イタリアは北の果て、コモ湖の近く。
 次元大介はその優雅なリゾート地を訪れていた。
 一体全体なんだってこういうところは昼間っからバカみたいに自転車で走ってる奴が多いんだろうね。ハデなシャツ着て、シャカリキに。あいつら、ちゃんと仕事してるのかね。
 なんて柄にもない事を考えながら古い教会の前で車を停めて、煙草に火をつける。
 青い空に煙が溶けていった。
 ゆっくりと煙草を一本楽しんで、その吸殻を行儀悪く地面に投げ捨て靴で踏みつける。
 腕時計を見た。
 そしてポケットに手をつっこみながら、覚悟を決めたように教会に入ってゆく。

 使われているのかどうかも怪しい古い教会の扉を開けると、そこは案の定この晴天の中、びっくりするくらいに薄暗い。
目を凝らして人影のある方へ歩く。

 彼に反応してその人物が動くと、教会の割れた窓ガラスから差し込む光が丁度それを照らした。

 次元は足を止める。

 蜂蜜色の髪をした、細身の少女。

 それは彼が待ち合わせの約束をした相手とは、およそかけ離れた風貌だった。

 次元が立ち止まっていると、少女はそのまま近寄ってくる。
 彼のまん前に立って、見上げた。細身だが長身の、アンバランスな印象の少女だった。17〜8歳といったところだろうか。
 
「次元、大介、さんですね?」

 その姿のとおりの細い声が絞り出された。
 肩くらいまでの金の巻き毛が覆っているその顔は美しく整っていて、まるで例のイタリア画家のあの押し付けがましい宗教画のように彼をじっとみつめる。

「そうだ」

 次元は静かに答えた。

「来て、いただいて本当にありがとうございます」

 一言一言しぼりだすように、少女は言った。

「俺が待ち合わせているのはアンタじゃない。サッチモはどこだ?」

 しかし次元はそんな様子に構う事もなく尋ねる。

「サッチモ?」

 少女は悲しそうに困った顔をする。

「ああ、愛称だよ。トランペット奏者とおんなじ由来さ。タラコクチビルの野郎はどこだ?」

 少女は右手を自分の咽のあたりにあて、二〜三回深呼吸をして窓の外を見て、それからまた次元を見た。次元は若干イライラしながらそんな様子を見守る。

「…父は、昨日、死にました」

 次元は思わず帽子を取って少女をじっと見下ろした。

「死んだ?サッチモが?…今日、仕事で会う約束をしてたんだぜ?」

 少女はまた右手を咽や胸元にあてて深呼吸を繰り返す。数秒間目を閉じてから、また次元をじっと見た。

「私は父があなたに頼んだ事も、父が何をしようとしていたかも、全部聞いています。父があなたを相棒として依頼するにあたって、お支払いする予定だった金額は全部用意してあります。父の代わりとして、私の依頼を、受けてもらえますでしょうか」

 少女の頭のてっぺんからつまさきまで、次元は何度も見た。
 そしてそれまでの彼女の言葉や声を反芻する。

 サッチモ。

 10年以上前に、何度か組んで仕事をしたことのある男。
 思えば自分よりも年若い次元を、同等の相棒として扱ってくれた初めての尊敬できるプロだった。

 そんな男からの久しぶりの連絡。

 あるモノを南まで運びたい。
 そしてその間、娘を同行する自分の相棒をつとめて欲しい。
 そんな依頼だった。

 自分の未熟な頃を知る者に会う緊張や、気恥ずかしさや、面倒な気持ちや。
 いろんな思いを抱いてやってきた、この地。

 その男の娘。

「…俺が受けた依頼は、サッチモの相棒をつとめることだ。アンタの相棒じゃねぇ」

 次元は言って、煙草をくわえた。
 教会の中で吸うのも罰当たりだろうと思って一本灰にしてから入ってきたのに、どうも物足りない。

「相棒になるってなァ、互いに信用できる相手じゃないとならねェ。アンタみてぇなガキに俺の命が預けられると思うのか?」

 次元は火のついていない煙草を手にしながら言った。
 少女は、今度は一度だけの深呼吸で言葉を発した。

「でも私は、どうしてもやらないといけない事があるのです。お願いします。父の代わりに私と、相棒になってもらえないでしょうか」

 火のついていない煙草をそのまま教会の床に放り投げた次元は、一歩、少女に歩み寄る。
 少女の肩をつかみ、教会の机に倒して押し付けた。
 少女は小さく声を上げて目を見開く。

