● ウィルス --- (2)鳩尾に痛恨の一撃 ●

「だいたいさあ、幸村ってえらそうすぎると思わない?」
 校庭のバイオ実験場の前で私は真田と話してた。
 真田から幸村を紹介されて、強引に幸村’s花壇の水やり要員になってから半年以上たった1年生の冬。
「まあ、そう言うな。あいつはズバズバと物を言うが、決して陰で人を悪く言ったりはしない、まっすぐな奴だ」
 真田はかなり幸村のことが好きみたい。こんなに堂々と自分の友達のことを褒めるなんて、ふつう、男子は照れくさがるもんじゃないの? ちぇっ、ノリの悪いやつめ、ちょっとくらい幸村の悪口でも言えばいいのに。
 ちなみに真田は、私が幸村の水やり要員にさせられるきっかけを作ってしまったことに若干申し訳なく思ってるのか、私には結構親切だ。かつ、夏にできた野菜をときどきわけてあげたら『 がくれる野菜は新鮮で旨いな!』とやけに感動して、それ以来私のバイオ実験場の野菜の愛好家だ。
「……まあ、幸村の言うことはいつも正しくて理にかなってるんだけどさあ。それをああいう態度で言うからムカつくんだよねー」
 この日は収穫も終盤になる秋蒔の大根と白菜を真田に持たせていたところ。
「あ、そうそう」
 私はふと思い出して、花壇の石の上に置いてあった紙袋を手に取った。
「これ、幸村に渡しといてくれない?」
「うむ? なんだ、それは?」
 私の差し出す紙袋には、パステル調のカラーの包みがいくつか入っている。真田はそれをうさんくさげに覗き込んだ。
「今日、バレンタインでしょ。幸村にって、クラスの女子から預かったの。みんな、私と幸村が結構仲いいって思ってるから、押し付けられちゃったのよね」
 真田は一旦それを手に取るが、眉間にしわをよせてまた私に押し返した。
「預かりものとはいえ、男が男にこんなもの渡せるか。お前が預かったものだろう、お前が渡せ」
「いいじゃない、真田、これから部活で幸村に会うでしょ? それくらい頼まれてよ。いやなら、その大根と白菜返して」
「それは困る、今夜は鍋にするからと母親から期待されているのだ」
 私たちがヤイヤイ言い合ってると、聞き慣れた声が割って入った。
「なんだ、相変わらず仲いいね」
 テニスバッグを背負った幸村だ。
 片手には大きな紙袋。
 中身は確認せずともわかる。
 そう、幸村は相当なモテ男子なのだ。
 それに比べ、コンビニ袋に入った白菜と大根を携えてるだけの真田ってば、不憫な子……!
 ていうか、バレンタインデーの日の放課後、野菜苗にかぶせるマルチの手入れなんかをしてる私も相当不憫かもしれないけど。
「あっ、幸村、ちょうどよかった。これ、幸村にってクラスの女の子から預かってきたの。その紙袋に一緒に合流させといて」
 私がチョコの包みの入った袋を手渡すと、幸村はふーんとさして感動するわけでもなくそれを手にする。
のクラスの子だね」
 彼はそういうとポケットからペンを出して紙袋にメモした。おお、律儀。
「で?」
 その袋を片手に持ってた大きな紙バッグに放り込むと、私に手を差し出す。
「は?」
 当然は私は間抜けな声で聞き返した。だって、意味がわからない。
「だから、 から俺へのチョコは?」
「えっ、チョコ!? そんなにもらっておいて、まだ欲しいのっ?」
 驚いて私が言うと、幸村はその秀麗な眉をひそめる。
「そういう問題じゃないだろう。バイオ仲間同士、チョコくらいくれてもいいんじゃないか。人として」
 人として、と来たか! 幸村には言われたくないよ! しかも勝手にバイオ仲間って!
「幸村はバイオじゃなくてガーデニングでしょ! 私はあくまで作物しか興味ないの」
 あきれて返すけど、幸村はまだ納得しないようだ。
「真田には野菜をやって、俺には何もなしか。そういえば、真田と は仲いいよね。もしかしてつきあってる?」
 何言ってるのよー、と言いかけると、先に真田が口を開いた。
「幸村、俺は とは単に野菜をもらうクラスメイトというだけの関係だ。心外なことを言ってくれるな」
 さ、真田も、さらりと無礼なこと言うなー。野菜だけの関係って! せめて友達って言えっての。まったくこのKYめ。
「なに、幸村も大根欲しかった? だったら、真田には多めに渡してあるから後でわけてよ」
「そうだぞ、幸村。俺はいつも の野菜は柳ともわけている。お前も欲しかったら、いつでも言え」
 諭すように言う真田に、幸村はフンと鼻で笑った。
「真田のおすそわけなんかいらないよ。じゃ、俺は先に部室行ってるから」
 それだけ言うと、幸村はすたすたとその場を去って行った。
 に・く・た・ら・しー!
 ね、真田、あいつほんと憎たらしいよね?
 と同意を求める目で真田を見ると、彼はしゃがみこんで、私のバイオ実験場から勝手に大根を抜いた。
「あいつはああ言っても、本当は大根が欲しいに違いない。幸村の分ももらっていくぞ。あいつは焼き魚が好きだからな、これで大根おろしを作って添えて食うときっと旨い」
 くそ、どこまで幸村思いなの、真田ってば!
 もう、勝手にして!



