水と緑と骸骨と(15)
「私のコレクションが!!」
ダニエルは叫ぶと、ルパン達に背を向けてテーブルを離れた。
「ダニエル、やめろ!」
シャル・バレイの制止もきかず、ダニエルは飾り棚の戸を開けて何かを操作した。
するとその飾り棚が動き、その後ろに小さな入り口が開く。
そこから煙が上がってきた。
「やめろといってるんだ!」
ダニエルの肩をつかむシャル・バレイの腕に、五右ェ門の蹴りが飛ぶ。
次の瞬間はじき飛んだ銃を、次元は握り締めていた。
「次元、そらよ!」
ルパンが部屋にあった消火器を投げてよこした。
次元はそれをキャッチしてダニエルをつきとばし、飾り棚の後ろの入り口に駆け込む。
咳き込みながら狭い階段を駆け下りて行った先、部屋の真ん中で燃えている炎に消火剤を思い切り噴射した。
鎮火を確認すると消火器を放り投げ、煙の中、マリーを探した。
「マリー、どこだ!無事か!」
かすかなうめき声が聞こえる。
壁際でうずくまって、咳き込んでいた。
「マリー!」
駆け寄って抱きかかえた。
「……絵は……絵は無事?」
「ああ、燃えたのは部屋の中央と天井だけだ」
「……よかった」
ごほごほと咳き込みながらマリーは笑う。
次元の目をじっと見て、そしてぎゅっと彼の首に手を回し、抱きしめた。
「あなたも無事?」
「……絵の次かよ!」
言われて、マリーは次元の首にしがみついたままくっくっと笑った。
「信じてるからよ」
「まったく無茶をしやがる」
改めてほうっとため息をついて、彼女の消火剤だらけの髪をなでた。
「……叔父様がいたでしょう?叔父様がいるなら、絵が燃えるままにはしないと思ったの。それにあなたたちがいるのなら、きっと来てくれると思ったわ。……あきらめるなって言ったのは……あなたよ」
次元はすすのついたマリーの顔をそっと指でぬぐった。
ゆっくりとくちづける。
柔らかい唇に暖かい舌。本当に彼女が生きているということを、この上なく実感した。
唇をはなすと、そうっとマリーを立ち上がらせる。彼女は、はっとしてポケットをさぐった。
「そうそう、これ……返すわ。吸いすぎには注意して」
銀色のライターを差し出した。どこかでなくしたと思ったら、そういえばコレクションルームでマリーに取り上げられたままだったのだ。
「絵を見ながら煙草を吸うななんて言う奴が、コレクションルームに火をつけるか?」
「時と場合によりよ」
すまして言うマリーをエスコートしてコレクションルームを出ると、先ほどの部屋ですでにシャル・バレイとダニエル・ブリルはルパンたちの手で拘束されていた。
ルパンはさっそく回収したと思われるクロノグラフを、満足気にかちゃかちゃと腕にはめていた。次元とマリーを見ると、ニッと笑う。
「おかえり、お嬢さん」
「……ありがとう、ルパンさん、五右ェ門さん」
マリーは二人を見て、嬉しそうにほっとしたように言った。
「9時に弁護士が来るんだろう?行って来いよ。こっちはまかせとけ」
ルパンに言われて、次元は腕時計を見た。
「よし、後は頼んだぜ」
二人はアストン・マーティンでヴィンセント邸に向かう。
「……だいぶひどい目にあったのね」
改めて、つぶてでボロボロになった帽子やスーツの袖、血のにじんだ頬を見て、マリーはつぶやいた。
「あんたこそな」
マリーもすすだらけ、服はあちこち焼け焦げだらけだった。
「身内の集まりで、ドレスコードもないから大丈夫よ」
二人はヴィンセント邸の入り口に立った。
最初にここに二人で立ったのはほんの一昨日の事だ。
さすがの次元も、あれから48時間もたたないうちにこんな目に合うとは思いもしなかった。
一昨日にそうしたように、二人、じっと見詰め合ってから中に足を踏み入れた。
入り口を通ると、二人の様に腰を抜かさんばかりに驚く執事。
「弁護士の先生や叔母様はもう集まってる?」
「あ、は、はあ、はい。ヴィンセント様のお部屋に……」
「わかったわ、ありがとう」
二人はヴィンセントの部屋に向かい、扉を開ける。
「あらあら、まあ、マリー!」
驚いて声を上げる叔母君。
目を丸くする弁護士。
そして、一番驚いているのはクロードだった。
