● 真夏の昼の夢(2)  ●

「俺の名前?」

 忍足に馬に乗せられて連れて来られたところは、まさにこの場の風景にぴったりな石造りのお城だった。とりあえずラブホテルでないことだけは、確か。

「自分、俺の名前知ってたやん」
 馬を預け、城の中に入る。うっとおしそうに甲冑を脱いで、召使らしき人たちに渡しながら彼は言った。ちなみに甲冑の下は、重そうな鎖帷子。
「あ、でも一応ちゃんと聞いておきたいし……」
 忍足侑士だよね、これ……。
「せやな、自己紹介は重要やな。俺はこのヒョーテー国でメバチコ城を任されとる、城主オシタリ・ユーシや」
 どや顔で言うのだ。
 メバチコ城って!
 状況が状況なら私も笑ってつっこめるのだが、何しろこれは大掛かりなドッキリなのか、私がおかしくなってしまったのか、さっぱりわからず笑うに笑えない。
「で、自分は何て言うん?」
 とにかく、彼が私のことを知らないという態度は一貫している。
「……
「ほう、、か。ええ名前やん」
 鎖帷子も脱いだ彼は、やれやれというように伸びをして、笑った。
「ま、とりあえず着替えて来ぃや」
「え? そんなこと言われても……」
「大丈夫や」
 彼はパチンと指を鳴らす。どっかで見たようなしぐさ。
「あ、これな、ウチの王様のマネやねんけどな」
 そう言っていたずらっぽく片目をつむってみせる。
 彼が指を鳴らしてほんの数秒、すっと登場したのはひどく体格の良い女性。
「ホイホイホイホイ、何だよ、一体!」
 迫力のある声の年配の女の人だった。
「バァさん、すまんけど、この子な……」
「アタシはあんたのバァさんじゃないよ! なれなれしく呼ぶんじゃない! まったくもう! コラッ、あんたこの女の子どっから連れてきちゃったんだ! だめじゃないか、この子の親御さんが心配してるだろうが!」
 ものすごい勢いでまくしたてる彼女に私が押され気味でいると、忍足もまあまあ、といった感じで彼女をなだめる。
、彼女はスミレさん言うてな、和平を結んどるセーガク国からウチの城に出向に来てくれてる人やねん。お互いのええところを吸収し
合おや、てな感じでな。口は悪いけど、ええ人やから、服とか適当に見繕ってもろといて」
「口は悪いは余計だよ!」
「あんな、スミレさん、この子俺の従妹でな、今日のカキノキとの合戦に巻き込まれてもて……。ウチで面倒見ることになってん。ちょいと世話頼むわ」
 忍足がそう言うと、スミレさんは彼をギロッと睨んで、そして私の手をつかんで歩き出した。
「こっちおいで。いつまでも、そんな格好でいるもんじゃないよ」
 スミレさんは落ち着いた水色の裾の長いスカートをはいていた。確かに、ここでは私が着ている氷帝の標準服は浮く。
 手早く湯を使わされてから、私はスミレさんが出してくれた服を身に着けた。
 手触りのいい、ベージュとラベンダー色のドレス。
「あの子の嫁いだ姉さんのものだ。何でも好きなのを着るといい」
 スミレさんはおっかないけど、いい人そう。
 私、実はずっと忍足が「……なーんてな!、ドッキリ大成功ー」なんて言い出すのを待ってたけど、どうもそれはなさそうだと思い知り始めた。
 この城やなにかは、もしかして跡部がお金をかけたセットなのかも、と思ったけれど、やっぱり空気が違う。外の空気、それにこの石造りの古そうな建物の中の空気、明らかに東京のものとは違う。
 世界が違うんだ。
 あまりのことに、私の感情は鈍くなってる。
 どんなリアクションを取っていいのかわからない。
 ハッとして、自分の鞄の中の携帯を見るけれど、案の定圏外だ。
 スミレさんは、そんな私の行動をちら、と見てふっと息を吐いた。
「……あんた、どっから来たんだい?」
 そして、静かに言った。
「え?」
 私は驚いて顔を上げた。
「あの子は従妹だなんて言ってたけど、それがウソな事くらいアタシはお見通しさ」
「え、あ、あの……」
 何て言ったらいいだろう。もし、私があの忍足の従妹じゃないってわかったら、追い出されるんだろうか。もしかして、殺されるとか……?
