モンテカルロのカジノから頂戴した札束のバスタブにその身を浸した後、地中海でリゾートをきめこもうと張り切っていた次元大介は、そのリゾート地の雑貨屋でシュラフ(寝袋)やコッヘル、バーナーにランタンなどを手際よく買い揃えるルパンをフクザツな気分で眺めていた

 

 国営カジノの大金庫から盗んだ金がゴート札だと判明したすぐにルパンが見せた不敵な笑顔。

「次の仕事は決まったぜ」

 わくわくしたような彼の声。

 

 ルパンがああいう風になったら、もうお手上げだ。

 頭の中ですっかり新しい仕事への段取りやなんかがコンピュータのようにかけめぐっている。

 そんな彼の傍らで「やれやれ」なんて言ってみたりはするけれど、そんなルパンの様子とこれからの仕事に、これまたわくわくする自分を次元は否定できない。

 

 しかし地中海を後にしてアルプス山系への地道でのドライブ、という切り替えはいくら次元といえ正直厳しいものがあった。

 こっちしばらく愛用しているターボチャージャー装備のチンクチェントのルーフに腰掛けて、色とりどりの豪華なヨットやなんかが通る海を眺めながら煙草をふかしつつ、同じように車にもたれかかっているルパンの横顔をちらちらと見る。

 夕日に照らされたルパンの表情は、なんといったらいいのだろう。

 陳腐な表現をすれば、夏休みを迎える少年のような、もしくは離れていた恋人にでも会うような、そんなピカピカの顔をしていて一緒にいる次元までもはずかしくなってしまう。 

 そんな感じだった。

 何て言ったらいいかわからず、そして勿論何も言う気にもならず、指先が熱くなるまで煙草を吸っているとルパンが運転席に乗り込んだ。

 

「さて、出発だぜ、次元」

 

 もしかしたら奴の気が変わるかも、なんて事をほんの数パーセントの可能性で考えていた次元への、死刑宣告のような一言だったが彼は黙って助手席に身を沈めた。

 

 

 手際よくすませたとはいえ、国営カジノからの派手な盗み。

 さすがに人目につく高速を走って目的とする公国へ行くわけにもいかず、地道を走る二人は野営を繰り返しながら北に向かう。

 

「なぁルパン。本当だったら今頃、ビキニをむっちりと食い込ませたパツキンのネエチャンとビーチでよろしくやってるはずだったよなァ」

 

 次元は相変わらず助手席で煙草をふかしながらダッシュボードに足をのせ、ちょっと嫌味ったらしくつぶやいてみる。

 

「まあねぇ〜」

 

 ルパンは応える風もなく運転を続けた。

舗装は悪いがまっすぐ続く田舎道。

 飛ばす車が多い中で、ルパンはふとスピードを落とし緩やかに車線を変更すべくハンドルを切る。

 帽子のつばを上げてちらりとミラーを見ると、ワンピースを着た可憐な少女が歩道をゆっくり歩いているのが目に入った。

 彼女の帽子を飛ばさぬようにというルパンの配慮なのであろう。

 見知らぬ少女に配慮しても、旧知の男のリゾート心には配慮しないのか、と次元は心の中でごちるがさすがに大人げないかと口にはしない。

 

古いチンクチェントは二人の男と荷物を載せてけなげによく走ってくれる。

スイスに入って切り立った山々が見えはじめた頃には、すっかり次元も地中海の夢にあきらめがつき、このひんやりとした清潔そうな空気も悪くないと思いつつあった。

煙草に火をつける前に、開けっ放しの窓から深呼吸をしてみたりなんかする。

 機嫌よく走り続けていると、彼らの行く手をさえぎるように長い貨物列車が走るのが見えた。

いつ途切れるともわからないその列車の前で、ちょうどよかったとばかりに次元は助手席から降りて小便をする。

 ルパンは、運転席から立ち上がりそのままルーフに腰掛けて煙草に火をつけた。

 荒っぽい扱いを受けているルーフのキャンバス地はおそらくぼろぼろだろう。

 

