は観音像を握りしめたまま、うつむいた。
そしてくっと、心を決めたように顔をあげる。
「・・・・・着替えて参りますので、少々お待ちください。」
三人に背を向け、離れの部屋に入っていった。
次元はふうっと胸をなでおろす。

誰からともなしに三人は濡れ縁に腰掛けた。
「・・・・・可憐だ・・・・・。」
五右衛門が空を見上げてつぶやいた。
「はあっ!?」
 次元は思わず声を上げる。
「いっ、いや、なんでもない!」
五右衛門は咳払いをする。ルパンはくっくっと笑った。
「まあ五右衛門でなくともよ、あれっだけの美人にお目に掛かるこたあ滅多にないからなあ。次元が女がらみの頼み事を受けてくるなんざ珍しいと思ったが納得だぜ。お前ぇ好みの、気の強ぇいい女じゃねえか。」
「ばっ、バカ野郎!」
次元はいきなりルパンの矛先が自分に向いた事にあわてた。
「次元、まことか?そのような下心が・・・・?」
五右衛門までが言う。
「下らねえ冗談言ってるんじゃねえよ。あんな鼻っ柱の強ぇ女に下心なんか持つか!」
我ながら馬鹿馬鹿しい事を言い合ってしまうと思っていると、部屋の障子が開いてが現れた。

小菊刺繍の友禅をまとい、静かに障子を閉める。次元の顔をみて、軽くため息をついた。男達の子供じみたやりとりを聞いていたのだろう。この女とはまったくいつも間が悪い、ときまりがわるくなる。

「こちらでお世話になっている光明様のところに、一緒に来ていただけますか?」

「あ、ああ、もちろんもちろん!」

ルパンが上ずった声で返事をする。
さすがのルパンも、そのあでやかなの姿には見ほれていたようだ。
五右衛門は言わずもがな。
ルパンはどんな状況でも女に関しては本当にめざといし、五右衛門はルパンに比べれば女が視界に入る率は低いものの、ある種の女を妙に神格化してしまうきらいがある。二人のそういうところは慣れてはいるが、こういう変に生真面目な女の前では控えて欲しいところだ、と次元は思った。

それでも、の凛とした振る舞いや美しさは人の心を動かさずにはいないという事を、彼も認めざるを得なかった。
彼自身、彼女の一挙一動にどうしても目を奪われてしまうからだ。

三人はに案内されて、ある一室の前で立ち止まった。
はしばしの間をおいて、部屋の中に向かって声をかけた。

「光明様、です。」

入室を許可する声があり、襖を開けた。
中では墨染めの衣をまとった老人が静かに座っている。
この寺のボスというからどんな男かと思えば、静かで優しげな目の老人だった。が、この男のいる空間には一部の隙もない。そして彼の近くのぴりりとした引き締まった空気、それがこの寺全てに行き渡っているのだという事がよくわかった。ちらりと五右衛門を見ると、きりっと体を緊張させている。やはりよほどの使い手なのであろう。

「こちらに来て座りなさい。」

静かな低い声で言った。
促されるとおり、と三人は光明という老僧の前に座る。
は例の観音像をふたつ、目の前に置いた。

「光明様。母の観音像がふたつ、このように揃いました。」

「・・・・・・・・そうか。烏丸家の観音像が・・・・・・。ふふ、これで、お前もいつでも嫁入りができるな。お前の母親が、観音像とともに竜雪を連れてきた時の事を思い出す。」

慈愛に満ちた笑顔でを見た。

「光明様、私はそんなつもりでは・・・・・。」
 は眉をひそめてあわてて言う。

「しかし、モクレンも竜雪も安心であろう。こうしてそろって、お前を見守る事ができるからな。」
「はい・・・・・。」
も愛おしそうに揃った観音像を見た。
その表情は本当に安心したような、嬉しそうな、なんともいえない暖かいものだった。
次元は彼女のそんな表情を見て、やはりこれを彼女の元に返してよかったのだ、と柄にもなく心から感じた。

「それで、お前はこれからどうする?」

「あの・・・・・・」
は口ごもる。

「・・・・・・わかっている。この者達と出ていこうと思っているのだろう?」
「・・・・・・はい。」
は少し困ったような顔をしながらも、しっかりと光明を見て言った。

「ここにいても、十分お前を守ってやる事はできる。お前がもし一人ならば、南から身を守るためにはここにいるのが最もよい方法だろう。しかし、共に行動する信頼できる者がいるのならば、お前のためには出ていく事を勧めよう。お前の人生は、自分の足で立ち、自分の足で進む先行きであろうからな。私と同じくお前を子供の頃から見て来た想念も同じ思いで、その者達をよこしただろう事は、十分にわかっている。」

