● よォーこそ  ●

 新大阪の駅に降りた時から、やばいという気はしていた。
 私、、中学三年生。
 春に東京から家族で引越しをしてきて、初めて大阪の地に足を踏み入れた。
 そして私が4月から入学したのは、大阪の四天宝寺中ってとこなんだけど。
 4月に校門を一歩入った瞬間から、新大阪駅に踏み入れた瞬間以上のやばい感じ。
 始業式のシッテンホージ校長の話の間の生徒全コケで、完璧に理解した。
 
 ここは、マジで異国だ。

 そんな、「ヤバいところへ来てしまった」という違和感を持ったまま、時はすでに6月。
 私は四天宝寺中の3年2組で、クラスメイトたちは決して悪くはないんだよね。
 フレンドリーだし親切だし、いい子ばっかり。
友達だってできた。
 それにしても、なんていうんだろう。
 東京生まれ東京育ちで、これまで関西に旅行ですら来たことのなかった私には、四天宝寺中はあまりにも文化が違いすぎるのだ。
 この、ボケ・ツッコミ文化が!

「おいおいおい、! 明日から風紀検査週間で、検査当番やろ? ついにデビューやな!」

 放課後にけたたましく声をかけてくるのは、同じ班の忍足謙也。
 ヒヨコみたいな真っキンキンな髪をしたテニス部の男の子だ。
 お調子者でにぎやかで、なかなかに親しみやすい、まさにいかにも関西の子って感じの彼は、4月からのクラスでも気軽にみんなから「ケンヤ、ケンヤ」って呼ばれているから、私もすごく自然に「謙也」って呼んでる。
「なに、デビューって大げさな。今月の風紀検査当番がうちのクラスってだけでしょ」
 私が言うと、彼は目を丸くする。
「そらそうやけどやなー、、お前ちゃんとわかってんのんか? 風紀委員の役目」
「はあ? だからー、校則に則って持ち物や服装をチェックするんでしょ。どこの学校でも同じじゃん」
 謙也は、ハァ〜と大げさに両手を広げて顔を天井に向けてみせる。
「わかってへんな〜。お前、その肝心の校則の服装規定とか見たんか」
「え? ああ、ええと」
 私はあわてて生徒手帳をポケットから取り出した。そんなの、基準服についてなんてどこの学校もたいして規則は変わりはしない。スカート丈とかさ。
「……え?」
 改めて目を通した生徒手帳に記載されている内容はこうだった。

基準服の着用の仕方は次の通り。
『ビシッと着る』『ダルッと着る』『何も着ない』と自由であるが、重要な点は『笑いを取ることである』

 えーっ!

 その一文を見て私が青ざめていると、謙也はしたり顔。
「つまりな、この四天宝寺で風紀委員言うたら、お笑い審査員なんや。つまりキングオブツッコミ。風紀検査の日言うたら、そらもう毎週金曜の四天宝寺華月のステージへ上がるための登竜門やでぇ!」

 えーーーー!!!
 そんなの聞いてないーーーー!
 転校してきてクラスが決まって、委員を決める時、なんか風紀委員とかだったらまじめそうだから、ボケ・ツッコミのできない私でも大丈夫だろうと思って決めただけなのにー!

「せやから、4月の新しいクラスでな、東京から来たばっかりのが風紀委員に立候補したん見て、コイツやる気まんまんやなーって俺は感心してんで」
 謙也はウンウンと思い出すように頷く。
「やる気まんまんじゃないよ! そんなんだったら、言ってよ教えてよー! 私、ツッコミなんかできないよー!」
 すると一気に謙也はドヤ顔。わかりやすいやつ。
「ま、一人で風紀検査当番やるん心細いちゅーんやったら、俺が手伝って手本見せてやらんこともないけどな」
「……昼に学食でくいだおれ丼おごるから」
 私が言い終わるより先に謙也はガッツポーズ。
「ぃヨッシャ! せやったら明日正門でな!」
 ほな、俺は部活行くから、とテニスバッグをかついであっというまに教室を出て行った。浪速のスピードスターやでぇなんて普段から言ってるけど、とにかくせっかちでにぎやかなやつ。ま、結構カッコイイけどね。モテるらしいし。
 しかしそれよりも、私は明日の風紀検査当番というものが不安で仕方がない。
 一体どんなもんなんだろう。
 まったく、この学校ってどーなってんの!
 早く大学進学して東京に戻りたい!!