 私がおびえているのがわかったのだろうか。スミレさんは、目を丸くして表情を柔らかくした。
「何だよ、別に取って食おうってんじゃない。あの子はああ見えて、悪い奴じゃないからね、あんな見え見えのウソをついて連れてくるってことは、ワケありなんじゃないかって思っただけ。アンタのお父さんやお母さん、心配してないかねと思ってさ」
 スミレさんのその言葉が合図のように。
 私は自分の脳や身体を覆っていた毛布のようなものがいっぺんにはぎとられて、裸になったような気分になった。
 暑い東京の夏休みのはずだったのに、薄ら寒い曇り空の世界に突然放り出されて、お父さんやお母さんと犬のチロが待ってる家に帰るにはどうしたらいいのかわからない。
 ぶわ、と涙が出てきた。
 両手で顔を覆っていると、頭のてっぺんに置かれた大きな手。
「ホラホラ。心細くて泣きたいなら、素直にそうしな。……アタシにもアンタと同じような歳の孫がいてね……今頃はセーガクで元気にしてるはずなんだけど。アタシも早くここでのお勤めを終えて、帰りたいよ」
 そう言って、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
 スミレさんの胸の中で、私はわんわん声を上げて泣いた。
 こんなことになるなら、あそこで忍足から逃げたりしなきゃよかった。
 ちゃんと、好きって言えばよかった。

「さ、あんたはこの部屋を使っていいよ。今日は疲れてるだろ、食事はここへ運んでもらうようアタシが言っておくから」
 ひとしきり泣いて、泣きじゃくりながらスミレさんにお礼言うと、彼女は部屋を出て行く前に、そうそう、と振り返った。
「あの城主サマがあんたにイヤラシイことでもしようとしたら、すぐにアタシを呼ぶんだよ」
「……えっ……忍足って、そういうこと、するんですか……」
 私が驚いて飛び上がって言うと、彼女はくくくと笑った。
「さあね。ただ、どういった事情にしろ、ここに女の子を連れてくるのは初めてだからさ、アンタのこと気に入ったのかもしれないね。気をつけなよ」
 冗談とも本気ともとれない、落ち着かない言葉を残して彼女は出て行くのだ。
 部屋にひとり残された私は、深呼吸をして部屋を見渡した。天蓋つきのベッドに、大きな窓。外は薄暗くなってきているけど、きっと眺めはいいだろう。まさにお姫様の部屋だ。お姉さんが使ってた部屋なのかな。
 こんな状況じゃなかったら、ディズニーランドのホテルより素敵! と私は有頂天になれるだろうに。
 私は未練がましく携帯を持って、部屋をうろうろする。少しでもアンテナの立つところないかなーって。もちろん、その希望が果たされることはなかったのだけど。
 私が落ち着かないまま、部屋をうろうろしたり椅子に座ったり、窓を開けたり閉めたりしていると、部屋の外で音がした。びくん、と驚いてドアの方を見る。ノックの音。
 声を出すことができなくて、ドアをじっと見つめていると、キィと遠慮がちに開いた。
「……ああ、おったんなら返事してくれや」
 顔を出したのは忍足で、ガラガラとワゴンのようなものを押してきた。同時に、良い匂い。
「スミレさんが、飯は部屋で食べさせたってくれ言うからな、持ってきたったで」
 まさか忍足が持ってくるとは思わなかった。
 忍足は部屋の隅から小さなテーブルを持ってきて、そこに食事を並べる。
 よく見ると、二人分。
「ここ、姉ちゃんの部屋でな、昔、よぉここで遊んでもろてん」
 城主さまの割に、手際よく料理を並べた。
 スープにボイルした野菜、そして何かソースのかかった鶏肉のようなもの。美味しそうな食事だった。一体今が何時なのかもわからないけれど、気付くと私はそれなりにお腹が減っている。けど、のんきにご飯食べてていいのかどうか、それもよくわからなくて、食事がセッティングされても私は落ち着かずに立ったまま。そんな私に構わず、忍足は二つ向かい合わせに並べた椅子の片方に腰を下ろすと、美味しそうに料理を口にした。
「冷めへんうちに食べときや。毒見は済んどる。ウチのコックはアトベんとこから来たやつやし、味は保証するで」
「……アトベって、もしかしてここの王様?」
「ああ、そうや。派手好きで有名やろ」
 そうか、跡部もいるんだ……。
 ため息をついて、腰をおろす。
 スープを一口すすった。
 うわ。
 美味し!