 さて、バレンタインの日に真田と冴えないかけあいなんかをしてた私だけど、正直なとこ、別にモテないわけじゃないんです。
 バイオ部を手伝おうかって申し出てくれる男子だって、何人もいた。
『いた』っていう風に過去形になるってことは、まあつまりは、実現にはいたらなかったってわけだけど。
 というのも、幸村のせいなのだ!
 

さん、バイオ部って一人だろ? 俺、野球部だったんだけど、肩をこわしちゃって、部、やめたから暇でさ。よかったらバイオ部に入れてもらえないか?」
 
 そんな申し出は、隣のクラスの横山くんからだった。
 ちょっと照れくさそうに話す彼は、気は優しくて力持ち、というタイプのナイスガイだ。
 これは、腐葉土を運んだりするのを手伝ってもらうのにすごく良い人材なんじゃないの? しかも、割とイケメンさんだし!
 放課後、校庭の花壇の前で私はちょっとテンション高め。
 2年生になった、初夏のころ。幸村と初めて会って、約1年後のこと。

「言っておくけど、バイオ道は厳しいよ。長期休みも原則毎日学校だ。実験場の管理以外にも、作物の細胞培養をしたり、地道で過密なスケジュールなんだ」

 突然現れて偉そうに言うのは幸村だった。
 ちょっと、いつのまにそこにいたの! どっから出てきたの!
「え? あ、でも、幸村ってテニス部だよな?」
 突然の幸村の登場に、横山くんはたじたじとなる。
「そう。でも、バイオ部の名誉顧問だと思ってくれて構わない」
「ちょっと、何を勝手なこと言ってるのよ!」
 私の抗議にも、彼はちっとも気にする風はない。
「バイオ部に入ったからには、俺が管理する花壇のクリスマスローズやブルーベリーを枯らしたりしたら容赦しないよ。夏の間は早朝と日没後の水やりには責任を持ってもらう。そういった覚悟はできてるんだろうね?」
 幸村は、私と横山くんの間にずずいと入って、自分よりも背の高い横山くんを見上げる。
 不思議。
 横山くんの方がずっと背が高くて体格もいいのに、どうして幸村の方が迫力あるんだろう。
 っていうか、幸村、勝手なこと言い過ぎなんだけど……!
「あ、えーと……すまない、幸村と さんがそういった関係だとは知らなくて。気に障ったなら、悪かった」
 幸村に睨みつけられた横山くんは、ひどくきまりが悪そうな顔をして、そそくさと花壇を去って行ってしまった。
「……幸村!」
 私は我慢ならなくて怒鳴った。
「もー、いつもいつも、どうしてこう邪魔ばっかりするの! 幸村はバイオ部じゃないでしょ! 私が自分のバイオ部に誰を入れようと勝手だし、どうして幸村がバイオ部のことに口出しするの!」
 幸村はふふふと楽しそうに笑うばかり。
「ま、俺はバイオ部じゃないけど、俺とバイオ部は共同戦線を張ってるわけだから、いい加減な奴をバイオ部に入れるわけにはいかないよ」
「どうして横山くんがいい加減なやつなんて決めつけるの! っていうか、幸村のせいで今まで何人バイオ部候補を失ったと思う?」
「だって、 を目当てにバイオ部に入ろうとする奴なんて、ろくな奴じゃないに決まってる。夏休みに、俺の花壇と の実験場に毎日水やりに草むしりに害虫退治をできる奴なんて、そうそういないさ」