 さて、翌日の朝。
 私と謙也は正門に立っていた。
 二人してハリセンを手にして。
「……時々朝ハリセン持ってる人がいるなーと思ってたけど、風紀委員だったんだ……」
 想像以上の装備に私はワナワナとつぶやいた。
「あたりまえやろ、これがないと気持ち良ぉツッコまれへんやん」
「いやー、なんか時々ヘンな人がいるわーと思って目をそらして通ってたわ……」
「アホやなー、同じ委員として参考にしっかりと見たらんかい!」
 だって……。
 そういえば、正門にハリセンを持った人が立っている時って、生徒たちもひときわヘンテコな雰囲気だったような気がする。思い切りアフロの被り物かぶってたりだとか……。
 私は右手にハリセン、左手に「審査票」というメモをはさんだボードを手にしたままドキドキして正門に立ち続ける。
 謙也は嬉しそうに、右手に持ったハリセンで左掌を叩いてみせて、バシッバシッとその音を確かめているようだった。

「おー、謙也、どないしてん風紀委員でもないのに」
 私たちの目の前で立ち止まった男の子は、しゅっと背が高くて髪を立てた涼しげな顔の子だった。
「おー、コイちゃんおはようさん。いやな、ウチのクラスの風紀委員、4月に東京から転校してきたばっかのヤツやしな、ちょと俺が手本見したろか思て」
 どうやら彼は謙也の知り合いのようだ。
「あ、、こいつ小石川言うてな、テニス部の副部長やねん。地味やけど」
「地味は余計やっちゅーねん! そんでな、あ、ああそうや、風紀検査なんやろ? あ、まーしゃあないなー、持ち物検査? まあ、させたるわー」
 彼はもじもじとバッグのファスナーを開けてみせる。
「あー、はいはい、小石川の今週のネタやな。今回は何やねん」
「ネタ言うな! いやー、昨日ばあちゃんがな、俺の誕生日なんかとっくに過ぎたちゅーのに、プレゼントくれる言うてしゃーないねん。PSPやろ……」
 謙也が小石川くんのバッグから取り出したのは、TVのリモコンだった。
「ハイハイ、PSPね」
 謙也はそれを私に手渡す。
「それに、3DSにiPhone5やろ……」
 次々取り出されたのは、エアコンのリモコンにDVDプレイヤーのリモコンだった。
「うわー、お前のばあちゃん気前ええな、PSPに3DSにiPhone5……」
 言うと同時に、思い切りハリセンで小石川くんの頭をバシーッとどつく。
 びっくりするくらいいい音。
「全部リモコンやないかーい! はよ帰って授業始まる前に返してこい! ばあちゃん、水戸黄門の再放送見んのに困るやろー! だいたいお前のネタ、毎回中途半端やねん! そんなことやから、四天宝寺華月の舞台にも上がられへんねんぞー!」
 小石川くんは3つのリモコンをバッグに入れるとあわてて正門を走り去った。
「……謙也、風紀検査、難しい! 難しすぎるよ!」
 私は思わずすがるように謙也を見てしまう。
「せや、こっちがノリツッコミで対応せなあかん場合もあるんやで」
 私は大きくため息をついた。
 無理。
 やっぱり、四天宝寺中は私には無理だ。
 文化が違いすぎる……。
 がっくりうなだれていると、目の前に陰。
 顔を上げると、大柄なお坊さんが立っている。墨染めの袈裟に傘をかぶった、京都やなんかでみかけるようなお坊さん。
「……あ、あの、うちの学校に御用でしょうか? よろしかったら、職員室に案内しますね」
 お坊さんを見上げて私が一生懸命言うと、お坊さんはかすかに顔をあからめて傘をふせた。
「……いや、ええです。お仕事の邪魔をしもうした」
 彼はぺこりと頭を下げてその場を去っていく。
 隣では謙也がくっくっと笑いをこらえている。
「あのお坊さん、どーしたんだろ?」
「いや、あれもな、うちのテニス部のやつやねん。3年の石田銀」
「えっ! 同い年!?」
 へええ〜、と感心しながら後ろ姿を眺めて、ハッとした。
「えっ、そうしたら、私、あれもツッコまないといけなかったんだよね? うわ、かわいそうなことした、どうしよう!」
 おろおろしていると、謙也がポンポンと背中をたたく。
「いやいや、銀師範はええねんあれで。あの放置されてる感じが、クセになってきとるはずや」
 そういうものなのか。
 それにしても、私、結局のところまだぜんぜんまともに風紀委員としての仕事ができてないんだけど、どうしたらいいんだろう。っていうか、もうできる気がしない。
 私がまたもやうなだれていると、ポンッともう一度謙也が背中をたたいた。
「来たで来たで! ツッコミ初心者におあつらえむきのんが!」
