白い墓石の前に、次元は花を置いた。

 いつも、花の種類は特に決めていない。

 年に一度この墓の前に立つ時に、その季節もっとも美しい花を選ぶ。

 

 ポケットに両手をつっこんだ毎度のスタイルで、自分が花を供えた墓石をじっと眺めながら少しずつそのまま後ずさりをし、傍のベンチに腰掛けた。

 帽子の下からの視線は墓石から離さぬまま。

 そして、懐から取り出した煙草を口にくわえる。

 

 そんな彼の傍らに、ずっと神妙な顔をしている少年がいた。

 少年は次元が煙草をくわえると、ふっと明るい顔をして彼の隣に座る。

 15〜6歳だろうか。

 濃い茶色の巻き毛、くりくりとした黒い瞳、日に焼けた長い手足。これからどんどんその背を伸ばしてゆく夏草のような。

 

「いつも母さんにきれいな花を買ってくれるね」

 

 その体格に比して愛らしい声で少年は次元に声をかけた。

 次元は黙ったまま、掌でライターを弄ぶ。

 

 少年の父親は次元の古い仕事仲間だった。

 顔をあわせるたびに少年が父親に似てくるのを、次元はなんとも幸せな可笑しいような気分で眺めていた。この愛らしい顔をした少年も、普通より早い年齢で禿げ上がるのだろうか。

 次元はそのまま何も言わず煙草に火をつけた。

 

「ねえ次元。また、昔に父さんと一緒に仕事をしていた時の話をしておくれよ」

 

 少年はその長い両手をぎゅっと握り締めて、黒い大きな目で次元を見上げた。

 

「おいおいジュニア。お前さんはそんなでかい図体をして、まだ俺なんかの昔話なんざ聞きたがるのか?」

 

 次元は煙を吐き出しながら、改めてすらりと長く伸びた少年の両脚を見た。

 

「だって、次元。子供の頃にベッドで母さんが話してくれた、父さんと次元の話は本当にわくわくして聞いたものだよ。どんなコミックやTVよりもわくわくした。今だってひとつ残らず覚えてるさ。

 父さんはそういう話をしてくれないから、毎年次元に会う時に話してもらうのが本当に楽しみなんだよ」

 

 そういえば次元はいつも少年に会うと、ねだられるままに彼の昔話を面白おかしく話したものだった。意識はしていなかったけれど、少年の重要な年中行事になっていたのか。

 帽子の下から、少年の黒い目をじっと見た。

 

「……昔からずっと、次元みたいになりたいって、思ってたんだ」

 

 少年は少し呼吸をおいて、用心深く一言一言区切るように言った。

 そういう発言が、大人から誉められることではないと少年はわかっているのだ。

 そんな年齢になったのかと複雑な気持ちを抱きながら、次元は指先で顎鬚に触れる。

 

「俺みたいに、か……」

 

 煙を吐き出しながら空を仰いだ。

 穏やかな風なのに、上空の雲の流れはやけに早い。

 次元が頭ごなしにネガティブな反応を示さなかったことにほっとしたのか、少年はまた身を乗り出して目を輝かせた。

 

「次元はどうやって世界一のガンマンになったの?やっぱり昔から、すごくすごく練習をしたのかい?」

 

 少しずつその強さを増してきた風に、次元の煙草はあっというまに短くなった。

 人差し指と親指でつまみ、靴底で火を消す。

 しばらくまたじっと少年の目を見た。

 そして、ヒップホルスターの彼の銃を取り出し自分の両手に載せる。

 少年は目を丸くして、次元の掌の上にあるずっしりと黒光りしたものに見入った。

 

「……ジュニア。俺は説教臭いことも、きれいごとも言わねぇ。でもまずお前にこれだけは言っておかねぇとな。

 俺はこいつで、数え切れないほどの人間を撃ってきた。確実に致命傷を与えることのできるシロモノさ」

 

 大きな目をさらに大きく見開いて、次元と彼の掌の上のものを交互に見る少年の言葉を待たずに次元は続けた。

 

「……練習か。そうだな、勿論どんなところからでもどんな体勢からでも確実にターゲットを撃ちぬく練習ってなぁ重要だし、スキルは必要だ。が、単に銃を撃たせてみて、俺と同じくらいの腕前の奴なんざ他にもいるだろうよ」