「横山くんが、私目当てとか勝手に決めつけないでよ!」
 私は自分がちょっとときめいてたことが見透かされたみたいで恥ずかしくなって、よけいに声のトーンが上がってしまう。
「見ればわかる。わかってるだろうね、バイオ部は男女交際禁止だから」
「はあっ?」
 なに、その勝手なむちゃくちゃな規則は!
「バイオ部には休日にデートするような時間はないよ。言っておくけど、俺は がデートだからっていう理由で、 の実験場の水やりを頼まれるつもりはないから。俺が から実験場の手入れを頼まれてやるのは、冠婚葬祭および病休時と のおばあちゃんの家に行くときだけだ」
 自信たっぷりによどみなく言う彼を、私はもう呆れて見つめるしかない。
「なによ、それ! じゃあ言っとくけど、私だって幸村がデートだからって、花壇の世話はしないよ!」
 そう言うと、幸村はやけに嬉しそうにちょっと意地悪く笑うのだ。
「ああそう。なんだ、俺が女の子とデートすると妬ける?」
「なんでそうなるのよー!」
 思わず移植ゴテをふりかぶるけど、ため息とともにそれをゆっくり下ろした。
 もう、幸村には何を言っても無駄だ。
「夏休みには、またおばあちゃん家に行くんだろ? 梅干し頼むよ」
「……わかった。幸村も全国大会でしょ? 去年、優勝したんだっけ」
「ああ、今年も優勝さ」
 なんでもないように言う彼は、1年の時からレギュラー選手らしい。テニスの練習風景なんて見たことないけど、まあ多分こういう子だし、相当強いんだろうな。
「ところで は……」
 幸村はしゃがんで、さかりの終ったクリスマスローズの花を摘んだ。これから当分は、次に美しい花を見るための手入れの期間だ。
「なんでバイオ部なの? 最初は単に物好きなのかなと思って、けどまあ、ちょっとの間でも俺の花壇に水でもやってくれたらいいやってくらいにしか見てなかったけど」
 相変わらず失礼な奴だなー。今更怒る気にもならないけど。
「和歌山のおばあちゃん家にみかん山があってさー」
 幸村の隣に座って、私もクリスマスローズの枯れた花をつみはじめた。
 幸村が特に好きで植え付けたというこのクリスマスローズは、なかなかに可憐な花で私も好きだった。
「ちっちゃい頃から、そのみかん山が大好きだったんだよね。山に設置したトロッコでみかん運んだりさ、わくわくした。けど、お父さんの兄弟はみんな家を出ちゃってるから、おばあちゃんが体悪くしたらもうみかん山やる人いないんだって。だから大人になったら、私がそのみかん山、育てたいんだ。今は、その夢に向けての、練習」
 クラスメイトなんかにも話した事なかったな、そういえば。
 幸村は花を摘む手をとめて私の顔を覗き込むと、笑った。
 私も手をとめる。
 まったく、幸村が笑うのって、意地悪な顔の時が多いけど、こういうひどく優しい顔をする時もあるから困る。なんか、憎めないんだよね。
「ふうん、冬休みにくれたお土産のみかんは、そのおばあちゃんのみかんだったんだ」
「そ。おいしかったでしょ?」
「うん、甘かった」
 彼は甘い顔で、甘い声で、つぶやくのだ。
 うーん、女子からモッテモテなのも仕方ないな。
 私は思わず笑って、ため息をついた。