 正門をしゃなりしゃなりと歩いてやってくるのは3年8組の金色小春くんで、オネエ言葉でいながらも成績優秀の有名人だ。
「あらぁ〜、謙也さんてば委員でもないのにどうしはったの」
「あ、あの、私が転校してきたばかりでなれないものだから、手伝ってくれて……」
「んまぁ〜、謙也さんたら優しいのね! ズッキュゥ〜ンときちゃう! じゃ、お仕事頑張ってね」
 小春くんは丁寧にお辞儀をして、校舎に向かった。
 オネエ言葉で小股で歩くことをのぞけば、別段かわったことはない。
! 背中をよぉ見んかい!」
「えっ、背中!?」
 謙也に言われたとおり小春くんの背中、夏服になったワイシャツの背中に目をやった。
 そこには、うっすらとブラジャーのラインが透けている。
 謙也が強い眼で、「今や!」と私に促すものだから、私は小春くんを追った。
「こっ、小春くん、ブ、ブラジャー!」
 私が言うと、彼は立ち止まってにこにこっと笑って顔をあからめてみせる。
「えっ、ヤダ、ブラ線透けてた!?」
「あ……うん、私は気づかなかったんだけど、謙也が……」
「ヤダ、謙也さんってばほんとヤラしい目でばかり人を見るんだから。あんたも気をつけるのよ。あーん、ブラ線目立つかしら〜、最近夏服になったばかりだから、うかつだったわぁ〜」
「女子の夏服とちがって、男子はシャツ一枚だもんね。ブラの上からアンダー一枚着た方がいいかも」
「そっかそっか、ありがとーん、じゃあねー」
 私がハリセンふりまわしながら戻ると、迎えるのは謙也の怒号。
「お前、何フツーに会話してんねん! ツッコめや!」
「え? あ、だって、小春くんのブラ、なんかあまりに自然だったものだから……」
「そないなことで、風紀委員つとまるんかい!」
「だから、もう無理だって!」
 謙也が一生懸命教えてくれようとしてるのはわかるけど、無理なものは無理だよ。
 は〜、やっぱり無理。
 このノリは私には無理。
 二人だまりこんで立ってると、私たちの前で足を止める人影。
 謙也、まかせた。私はもう無理だから。
「あれ、先輩、風紀委員でしたっけ?」
 顔を上げると、整った顔の男の子。一見まじめそうな顔つきと対照的に、左右の耳には複数のピアス。
「お、財前か。いや、俺は放送委員やねんけどな、今日は手伝い。こいつ、東京からの転校生やから」
 彼はちらりと私を見た。
「へえ、転校してきていきなり風紀委員すか、そりゃ大変っすわ。つきあいきれへんでしょー」
 彼はクールな眼差しでくくくと笑った。
 私はなぜか懐かしい気持ちになる。
 彼……財前くんっていう子は、言葉こそ関西弁だけど、なんていうかボケもツッコミも求めてないっていうか……東京にいた時のふつうの友達としゃべっている感覚に近い気がしたのだ。
「ほしたら、謙也先輩、また部活で」
 彼は軽く手を振ってその場を去ろうとする。
 私は、もう少し彼としゃべりたい気がした。
「待って!」
 そう言うと、彼は驚いたように振り返り、隣の謙也はその彼よりももっと驚いた顔だったと思う。
「待って、財前くん、だっけ? ええと、あの……」
「おいおい、財前はそういうんとちゃうから、別にツッコまんでもええねんで!」
 隣では謙也が心配そうにせっつく。私はそんな謙也を無視。
「あのさ、その、ピアス、校則違反じゃない?」
 そして出てきた言葉はそんなもの。
 財前くんはきょとんとした顔をして、そして次の瞬間笑った。
「先輩、オモロい事言いますねェ。俺のピアスの前に、隣のキンパツ何とかした方がえええんとちゃいますか」
 そして、それだけを言うとこんどこそ校舎の方へ向かって歩いた。
 やだ財前くんて、なんか、えらくクールでかっこよくない?
 なにより、ボケ・ツッコミがいらない。
 隣で謙也が何やらギャーギャー言ってることに、やっと気づいた。
「財前くんって、2年生? テニス部なの? かっこいいねー」
「……、お前、せっかく人が委員の仕事手伝うてやってんのに、財前くんかっこいいねって、何やねんそれ!」
「えっ、なんで謙也がそんなに憤慨するの? 謙也ってもしかして、私のこと好きだから、こうやって手伝ってくれるの?」
 何気ないつもりで言ったのに、謙也はカーッと顔を赤くして怒りの表情。
「お前なあ! ツッコミもよぉせんくせに、なんでそんなことばっかりズバズバ言うねん! ほんっま、だから東京モンはわけわからんわ!」
 そう言うとハリセンをつかんだまま走り出した。
「ちょ、ちょっと! お礼のくいだおれ丼、今日の昼でいいんだよね!?」
 彼の背後から声をかける。
 まったく、スピードスターはなんでこうせわしないんだろ。