 

「……ええ?でも、あんたが今でも世界一のガンマンなんだろう?」

 

 少年は銃から目を離して、驚いたように尋ねた。

 次元はふっと笑う。

 

「そうだな多分、今のところこの俺がその世界一のガンマンって奴の座に座らせてもらってるさ」

 

「でも、次元と同じくらいの腕前の奴なら他にもいるって……?」

 

「わかるだろ?世界一のガンマンでいつづけるにゃ、銃の腕前だけじゃ足りないのさ」

 

 少年は不思議そうに次元を見続けた。

 

「臆病でいることさ」

 

 少年は次元の銃をじっとみつめる。それが人を撃つ道具だという事を、改めて考えているのだろうか。

 

「次元、僕が子供だと思ってからかってるのかい?僕は本気で次元みたいになりたいって……」

 

「ジュニア」

 

 次元は低い声でぴしゃりと言った。

 

「からかってなんかいねえ。俺が今までお前をガキ扱いしたことがあったか?」

 

 少年は言葉をつまらせて次元を見る。

 

「……次元大介みたいになりたい、か。俺がどんな男か知ってるか?俺は死ぬのが怖くてたまらない臆病者さ。死にたくねェなってビクついた心を持ちながら、いつこの俺を殺るかもしれない敵の間をかいくぐってる。そのことがどんなに」

 

 次元は銃口を少年の胸に、とすん、当てた。

 

「どんなにここんとこの強さのいることか、わかるか?」

 

 とんとん、と少年の薄い胸を何度か銃口で押した。

 

「……次元は死ぬのなんか怖くないと思ってた。僕なんかと違って……」

 

「死ぬのが怖くない奴は早死にする。長生きできるガンマンなんざ、したたかな臆病者だけさ」

 

 少年は自分の胸に当てられた銃口を、おそるおそる見下ろした。

 

「父さんは……昔に、次元との仕事をやめたけれど、どうして次元はずっと続けていられるの?……ここが……」

 

 少年の細くて長い指が次元の胸をそっと突く。

 

「父さんよりも強いから?」

 

 次元は少年の胸にあてていた銃をそっと離し、膝の上に置いた。

 

「……まるで自分の全身に目があるみてぇにビリビリと敵の気配を察知して、奴らが俺の半分のスピードみで動いているように感じることがある。そしてするすると奴らの間をかいくぐり、標的に寸分の狂いもなく俺の弾丸を撃ち込む。思ったとおりの俺の動き、完璧な仕事の首尾、そんなもんがキマッた時ってなァな。とびきりの女を抱いた時だって比べ物にならねェくらいの、最高の快感が俺の脳をかけめぐるのさ」

 

 次元はベンチの背にもたれかかり、空を仰ぎ見た。

 薄い雲が流れては広がる。明日の天気は下り坂だろう。

 

「ただ、そんなヨロコビってなぁ人によっちゃあ、車で速く走ることだとか、最高に旨い料理ができることだとか……」

 

 空を見ていた視線をふと少年に戻した。

 

「ガキの身長がどんどん伸びていくのを傍で見ることだとか。人の数だけ、いろいろあるのさ。俺は幸か不幸か、今のところコイツでしかそういう気持ちを味わえない」

 

 言って愛しそうに黒光りするM19をなでた。

 

「他の何かが見つかるまでは……多分、コイツと一緒にやってゆくだろうよ。ジュニア、お前が俺みてぇに臆病でしたたかな男になるってなぁ、悪くない選択だ。ただ、何のためにお前のその心を強くしてゆくのか、これからよく考えな」

 

 立ち上がって銃をヒップホルスターにしまった。

 

「そろそろ親父が仕事から帰る頃だろ」

 

 少年もベンチから立ち上がった。

 

「ねえ、次元。来年もまた来てくれるだろう?……あの、その時には……」

 

「わかってる。次に会う時にはお前の話を聞かせてくれ」

 

 次元はくるりと少年に背を向け、右手に持った帽子をひらひらと三回振った。

 

 そう、お前の話を聞くために、俺はまた一年生きのびるさ。

 

 fin