 さて、なんとかバイオ部は2回目の夏も越えることができた。
 暑さと雑草の勢いが落ち着いて、ほっとする日々を過ごす。
 ちなみに立海テニス部、今年も優勝したらしい。そして、幸村は3年生になる来年は部長に就任するんだって。
 けどまあ、私にとってそんなことはどうでもよくて、秋から冬にかけては、私は春夏に蒔いた野菜の収穫に忙しい日々だった。中学に上がって二回目の収穫は、前回の課題をふまえて土も作ったし収穫時期も気をつけたから、なかなかの出来だったと自負する。
 そして忘れてならないのは、幸村との勝負がかかってるブルーベリーの枝の剪定。
 ちなみに幸村からもらって1年目の今年はまだ結実はさせなくて、花の時点でつんで力を溜め込むこととした。その方が絶対決戦の来年に、豊かな結実が望めるから。と思いきや、幸村も同じことを考えていたようで、今年の夏には実をならせていなかった。くそ、油断ならないやつめ。
 来年のためには、今の手入れが何より大切だ。
 私のブルーベリーは、自作の有機肥料のペレットとぼかし肥料(これも自作)の土、そしてピートモスを心をこめて配合し、その甲斐あってわっさわさと育ってるのだけど、幸村のもこれまた順調に育ってるのがしゃくだ。ていうか、結構私が水やってるんだけどね!

「それ、ブルーベリーだよね?」
 
 放課後、じゃばじゃばと水やりをしているとそんな声。
「ああ、玄夜」
 中山玄夜は1年の時から同じクラスの男子で、割と仲がいい。
 帰宅部で、よく屋上で昼寝をしたり本を読んだりしてる。で、たまに気が向いた時に私の作業を手伝ってくれる。その手伝い方は気まぐれだけど、でも押し付けがましくなくて、私はきらいじゃなかった。
「来年あたりにはブリッブリに実がなる予定なんだよね」
「へー、ジャムとかできる?」
「一応それくらいは収穫する予定」
 あくまで予定だけどね。
「そりゃあ楽しみだよなあ」
 玄夜は飄々としてて、鼻筋の通ったきれいな顔をした男の子だ。幸村よりもうちょっと骨張った印象のある、『男』って感じのタイプ。
って、ほんと毎日理科実験室であれこれやってたり土いじりしたり、熱心だよな」
「他の子が部活やるのと同じじゃん」
「まあ、そうだけど」
 玄夜はくくっと笑う。
「玄夜こそ、もうこんな冬に屋上でぶらぶらしてて寒いでしょ。物好きだね」
「まあね。でも があれこれやってるの見るの面白いよ」
「へんなの」
 私もくすっと笑った。
 玄夜は結構女の子に人気がある。屋上に彼に会うためにやってくる女の子を、私はよく目にしていた。
「そうそう、 、今度の日曜暇?」
「日曜? 一応バイオ部の活動があるけど」
 私が言うと、玄夜はまたくくっと笑う。
「そっか。もしなんとかなりそうなら、人体の不思議展行かねえ? 今週末で最後なんだよな。行ってみたいと思ってたんだけど、ヤローと行くのもなんだし、けど女子は結構ああいうの嫌がるしさ。 はどうよ?」
「人体の不思議展かー。割と興味あるかも」
 確かに私も行ってみたいなあとは思ってた。今、横浜産貿ホールに来てるんだよね。
 日曜かー。雨なら問題ないんだけど、天気はいいはずなんだよな。
「うーん、ちょっと調整してみる。明日、返事するね」
「わかった」
 玄夜はひらひらと手を振って屋上から姿を消した。
 幸村に日曜は花壇の世話、頼める? って聞いてみよう。
 まあ、朝夕の水やりくらいだし。
 と思って、はたと気づく。
 この用事って、もしかしてデート?
 さっきの玄夜のクールな笑顔を思い出す。
 玄夜って飄々としてるから、さらっと返事しちゃったけど、あれ、もし一緒に行くとしたらデート? そういえば、私、男の子と休日に二人で出かけるなんて、初めてだ。
『デートなんて理由じゃ、水やりは頼まれてやらない』
 そんな幸村の言葉を思い出して、そして、ぶんぶんと頭を振った。
 別に、デートじゃないよ。
 クラスメイトで仲がいい玄夜と、お互いに興味のある人体の不思議展に行くだけじゃない。


 その日の夜、幸村の携帯に電話をして、日曜にはどうしても人体の不思議展に行きたいから、花壇とバイオ実験場の水やり頼める? と言ってみたら、思いがけずあっさりOKが出た。
「あ、いいの? ありがと、部活のついででいいからさ、サンキューね」
 よかった、幸村結構いい奴。
 日曜の水やりを確保できた私は、すぐに玄夜に日曜の予定OKのメールを出した。