 その日の昼は、約束どおり謙也に学食でくいだおれ丼をご馳走することに。
 日直の仕事のために、一度職員室に行かないといけないという彼に命じられて、私は先に学食へ来てくいだおれ丼をオーダーしておくことになった。
 なんでも学内一人気のそのメニューは早くオーダーしておかないと売切れてしまうし、出てくるのに少々時間がかかるそうで、待ち時間が嫌いな謙也はそれで先に私をよこしたというわけ。
 私は普通の野菜炒め定食を頼み、オーダーの札を持ってテーブルに座っていると、見覚えのあるシルエットが傍を通った。
「……あ」
 うどんを載せたお盆を持った財前くんだった。
「……ピアスははずさへんすよ」
 彼は私と目があうと、目だけで笑った。

「くいだおれ丼ね、皆好きみたいやけど、俺はよぉ食いませんわ、あんなの」
 声をかけると同じテーブルにお盆を置きながら、財前くんは言った。
 くいだおれ丼は私もあまり直視したことはないけど、とにかく男子向けの大盛り丼で肉や魚やてんぷらや、もうありとあらゆるものがのっけてあるバクダン丼なのだ。
「だよねー、私もムリムリ」
「……先輩、さん、言うんでしょ」
 彼がふと私の名を呼ぶものだから、驚いた。
「え? あ、そう。どうして知ってるの?」
 財前くんはパキンと割り箸を割って、おあげをじゅっとうどんの汁に浸した。
「3年になってから、謙也先輩がよぉ言うてたんですよ。同じクラスに東京からの転校生がおって、日常的なボケもツッコミもでけへんから困るわー言うて」
「ああ、そうなんだー」
 まさに余計なお世話だよね。
「で、その転校生が、よりにもよって風紀委員に立候補しよって、当番が来たもんやから、これはいっちょ俺が見本見せたらなアカンやろなーって張り切ってハリセン作ってましたわ」
 えっ、あのハリセンって学校からの支給品かと思ったら、謙也が作ってくれたんだ。
「へえー、謙也って見かけによらずマメなんだね」
「ですよねえ。ほんで、俺が、その転校生ってカワイイんすか、先輩の好みのタイプなんですかって聞いたら、謙也先輩、あの調子で顔を赤くして、そんなワケあるかボケェー言うんですわ」
 そして、くくくと思い出し笑い。
「あ、そんな事言ってたんだ」
 なんだか、そんな謙也、目に浮かぶ。
「……けど、思ったとおり、カワイイ人ですやん。今朝、正門で会うた時、ああやっぱりなって思いましたわ」
 財前くんはそう言って、ずるずるっとうどんをすすった。
 この感じ。
 なんだろうね、なんか話しやすいんだよなあ、財前くん。
「……財前くんってさ、いっつもピアスしてるの? テニスする時も外さないの?」
「お、いきなり風紀委員の仕事ですか? ピアスはそうやねえ、風呂に入る時と寝る時以外は外さへんですわ。……俺にピアスを外させたかったら、そういう時を狙ってきてください」
 うわー、かっこいいー。うどんすすりながら言ってても、かっこいいー。
 なんて思っていると。
「オイオイオイオイオイオイ!」
 けたたましい怒鳴り声が闖入してきた。
「なんでと財前が飯食ってんねん!」
 学食に駆け込んできた謙也は肩で息をしている。よっぽどご飯が食べたくて走ってきたのか。
「え、なんでって、今、くいだおれ丼出てくるの待ってるところで、たまたま財前くんに会ったから」
「たまたまって! なんや、いつのまにかお前ら付き合うてんのか!」
「えっ、そんなわけないじゃん! 何言ってんの、謙也!」
 ガタッと財前くんが食べ終わったうどんの丼をお盆に載せて立ち上がった。
「スピードスターとはいえ、焦りすぎっすわ、先輩」
 ポン、と謙也の胸をたたいて下膳しに行った。
 謙也が私を睨みつけて何かを言おうとした時、ちょうどくいだおれ丼の番号が呼ばれた。

