● 真夏の昼の夢(6)  ●

「……なんやて……そんな、なぁ……。まったく別の世界に別の俺たちがおって、はそこから来た言うんか……」
 やっとの思いで話をした後のユーシの反応に、私はついカッとなる。
「だって、話せって言うから話したのに! 信じてもらえないなら、もういい! もうこれ以上話すことなんてないよ、私は幽閉されて、ここで一生を終えるんだ……!」
 そう叫んでから、そのことが急に現実味をおびてきて、両手で顔を覆った。
 心細くて不安で、涙が出る……。
「あほ、俺が信じないなんて言うてへんやろ! アトベを納得させるんは大変や、いう話や!」
 ユーシがぐいっと私の肩を掴んだ。
「なあ、。俺を見ろ」
 両肩を掴まれても顔を覆ったままの私は、強情にしばらくそのままでいたけれど、ユーシの手の温度がだんだんと肩に伝わってきて、ゆっくり顔を上げた。
「俺を信じろ、言うたやん。信じたから、話してくれたんやろ。せやったら、お互いに信じあおうや。俺は必ずお前を守るし、助ける。……お前がオトンとオカンの待つ家に帰れる方法を、必ず探す」
 ふざけた丸眼鏡の奥の目は凛としていて、急に、初めて忍足を好きだと思った時のことを思い出した。
「……それができるまで、俺は何があってもお前を守ったるからな」
 忍足は絶対、こんな熱いことを私に言ったりしない。
 そう思うのに、目の前のユーシはどう見ても忍足だ。
 忍足も、私が絶対絶命だったらこんなことを言ってくれるのだろうか。
 ……うん、きっと言う。
 ユーシはそう私に信じさせた。
 小さく頷いて、息を吸う。
「わかった。私、ユーシを信じてるから。これから私がどういう風にしてたらいいのか、教えて。私、ちゃんと言われた通りにして、もう余計なことをしゃべったりしない」
 私が言うと、ユーシはやっと顔を少しほころばせて、私はふわりと一瞬心が軽くなる。いつもふざけたようなユーシが真剣な顔をするのが、少し怖かった。彼が笑うと、こんなに安心できるんだ。
、お前が俺を信じる言うてくれただけで、俺はめっさ力、出んねん。力がな、大事やで。せやから、今夜はしっかり眠り。お前の正式な処分の決定は明日以降や。それまでに力つけとかなあかんからな」
 処分! 
 どきっとする言葉にプレッシャーを感じながらも、私はこくこくと頷いた。
 確かに寝不足でふらふらしてちゃ、なにもできない。
「……何かあったらすぐに声かけるからな」
 ユーシは一瞬の間をおいて、肩をつかんだ手をぎゅっと背中にまわし、私の身体を抱きしめた。ユーシの服に染み付いたアトベッキンガム宮殿の薔薇の匂い、そしてユーシの匂い、体温。
 彼の上着の裾を、一瞬ぎゅっとつかんだ。
「……ほな、おやすみ」
 ユーシがそう言って私から身体を離すと同時に、私も彼の上着の裾を手離した。
 本当は眠るときも傍にいて欲しい。
 けれど、そんな事は言えない。
 言ってもいいのだろうか。
 そう思っても、私は2年生の時から忍足が好きでいて何もできない、筋金入りの優柔不断。この一瞬で、ユーシにそんなことを言うかどうかの決意なんてできるはずがない。
「うん、おやすみなさい」
 そう言って、彼が部屋から出て行くのを見送って、大きなため息をついた。
 
 ひとり部屋に残された私の胸には、どんどん不安が募る。
 突然この不思議な世界に放り出されてからの私の不安は、これまでもちろん盛りだくさんではあったけど、おおまかには「いったい、いつ、どうやったら元の世界に戻れるだろう」ということがメインだった。そして自分でも説明できないままのこの状況を、なんだかんだ言ってユーシが支えてくれていた。彼はわけもわからないまま、私を守ってくれていたのだ。
 でも今、更なる問題が起きようとしている。
 私がここの王様・アトベに捕まえられて幽閉?
 私が、本来は知らないはずのことまでも知っていたからっていうことが原因みたいだけど、だって、仕方ないじゃない!
 どうしてかなんて、私が教えて欲しいくらいだよ、私が通っていた氷帝学園中等部の生徒たちが、なぜか同じ顔・同じ名前でこの世界にもいるんだってこと!
 どう考えても、あの王様が「ふーん、そうか、なら仕方ねーな」って言うわけがない。
 絶対絶命。
 手詰まりだ。
 私はこのアトベッキンガムを逃げ出した方がいい? なんて一瞬考えたけど、それも無理。だって、ユーシがいないとこの世界でどうやって生きていったらいいのかわからない。
 馬に乗って私の前に現れたユーシを思い浮かべて、そして次に、氷帝の制服を着ている忍足侑士を思い浮かべた。
 涙が出そう。
 やっぱり、忍足に会いたい。

