● 真夏の昼の夢(4)  ●

「お前らも知っての通りリッカイは海沿いの強国だ。漁港や港の交易で栄えている。が、どうやらウチの石切り場や羊毛なんかを狙って、動き始めたらしい」

 え? ちょっとちょっと、そんな深刻そうな話を、私なんかもいるところでいきなり始めちゃっていいの? 
 っていうか、まあ、私なんか目に入ってないんだなあ。
 リッカイって、やっぱりあの立海なんだろうか。氷帝と並んですごくテニス部が強いんだって、忍足から雑誌を見せてもらったことがある。
「ガクトが詳しく調べているところだが、少なくともサナダが動きを見せたという情報は掴んでいるぜ」
 宍戸くん、じゃなくてシシドくんがしたり顔で言う。
 サナダ、という言葉に皆「ほう」という声を漏らした。
 サナダ? そういえば聞いたことがある、ていうか雑誌で見た!
 めっちゃテニスが強いっていう、えらくいかつい男の子だったように記憶している。
「サナダって、あの老け顔の?」
 思わず私が口走ると、皆が一斉に私の方を見た。
 今まで、私にろくに目もくれなかったアトベがじっと私を見る。
「……サナダは確かに老け顔だ。お前がなぜそれを知っている?」
 私はマズいことを言ってしまったんだろうか?
 急に胸がドキドキしはじめた。
 どうしよう。
 だいたい、私はここでどう立ち振る舞ったらいいのか、さっぱりわからないんだもの。
「ああ俺がな、リッカイのサナダって奴はものごっついオッサンくさい奴やで、なんて馬車の中で話してきてん」
 その場の冷ややかな沈黙を破るように、ユーシの低く柔らかな声が響く。私は思わず、ほうっと息をついた。
「……フン、まあいい」
 そう言いながらもアトベの視線は鋭いまま。
「ともかく、近々リッカイとやりあう事になるかもしれないからな、準備を頼んだぜ。いいな」
 王様・アトベはそう言い残すとマントを翻して去っていくのだった。
「しゃーない、当分忙しなるな」
 ユーシは、ため息をついて肩をすくめてみせた。

「リッカイとはいつかは戦わないといけないんだ、仕方ないだろう。俺とチョータローは兵士や馬のコンディションと道具を確認する。オシタリは布陣を決めたら指示を出してくれ。さ、行くぜチョータロー」
「はい! シシドさん!」
 二人は勢いよく広間を出ていった。
 なんだか大変なことになってきたみたい。
 私自身ただでさえ大変なのに、一体どうしたらいいの!
 すがるような目でユーシを見ると、丸眼鏡の奥からはやけに真剣なまなざし。
「……、お前、サナダを知っとるんか?」
 私は思わず唇を堅く閉じる。
 なんて答えたらいいんだろう。
 ここは、私がいた東京の世界とは違うけれど、ユーシやアトベを始め、出会う人たちからすると概ね人物は対応している。ヒョーテーの王様がアトベなら、リッカイはきっと立海に対応していて、サナダはきっとあの黒い帽子の老け顔の副部長だ。そう思ったんだけど、そんなこと話せやしない。コイツ頭おかしいって思われてしまったら、私はもっと困ることになるだろう。
「サナダは名のある武将やけどな、女子供に人気があって顔が知られてるようなタイプとはちゃう」
 私が黙っていると、ユーシはそう続けた。
「……今はあれこれ聞いたりはせぇへんってな。昨日そう言うたばかりや、俺は」
 身構えている私の頭に、ポンと手を置いて笑った。昨夜みたいに。
「けどな、アトベもアホとちゃう。一国の王や。何らかの危険には敏感やねん」
 彼の言うことがよくわからなくて、私はぽかんとしてしまう。
「もしもが敵の手の者や、とアトベが認識したら、あいつは容赦ないで」
 私は驚いて飛び上がってしまう。
「えっ? もしかして、私が敵のスパイかもってことっ?」
 それはナイナイナイナイと手を振ると、ユーシはわかってるというようにまた笑う。
がそういうんやないってのは、俺にはわかる。ただ、いらん疑いをかけられんよう気をつけろってことや」
「……でも、そんな、どうしたらいいの?」
 あーあ、せめて私がもっと有益な情報を知っていたら、よかったのかもしれない。忍足に立海の選手が載った雑誌を見せてもらった時も、真田って子がえらくオッサンくさいってことしか印象になくて、もっと各選手の得意技だとかプロフィールとかをきちんと見ておけばよかったよ!
