翌朝、誰からともなく起き出して出発の準備を始めた。
は南の手の者と相まみえた時のことを考えてか、いつもの和装ではなくシックなパンツスタイルでいた。
和装の時の清楚な美しさもさることながら、シンプルなパンツスタイルでの、その均整の取れたプロポーションは男達には新鮮だった。
普段だったらルパンはからかいの言葉のひとつでもかけるだろうが、はいつものごとく、ぴりりと真剣な表情で淡々と支度をしており、そんな雰囲気ではなかった。

「さて、出かけっとすっか?」

ルパンの声とともに皆で外に出ると、五右衛門がふっと周りを見渡す。
「どうした、五右衛門」
次元が尋ねると、五右衛門は何も言わず体を低くして地面に耳を当てた。

「……やけに重量のある車が数台やってくる……。トラックではないな」
「……まさか奴ら、もうかぎつけやがったか?」
ルパンたちはあわてて荷物とともに乗り込もうとするがもう遅かった。
派手なオープン仕様のジープが5?6台、隠れ家の前の小さな道に土煙をあげて現れた。

「おやおや、朝っぱらから派手な登場だこと」
ルパンは閉口したように言う。

中からは、いかにも闘い慣れしたようないかつい男達が降りてきた。

「観音像と、を、こっちに渡してもらおう」

ひときわ体の大きな男がいた。2Mはあろうかという大男だった。
「やれやれ。お宅らの事だから、ローラー作戦でここを見つけたんだろう?ご苦労なこったなあ」
 ルパンは呆れたように言った。

「そんな事はどうでもいい。早く言われたとおりにしろ」

次元と五右衛門はすっとを囲むように立つ。

「って、俺達がすんなりと言われた通りにするように、見えるか?」

ルパンが言うとそれが合図のように、五右衛門は刀を抜いた。次元も銃を構える。
「馬鹿な奴らだ」
大男はすっと右手を挙げた。男達が囲む。
戦い方を心得た男達のようだ。
それぞれ接近戦に得手なナイフやら小銃を携えて、ルパン達に向かってきた。

「女は傷つけるな!そして女の使う技には気を付けろ!」

大男は声を上げた。
男達のスピードの速い、そして無駄のない闘い方には、ルパン達もさすがに手こずらされた。
南の配下のものなど蹴散らすのは難ないことだろうとたかをくくっていたら、思いのほか崩れない。
ルパン達をかいくぐって、を捉えようと接近する男たちは、今のところの間合いに入ったとたん、巧妙にの技を決められ、鎖骨や首のあたりを抑えながら倒れていく。

ちゃん、大丈夫かあ!」

ルパンは攻防に必死になりながらも振り返って彼女を確認する。
は返事をする余裕もないようだった。

「不用意に女の間合いに入るなと言っておいただろう!」

大男はいらついたように叫んだ。
右手を上げて、いつのまにか手にしていた長い鞭を飛ばした。

「あっ……!」

それは恐ろしく正確なコントロールでの手にからみつき、彼女を地面に引きずり倒した。

!!」

次元は思わず叫んで、鞭を撃つがもう遅かった。
大男は、引きずり倒して近くまで引き寄せたを、横抱きに抱えてジープに放り込む。控えていたドライバーがすぐさま車を出した。
「観音像はまかせたぞ」
言い捨ててジープは去ってゆく。

「おい、待て!」

次元は叫んで、男たちをかいくぐり、SSKを発車させた。
ジープは峠道を猛スピードで走ってゆく。が、このボアアップさせてあるSSKとて負けてはいない。
そもそも車重はこちらの方が遙かに軽いのだから、峠の上りでは負けるはずがない。
低めのギアで回転数を上げ、どんどんジープに追いついた。