「俺たちじゃなくて、こいつらを待ってたんだろう?クロード坊や」
次元が部屋に転がしたのは、背中合わせに拘束された、赤いスーツの男とダークスーツの帽子の男。シャル・バレイ教授がおくりこんだ、偽のルパン一味だ。
クロードの顔から血の気が引くのがわかる。
その時、先ほどの執事があわてた様子で部屋に駆け込んできた。
「クロード様、お屋敷の方に賊が侵入し、逮捕されたそうです!」
その報告にまたクロードは驚いた顔をするが、次には勝ち誇った顔で次元を見た。
「……だ、そうだ。君の友人かい?」
マリーも驚いた顔で次元を見上げる。
「捕まった男の事なんかより、ドコからナニが出てきたのかを心配した方がいいぜ。あるはずのないモノが出てきたら、大変なんじゃねぇのか?」
次元に言われて、クロードの顔はすっかり真っ白になった。
がたん、と力なく椅子に座る。
「先生、手続きを始めましょう」
マリーは落ち着いた声で言って、テーブルについた。
すすだらけで、そして消火剤にまみれた彼女は、それでも凛として美しかった。
次元は立たずんだまま、そんな彼女を見守る。
遺書の開封と様々な手続きを終えて、次元はルパンと五右ェ門の様子を伺いに再度ダニエル邸に向かった。助手席には愛しそうに、クリスタルのドクロを膝にのせているマリー。
それは太陽の光を受けてキラキラと光っていた。
「ルパンの奴、大丈夫なのかね」
すうっとダニエル邸の前で車を停めて運転席の窓を開けると、そこに銭形警部がやってきた。
「……なあ、次元。なぜだかルパンの奴、すんなりと大人しく捕まりやがってなぁ」
不機嫌そうに窓に腕をかけて車にもたれながら、懐から出した煙草をくわえる。
「ほう、そうか」
次元はポケットからライターを出し、それに火をつけてやった。
「地下の隠し部屋から大量の絵画も出てきてなぁ。ちなみにそれには盗難届けの出てたやつも含まれてたんで、とりあえず調査することにはなったんだがな」
「ほう、そうか」
警部はイライラしたようにものすごい勢いでその煙草を吸い終わると、地面に放ってぐりぐりと靴でもみけした。
「……あそこにルパンを逮捕したんだがな!」
警部が示す方を見ると、すぐそこにパトカーの前で手錠をかけられうなだれているルパンがいた。
「あいつがルパンでいるうちに、早く行っちまえ!クソったれ!」
うなだれた様のルパンを見ていると、その顔からずるりとマスクが剥がれ落ちた。その後に残っているのは放心したシャル・バレイの顔だった。
「サンキュー、とっつぁん!」
次元は笑いをこらえて、車を出す。
「おいおい、待てったら!」
どこからともなく現れたルパンと五右ェ門が、あわてて後部座席のドアをあけて乗り込んできた。
大笑いする四人を乗せて、アストン・マーティンは湖のほとりを走る。
一度は彼らを飲み込んだその美しい湖は、今はキラキラと光ってまるで祝福しているかのように輝いていた。
「傑作だったなァ、あの教授のフヌケた顔!」
次元はくっくっと笑う。
「ま、そのうち放免されるだろうが、奴はもうおしまいだ。あんな騒ぎはすぐに『ククルカン』の代表に知れて追放、資金もなく、二度とヘッジズ・スカルは追えないさ」
ルパンは満足そうに言う。
「……そうだ、あなたがた、絵はよかったの?」
はっと気づいたようにマリーはルパンを振り返る。
「ああ、絵ね。ダニエル・ブリルの書簡を偽造して、ルーブルに送っといたぜ。寄付する絵の目録をつけて。すぐにルーブルの車が迎えにくるさ。これで、あの名画はいつでも見たい時に見ることができるってワケだ。なぁ、五右ェ門」
隣に座る五右ェ門は微笑んで、満足そうに頷く。
ルパンはヘッジズ・スカルを両手に抱き、愛しそうにその額にくちづけた。
四人はヴィンセント邸に戻り、誰もいなくなったヴィンセント・ブリルの部屋でヘッジズ・スカルを囲んだ。
改めて見るとそのクリスタルは、実に精巧な造形と美しさを呈していた。そして眼窩や下顎の複雑なカーブは光を受けると、まばゆいばかりに輝く。
「で、ルパン。マヤの神の遺産てのは、どうやってこのお嬢さんから聞き出したらいいのかね」
次元は骸骨の額を指ではじいた。