 次元はその少女の薄いブルーのブラウスのボタンをひとつずつはずしてゆく。

「あのなァ。俺に依頼をするってのがどんな事かわかってるのか?」

 目を見開いたまま、見事にガタガタと震える少女のブラウスを脱がせ続けた。

「組む相手がアンタみてぇなコドモなら、あの額じゃァまったく足りねぇ。追い金にそのバージンをいただいてそれで考えるとするよ。アンタはまだまだガキだが、そこそこ美形だしな。
言っておくがなァ、こうやって男にヤラれそうになって、キャーって叫んでたらヒーローがやってきて助けてくれるなんてなぁ、映画やコミックの中だけなんだぜ?」

 次元は言って、ブラウスの下の白い下着の肩紐をふざけたようにパチンパチンとはじいた。

「俺みたいなやり方はまだ上品な方さ」

 言って、その肩紐をぐいっとずらす。
 少女は震える手をまた胸元に当てようとしたがそれもできず、深呼吸をする。
やわらかくふくらんだ胸が、小鳥の胸のように大きく上下した。

「…わかりました。今まで、リアルにイメージはできていませんでしたが、きちんと、覚悟します。私の体で追い金になるのならば、それで、よろしくお願いします」

 何度か深呼吸を繰り返して、彼女の胸の上下は静かになった。

 次元は机に広がる少女の蜂蜜色の髪を見た。
この薄暗い教会の中で、それが一番明るいものだろう。その髪にそっと触れてから、肩を放す。
 床に落ちた帽子を拾って自分の頭に載せた。

 少女に背を向けて、教会の扉に向かう。
 その重い扉を開ける頃、少女が追ってくる足音が聞こえた。

「…ねェよ」

「なんですか!?」

 ブラウスのボタンを留めながらあわてて後を追う少女が声を上げる。

「残念ながら、お前ェみてぇなガキ相手じゃ勃たねェよ!!」

 次元は教会の外に出て再度煙草を一本口にくわえると、今度こそそれに火をつけた。
 そして空になった煙草のケースを、車の屋根に立てる。

「アンタ、俺と組むってぇくらいなら、せめて銃くらいは扱えるんだろうな?」

 次元は内ポケットからデリンジャーを出して少女に放った。
 少女はブラウスから手を離してあわててそれを受け取る。

「そこから、こいつを撃ち抜いてみてくれ」

 次元は煙草の煙で輪をつくりながら車にもたれ、空の煙草ケースを指差した。
 次元の寄り添うフィアット・パンダのすぐ上に置かれた、小さな抜け殻。

 少女は放り投げられたオモチャのような銃を両手で握り締めながら立ちすくむ。

「…銃の扱いは父から習っています」

「だから、それを見せてみろって言ってるんだろうが!」

 次元はイライラしたように言葉を荒げる。

 少女は両足を肩幅に広げ、軽く膝を曲げ腰を落とした。
 両手で銃を構え、何度か深呼吸をする。

 次元は車によりかかったまま、じっとそれを見ていた。

 次元の口から出る煙の輪がいくつか青空に消えるころ、パーンという音とともに次元のとなりの煙草の空箱は姿を消した。

 次元は車から体を離してまっすぐに立つ。
 帽子を取って彼女をじっと見つめ、また、帽子を頭にのせた。

「お前ぇ、名前はなんてぇんだ?」

「…

 少女は両手に銃を握り締めたまま、曲げた膝をゆっくり伸ばす。
 だんだんとその足が震えてくるのを、次元はじっと見ていた。