銃を二丁、両手に構えて次元はジープに飛び移った。
おあつらえ向きにオープンタイプだ。

「貴様……!」
後部座席でを押さえ込んでいる大男が、憎々しげに次元を振り返る。
次元は運転席の男と大男、両方に銃を構えながら言った。

「ここで俺に撃たれたくなかったら、車から降りな。」

大男は、に薬を使うために用意した注射器を放り投げて、銃を取ろうとする。
その瞬間、次元の銃が火を噴いてジープの後部座席のドアをはじき飛ばした。

「お前らを撃つっていうのは、脅しじゃないんだぜ?自分たちだけがプロだと思わないこったな。え?」

もう一度轟音がした。
大男の返事を聞くまでもなく、彼の帽子を吹き飛ばす。
髪の焦げた匂いが一瞬漂う。

「俺はせっかちなんだ。早くしろ。」

 次元は冷ややかな形相で男たちを睨んだ。

「・・・・くそ、まだ追っ手はくるぞ・・・・!」
大男は言い捨てて、打ち抜かれたドアから転がり落ちた。
と同時に、運転席の男も飛び降りる。

は始終目を丸くして次元を見ていた。
が、次元は彼女に目をやる余裕もなく運転席に移る。

「怪我はないか?」
ギアを確認して、前を見ながら言った。

「……ええ、大丈夫よ……」

次元はハンドルを握りながら足下を見る。

「安心するのはまだ早いようだ。……くそ、やつら転んでもタダじゃ起きねえ。ペダルに細工して逃げやがった!」

「どうしたの?」
 は後部座席から助手席に移ってきて様子を伺う。

「クラッチもブレーキもペダル類がきかねえようになってるんだ!つまりは、この下りでどうやってもスピードが落ちねえんだよ!」

峠の下りでかなりのスピードがついた状態で、次元は必死にハンドブレーキでスピードを殺そうとする。
が、運悪く、その峠での一番の下りカーブがやってきた。

「うわっ、やべえ!」

ガードレールが真ん前に見えたと思ったら、体が宙に浮く感覚。二人はジープから投げ出されていた。が、その時にはもう次元は片手にを抱えていた。
そしてがつっとした衝撃。浮遊感。

なんとか備品のザイルを峠道の桜の木に確保する事ができたようだった。
片手でロープをつかみ、片手でを抱え、次元はふうっと息をつく。
谷底に落ちていくジープの派手な音が峠に響いた。
はそのジープの行方を意味もなく見守ってから、次元を見上げた。

「神様はなかなか楽にはさせちゃくんねえようだな。」

帽子も飛ばされた次元はまたため息をついた。

「俺の、背中の方にまわってつかまれるか?その方が、よじのぼりやすいんでね。落ちねえようにしろよ。」

は言われたとおりにしようと大きく深呼吸をした。

「そっとしてくれよ。二人分の体重を支えるんで精一杯だからな。」

「……どうして私を助けてくれるの?私がここで落ちて死んでも……あなたは何の損もないのに……。私まで引き上げていたら……」

は次元を見上げて心配そうに言った。
「……」
帽子で表情もかくせない次元は、を見下ろしながら何度目かのため息をつく。
そして大きく息を吸った。

「あのなあ!お前の言う事はいちいち正論なんだが、はっきり言ってかわいくねえんだよ!こんな時に男の気をそぐような事を言うんじゃねえ!たまには、ワーとかキャーとか言って、その後は黙ってろ!いいか!」