 心配そうな私に、ユーシは両手を大きく広げた。
「まずは、このアトベッキンガムを案内したるわ。さっきのシシドたちもやけど、皆ええ奴ばかりやで。仲良ぅして、ゆっくりしとき。ちゃんと、の部屋もあるしな」
 ユーシは私のこと、何も知らないはずなのに、どうしてこんなに親切にしてくれるんだろう。
 胸がぎゅっと熱くなった。
 そして。
 忍足のことを思い出した。
 1年の時、会計のやりとりで皆からいろいろ言われて辛い思いをしている時、ほとんど会話も交わしたことのなかった忍足が助け舟を出してくれた。それ以来いつも、私が困ってる時はいつもさりげなく助けてくれる。
 早く帰りたい。やっぱり忍足に会いたいよ!
 ユーシが頼もしくて嬉しく思いつつも、早く元の世界に帰りたくて心細くなってる私を、彼はにぎやかに連れまわしてくれた。
「庭の薔薇、きれいやろ。好きなん摘んでって飾ってええねんで」
 城内の図書室やサロンを案内してくれた後、外の空気吸いたいやろ、と庭へ連れ出してくれた。
 お城の中は、多分沢山の人がいるんだろうけれど、上手く配置されているのかあまり人を見かけることがない。不思議な感じだ。
「……そういえばさ、スミレさんはセーガクから来てるって言ってたよね。ヒョーテーからセーガクに行ってる人もいたりするの?」
 何気なく聞いてみた。
「おう、タキ・ハギノスケって奴がセーガクに行っとるで」
 えっ? タキ? 滝くんが? なんか、一人で異国に行かされるってイメージじゃないなあ。
「へえ、セーガクで何してるの? スミレさんみたいに、どこかのお城でおつとめ?」
「ああ、セーガクのエチゼン王子の大好物でな、スシちゅうのがあるねん。せーガクの名物料理らしいわ。そんで、カワムラいう宮中のスシ職人にタキは弟子入りさせられたらしいねんけど、タキはえらいスシが気に入って熱心に修行しとるねん。この前一度里帰りしてきた時には、サゴシキズシちゅうのを作ってくれてんけど、めっさ旨かったでぇ〜。知っとるか? ゴハンの上に魚をのっけて食うやで」
「へええ、美味しそうだねぇ……」
 こっちにもお寿司ってあるんだ……。
「はよタキの修行期間があけて帰ってきて、こっちでスシ握ってくれんか、皆で楽しみにしとる」
「そっか。だったらさ、リッカイも和平を結んで、リッカイから仕入れた魚介で、タキくんがスシを握るってしたらいいじゃない。平和的にさ」
 何気なく言うと、ふとユーシが立ち止まった。
「……、お前、時々変ったこと言うなあ。軟らかいボール使えとか」
 私をじっと見る。眼鏡の向こうの眼は、意外に澄んでてキレイなんだ、忍足は。そしてこのユーシも。
「……こういうこと、あんまり言わない方がいいの?」
 さっきのスパイ疑惑を思い出して私は不安になった。
 ユーシはふわっと笑う。
「いや、かまへんで。お前の思うような世界は、きっと楽しいやろな。そうか、リッカイから魚買うてタキにスシにぎってもらうんか、考えたこともあらへんけど、そんな事ができるようになったらええかもな。……そん時はも一緒に食おうな」
 ユーシの笑顔は優しい。けど、私、タキくんにお寿司を握ってもらうようになる時まで、ここにいることになるんだろうか。果たして自分の家に帰れる時が来るんだろうか。
 ユーシにやさしくされるたび、不意に心細くなる。
 周りを見渡した。
 よく手入れされた庭は、ところどころに腰掛けられるような石造りの椅子が置いてあって、とても落ち着く感じ。いろんな種類の薔薇が、派手すぎず可憐に庭を飾っていた。写真やテレビでしか見たことのないような、おとぎ話の世界のように美しい庭。