は光明の目をしばらく見つめ、三つ指をついて頭をさげた。

「・・・・・・光明様・・・・・・ありがとうございます。」

「寺は動く事ができん。南はいずれはここを発見しよう。」

光明はルパンたちを一人一人じっと見た。

「お前達ならば、身軽に動く事が出来る。そしてと走っていくこともできるだろう。」
不思議な優しい表情で、三人に向かって言った。




ルパンたちはをSSKに乗せて、近くに用意してあった隠れ家に向かう。
運転席のルパンは、まるでこれからピクニックにでも向かうかのような浮かれ具合だ。女がからむとすぐこれだ、と次元は心で舌打ちをする。
次元はミラー越しに、後部座席の様子を伺った。妙に緊張した面持ちの五右衛門の隣には、が外の景色を眺めながら落ち着いた様で座っていた。
オープンの車に容赦なく入ってくる春風は、彼女の長い髪をふわりと踊らせ、それが触れるたびにいちいちびくりとする五右衛門の様子は、次元もさすがにおかしかった。はそんなことにはおかまいなしに、黙って外を眺め続ける。

何を考えているかわからない女だ、と次元はあらためてため息をつく。

自分は、なんだってこんなことを引き受けてしまったのか。

考えながらも、彼女につられて風景を眺めた。
深い青の湖に、山の緑。
たしかに、美しかった。



隠れ家では早速ルパンがPCを立ち上げて、南浩一郎に関する情報を整理し始めた。

「古くからの資産家で、こいつの代で事業を大きくしたタヌキ親父と。まあ、ここまでは俺たちも観音像を手に入れるにあたって調べちゃあいるんだがな。」

ルパンはデータを眺めながら、の顔をのぞきこんだ。

ちゃんよ、なんだって君の家に伝わる観音像が奴の手に渡るはめになったんだい?」

「・・・・・母は旧家の出なんですけれど、陶芸家で武道家の父と駆け落ち同然で結婚しました。南は二人の旧知であったそうですが、昔から父とはそりが合わなかったようです。というより、南が一方的に父を嫌っていたようです。
両親は5年以上前に交通事故で亡くなったんですが、その後・・・・・母の財産を管理するという者が母の実家から使いでやってきて・・・・それが南の手のものだったらしく、いつにまにか観音像は南の所有になってしまっていたんです・・・・。」

は両手を白くなるまで握りしめて語った。

「彼は、若い頃私の母に執心で・・・・・・そしてやけに観音像に対しての執着も強かったと聞いています。」

「そうか、食えねえ狸親父だなあ。いろいろ調べても、まったく自分のやりたいことを好き放題にやってら。ガキ大将がそのまま歳くったって感じだな。タチが悪ぃ。」

ルパンはふうっとため息をついた。

「ま、ちゃんもちぃと腰を落ち着けてコーヒーでも飲みな。」

ルパンはドリップしたコーヒーを、無造作にマグカップに注いでに渡した。

「ありがとう、ルパンさん。」

は両手でそれを受け取り、椅子に腰掛けた。
ぴりりと背筋を伸ばして、まだ熱いコーヒーを少しずつ口にする。
質素な隠れ家に、華やかな友禅をまとった美しい女。これ以上不似合いなものはないのに、はまったく気にしていないようだった。
というより、は自分が他人にどううつるのかなど考えないようだ。
彼女の存在に、どこかしら浮き足だってしまっている五右衛門やルパンの雰囲気にも一向に気付く様子もない。

まったく生真面目で、そして余裕のない女だな、と次元は苦笑いをした。

想念という僧の心配も分からないでもない。
そういうところはある意味彼女の美点の一つなのであろうが、年相応に、泣いたり笑ったり怒ったり騒いだりする方がよっぽど健康的だと次元は思い、そしてふと、南邸で次元に毒づいた彼女を思い出した。

「・・・・・何か?」

次元の視線を感じたのか、はけげんそうに言う。
やはりというか、やむを得ないのだろうが、どうにも五右衛門やルパンに対する時の態度とは微妙に違う。

「いや、なんでもねえよ。ボーッとしてただけだ。」
次元はやれやれというようにつぶやいて、くっとコーヒーを飲み干した。

「そういえば、殿・・・・・・。」
五右衛門が居住まいを正してに問う。
「はい、なんでしょう、五右衛門さん。」
五右衛門は少し考えて言葉を続けた。
殿の父上の・・・・・・竜雪殿は武道家との事だが、実は俺も名前と使う技の噂だけは聞いた事がある。どのような流派でおられたのか?」
「父は武道家というより、本業は陶芸家で・・・・。」
 は父親の話は嫌いではないのだろう。やわらかな表情で話し始めた。次元はちらりと横目で見る。この娘もこういう事に関わらなければ、普段はこうやって穏やかに過ごしているのだろうな、とふと思う。