谷底に響き渡る声でどなった。

はびくりと驚いて次元の目を見る。
まるで近所の悪ガキを怒鳴ったみたいだ、と次元が思っていると、は静かに次元の背中にまわった。胸に手を回して、ぎゅっとしがみつく。

「……ようし、そうだ。」

次元はゆっくり確実に、ロープと壁面を使って登り始めた。
背中にの体温を感じる。

不思議だ。

初めて会った時、素肌に触れた時はあんなに冷たかったのに、今は彼自身の生をも象徴するように、の体は暖かい。

何度か足を滑らせ岩盤の塊が滑落しひやりとするが、はじっとそのまま声も上げずにしがみついていた。安心して眠っている子犬みたいだな、と思った。

恐ろしく長く感じたが、時間にすればほんの十数分だったろう。
ようやく道にはい上がった。

「ふう?。」
さすがに次元は声を上げ、ネクタイをゆるめて座り込む。

「おい、なんとか助かったぜ。」

背中のに声をかけた。
額を次元の背中にぎゅっとくっつけていたは、彼の肩越しにゆっくり顔を上げる。

「……」

ふうっと彼女の吐息が、次元の耳をくすぐる。

「もう手を離しても落ちやしねえよ。」

次元が言ってもの手はゆるまずに、今度は小さく震えた。

「……なんだか……手が離れないの……。今になって……怖くなってきたわ……。」

震えながら言った。その小さな吐息が、また耳元をくすぐる。
次元はくっくっと笑う。

「別に構わねえけどよ、俺は一服させてもらうぜ」

の体温と吐息を感じながら、次元はポケットの煙草をさぐって一本くわえた。
風向きを確認して、火をつける。

は煙をさけるためなのか何なのか、また次元の背中に額をつけた。
お互い何も言わず、そのまま次元は煙草を一本灰にする。
の震えは次第に止まり、ゆっくり手がほどかれていった。

大きく深呼吸をする音が聞こえる。
振り返ろうとすると、その前に彼女は次元の隣に座った。
なくなったガードレールのところから次元がやっているように足を下ろして腰掛ける。

「……ありがとう……」

彼女の「ありがとう」を聞くのは何度目だろう。
しかし、彼1人に向けて言われたのは初めてだったと思う。

「……お互い助かってよかったな」
 次元はを見て、ニッと笑った。
「ええ……」

次元はの顔をのぞきこむ。
いつも、ぴりっとしているとか、怒っているとか、はっきりした表情の事が多いのに、なんだかよくわからない表情をしていた。
さすがに今ならば、つっかかられる事もないだろうと、じっと見る。

「……大丈夫か?怪我はないんだろう?」

「あ、ええ、大丈夫よ……。ただ……こんなに手も足も出なくて、誰かに助けてもらった事は初めてだったから……なんだかびっくりしてしまったの……」

次元は少し間をおいて、声を立てて笑う。

「あんたは、そんな事でいちいちびっくりするのかよ。変な女だ。よっぽど意地っ張りなんだな」

は笑う次元を驚いたように見る。
そしてまた大きく息をついた。

「……そうね、そうかもしれないわね……」
くすっと笑った。

その時、車の音がする。
ばっと次元が身構えて立ち上がる。
ジープがやってきたが、それはルパンと五右衛門だった。

「無事か??次元が俺達の車乗り捨てっちまうから、奴らを片付けてこれを奪って来るのに手間取っちまったぜ?。」

ルパンと五右衛門はかなり憔悴したようだった。

「まあ、そういうな。お互い無事だったんだから、いいじゃねえか。」

殿、無事であったか?すまぬ、俺達がついていながら・・・・」

五右衛門はあわてて車から飛び降りて、申し訳なさそうにを見た。

「いえ、大丈夫です。……助けていただいたから……」
 も立ち上がって言った。

「一息ついたら、次の追っ手が来るまでになんとか出発するか」
ルパンも車を降りて空を見上げながら伸びをした。

「しかし、南浩一郎って奴ぁ、まったく力任せの奴だなあ。まさに手に負えねえ悪ガキだ」

「ルパン、このように追ってこられてはきりがないぞ。どうする」

五右衛門が真剣な表情で言う。

「そうさな?。悪ガキにゃあ、悪ガキに対するお灸の据え方があるってもんよ」

「お灸だあ?」
次元が声を上げる。も不思議そうにルパンを見た。

「そ。まあ、ちゃん、俺のやりかたを見てなって」

ルパンは青空をバックに、3人にむかってニッと笑う。