* *********

 日曜、横浜産貿ホールで私と玄夜は中学生らしくワーワー言いながらプラトミック標本の人体を見てまわった。学校の授業でもこれくらい強烈な教材があれば、ものすごく集中できるかも。
 私は、5年前におばあちゃんが手術で何センチか腸を切り取ったというのを思い出して、腸の標本をグワッと見つめた。長いな!
 おばあちゃんの腸のできもの、もうできないといいんだけど。
、腸に興味あるの?」
「え? あ、いや別にそういうわけじゃないけどさ。なっがいなーって思って」
 私は言うと、玄夜はまたくくっと小さく笑う。クールできれいな笑顔。

 私たちは一通りの展示を見て回ると、お昼を食べる前に山下公園を散歩した。
 山下公園をぶらぶらした後に中華街でご飯なんて、やっぱりどうにもデートっぽい? いや、それは私の勝手なイメージなだけであって、玄夜は別にそんなつもりじゃなさそうだし、私だって気にする事ないはず。だから、幸村にはデートだなんて言ってないし、実際デートじゃないし。
「どれもこれもすごかったねー。来てみてよかった。けど、確かに男同士で来るのも何だし、かといって女の子とのデートで来るようなとこでもないよね」
 私が言うと玄夜は手に持ってたペットボトルのウーロン茶を一口飲んで、私を見た。
「けど、 は結構楽しそうだったじゃん。俺もああいうの好きだし、いいデートだ」
 さらりと言うのだ。
「……デート? これ?」
 私は妙な倒置法を用いてしまう。
「うん? それ以外の何だと思う?」
 クラスメイトの男女が、産貿ホールのイベントに行って山下公園に行って中華街って。
 確かに、字面からすると完璧にデートだ。うん、そうなんだよな……。
「なに、 は俺とデートってイヤ? 楽しくない?」
 クールでそれでいて優しいゆるい笑顔のまま、玄夜はゆっくり続ける。
「……楽しいよ。けど、デートかあ……」
「男と女で遊びに行ってたら、デートなんじゃね?」
 なんて答えたらいいのかわからなくて私が黙ってると、玄夜は声を立てて笑う。
「なあ、幸村が何て呼ばれてるか知ってる?」
 突然に出てきた幸村の名前に驚いて顔を上げた。
「え? あ、ああ、なんか『神の子』って言われてるんでしょ。すっごいテニス強いらしくて」
 玄夜はくっくっと笑う。同級生の他の男子みたいに、バカ笑いしないんだよね。ちょっと大人っぽい。
「そうだな、テニスの関係ではそう呼ばれてるらしいよな」
「他にもあるの? 大層な通り名が?」
 あれ、私、また倒置法か、と心の奥で思った。
「うん。『 の害虫駆除係』って、一部では呼ばれてる」
「はあ?」
 予想だにしないスットンキョウな返答。
「なによ、それ」
「そのままだよ。あいつ、 に近づこうとする男がいるたびいつも邪魔してるだろ?」
「ああ、でも、バイオ部に入ろうとする子が自分の花壇を世話してくれる奴かどうかチェックしてるんだよ、あれ」
 玄夜は笑うだけで、それに対してのコメントを返さない。
「で、俺としては、屋上でよく と幸村を見かけて、まあつきあってるわけじゃないんだろうなって思ってるけど、実際のところどう?」
 こういうの、実はしょっちゅう聞かれる。
 幸村とつきあってるのかって。うんざり。
「つきあってるわけないじゃない。見てたらわかるでしょ?」
 私と幸村は、作物と幸村の花壇とブルーベリーの話をして、時々交代で世話をして、肥料や虫対策の話をして、幸村からはえらそうに命令されて、ほんとそれだけだ。
は幸村を好きだったりもしない?」
 ふと、真田から一番最初に幸村を紹介された時のことを思い出す。
 あの時はばかみたいにどきどきしたなあ。今やもう、幸村にときめくこともないけど。
「しないよ」
 それにしても、玄夜、笑ってるのにどうしてこんな真剣な顔なの。
「じゃあ、俺とつきあわない?」
 そして、どうしてこんなにさらりと言うの。
 玄夜はクラスメイトで仲が良くて、一緒にいて楽しくて、優しくてかっこいい。なのに、どうしてどきどきしないんだろう。
 っていうか、男の子といてどきどきするようなのって、恋って、どんなものだっけ?
 私、恋をしたことあったっけ?
 つきあうって、どういうこと?
「それって、恋人になるってこと?」
 私は心の中の疑問を口に出してみた。
「うん、そう」
 玄夜はよどみなく言う。
 12月のこの時期、海辺の公園は風が冷たくて、私は上着のポケットにぎゅっと手を入れた。どうしてだか体がこわばる。
「恋人になるって、手をつないだりキスをしたりする?」
「うん、そうだね。すぐにじゃなくても、俺はそうしたいよ」
 私のバカみたいな質問に、玄夜は丁寧に答えてくれた。
 私は玄夜のどこを見たらいいのかわからなくて、空を見上げる。空にはほうきで掃いた跡みたいな雲が薄く流れていた。
「……ごめん、そういうのよくわからない。玄夜とそういうことするイメージがわかないよ」
 私はそう言って玄夜の目を見ると、その顔からゆるい笑顔が消えて、頭のニット帽を一度脱いで髪をくしゃくしゃとかきまわし、またそれをかぶった。
「うん、そうか。やっぱり はそんな返事をするんだろうなって思った。しかたないな」
 帽子をかぶり直した玄夜は、いつも屋上で見かける気まぐれな笑顔に戻っていた。
「ま、いいや。今日は楽しかったし。飲茶でもしてこうぜ」
 そう言ってふらりと海を背にして、歩いて行った。
 ここは山下公園で、目の前にあるのは玄夜の背中なのに、私の頭に思い浮かぶのは学校の屋上庭園とそしてそこでブルーベリーに水をやってる幸村の姿。
 山下公園に玄夜、学校の屋上庭園に幸村、どう考えても前者の組み合わせの方が平和でハッピーなはずなのに。
 