 期間限定でここで過ごすなら、きっと楽しいんだろうな。
「ここ……恋人同士が語らうにはもってこいの場所やろ?」
 ふわり、とユーシの手が肩に置かれた。
 顔が近くて、吐息が私のおでこに触れそう。
「ちょ、忍足っ……」
 思わず声をあげそうになった瞬間。
 私たちの目の前に、どこからともなく飛んできた人影。
「おい、ユーシ!」
 黒っぽい薄手のマントをひらひらとさせながら颯爽と登場したのは、小柄で元気のいい男の子。
「ワカシが文句たれながら、ユーシのこと探してたぜ!」
 ユーシはやれやれというようにため息をついてみせる。
「何や、ガクト、ええとこやったのに邪魔すんなや」
 どこをどう見ても、向日岳人だった。
「バーカ、忙しいのにユーシのタイミングなんか気遣ってられるかよ。情報はワカシに渡してあるから、あとは作戦の指示を出しといてくれよな! じゃ、俺は次の偵察に行ってくっから!」
 ガクトは私に目もくれず、また高く跳んで庭の奥へ消えていった。
「あいつはムカヒ・ガクト。身軽で素早いし、ツレが多い奴でな、諜報担当やねん」
 なるほどねー、納得!
 なんて思いながら、ガクトの消えていった方を見ていると。
「オシタリさん!」
 背後からの声。
「うわ、今度はヒヨシか」
 うんざりしたようにトーンダウンするユーシ。
 その明らかに怒った顔で駆け寄ってきたのは、日吉若くんだった。手にはなにやら、がさがさと書類を携えている。
「オシタリさん、いい加減にして下さいよ! シシドさんはラケット整備費用の予算請求の束をいきなり持ってくるし、ムカヒさんは諜報書類の山を持ち込むし!」
 ここのヒョーテーのユニフォームらしい、グレーとホワイトの上着を華麗に着こなしている彼の表情はひどく険しい。
「作戦隊長のオシタリさんが、さっさとある程度作戦の指示を出してくれないと、キリがないんですよ! だいたい、俺はここには暗殺者で就職してるんです! なんで来る日も来る日も計算ばかり……!」
 暗殺者とはおだやかでない!
 そういえば、日吉くんは暗算が得意だから、テニス部の予算関係のことを結構やってた。愛想は悪いけど、結構やさしい子で、時々お互いに会計を手伝ったりしたな。
「まあまあまあ、ヒヨシ。しゃーないやん、頼むわ。このアトベッキンガムで一番計算が得意なん、ヒヨシなんやから、頼りにしてんねんで」
「きちんと予算係とか会計係を雇うよう、王に言ってくださいよ! 俺はまだ正規の仕事を一度もしていないんですよ! ウチは代々、影の武術家っていう家系だっていうのに! 会計士じゃないんですよ!」
 ヒヨシくんは書類の束を握り締めてユーシに詰め寄った。
「もうちょいアトベと相談したら、ちゃーんと作戦の概要を伝えるよって、こまかい見積もりなんかは後回しでええから」
 ユーシは必死でヒヨシくんをなだめにかかる。
「……あのさ、よかったら手伝おうか? 私も割りと計算は得意だから」
 私は二人の顔を交互に見比べながら、おそるおそる割って入った。だって、ヒヨシくんはなんか手伝ってあげたい。
、計算できるんか?」
 ユーシは驚いた表情で私を見る。ヒヨシくんは、今初めて私に気付いたようにうさんくさそうに私を見下ろした。
「あ、うん、暗算とかは結構得意」
 そう言うと、ヒヨシくんの表情がちょっと変る。
「ほぉ、そうか! せやったら、、ちょとヒヨシを手伝ったってくれるか?」
「うん、いいよいいよ、どうせ暇だし」
