銭形警部は不機嫌な表情を隠せなかった。

心理分析官がルパン逮捕の捜査チームに新たに加わると言うのだ。

 

こげ茶色の髪の、まだ年若い大学院生のような女。

 

それが、上部から投入された心理分析官だった。

彼女を含めた会議が終ると、警部は一番に会議室を出て自分のデスクに戻った。

インスタントコーヒーを入れる。

がしゃがしゃとカップの中身をかき混ぜていると、山のような資料をもった分析官がやってきた。あえてそっちは見ないが、彼女が自分のデスクに向かってくるのはわかる。

 

「銭形警部、打ち合わせをさせていただいていいですか?」

 

 自分のこの嫌そうな顔を見ても何も思わないんだろうか。この女は。

 警部はコーヒーカップに口をつけながら、彼女を見上げた。

 こげ茶色の髪に同じ色のくりくりとした瞳がじっと彼を見る。

こういう立場同士じゃなければただの美しい女だが、彼の職業意識は女の美しさなど超越する。

 

「俺があんたと打ち合わせをすることで、ルパン逮捕は画期的に進むと自信持って言えるのかね?俺はムダに時間をさかれるなんて事は避けたいんだが。」

 

 警部は彼女に椅子も勧めずに言う。

 分析官は表情を変えない。

あいかわらず、落ち着いたまなざしでじっと彼を見る。

 

「俺の言いたいことはわかるだろう?

一体どうしてルパン逮捕に、いまさら心理分析官が要るんだ?

ルパンたちの行動形式なぞ何から何までこの俺がわかっている。上部が何と言おうと、あんたとの打ち合わせは時間のムダだ。」

 

 言うだけ言うと、椅子をくるりとデスクに向けて書類を手にした。

 

「…銭形警部」

 

 か細い声で言う彼女を無視して、机に向かう。

大人気ないやりかたかもしれないが、正直なところ時間は無駄にしたくなかったし、何より分析官を投入されたことそのものが気に入らなかった。

 

 この銭形の、ルパンに対する理解が十分でないというのか?

 

 とんでもない屈辱だ。

 

 机に向かいながらも書類には集中できない。

 形ばかりに書類をめくっていると、分析官はいつのまにかその場から姿を消していた。

 警部は息をつく。

 ちょっと無視をすれば、これだ。

 こんな奴とどうやって仕事しろというのだ?

 何度目かのため息をついた。

 

 ようやく気分も落ち着き、書類仕事に集中することができるようになったが、まもなく空腹感でその集中力はそがれることとなる。

 一段落した書類を部下に回し、給湯室に向かった。

 

 明かりがついている。

 誰か先客がいるのだろう。

 構わず入っていくと、やわらかく鼻をつく香ばしい匂い。

 警部ははっとして、立ち止まる。

 

 分析官が座っていた。その前にはカップラーメンが二つ。

 

「23時49分。今、お湯を入れてちょうど3分たったところです。」

 

 彼女はちょっと得意げに、器用に割り箸で蓋をしたカップめんを警部に差し出した。

 

 警部は困惑したようにそれを受け取り、彼女の隣に座る。

 蓋をめくり自分の分を食す彼女を見て、警部もそれにならった。

 

「銭形警部、あなたが…、もちろん私よりルパンの行動形式を知り抜いているのは、十分わかっています」

 

 彼女は箸を使うのは器用だったが熱いヌードルをすするのは不器用で、まるで小さな子供のようなその食べ方は見ていると思わず吹き出してしまいそうな程だった。

 

「でも、あなたがルパンの行動形式を知りつくしているように、ルパンもあなたの行動を何から何まで理解しているでしょう」

 

 警部は黙って熱いスープを少しずつ飲む。

 

「ルパンが、あなたを、どう読んでいて、どう対策を立てようとするのか。」

 

 分析官は箸を置いて、警部を見た。

 

「ルパンの行動には、あなたの行動もとても大きく影響している。」

 

 深い茶色の大きな目を見開いて、一言一言しっかりと言う。

 

 まるで今日の一日、この言葉を言うためにやってきたかのように。

 

 言うともう一度箸をとって、不器用に食べ始めた。

 

「だから…私に協力させてほしいのです」

 

 警部はカップをテーブルに置いた。

 

「…この後、俺はどう行動すると、あんたは思っているんだ?」

 

 分析官は麺を食べながら上目遣いで彼を見る。

 

「麺のスープを1/3飲んだ後、冷蔵庫の紙パック入りの緑茶をコップに一杯飲みます」

 

 警部はしばらく黙って、カップを一度手に持つが、また置いた。

 気まずそうに箸をいじくりながらそのまま座っている。

 給湯室には分析官がゆっくりとヌードルをすする音が響く。

 

「で、俺が今、何を考えていると思う?」

 

 分析官は警部の顔を見上げて、少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。

 

「私の事を…なんて麺の食べ方が下手で、まずそうに食う奴だと、思っているんでしょう」

 

 銭形は思わず笑ってしまう。

 

「合っていますか?」

 

 分析官は恥ずかしそうに笑いながらも、警部に尋ねた。

 

「当たりだ」

 

 銭形は覚悟を決めたように、冷蔵庫から冷えた緑茶を出した。

 コップを二つ出して、それを注ぐ。

 

 分析官はすっかり伸びきっているヌードルを、相変わらずまずそうに、しかし嬉しそうにすする。

銭形は緑茶を一口飲んで、ごほんと咳払いをした。

 

「これから一緒に仕事をするにあたって、一つだけ約束してほしい事がある」

 

 分析官ははっとして、あらたまって背筋を伸ばす。

大きな目をまたじっと見開いて警部をみつめた。

 

「頼むから、二度と俺の前でカップ麺を食ってくれるな。それだけだ」

 

 ドスの効いた声でくそまじめに言い放ってから分析官の驚いた顔を見て、銭形は声をあげて笑った。

 

 やれやれ。

 

 この先自分は、彼女の予想を裏切る言動をすることにムキになってしまうのだろう。

 

 でも、またそれも悪くない。

 そう、悪くはない。