「なんで財前と飯食ってんねん」
「私は食べてないよ、野菜炒め定食来てたけど、ほら一応謙也のくいだおれ丼待っとかないとと思って」
「なんで財前と並んで座ってんねん」
 イライラしたように言い直す。
「だから、たまたま会ったし。あっ、そうだ財前くんから聞いたけど、あのハリセン、謙也がわざわざ作ってくれたんだってね、ありがとう! 私、職員室から借りてきてくれたのかと思った」
 言うと謙也の顔が少し赤くなった。
「あいつ、いらんことを……。……どうせお前、ハリセンの作り方とか知らんやろと思ってな」
「うん、知らなかったし、そもそも風紀委員の仕事にハリセンがいるのも知らなかったよ」
「……で、、お前、財前のことが好きなんか」
「えっ、だから、かっこいいねーって言っただけじゃん。四天にしてはノリがクールというか。今も、別にピアスの話とかしてただけだよ、風紀委員としてね」
 謙也はがつがつとくいだおれ丼をかきこんだ。
 豚肉牛肉何かの天ぷら、もう何がどれだけのっているのかよくわからないその恐ろしく大盛りの丼はどんどん片付いていった。
「せやったら、あいつが言うてたみたいに、どうしてまずは俺の髪から注意せえへんのや、お前は!」
「はあっ、謙也の髪!?」
 謙也の髪は、ご存知派手なキンパツで、いかにもこまめにブリーチしてるんだろうなって感じのこだわってそうなスタイル。あまりに見慣れていて、違和感がなかった。
「だって、謙也にそれ黒くして来いなんて言っても、聞くわけないでしょ」
「財前かて、ピアスはずさへんやろ」
「お風呂の時と寝る時ははずすって言ってたよ」
 私が言うと、謙也は無言で残りの丼飯をかきこんだ。
「わかった! 明日からの風紀委員の当番もあいつに手伝うてもらえや!」
「手伝ってもらえって、あの子2年生じゃん! 学年違うじゃん!」
、お前、財前のあのノリが合うんやろ。お前みたいにボケもツッコミもわからん奴は、俺はもう知らんからな!」
 謙也は風のように走ってきて、そして風のように走っていってしまうというわけ?
「そうなの? もー、わけわかんない! 確かに私は大阪のノリもボケもツッコミもわかんないよ! 謙也の言ってることもわかんない! だったらいいよ、風紀検査だって自分でやるよ!」
 そりゃあ、売り言葉に買い言葉である。謙也は当然、気を持たせるような時間を取らない。空になった丼を持って立ち上がった。
「ほな、せいぜいがんばれや!」
 下膳しに行く謙也に、「ハリセンは貸しといてねー」とだけ声をかけた。