 私がそう言うと、ユーシは嬉しそうに私の頭にポンポンと手をやった。
 そういえば、こっちのユーシはよくこういうことするな。なんだか、ドキドキする。
「せやったら、ヒヨシ、こいつを会計室に案内したってんか。あ、言うとくけど、ヘンなことしなや。こいつ、俺の従妹やからな」
 ユーシはそう言うと、慌しそうに走っていった。多分、本当は私の相手をしている暇もないくらい忙しいんだろうな。
 ヒヨシくんと二人取り残された私は、彼を見上げる。彼はクイ、と顎で城の渡り廊下の方をさして無言で歩き出すので、私は彼の後についていく。
「……私、
 とりあえず自己紹介をする。
 ヒヨシくんはちらりと私を一瞥して、「ヒヨシ・ワカシ」とだけ言う。
 彼に案内されたのは、ちょうど生徒会の執務室みたいな一室で、様々な書類やペンなどが散逸していた。
「ええと、何か簡単なことから手伝うよ」
 ヒヨシくんは、少し考えをめぐらすような顔をしてから、手元の書類の束をぐいとよこした。
「シシドさんから渡された、機材のメンテナンスや新規購入の予算要求だ。見積もりを整理してくれ」
「うん、わかった!」
 私はなんだか自分のやることがあって、嬉しい。
 机に向かって書類とペンを持って作業に入った。
 ヒヨシくんも机に向かう。
 ここは、さすがにPCはないらしい。
「……ねえヒヨシくん」
「何だ? 無理だったら、別にいいぞ」
「ううん、これくらいの計算だったら大丈夫。それよりさ、この、甲冑とかラケットのメンテナンスや発注ね、これだけの数ならもうちょっと値切れるんじゃない? ほら、これくらいの金額だったらどう?」
「……計算、早いな」
 彼は一瞬おどろいた顔をしてから、私が差し出した用紙を見て、うんうんとうなずいた。
「……よし、一度これでかけあってみることにする」
「じゃ、次の書類ちょうだい」
 私とヒヨシくんは作業を続けながら、少しずつ話をした。
「俺は影の暗殺者として就職したはずなんだが、いつも皆で飯を食った後の割勘の計算をしてたら、アトベさんに『お前計算早いじゃねーの』とか言われてこのザマだ」
 そう言ってため息を漏らす。
 えっ? 割勘? おごりじゃないの?
 結構シブチンな王様だね、なんて話しながら書類を片付けた。予算書やなんかを見てると、ここは本当に規模の大きいところなんだなと実感。比較対象がわからないけど、とにかく数値が膨大だ。これを押し付けられるヒヨシくん、そりゃ愚痴も言いたくなるよね。
 会計室の大きな窓は採光が良くて、私は気分転換に窓を開けてみた。程よい風が入って、気持ちがいい。植物の、なんともいい匂いが漂ってくる。すうっとその香りを肺に吸い込むと、空気のリアルさを実感させられた。
 私、生まれた時から東京に住んでて、いわゆる「美味しい空気」っていうのをあまり知らない。でも、ここの空気はいかにもきれい。そんな妙な現実味が、改めて私の不安感を強めた。

 ここが、私の住む世界になっていくんだろうか。
 これが、私の現実になるんだろうか。

 ジェットコースターのてっぺんから急降下するみたいに、突然恐ろしい気持ちになってきた時。
 外から、鐘の音がした。
 背後でヒヨシくんが立ち上がる気配。
「休憩時間だ、行くぞ」
 ヒヨシくんは私の手をひいて、会計室を出た。
 え? 何?
 そういえば、ヒヨシくんの声はだいぶ優しげになってきている。

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