煽情的なハートのマーク、スタイリッシュなカーボンフレーム。
デ・ローザのサドルにまたがるのは、そのイタリアンバイクよりもセクシーなヒップの持ち主だった。
軽快なペダリングを続ける引き締まった形の良いヒップは、タイトなサイクルジャージに包まれている。
サードギアでゆっくり走る俺のSSKと丁度よい速度の、オレンジのデ・ローザ。
もちろん俺がこうやって、三速でたらたら走ってるのは渋滞だからなんてつまらない理由からじゃない。
後続車もいない郊外。
赤茶色の髪をなびかせた、魅惑的なヒップとたわわなバストの持ち主が軽快にロードバイクを転がしていたら、速度を落とさず通過する男がいるかい?
もちろん、赤いスーツを着て黄色いSSKに乗った俺は彼女のデ・ローザ以上に派手だし、彼女が不審そうにちらちらと俺を見て、時折ギアチェンジして速度を変えたりするのは言うまでもない。
いいかい?
こういうことは、野暮ったい男がやればただの変態だ。
でも、俺みたいな男は何をやったって、ドラマチックな出会いになるのさ。
彼女の、俺に対する不審気な態度がMAXになった頃、俺は彼女に合わせて速度を落とし、ついに彼女に声をかけた。
「い〜いバイクだね〜ぇ。フルカーボンかい?」
女ははっと俺を見て、ブレーキをかけた。
俺もギアをニュートラルにいれて、ゆっくり車を止める。
彼女は惰性でゆっくりバイクを転がして、俺の隣に止まった。ため息をつく。
「そうよ、フルカーボン。」
ブルーのオークリーのサングラスを外して、俺を見た。
俺は思わず笑みがこぼれるのを隠せない。
別に、どうしようというのではない。
ただ、極上の女をみつけてコミュニケーションを取る。
俺はそれだけでたまらなく悦びを感じるのだ。
女のふっくらしたピンク色の唇や、深いヘーゼルの瞳はそれだけで俺を頂点につれていくような美しさだった。真の女好きってのは、こうでなくちゃいけない。
まあ、その「コミュニケーション」が深ければ深いほど、もちろん俺の悦びは大きくなるのだが。
女は、俺をじろじろ見ながら続けた。
「自転車、好きなの?さっきからずっと、見ていたようだけれど」
「ああ、デ・ローザのハートマークは好きだな。しかもいい女が転がしてりゃ、俺のハートも射抜かれっちまうってもんよ」
女はサングラスを胸元にひっかけながら、ぷっと吹き出した。
きつそうな女かと思いきや、愛らしい笑顔だった。
「変なひとね」
どこの誰かも知らない女。どんな女なのかもわからない。
そんな女の心の扉に手をかける瞬間。
わかるかい?
こういうのが、たまらなく幸せなんだ。
もちろん、鍵がかかってててこでも開かないこともあれば、開けてみてもあばら家だったって事もある。
でもいちいちそんなことでへこたれてちゃあ、ドン・ファンはつとまらないんだぜ。
「こんな日はオープンカーで走るのが気持ちいいけっども、キミのデ・ローザみたいなバイクで走るのもさぞ気持ちいいだろうな。実は単純に、そうも思ってたのさ。」
女はGiroのヘルメットを外して髪をかきあげた。
太陽の光に透ける赤茶色の髪はまぶしいくらいに輝く。
「もちろん気持ちいいわ。だからほら」
女は走ってきた道に目をやった。
「このあたりのイタリア人で走らない人なんかいないわよ」
確かに郊外のこの道はあでやかなロードレーサーが後を絶たない。
まるで自転車の見本市だ。
「デ・ローザだって、私だけじゃないわ」
くっくっと笑いながら俺を見る。
俺もあらためて可笑しくなってきた。
自分でもわかっちゃいたが、この、ロードレーサー達がさっそうと走り抜けていく中、オレンジのデ・ローザにくっついてたらたら走っていた俺のSSKはさぞこっけいだっただろう。
「キミのケイデンスが気になってね、こう、ヒップの筋肉の動きとペダリングで必死にカウントして暗算してたのさ。」
女はちょっと驚いた顔をしてまたおかしそうに笑う。
まったくキュートな女だ。
すんなりとした手足はひきしまっているけれど筋肉質ではなく、そのグラマラスなヒップやバストとのバランスは最高で、抱きしめたときの程よい弾力と柔らかさをイメージさせる。
愛撫をしたら、きっとこんなふうにくっくっと愛らしく笑うのだろう。
「結局のところ、なあに?ナンパ?」
女はドロップハンドルに体重をあずけながら言った。
健康的なバストの質感がたまらない。
「センスの良いバイクに乗った、すばらしいケイデンスで走る女と、話してみたかったのさ」
「…私とセックスしたいと思ってるの?」
女はサングラスをジャージのすそで拭いた。
「そうさなあ、多分、ほとんどの男はきみと寝たいと思うだろうね。もちろん俺も例外じゃない。まずそこの町で、ランチでもどうだい?」
俺はわくわくしながら尋ねた。
女を抱けるかどうか、という事にじゃない。
こういうイカした女と、これからどういうやりとりができるんだろうかってことにだ。
簡単に行為にたどりついたんじゃあ面白みがない。
人間のセックスってのぁ、脳で楽しむもんだろう?
