● ウィルス --- (1)鈍器で後頭部を一撃 ●

、お前を紹介して欲しいという奴がいるんだが、会ってくれるか」

 立海大附属中に入学してまもなく、同じクラスの真田からそう言われた。
 中学一年生になった私のクラスの同級生たちは、まだめいめいに浮き足立っていて、何かが体の中からはじけそうな、それでいてちょっと不安な春だった。
 中学校の制服を着始めた頃っていうのは、だれでもそんな、ちょっと浮ついた気分なものだと思う。
 さて、くだんの真田はとびきりの優等生でクラス委員だ。
 それでいて入ったばかりの中学テニス部で先輩レギュラーを負かしてしまったらしいという、当時からKYな雰囲気をただよわせていた真田のその言葉に、私は驚きと警戒と妙なときめきとをまったく同時に感じてしまった。

 紹介して欲しいって、真田の友達が?
 紹介って、つまり、なに、誰かが私とお近づきになりたいっていうこと?
 それって、やっぱりロマンティックな意味合い?
 それにしても、この真田がそんな橋渡しをするなんて、ちょっと意外。

 男子に好意を示されるようなことが、別にまったく初めてってわけじゃないけど、とにかく真田にそんな用事で話しかけられたことにびっくりしてしまって
「ど、どうして私? 紹介して欲しいって、どういうこと?」
 なんてとっさに聞き返すと、真田は気まずそうに顔をそむけながら、
「そんなことは、本人から聞け。俺の口から言う話ではない」
 と言うのだ。
 その頃の真田は、当然今と同じように厳格で生真面目だったけれど、見た目は今ほどはいかつくなくて、ちょっとかわいらしい男の子だったっけ。
 ま、今のこの話には関係ないから、詳しい描写は省略するけれど。
 真田にそんな風に言わせるなんて、さぞ真剣な男の子が現れるのかしらと、私は妙に舞い上がってしまって、果たして真田が連れて来る男の子がどこの誰なのかなど確認もせぬまま、引き会わされることになる。
 あの真田に「会ってくれるか」なんて真剣に言われて、「やだよ」なんて断れないし、こういうどきどきすることも悪くない。中学生になったんだしね。
 そんな、舞い上がった気持ちのまま、真田に指定されたのは屋上庭園の前だった。
 これまた、なんて雰囲気のある場所。
 柄にもなく私のドキドキは史上初といっていいくらいまでヒートアップしたことを、今でもよく覚えている。
 屋上庭園に植えられているジャスミンの香りを胸いっぱいに吸い込んでいると、人の気配。
 来た。
 真田と、そしてもう一人。
 ああ、あれが真田がつれてくる運命の人。
 私を見初めた、見所のある男。
 私の脳内では、私自身は姫に、そして真田が連れて来る子は、まだ見ぬ王子様になっていた。
 それくらいに、中一女子の脳はすごいって事。
「やあ、きみが さん?」
 居心地悪そうな顔をした真田の隣の男の子は、真田より少し小柄で線の細い、すごくきれいな顔をした男の子だった。優しい笑みを浮かべていながらも、その目はとてもまっすぐで鋭い。
 私の顔は熱くて爆発しそう。
 えー、真田が連れて来る王子様が、こんなかっこいい男の子だとは思わなかった。
 この子が私を好きなんだ。
 頭が混乱して、体中の血がざあああっと頭の方に昇りつめてくる音を感じていると、彼は言葉を続けた。

「俺は幸村精市。 さんはバイオ部なんだって? なんでも自分で調合した肥料と土を使ってキュウリやトマトを作る実験をしてるって、真田から聞いたんだ。休みの日も熱心に活動してるらしいってね。で、俺たちテニス部、5月の連休は合宿で不在にするんだけど、その間、俺が育ててる植物に水やっといてくれないか。この屋上庭園の分と、校庭の花壇の分」

 彼のきれいな顔に見とれている間に、まるで思い切り後頭部をガツンとやられたかのような衝撃。

「……え?」

 にこにこと穏やかな顔をしながらも命令口調の彼の言葉を、もういちど確認しようと、私は短い言葉を発した。だって、彼が発する言葉は、私が予想していた愛の言葉とは大分異なるように思うのだけど……。
 彼はやれやれというように、微笑んだまま息をつく。