 うちの学校のランチもかなりのものだけど、勝負にならないくらい美味しいよ!
 私ががつがつと料理を食べ始めると、そんな私を忍足がおかしそうに見ていることに気付いた。
「な、美味いやろ」
 私は返事をしないけど、食べっぷりが答えになっているだろう。
 一通り食べて、厚めの陶器のカップに注いでくれたフルーツのジュースを飲んで一息。
「……。お前がどこから来たのかは、聞かへん。気が向いた時に話してくれたらええ。俺が知っとるんは、今日の試合の終わりがけに、突然ふらふらしたが現れて、俺の馬を驚かせたってことだけや」
 静かな部屋に、忍足の低く甘い声が響く。
「……忍足は、」
 私が言いかけると、彼がふっと手を上げてみせる。
「従妹ってことにしたるやろ。ユーシでええ」
 ユーシか。そんな風に忍足を呼んでみたいなって思った時もあったけど、それはこの忍足じゃないよ……。
「……ユーシはどうして私をここに連れてきてくれたの?」
 私がそう尋ねると、彼はぶどう酒のようなもので唇をしめらせ、そしてじっと私を見た。
 ユーシがカップを持つその左手には、今日のお昼に学校のカフェでスープをこぼした時の赤い火傷の跡はなかった。とにかく、今日私が会ってた忍足とこのユーシは、違うんだ。 違うんだ……!
「……その服、姉貴のやねんけどな、よぉ似合てるやん。思ったとおり、キレイやな」
「もしかして、私がお姉さんに似てるとかっ?」
 言うと、彼はおかしそうに笑った。
「いや、別に、ぜんぜん似てへんけど」
 そうやって笑いながら立ち上がると、彼は私の腕をぐいとつかんだ。
 何するの、と抗議するタイミングもなく、私はそのままベッドに仰向けにされた。
「行くとこないんやろ……」
 ユーシは私の両手をぐっとベッドに押し付ける。すごい力。
「やだ、離して!」
 スミレさんを呼びたいけど、どうしたらいいのかわからない。
「ここで大声出しても、スミレさんには聞こえへんで」
 私の心を見透かしたように言って、彼はゆっくり私の胸元に顔を寄せる。ぐっと胸元の開いたドレスの、私の鎖骨のあたりに彼の唇が近づいた。
「やだってば!」
 これは忍足だけど、忍足じゃない。
 今日、テニスコートから走り去った時、背後から大声で私を呼んでくれた声。
 あの時、どうして振り返って彼の手につかまらなかったんだろう。
 今、私の両手を掴んでるのは、忍足じゃない。
「やだ! 忍足、助けて! 忍足!」
 私が叫ぶと、彼の動きは止まった。両腕を押さえる力が、少しずつゆるまる。
 彼は身体を起こして、静かな表情で私を見た。
「……が俺に会うた時から言うてた、忍足ってのは、俺とはちゃう奴なんやろ?」
 そして、ゆっくりと言う。彼の表情はひどく真面目で、怖いくらい。
 私は自分の両手でぐっと自分を抱きかかえたまま彼をじっと見上げて、そして、こくんとうなずいた。
は、そいつが好きなんか?」
 いろんなことが不安だし、こわい。
 私は一体どうなっちゃうんだろう。
 だけど、これだけはきちんと言わないと。
「うん、そう。私、忍足が好きなの。ずっと好きだったの」
 ユーシを目の前に、私はそう言った。
 この言葉が、忍足に伝わればいいのに。
 ユーシはふううっと息を吐くと、眉をハの字にしてみせる。
「そうか、やっぱりな。好きな男がおんねんな」
 もう一度はぁーっとため息。
「……どうしてここに連れてきたのかって、話やったな」
 次の笑顔は、さっきのフルーツのジュースみたいに甘くて優しいものだった。
「俺の目の前にが現れた瞬間、ああ、これは俺の運命の女やって直感してん」
「はあっ?」
 彼は私に手を貸して、起き上がらせた。
「ええで、今はあれこれ聞いたりはせぇへん。そして、自分の方を向いてへん女を、無理やりモノにする趣味もないしな」
 そう言ってベッドから離れ、立ち上がった。
「けど、俺はきっとに、俺のことを好きやって言わせてみせるで」
 ぽかん、としている私の頭にポンと手を置いた。
「今夜はゆっくり眠りや。おやすみ、お姫さん」
 彼が去った後は、かすかに薔薇の花の香りがした。
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