 そう思った瞬間だった。
 私の部屋の分厚い扉をノックする音。
「あ、はい……」
 目尻ににじんだ涙をぬぐった。
 扉が開いたら、そこが氷帝の校庭だったらいいのに。
で、『、何してんねん。はよ帰ろや。あ、帰りに映画でも観てけへん?』なんて言いながら、忍足が迎えに来てくれたらいいのに。
 そんなありえない期待を抑えることが、我ながら難しい。
 私の返事の後、一瞬の間をぴて開いた扉からのぞいた顔は、ユーシだった。
「ん? どしたの、ユーシ?」
 少し前に、おやすみの挨拶をして出て行ったばかりなのに。
 ユーシは、シッと人差し指を顔にあてて、扉を後ろ手に閉めて部屋に入ってきた。
「やだ、ほんとにどうしたの? ヘンなことしないでよ?」
 私がふざけ半分に言うと、彼は妙に真剣な顔。
「ええか、よぉ聞き」
 彼の真剣な顔を、私はつい目を丸くしてじっと見つめてしまう。
「今な、馬車が来とる」
「は?」
「ええか、お前はやっぱりここにおったらアカン。これは時間勝負や」
「え? え?」
 わけがわからず聞き返すと、彼はぐいっと私の腕をつかんだ。
「俺を信じろ、。今すぐ、ここを出て行くで。心配せんでもええ、俺がついとる」
 ユーシに腕をつかまれたまま、彼にじっと目を見つめられる。
 丸眼鏡の奥のその目は、不思議だ。
 度の入っていないその眼鏡のガラスは、本来は何らフィルターにすらならないはずなのに、いつも彼の何かが読めない。
 それは、忍足もユーシも同じ。
 それなのに、不思議と惹きつけられてしまう。
 もう一度彼の目を見ようとした時、腕に力が入った。
 そうだ、彼は私をここから連れ出すと言っているのだ。
 それが正しいのか間違っているのか、今の私にはわからない。
 けれど、もしこのままここにいて、幽閉ってやつをされてしまうなら、ユーシの言うとおり私は今ここを出なければならないのだろう。
 ユーシに連れ出されるがまま部屋を出て廊下を抜け、アトベッキンガムの裏門から外に出た。
 そこには、夜の闇に溶け込んだブルーグレーの馬車。
 ユーシが先に乗り込んで、私に手を差し出した。
 思わずほっとする。うん、ユーシも一緒に来てくれるんだよね。
 私が馬車に乗り込むと、傍に控えていた黒髪の御者が静かに扉を閉め、そしてピリシという鞭の音と同時に馬車が動いた。
 馬車の車輪のガタガタとした乗り心地には、やっぱりまだ慣れない。
 乗り込む時に見た夜道を照らすものは月明かりだけだった。
 こっちの世界の夜って本当に暗いんだな。
 そんな夜の闇を、馬車はスピードを緩めることもなく走り続けた。
「……ねえ、ユーシ。アトベッキンガム宮殿を出たのはいいけど、どこへ行くの? メバチコ城ってわけにもいかないでしょう?」
「うん? は心配せんでもええ。ちゃんと、場所は確保したるさかいな」
 馬車の中の狭い空間で、彼のそんな言葉を聞きながら、私はふと妙な違和感におそわれた。
 顔を上げて馬車の中のあちこちを見渡してみても、そもそもこの世界の全てに違和感なわけだから、何を見ても何もわからないんだけど、そういんじゃない。
 すうっと深呼吸をしてから、大きく息を吐いた。肺の中の空気を吐き出して、そしてゆっくり少しずつ息を吸う。
 この世界で何もわからなくて、何もできない私だけど、ひとつだけ、わかった。
 やっぱりそうだ、間違いない。
「……馬車を止めて。私は降りるわ」
 私はそう言った。
「うん? どうしたんや、
 彼は丸眼鏡のブリッジを指でクイと持ち上げて言う。
「私、アトベッキンガム宮殿に戻る。だから、馬車を止めて」
 彼の目を睨みつけるように言うと、眼鏡の奥の目は少しずつ笑い出した。
 しなやかな指で眼鏡を外した彼の顔は、すでにユーシではなかった。
 クククと笑いながら髪をかき上げて、ずるりとそれをずらす。
 現れたのは銀色の髪。
「参謀、思ったより早くバレたナリ」
 彼は馬車の前方の小さなのぞき窓みたいな戸を開いて、そう言った。
 すると、黒髪の御者が一瞬振り返り、フと笑った。
「そうか、だったら仕方ないな」
 ピシッと鞭の音が響き、馬車のスピードが増した。

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