 そんなわけで、私と玄夜は中華街で飲茶をしてぶらぶらと帰路についた。
 楽しかった一日なのだけど、私の胸には何かもやもやとしたものが残る。
 一体何なのか、それはわからない。
 この日の出来事は、私と玄夜のことのはずなのに、どうしてか幸村の顔が頭に思い浮かぶ。そのことも私を混乱させて、私は、ちゃんと玄夜を気遣えたのか自信がなかった。

* *************

! お前は少々たるんどるのではないか!」
 翌日、朝に校庭の花壇の私のバイオ実験場のスペースで春菊を収穫していると、耳慣れた怒鳴り声。真田だ。
「朝っぱらから大きな声出さないでよー。一体、なに?」
 うんざりってリアクションを思い切り全面に出して私はしゃがんだまま振り返った。まったくもう、テニス部の子って、えらそうに命令するとか怒鳴るとか、なんでこんなんなの。っていうか、どうしてバイオ部の私がテニス部に怒られないといけないの。
「なに、じゃないだろう。お前は、昨日は幸村に花壇と畑の世話を頼んで、自分はクラスの男と横浜に遊びに行っていたそうじゃないか!」
 私はびっくりして立ち上がって、あまりに急激に立ち上がったからか立ちくらみがしてもう一度しゃがみこんだ。
「……誰がそんなこと言ってたの」
 カマをかけられてるのかも、と思って慎重に答える。まあ、真田がそんなカマかけできる奴とは思えないけど。
「柳生が、産貿センターの人体の不思議展で、お前と中山を見たと言っていたぞ」
 柳生くんか!
 そういえば、柳生くんって医者の息子だっけ。確かにああいうの見に行ってもおかしくない。昨日、あそこに居たのかー。うかつだったー。
 って、え……?
「で、でも、日曜ってテニス部練習でしょ?」
「ばかもの、昨日は練習のないオフの日だ」
「え……そうだったの?」
 幸村は何の文句もなく、昨日学校に行くって言ってくれてたから、てっきり練習があってそのついでに水やりとかやってくれるんだと思ってた。
「幸村をウェアの買い出しに誘ったのだが、 に花壇と畑の世話を頼まれているからと学校に行くと言うではないか。まあ、たまにはそういうこともあるだろうと思ったのだが、 、お前が男とうつつをぬかしていたとは、けしからん!」
 ここでどうして真田に説教されないといけないのかはちょっと納得いかないけど、さすがにこれはちょっとヤバいという気がしてきた。
「真田、それはもう幸村の耳にも入っておりますでしょうか」
 少々動揺した私は、妙な敬語になってしまう。
「しらん。今朝の朝練は幸村は体調が優れないとかで欠席だったから、まだ会って話はしておらん」
「真田!」
 私は収穫したての春菊を、くるくるっと新聞紙でくるんでぎゅっと真田におしつけた。
「これ、取れたての春菊。無農薬。鍋やおひたしにするとおいしいよ」
「……おお、いつもすまんな」
 眉間のしわがちょっとほどけた。
 心の中で、なにとぞその件は幸村に内密に、とつぶやく。
「まあ、柳生は幸村と同じクラスだ。そのうち柳生から耳に入るだろう。お前、きちんと幸村に礼を言って謝っておけよ」
 しまった、柳生くん、今は幸村と同じクラスだった! くそ、真田に春菊あげ損か。
 2年生になってすっかりおっさんくさくなった真田の後ろ姿を、うらめしく睨みつけながらため息をついた。
 いやいやいや。
 昨日、私が玄夜と横浜に行ってたからって、どうして幸村に謝らないといけない? っていうか、隠す必要もないじゃん!
 ふんっと私は胸を張ってみるけど、心の中はびくびくもの。
 私は遊びに行って、休日の幸村が学校で花壇と畑の世話だったのか。
 やれやれ。あの幸村に、どんな嫌味を言われるやら。