 翌日、私は一人でハリセンを手にして正門に立つ。
 ここで幾多の怪人を迎え撃たねばならないのかと思うと、おそろしく心細い。
 ……謙也はほんっと、嵐のように走り回って去っていった。
 せっかちすぎるよね。
 昨日、一緒に来てくれてありがとう、一人で私のためにハリセン作ってくれてありがとうって、ゆっくりお礼を言う時間もタイミングもくれないんだもんね。
 そして、私に謙也のことを考えさせてくれる時間もくれないんだもんね。
 ひとりでワーワー言って怒っちゃってさ。
 そして、ほんとに今日は来ないんだもんね。
 私はハリセンをぎゅっと握りしめた。
 うつむいている私の前で、誰かが足を止める気配。
 来た。今日の一発目。
 思い切って顔を上げると、私はあんぐりと口をあけるしかできなかった。
 目の前にいるのは、かろうじて制服のシャツは着ているものの下は海パンで足元はビーサン。背中には大きな浮き輪を背負い、顔には水中眼鏡。片手には、いかにもビーチで飲むようなパラソルの飾られたカクテルらしきものを持っている。その顔からすると、どうも昨日も一発目に登場した小石川くんのような気がするのだけど、これはもうどこからどうツッコんでいいのか、事と次第によっては風紀検査よりも110番通報されてしまうのではないかという風体だ。
 どうしよう、どうしたらいいの。
 私がハリセンを握り締めていると、ふわ、と隣に暖かい風。
「小石川! 今日のお題は何やねん、言うてみろ!」
 謙也の声だ!
「今日は、金ちゃんの必殺技、超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐をイメージしてみたでぇ!」
 自慢気に叫ぶ小石川くんを、謙也のハリセンが直撃した。
「派手にすりゃええちゅーもんとちゃうやろー! さっぱりワケわからんわー!」
 あ、ツッコミ、それでよかったんだ。結構、普通。
 ほっとして隣を見て、私はぎょっとした。
「遅くなって悪かったな」
 照れくさそうに言う謙也の髪は、真っ黒だったのだ。
「ちょっと、どうしたのそれ!」
「やっぱり風紀検査しとるもんがキンパツやとまずいやろ」
「えーっ?」
 黒い髪の謙也、なんだかヘン。
 どうしちゃったの、謙也。
 謙也はその後も、ズバズバと正門にやってくるボケたおした生徒たちに鮮やかにツッコミを入れてくれていたけど、なんだか動揺してしまった私はさっぱり内容が頭に入ってこなかった。
「あかん、俺のハリセン、もうフニャフニャや。の借りるで」
 戦場で剣をぼろぼろにした兵士みたい。
 あっという間に始業の時間が来て、風紀検査の時間もおしまい。
 無事に二日目も終了した。まあ、謙也のおかげで。
「……あのさあ!」
 校舎に戻ろうとする謙也の背中に声をかけた。
「おう、何や」
 黒い髪の謙也はまるで知らない人みたい。
「昨日、ご飯食べる時、私もっとちゃんと謙也にお礼言いたかったんだよね。なのに、なんだかあんなケンカみたいになってごめん。いつも謙也が、ボケとツッコミのことに厳しすぎるから、無理だし!ってちょっと腹立てちゃったんだよ。このハリセンも、ぼろぼろになっちゃったけど、わざわざ作ってくれてホントありがと」
 私が言うと、謙也は目を丸くしてハリセンで自分の頭をぽんぽんとたたいてた。
「髪のことも……ごめん、そんな黒くしてくるなんて、びっくりした。私、そうえいば謙也の髪のことぜんぜん言ったことなかったけど、キンパツの謙也になじんでるからさ、黒くする事なんて思いもしなかったんだよね。言ってもきかないでしょ、って思ってたわけじゃないの、ごめんね」
 謙也はポンポンと自分の頭をたたいていたハリセンで、私の頭をポンとたたく。
 あの、照れくさそうな顔。
「ちゃうちゃう、昨日悪かったんは、どう考えても俺やろ。がえらい財前とフツーにしゃべっとるからな、びっくりしたんや。同じクラスになったばかりの頃、、クラスになかなかなじめんかったやろ、なのに初めて会うた財前とはええ感じにしゃべるからやなー。あいつ確かにノリがクールやから、他の奴とちょとちゃうしな。ま、財前のことはええねん」
 ポンポンポンとハリセンでたたくペースが早くなって、そして謙也の目がきょろきょろとあちこちを泳ぐ。
「俺、別にがボケとかツッコミとかでけへんくてもええねんで。言うてるだけや。別に、いつもどおりでええねん。……だから、無理とか言うなや」
「……」
 いつもどおりでええねん、て。
「……の周りでな、何かあったら、全部俺がツッコンだるから。心配すな」
 思わずハリセンをぎゅっとにぎりしめた。
 ずるいよね、謙也。これはずるい。
「謙也だって、いつもどおりでいいよ。謙也の髪、黒もいいけど、キンパツ好きだよ」
 私が思わず言うと、謙也はニカッと笑って、髪をつかんだ。
 黒髪のカツラを取り去った後には、太陽の光に輝くキンパツ。
「えーっ!」
「小春に借りて来といたんや。びっくりしたやろ。案の定、俺が黒髪なん見たら、しおらしなったなあ」
 ニヤニヤする謙也を思い切りハリセンでたたくけど、私が手にしてるのはフニャフニャな方のハリセンだから音も立ちゃしない。
「……ずるい」
 予鈴に私の声はかきけされてしまう。
「ほら、はよ教室行かな、授業はじまるで」
 私たちはそれぞれの手にハリセンを持ったまま、教室に向かった。

 ハリセン、作りなおさなアカンな。作り方教えたろか。
 ウン。
 財前も確かにかっこええけど、俺も捨てたもんちゃうやろ。
 ……ウン。
 今日の帰り、チューしてもええ?
 バシン(ハリセンの音)

2013.2.4「よォーこそ」

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