコレクションを、是非彼が見たいというのだけれど、伺ってよろしいですか?」

 彼の屋敷の下調べにと、打ち合わせたのだ。

 ダニエル・ブリルは表立ってのコレクションもかなりのものらしい。

「あつかましいお願いですが、ムッシュ・ブリルは素晴らしい印象派をお持ちだという話なので、いてもたってもいられなくなりましてね」

「おお、それは是非どうぞ。いつでも屋敷にいらしてください。私もじきに戻りますから」

 ダニエルは上機嫌で答えた。

 食事を終えて、次元はゆっくり居間に飾られている絵画や彫刻なんかを眺める。

 ヴィンセント・ブリルは年季の入ったコレクターだったのだろう。

 それぞれにかなり素晴らしい作品がさりげなく置かれ、それはしっくりと部屋になじんでいた。

 しばしマリーと次元はソファで休んでいると、なにやら奥でダニエルの声がする。電話を受けているようだった。

 しばらくやりとりをしてから、あわてたように居間に顔を出した。

「私はちょっと今から屋敷に戻る。どうぞ、ゆっくりしていってくれ、マリー」

 それだけ言うと、急いで出て行った。

「……何かあったか?」

「さあ、叔父様も忙しいから。祖父の代は農業機器を扱う会社だったのだけど、今は電子機器やら手広くやっているみたいだし」

「ま、俺達も出掛けるとするか」

 

 二人はぶらぶらと旧市街を歩いた。

 石造りの水路、町並みを飾る花、ただその辺をぶらつくだけでも美しい町だった。

「明日なんだろう?弁護士が遺言状を持ってきて、じいさまの地下金庫を開けるのは」

「そう、それが祖父の指示なの。それまでに、ミューシーにいるおば様も来て全員そろうわ」

「……せっかく先入りしたのに、この町を一緒に歩くのが泥棒野郎で残念だったな」

 いつものようにちょっと猫背になり、ポケットに手をつっこんだスタイルに戻っている次元を、マリーはムッとした顔で見上げて一瞬足を止めた。

「……もう、彼の事はいいじゃない。ほっといて」

 言って、またさっさと歩き出した。

 次元は肩をすくめて、彼女に続いた。

「長いつきあいだったのか?」

 歩きながら煙草に火をつけて、何気なく聞いた。

 湖畔に近づき、少しずつ観光客も増えてくる。

 二つの公園を結ぶそっけない橋で、記念撮影をしている男女なんかがいた。

「……半年くらいだけど……。なんだかね、自由な人でいいなあって思ったの」

 マリーは大きく息をついて、橋を渡る人々を眺めていた。

「自由?」

 次元は少し意外そうにマリーを見た。

「ものすごく忙しくて休みもなかなか取れなくて、あちこちを飛び回らないといけなくて、それでもちっとも縛られている感じがしなくてね、そういうところが好きだったわ」

 うっすらとガスのかかった美しい湖と、雪を冠した山を見上げて、彼女は足を止めた。

「子供の頃から祖父がね、いつも私に言ってたの。自由に生きなさいって。

 自分が自由だと思えば、たとえ監獄の中であろうと人は自由だ。ただ、自分が自由に生きることで、ひとに迷惑をかけたり傷つけたりしてはいけない。自分の自由の責任を負って生きられるようになりなさいって」

 マリーは大きく息を吸って目を閉じた。

「わかるような気もするし、わからないような気もするし。どういう事なのかしらって、いつも考えてた。彼と会った時、こういう人をいうのかもしれないって思ったのよ」

 目を開けた彼女は、思いがけずすがすがしい顔をしていた。

 次元は彼女の隣で足を止めたまま、指が熱くなるまで煙草を吸い続けた。

「……あんたみたいにたっぷり金のある美人が『自由』がわからねえって、そっちの方がわからねぇな」

 マリーは少し肩をすくめて、彼を見上げ、静かに言う。

「そうね、きっとあなたみたいな人にはわからないわ」

 また歩き出した。

 