女はサングラスをはめて、またじっと俺を見た。
「ストレートなのね。私は今のところあなたと寝る気はまったくないけれど、あなたの受け答えは嫌いじゃないわ。」
走ってきたほうと反対を、すっと指差す。
「もうすぐ町に出る。そうしたら、今までみたいに私に伴走はできないわ。私はその町で休憩してランチを取る予定なの。」
じゃあ、ぜひ一緒に、という俺の言葉は出番がなかった。
「デ・ローザ。ウーゴ・デ・ローザが創始者よ。あと、イタリアを代表するフレームの工房、チネリ、コルナゴ」
言って、ヘルメットをかぶりバイクにまたがった。
「そのヒントの意味がわかったら、リストランテできっと会えるわ。じゃあね。」
俺が質問をするまもなく、女は走り去った。
俺の戸惑いは一瞬で、あとはまるで鍵のない金庫を前にしたような気分の高まり。
俺にとっちゃ、もうここから前戯は始まっているんだ。
女の前戯は俺を最高に興奮させた。
「よぉ〜〜〜し!!!」
ギアを入れて走り出す。
町に入ったとたん彼女の姿を見失う。思った以上にいろんな店の多い町だった。
リストランテを探すが、どこにもオレンジのデ・ローザは停まっていない。
いや、違う。
あてずっぽうに探して探し当てても意味がないのだ。
「デ・ローザ、チネリ、コルナゴ…」
俺は自転車に詳しいほうじゃない。常識程度の知識があるくらいだ。
アジトのデータベースでもあれば調べられるんだが、恋の手段としては無粋だ。
車を止めて、道に立ち、道行くロードレーサーを見つめた。
参ったな。
足を止めてドリンクを補給するライダーに声をかけた。
丁度チネリに乗った男だった。
「よぉ、いいバイク乗ってるね。ところで、デ・ローザ、コルナゴ、チネリの共通点って何か知ってるかい?」
髪を短く刈り込んだ若い男は目を丸くして俺を見た。
「わが国を代表する三大フレームメーカーだろ?」
言って肩をすくめてぐっぐっとボトルのドリンクを飲み干すと、ペダルをこぎ始めた。
肩をすくめたいのは俺の方だ。
空を仰ぎ見る。
薄いが鮮やか青に、できては消える雲。
おいおい、あのイカした女と、せめてもう一度会いたいんだけっどもな。
何人かのライダーに声をかけるが、同じような答えしか得られず、さすがの俺もへこたれそうになってきた。ランチタイムも終ってしまう。
少しずつ車を移動しては降りてぶらついて、ついため息が声に出る。
歩道を歩いているとふっと今日の空のような鮮やかなブルーが目に入った。
ビアンキのペパーミントブルーのフレームが店頭にかかっている、小さな自転車店だった。
迷わず店に入る。
中には白髪の老人が、コルナゴの黒いフレームを組んでいた。
「いらっしゃい、好きに見ていってくれ」
老人は俺をちらりと見て言うと、すぐに作業に没頭した。
「…じいさん、いきなりで悪いんだけっどもな、急いでるんだ。
あんたをプロと見込んでストレートに尋ねる。
デ・ローザ、チネリ、コルナゴ。
この三つをキーワードにして、この町で飯を食うとしたらどこの店に入る?」
突然店に入ってきた派手なスーツの男の、唐突だが真剣な質問に、老人は目を丸くして俺をじっと見た。驚いたようではあったが、気を悪くした様子はない。俺の勘だが。
老人は俺をじっとみて、しばらく考える。
「…この店の前の道を右にまっすぐ行ってから、一本目の道をまた右に行く坂道を上がれ。そこに旨い店がある」
「なんでその店なんだ?」
老人はふっと笑った。
「創始者の三人はみな、風の宮の生まれじゃ」
俺は老人に礼を言うと、まるで銭形に追われてる時のように店を走り出た。
言われたとおりに道を走る。
石造りの坂道は車が通れない道だったので、走って駆け上った。
時間は14時過ぎ。
ランチタイムはまだ終ってないだろうか。
駆け上るとそこは町が見下ろせる、風通しの良い広場。
風の宮…水瓶座のマークの看板のかかったリストランテがあった。
オープンのテーブルにはオレンジのデ・ローザと赤い髪の女。
女はドッピオのエスプレッソのカップを傾けながら俺を見て笑う。
「山岳王の気分は味わえた?」
「マルコ・パンターニにはまだまだだな」
息を切らせながら俺もつい笑ってしまう。
お前の前戯は最高だぜ。
心でつぶやいた。
わかるかい?
こういうのが、たまらないんだ。
きっと、次元なんかにはわからないだろう。
この後、俺とこの女が寝ることになるのかってなぁ、どうでもいいことなのさ。
End