「ここの屋上庭園も校庭の花壇も、俺が完璧にデザインして花を育てて行こうとしてるんだけどさ、どっちも雰囲気ぶちこわしの家庭菜園みたいなのがあるんだよね。先生に確認したら、バイオ部に確保してやったスペースだっていうじゃないか。なんだよバイオ部ってなんて話してたら、部員は一人で、それが真田と同じクラスのきみだって聞いた。でも、よくよく考えたら、俺が忙しい時に花壇を管理しておいてもらうのにおあつらえむけの人材だと思ったわけだよ。うちの学校は園芸部はないしね。それで、真田にきみを紹介してもらった」

 私が思わず真田くんを睨むと、彼はくいっと申し訳なさそうに目をそらす。

「そういうわけで、来週からゴールデンウィークに入るけど、その間はここと校庭の花壇の水やりはたのむよ。天気はいいみたいだからね。ああ、もちろん草むしりもしてくれて構わない。さ、用はすんだ。真田、練習に行こうか」

 彼はそう言うとくるりと踵を返す。肩にひっかけただけのジャージの裾がひらりと風にたなびいた。
「ちょ……ちょっと、私、まだ何も返事してない!」
 あまりの強引さにひるんでしまっていた私だけれど、ようやく声を絞り出した。
 幸村はくいっと顔だけ振り返って、私を見た。
「もちろんこれから先、 が学校に来れない時があったりしたら俺が の家庭菜園に水をやるよ。お互い様の共同戦線だ。何か、文句があるかい?」
 勝ち誇った笑顔。
 文句って……。

 文句、ある、わけ、ないじゃないの!

 私は何か言い返してやりたくて、でも何も言い返せなくて、幸村と真田はそのままさっさと部活に行っちゃって、私はタイムスリップして数分前までの自分の首を絞めに行きたくてしかたがなかった。
 
 そんな出会いだった。

 さて、私は幸村が言っていたようにバイオ部なのだ。
 私が入学した当時は立海大附属にはバイオ部はなかった。けど、私がぜひバイオ部の活動をしたいのです! と熱く先生に申し出たところ、先生が心動かされたようで、理科実験室の使用の許可を出してくれて、あと屋上庭園と校庭の花壇の一画にバイオ部用のスペースを確保してくれたのだ。バイオ部といっても部員は集まらなくて私一人の活動なのだけど、先生はそれも大目に見てくれることとなった。
 そんなわけで、入学当初から精力的にバイオ部の活動を行っていた私だが、確かに一人部活動では、もし自分が都合悪かった時のバイオ実験場(幸村が「家庭菜園」と呼んでるスペースは正式にはこういう呼び名)の手入れに困るなと思ってはいたから。もちろん、先生だとか用務員さんに頼むという手段もないわけではないけれど、やはりそういうのは最終手段にしたいじゃない。
 というわけで、幸村の不遜な態度での申し出は、不本意ながら私のニーズとも合致していたのだ。
 屋上庭園の前での邂逅からすぐのゴールデンウィークは、幸村に言われるまでもなく私は何も予定はなくて、学校に来て私の実験場の手入れをするつもりでいた。ちょうどまさに、トマトとキュウリとナスの苗の植え付けをする予定だったのだ。さすがに植物マニアらしい幸村は、私のそんなスケジュールもお見通しだったのだろうかと思うとよけいに腹立たしい。腹立たしいけれど、彼が育てている花壇の植物には罪はないので、私は自分の実験場のスペースの植え付けを終えると、彼の花壇に水をやった。カルミアの苗を見ながら、『ふん、食べられもしないものを育てるなど、奇特なやつめ』なんて毒づきながらもね。
 さて、そんな風に植え付けで充実した連休が終り、連休明けに私が植え付けを終えた実験場を確認していると、私の足下にコトリと鉢が置かれた。
 驚いて振り返ると、そこにはあの幸村の穏やかで自信たっぷりの笑顔。
「やあ、休み中花壇の世話をありがとう。助かったよ。おかげで心置きなくトレーニングに励むことができた。それはお土産」
 二つの鉢には、何か植物の苗。
「ブルーベリーだよ。ブルーベリーは2種類の品種を隣り合わせで育てた方がよく育つらしいからね、2鉢。ちなみに俺も同じ2種をそこに植えたよ。卒業する頃には、どっちのブルーベリーがよく実ってるか一目瞭然だろうね」
 土産ついでに宣戦布告とは、どこまで食えない男なの、この幸村精市!
「あ……ありがとう! 食用の植物の育て方なら、バイオ部の私が負けるわけないけどね!」
 私は眉間にしわをよせながらもとりあえず礼を言った。
 その勝負、受けてやろうじゃないの! バイオ部の威信にかけて!