 湖畔の見えるカフェで二人、座ってコーヒーを頼む。

「……ところで、どんな人なの?あなたの相棒って」

「言っただろう?世界一の大泥棒さ」

「それは聞いたけど……」

 マリーは次元の方に身を乗り出して、まじめな顔でささやいた。

「本物の泥棒ってあなた以外会った事ないんだもの、なんだか怖いわ」

「……怖いって、通りすがりの泥棒を雇っといて、今さらなぁ」

 次元は苦笑いをしながら言う。

「だって、あなたは……面接済みだし……」

「面接ねぇ」

 くっくっと笑う。

「ま、どんな奴かっていやぁ……、まっかっかに燃えた熱いウサギちゃんてとこかな」

 テーブルにひじをついて言う次元を、マリーは不安そうな顔でじっと見ていた。

 その時、二人のテーブルに人影が。

「ボンジュール、マドモアゼル。こちら、ご一緒させていただいていいかナー?」

 湖をバックに現れたのは、真っ赤なジャケットの男。

 満面の笑みでマリーを見つめながら腰掛けた。

「初めまして、マドモアゼル。相棒が世話になってるそうで。俺はルパン三世、以後お見知りおきを」

 茶目っ気たっぷりに言って、手を差し出す。

 目を丸くしたマリーが右手を出すと、ぎゅっと握手をした。

「んっふっふ〜、聞いていた以上に美しいお嬢さんだ。アヌシーまで来た甲斐があったなァ」

 ルパンは握手したその手に、粋なそぶりで軽く口付けをする。

 相変わらず驚いた顔で彼を見ていたマリーは、ぷっと吹き出し、ちらりと次元を見た。

 次元も笑いをかみ殺す。

「……おい、次元、なんなんだよ、俺様の登場、どっかおかしいかぁ?」

 ルパンは気分を損ねたように、ふてくされた顔をする。

「ああ、ごめんなさい、なんでもないの、ムッシュ。次元からあなたの事をきいていて、ほんとその通りの人だなあって思って。私はマリー・ブリル、よろしくね」

 マリーはくっくっと愛らしく笑いながら、あらためてルパンに自己紹介をした。

「おいおい、次元、何を言ったんだ?」

「まあ、いいじゃねえか。それよりルパン、あまり時間がねぇ」

 ルパンは少々不満そうだが、コーヒーを頼むと、いくつか資料をテーブルに広げた。

「急ぎで調べてきたんだが、マリー、きみの叔父さんのところにあるという、エルミタージュの地下倉庫から流出した絵画、かなりのものみたいだな。ゴッホ、ドガ、ルノワール、モネ……。最高のフランス印象派だ。表のコレクションも相当なもののようだが、この隠しコレクションはかなりの価値のようだぜ」

 マリーは複雑そうな顔をする。

 次元は帽子の影からじっと彼女を見た。

 まあ、無理もない。美術館で学芸員をやっている彼女からすれば、叔父が美術館から不正に入手した絵画を秘匿しているなんざ、良い気分ではないだろう。

「さてと、あと、これだ」

 ルパンは写真を何枚か示す。

「きみが、じいさまから受け継ぐ水晶のドクロってのは、これじゃねぇか?」

 マリーはルパンの提示した写真をじっと見た。

 驚いた顔でルパンを見上げる。

「……そうよ、これよ。よくわかったわね?」

 次元も身を乗り出してその写真を見た。

 そこには透き通った水晶で精巧に作られた美しい骸骨の写真。

「通称ヘッジズ・スカル。ある筋では有名なブツさ」

「ヘッジズ・スカル?」

 次元は繰り返す。

1927年、イギリスの考古学者ミッチェル・ヘッジズがマヤのルバアンタン遺跡で発見したドクロだ。おそろしく精巧に細工された実物大の女性の頭蓋骨で、重さは5.3キロのロッククリスタルでできている」

「……ロッククリスタルか……」

 次元は煙草の煙をふうっと吐き出した。

「水晶なんざありふれた鉱物なのに、なんでこいつがそんなに有名なのか?問題はこの精巧な細工さ。水晶ってのは極めて硬いし、溶解もしにくい。その結晶の形のせいで、ちょっと加工技術がまずいとすぐに砕けちまう。つまりそんな性質から、とてつもなく細工が難しいんだ。現代の技術をもってしても、このヘッジズ・スカルみたいな完璧なものを作るのは難しいといわれている。それが、どうしてマヤの時代に作られたのか。こいつは常にそんな議論の中にさらされてきた、いわく付のシロモノさ」

 マリーは目を丸くしてルパンの話に耳を傾けていた。

「で、そいつはダニエル・ブリルが目の色変えて欲しがるだけの価値があるってわけなのか?」

 次元はコーヒーを一口飲んで、ルパンに尋ねる。

「まあ、このドクロそのものっつったら、高級車が一台買えるくらいの価値ってぇとこかな」

「……そいつぁ安くはねぇだろうが、なにもブリル家の者がやっきになるほどじゃあねえな」

「その通り。事情が変わったのは、こいつのせいだ」

 ルパンはさらに一枚の写真を提示した。

 マリーも次元もそれを覗き込む。

 なにやら複雑な絵のような記号のようなものが刻み込まれた古い石板の写真だった。

「こいつが実はドクロが見つかったのと同じルバアンタン遺跡で発見された石版なんだが、最近になって個人コレクターから流出した。おそらく古典期から後古典期のものと言われている。こいつぁマヤ文字なんだが、書いてある内容はかいつまんで言うと、こうだ。

 『女神の額が照らすところ、古の神の遺した光あり』」

 ルパンがにやっと笑って二人の目を交互に見た。

「……つまりは、この水晶でできた女の頭蓋骨が、古代の神からの遺産のありかを示すとでもいうのか?」

 次元は短くなった煙草を指でつまんで、つぶやいた。

「っていうウワサで業界はもちきりみたいだぜ」

 二人は、船長に舵の方向を尋ねる船員の如く、マリーを見る。

「……ロマンチックな話ね……」

 マリーはうっとりした顔で目を閉じた。

「おいおい、お嬢さん、浸ってる場合じゃなくてな。おそらくそのマヤの秘宝を狙って、あんたの叔父さんは動いてるってこった」

 次元が焦れたように言うと、マリーは目を開けて、ゆっくりと二人の男を交互に見た。

「……あなた方も興味ある?」

 微笑みながら言った。

「……そりゃまァ、その……なァ」

 ルパンはもじもじと笑いながら次元を見て、そしてまたマリーの顔をのぞきこんだ。

「……いいわ。私はあのクリスタルを自分の部屋に置けたら、それで良いの。クリスタルの秘密を解き明かして宝探しに行くのは、あなたたちの好きにしてかまわない」

「ヨッシャー!」

 二人の男は声を上げて立ち上がった。

 

 

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