ガラスのテーブルの上に置いたそれを、ルパンはじろじろといろんな角度から眺める。
「うーん……。なぁ、五右ェ門。ちょっと部屋のカーテンを閉めてくれねぇか」
カーテンを閉めて薄暗くなった部屋の中で、ルパンは煙草に火をつけた。そして、そのライターをヘッジズ・スカルを置いたテーブルの下から照らす。
「……あ……!」
マリーは思わず声をもらす。
炎で照らされたクリスタルは例えようもない不思議な光を放ち、それは部屋の壁にこれまた不思議な文様を映し出した。
「……これさ!」
ルパンはライターが熱くなるであろう事も気にせず、その幻想的なプリズムの作り出す文様に見入る。
それは他の三人も同様であった。
「五右ェ門、ルバアンタンの遺跡の祭壇のあった部屋のサイズを割り出すんだ!そこでこのプリズムがあったとして……。いそいでパリのアジトで解読だ!」
ルパンはせわしくまくしたて、矢も立てもたまらないというように、五右ェ門を引き連れて部屋を飛び出した。
「おっと、次元!マリーからクリスタルを借りてきてくれよ!」
出て行く寸前に言うのを忘れなかった。
マリーはあっけにとられて二人を見送り、そしてカーテンを開けながら、ふうっと息をついて次元を見る。
「……今度は南米へ宝探し?」
「ああ、一度パリへ行って、奴が解読を終えたらな」
次元は肩をすくめて言った。
「素敵なものが見つかると良いわね」
そんな彼を見上げて、マリーはヘッジズ・スカルの隣に腰掛けた。
次元はマリーの前をしばしウロウロ歩き回って、ふっと足を止め、彼女を見た。
「何を他人事みたいに言ってやがる。もうしばらくしたら夏休みも取れるんだろう?……お宝を掘るくらい、手伝えよ」
ぶっきらぼうに言う次元を、マリーは目を丸くして見る。
じっと見る。
「……アウトドアにも、ちったぁ慣れただろうが」
何も言わないマリーに、次元は照れくさそうに続けた。
「……それを手伝う報酬は、何をどれくらいもらえるのかしら」
マリーは帽子の下から次元の目をのぞきこんで言った。
「なんだ、金持ちのくせにガメついんだな。言ったと思うが、俺は今は金がないんだ。報酬なんかカラダで払うくらいしかできねぇよ」
言い捨てて顔をそらす。
「体で払うって……ずいぶんとクラシックなのね」
くっくっとマリーはおかしそうに笑った。
「悪かったな!……南米の宝探しが気に入らねぇんだったら、パリでゆっくりしてるがいいさ」
次元は不機嫌そうに煙草をくわえた。
マリーは彼の前にまわって、その煙草を指でつまんで取り上げる。
「行かないなんて言ってないじゃない。……その報酬は先払いでいただくこともできるの?」
今度は次元が目を丸くする番だった。
彼女の長くほどいたままの髪とその瞳は、ヘッジズ・スカルに負けないくらい輝いていた。
「……勿論さ。なんだったら、お試しも可能だ」
真顔で言う次元に、マリーはたまらず笑い出した。
「自信家なのね」
笑いながら言って、そっとその髭に触れた。
「まあな」
次元もつられて笑い、マリーの額にくちづける。
夏休みが待ち遠しいと言う彼女に、次元はこう答えた。
心配性のあんただったら、予防接種に通ったり、虫除けや日焼け止めを揃えるのに忙しくて、あっという間に夏が来る。それよりもまず、夕べ飲み損ねたワインの代わりにシャンパンでも飲まないか、と。
するとマリーは、今度は一緒に取りに行きましょう、と笑って次元の手を取った。
こんな日の昼下がりに、愛しい女と飲む冷えたシャンパンは、さぞかし旨いだろう。
Fin
<参考文献>
1) クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック『オーパーツ大全〜失われた文明の遺産』,学習研究社,2005
2)特集:壁画が明かすマヤ創世の神話.ナショナルジオグラフィック日本版.vol131,12(2),2006
3) 特集:古代マヤの謎の都市遺跡.ナショナルジオグラフィック日本版.vol85,8(4),2002
4) アリベルト・コステネーヴィッチ,『エルミタージュ美術館 秘匿の名画』,国際共同出版,1995