 始業の時間になって、休み時間に幸村のクラスに行ってみようかなあと思ったけど、でもわざわざこっちから話しに行くってのも何だし、結局幸村のとこにはいかなくて妙に憂鬱な気分でいながら教室で過ごしていた。
「ねえ、 、昨日玄夜くんとデートしてたんだって?」
 昼休みに学食に行ったとたん、友達からのいきなりの正鵠をついた一言。
 私はついつい鳩尾のあたりを押さえながら声をしぼりだす。
「誰から聞いたのよ」
「さっき、D組の子が購買で話してた」
 D組って柳生くんと幸村のクラスじゃん! 柳生くん、紳士って言われてるわりに口軽っ!!
「デートっていうか、人体の不思議展を見に行っただけだよ」
「十分デートじゃんよー!」
 玄夜はクラスでも人気がある。友人がこんなネタに食いつかないはずがない。
はぜったい幸村とだって皆言ってたし、仲間内でも思ってたんだけど、実際のところどうなの? 幸村? それとも玄夜くん? ちょっと、白状しなさいよ」
「どっちもないよ。ほんとにないんだから、騒ぎ立てないでくれる? 玄夜だって迷惑じゃん」
 私がほんとに困った顔をしてたからか、友人は不満げながらそれ以上はつっこんでこない。
「そうなの? ま、いずれはっきりするんだろうからいいけどさ。両方キープみたいなのは、きっとそれぞれのファンの子が黙っちゃいないよ〜」
 からかい半分、脅し半分みたいに言うものだから、私は彼女を睨みつける。
 それにしても、これは間違いなくすでに幸村の耳にも入ってるんだろうなあ。
 あの王様は、一体どんな嫌味や罵詈雑言を私に投げかけるだろう。
 でも、これが夏じゃなくてよかったかも。
 夏ならば、きっと花壇の草むしり1ヶ月やること、とか言い出しそう。