「父の家系は古くは医師をやっていて、伝わっていた武術ももともとは医術の一環だったそうです。ですから、流派というのは聞いておりませんし・・・・正式に武道として弟子を取ったりもしておりませんでした。五右衛門さんはよくご存じでしたのね?」
興味深そうには五右衛門を見た。
まっすぐに彼女に見られると五右衛門は緊張してしまうようで、さらに姿勢を正す。
五右衛門のそんなところに対して次元はいつも「しょうがないな」と思うのだが、時と場合によっては雰囲気を和ませるものだと次元は思わず口元をほころばせる。ルパンも同じとみえて、にやにやして見ていた。
「あ、ああ・・・・・。その・・・・・なかなか実際に見たものは少ないといわれているが、竜雪殿の使う・・・・・・触れただけで人の命を奪ったり、体の自由を奪ったりする技の存在は有名だったのでな。」
「お聞き及びでしたか。正確には、触れただけというわけではないのですけど。」
は、次元が想念から聞いたと同じ内容をゆっくり五右衛門に説明していた。
次元は自分が経験した感覚を思い出してひやりとする。あまり耳にしたくない話だ。
「ほう!それを殿も習得しておいでか!」
「・・・・・はい、幼少の頃より父から訓練は受けていたので・・・。」
「さようか、南邸での身のこなしを見た時から、さぞ鍛錬を重ねているだろうとは思っていたが・・・・。お若いのに感心だ。」
は恥ずかしそうに笑う。
「いえ、五右衛門さんこそ、武芸に関して様々な高名を聞いています。・・・・その手・・・武芸の修行を重ねていた父の手とよく似ていて、とても懐かしく思います。」
はテーブルの上にのせた五右衛門の手を微笑みながらじっとみつめた。
そんな彼女は本当に安心した表情で、次元はまた彼女に何とつっかかってこられるかわからないと思いながらもじっと見つめてしまった。
「いや、俺はまだまだ・・・」
 五右衛門は決まり悪そうに手を握ったり開いたりしながら口ごもる。

ルパンは可笑しそうに声をあげて笑った。

「ルパンさん、何か・・・・?」
は驚いたようにルパンを見る。

「いや、きみみたいな生真面目なお嬢ちゃんが、単身南邸に侵入しようなんざ、よっぽどの決心だったんだなあと思ってさ。」

はちょっと恥ずかしそうにマグカップをぎゅっと握る。
「・・・・・・父は母と駆け落ちのようなものでしたので、母方は・・・・・・父の形見をほとんど処分してしまったんです。ですから・・・・・・母が嫁入りの時に持っていって父と母が二人で大切にしていた観音像は・・・・・・なんとしても手元に置きたいと思いました。・・・・・・でも結果的には想念様や光明様、そしてあなた方をこうして動かしてしまって・・・・・・私のやったことは軽率でしたね。」

ゆっくり言ってうつむく。

「ほらほら、そういうとこ!」

ルパンは明るく言って、テーブルに乗りだし、の頭に手をのせた。
は驚いてるパンを見る。

「真面目はいいんだけっどもな、そういうとこはいけねえぜ?ちゃんが一生懸命やってるから、こうやって結果として君の手に観音像が二つそろったんじゃねえか。あとは南を諦めさせたらいいだけだろ?そんなの、俺様の手にかかりゃ、簡単簡単!」

は驚いた顔でルパンを見つづける。

「そ、そうだ、殿。気になさるな。我々が知らずとはいえ、一度は観音像の片割れを国外に持ち出してしまったという事もある。ちょうどその詫びで差し引きゼロであろう。」

五右衛門も照れくさそうに言った。

「おい、次元、お前も何か言えよ。」

ルパンは、にやにや笑いながら次元をつつく。

「はあっ?俺か?・・・・・・いや、別に今更・・・何も言うことはねえよ。」

次元は突然の指名に困って、そっぽを向いた。
まったくルパンときたら甘ったるい男だ。
しかし、ルパンのこんなやりかたは嫌いではなかった。

は困ったように思わず立ち上がって、また、腰掛けた。
「あの・・・・・・何て言ったらいいのかわからないけど・・・・・・ありがとう。」

 観音像を渡した時と同じように、困ったような戸惑ったような、そんな恥ずかしそうな表情をしていた。

 次元はそんな彼女をみて、ふうっと息をつく。
こいつも、いつもこんな風だったらいいのに。