「……五右衛門はどうだって?」

 次元は用足しを終えて、思い出したように尋ねた。

「ちょいと遅れるかもしれねぇが、現地集合するってよ。あいつは田舎町でのヒッチ、得意だからな」

 聞いたこともないような小さな小さな国、伝説の偽札。

 モンテカルロのような簡単な仕事ってわけじゃあないだろう。

 いつも下調べや準備には余念のないルパンがずいぶん早くに現地入りするなと、ふと次元は気になった。

 貨物列車が通過し終えて、ルパンは運転席に引っ込む。

 次元は肩をすくめてまた助手席に収まった。

 

 日が暮れるはじめると二人はビバークする場所を物色し、ほどよい木々のそばに車を停めた。

 チンクの屋根に積んであるシュラフやなんかを下ろして晩飯の準備だ。

 モナコってのは何でも手に入るもので日本のカップうどんなんかも買ってきたが、せっかく良いワインにトム・ソーヤよろしく上等のベーコンもあるんだ。

 そいつから焼いて食うか、と次元はストーブの火をおこしフライパンに厚切りのベーコンを並べた。

 雑貨屋のオヤジがくれたワインの木箱から、コショウや食器を取り出す。

「おいルパン、ワインの栓を抜いてくれよ」

「ああ」

 ルパンは地図を見ながらワインを開け、アルミのちゃちなカップにどぼどぼと注いで次元に差し出した。

 ジュウジュウとベーコンを焼きながら赤ワインをぐびりと飲みつつ、隣で地図をながめるルパンをちらりと見た。

 既に今後の行程は確認できたと見え、もう地図はおりたたんでぼうっとしている。

 お世辞にもグランツーリズモにぴったりとはいえない車での長距離ドライブで疲れたか。

 

 しかし不思議なものだ。

 

 暗闇の中の炎というのは、昼間の太陽の下では見えないものを見せるのだろうか。

 ストーブの火で照らされたルパンの顔に、思わず次元は目を奪われる。

 まるでルパンが十歳以上も若返ったかのように見えたからだ。

 地図を置いてストーブの火を見つめるルパンのその表情には身に覚えがあった。

 

 若い頃。

 何をやるにも熱くて余裕がなくてピリピリしていて。

 そういうすべてが身を切るように辛くもあり、しかし楽しかった。

 そんな年頃の奴の顔を、今、ルパンは見せている。

 

 勿論、今はそんな若い頃よりも何でも上手くやれるし余裕もある。

 若い頃とは違う楽しさを味わっている。歳を重ねた者の特権だ。

 しかしあの頃の張り詰めた感じ。

 あれも悪くないんだ。

 当時の事を思い出すと今でも、リアルにその時の気分になる。

 うまくやった時の達成感。失敗した時の屈辱。

 次元は原則として昔を振り返ったり懐かしんだりするタチじゃないが、まるで靴の中に入った小石みたいに、何かの拍子でそんな気分が甦ることもある。まあそれが人間ってものだろう。

 

「おい次元、上等のベーコンがこげっちまうでショ」

 あっというまにいつもの表情に戻ったルパンが、ワインをぐびりと飲みながら言う。

 次元はあわててベーコンを裏返した。

 

 

 

 テントの中で目を覚ました次元はそのまま煙草を吸いに外に出る。

 腕時計を見ると明け方4時すぎ。

 まだ星がきれいだった。

 同じようにヤニ切れのためか、ルパンも外でうまそうに煙を吐き出していた。

「よう、早ぇな」

 次元もカチリと煙草に火をつけた。

「もうすぐ夜明けだ。目ぇさめたついでに出発するか」

 次元の返事も待たずに、ルパンはテントをひっくり返して結露を流す。

 

 何とはなしにしばらく二人は黙って煙草を吸いながら、徐々に姿を見せようとする太陽のあたりと、薄く消え行く星々を眺めていた。

 標高が高いだけあって、そういえば本当に星がきれいだった。

 次元は名残を惜しむように天を仰ぐ。

 そしてルパンを見る。

 彼は少しずつ明るくなる東の空をじっと見つめていた。

 思い切り煙草の煙を吐き出すとルパンはチンクのエンジンを始動してライトをつけ、次元も煙草を消す。

 

 まったくこの相棒ときたら。

 

 次元は薄闇の中、声をたてずに笑う。

 少なくとも三日以内には、吐かせてやるぞ。

 お前さんをこんな田舎道のロングドライブに駆り立てる靴の中の小石は、一体どんなシロモノなんだ?

 え?ルパンよ?

 

fin