 さて、私はバイオ部の力を全てそそぎこんで、そのブルーベリー育成に最適な酸性土壌を配合し、そして大きめの鉢に植え替え屋上庭園に設置した。幸村のそれをぎりりと睨みながら。
 が、私のバイオ部としての活動は全てをブルーベリーにつぎ込む訳にもいかないので、ゴールデンウィークに植え付けたトマトとナスとキュウリの手入れにも精を出す。
 そして夏になった頃、はたと気がついた。
 私は毎年、長い休みになると和歌山のおばあちゃん家に行くのを楽しみにしてて、その年の夏休みもそのつもりだったのだけど、かなり風呂敷を広げすぎた学校のバイオ実験場。
 手入れどうしよう。
 幸村のことが頭に浮かんだ。
 あいつ、あんな風に言ってたけど、ほんとに私が留守の間、野菜の面倒見てくれるのかなあ。
 麗しい花しか育てない麗しく尊大な王子様が、ナスやキュウリの世話をしてくれるのかしら。

「ああ、当然かまわないよ。おばあちゃんの家に行っておいで」

 私がおそるおそる頼むと、彼は別段表情も変えずに一言。
 あまりにも平然としていたものだから、私は細かく「トマトのツルにはこうして、ナスの方には云々」とか注意点も言えず、まあ水さえやっておいてもらえればいいか、とそのまま1週間の旅に出た。
 大好きなおばあちゃんの家を満喫して帰ってきた私は、まずすぐに学校の実験場に行った。
 実験場は、まるでテレビの教育番組で『はい、これがその1週間後です』という映像かのごとく。
 つまり、理想的な生育を見せていて、まったく荒れた気配がなかったということ。
 出かける前、「あー、このトマトあとちょっとで食べごろなんだけど、私が出かけてる間に熟れちゃって帰ってきた頃にはぼろぼろになってるだろうな」みたいに思ってたけど、熟れすぎてる実なんかひとつもなかったし、かなりの勢いを見せてるだろうと思っていた雑草もまったく出かける前と一緒。
 私がちょっとびっくりして校庭の花壇の実験場を見つめていると、がさがさと袋の揺れる音。
「おかえり、 。これ、 が留守の間に収穫した分だよ。いくつかは家でいただいちゃったけど」
 いつの間にかとなりに来ていた幸村が、トマトとピーマンの入ったコンビニ袋を私に差し出した。
 私は驚きと、そして尊敬の念を持ってして彼を見た。
 幸村は、人間に対してはひどくえらそうだけど、少なくとも植物に対してはかなり誠実みたいだ。
「ありがとう」
 私はかろうじてそれだけを言って袋を受け取り、そして自分の持ってた袋を差し出した。
「何?」
「和歌山土産。梅干しだよ」
 渡すような機会があるのかどうかよくわからなかったけれど、買っておいてよかった。私が差し出したそれを受け取って、幸村はいつものように笑った。正確には、いつもよりもちょっとアドリブをきかせた感じの笑顔。
「へえ、お土産か。気を遣ってもらって悪いな、どうもありがとう」
「幸村だってブルーベリーくれたじゃん」
「ああ、そういえばそうだっけ」
 そう言うと彼は今度は声を出して笑った。ああ、それでやっと普通の中学生らしい笑いだな。私はそう思って、やっと幸村と一緒に笑う事ができた。
 その事があってから、私はちょっと幸村を見直した。
 頭が良くてテニス部の有望ルーキーで見目麗しく、それでいてえらそうで鼻につくやつって、思ってたけど。
 約束はちゃんと守るし、give & take の礼儀をちゃんとわきまえた子だ。
 そして、思った以上に栽培の技術がしっかりしてる。
 けど、やっぱり思う。
 なんであんなに上から目線なんだ!!!

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