 さて、こうなったらもう一日幸村と顔を合せずにすむといいなあなんて思いながら、放課後はまず屋上庭園の方へ行った。幸村は、部活に行く動線の加減上、先に校庭の花壇に寄ることが多い。そして、帰りに屋上へ来るのだ。
 が、あにはからんや。
 屋上庭園には既に幸村がいた。
 自分のブルーベリーの鉢の前にしゃがみこんでいる。
 やばっと思い、引き返そうかと思った瞬間彼が振りかえった。
「……ブルーベリーの乾燥防止に水苔を追加してるんだけど、余りそうなんだよね。 も使うかい?」
 いつもの綺麗な笑顔で私に水苔のパックを差し出した。
「あ、うん、いるいる。ありがと」
 私はかろうじてそれだけ言って、ゆっくり幸村の方に足を進めた。
「昨日さ」
 水苔のパックを受け取る時に、幸村は静かに口を開いた。
 私の心臓は飛び上がりそう。
「あ、うん、何?」
「校庭の方の実験場、マルチが破れてたから直しておいたよ」
「そうなんだ、ありがとう助かる」
 いやー、もう、こういうの怖い! どうせなら早く怒り出して欲しい!
 私はもう内心びくびくだ。
「で、どうだった?」
「ん? 何が?」
「昨日のデート」
 来た!
「別にデートじゃないよ」
 私の返事に、幸村は静かに笑う。
「男と女で遊びに行ってたら、デートだろ」
 そして、昨日の玄夜と同じことを言うのだ。
「そういう定義なら、デートかもね」
 私は開き直ってしまう。
「デートならデートだって言えばよかったんじゃないの? 俺に実験場の世話を頼む時にさ」
 幸村は笑ってるんだけど、ひどく冷ややかな顔。意地悪な笑顔はいつものことなんだけど、なんだかこういう幸村は嫌だ。
「だって、前に言ってたじゃない。『デートなんて理由じゃ、水やりは頼まれてやらない』って」
 ああ、また倒置法。私、動揺すると倒置法を使う癖があるんだろうか。なぜだかそんなどうでもいいことを考えてしまう。
「ふふっ、そんなの冗談に決まってるだろ。別に正直に言ったらいいじゃないか。男と遊びに行きたいから、水やりお願いしますって。 に好きな男ができてつきあうようになったんだったら、それでいいじゃないか」
 台詞の内容はおだやかで幸村の声は静かだけど、表情はなんだかいつもと違う気がする。
 私の胸の中はなぜだか水を浴びせかけられたようで、そして、こういう幸村、気に入らない。
「そんなネチネチ言わなくてもいいじゃない」
「別にネチネチ言ってないだろ。で、どうなの、中山とつきあうのかい?」
 今日の幸村は、気に入らない。
 いつもの、もっとズバズバと意地悪なことやめちゃくちゃなことを言う幸村は、慣れっこだけど、なんかこういうの、違う。
「だいたいさ」
 私は水苔を足下に置いて幸村を睨んだ。
「どうして私のそんなプライベートなことまで、幸村に報告しないといけないわけ? 幸村だって言ってたじゃない。私と幸村はバイオ部と花壇の管理の共同戦線張ってるだけでしょ。お互い用事のある時に、それぞれの持ち場を世話しあうって、それだけなのに個人的なことまではどうでもいいでしょ。私が誰を好きとか、誰とつきあうとか、幸村に関係ないじゃん!」
 ああ、なんだか逆ギレっぽくてかっこわるい。
 でも止められない。
 だって、ほんとに腹が立つんだもの。
 私はそれだけ言うと、水苔を置いたまま屋上から走って階段を降りた。
 水やってないけど、今夜は雨だって言うからいいや。
 ちょっと幸村の顔、見たくない。
 幸村のあんな顔や、あんな口ぶり、いやだ。
 幸村の顔を思い出さないようにしながら、私は走って家まで帰った。


 幸村に一方的に怒鳴ってやるなんて、溜飲の下がることのはずなのに、家に帰っても私はすっきりしないまま。
 幸村と言い合いをして学校から帰るなんてしょっちゅうなのに、なんだか今回はいつもと違う。
 私が悪いの?
 それとも幸村が悪い?
 どっちも悪いようにも思えるし、別にどっちも悪くないようにも思える。
 じゃあ、どうして私はこんなにイライラしてるんだろう。
 明日から、どんな風にすれば、今までみたいにわだかまりなく幸村とやっていける?
 その日の夜は足がやけ冷たくて、どうにもなかなか寝付けなかった。


 翌日、寝不足のまま学校に行った私を直撃したのは、幸村が突然に倒れて入院をしたというニュースだった。
 彫刻刀で掘ったような深いしわを眉間に寄せた真田が、朝一番に私に伝えてきた。
 私はしばらく何も言葉が出ない。
 初めて幸村に会って花壇の世話を命じられた時の衝撃が、頭をズガーンとやられたようなショックだとしたら、今回は鳩尾にドスンとやられたみたいなショック。
 だって、その全身に響くような妙な重い苦い痛みは、真田が自分の教室に行ってしまっても、まったく私の体から消える気配がなかった。

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