● 真夏の昼の夢(1)  ●

「今度の日曜、デートせぇへんか」

 学校のカフェテリアでお昼ごはんを食べている私の背後に、なじみのある声。
 声の主は、スープランチののったトレイを手に、私の隣に腰を下ろした。

「ああ、忍足、今日も練習? そういえば全国大会控えてるもんね」

 私がズズ、とスープを飲み干してから言うと、彼は軽くため息をつく。
「おいおい、ぜんぜん会話になってへんやんか、自分」
「は?」
 忍足はコップの水を飲み干した。
 トレーニングウェアのままの彼は、部活の練習できっとだいぶ汗をかいたことだろう。おいしそうに喉をならした。うちのカフェテリアの水は、レモンが入ってて美味しいんだよね。夏は何杯もおかわりしちゃう。
「だから、デートやって」
 ああ、と私は椅子の背もたれに体重をあずけた。
「だって、忍足のそれ、あいさつがわりじゃん」
「なんでやねん。俺が、どんだけ熱い心でを誘てると思うねん」
 忍足は丸眼鏡のブリッジをちょいと持ち上げて、ずいと上体を乗り出してくる。
 忍足侑士は2年の頃から、ずっとこんな調子。
 知り合ったのは、1年生の頃。
 私は1年の時から生徒会の会計をやってて、部費の配分なんかも担当してる。
 そういう事やってるとさ、絶対もめるんだよね。特にテニス部なんか、派手だから。
 そんなんで、1年の時からテニス部とはいろいろやりとりが多い。まあ、跡部が生徒会長だってのもあるし。
 忍足は関西弁だしヘンな眼鏡(しかも伊達)だし、何なのコイツって思ってたけど、わりと話の分かる常識的なやつで、結構話しやすいし面白い。それで、1年の時からよく話すようになった。
 で、2年になって同じクラスになると、言うようになったんだよね。

「今度の日曜、デートせぇへんか」

 って。
 最初に言われた時、私は心臓が口から飛び出るかと思った。
 心臓が、ズッコンバッコンって。
 中学2年の頃なんて、コドモでバカだから、私は「何バカなこと言ってるのよ」なんてまくしたててしまった。忍足は当時から落ち着いたもので、クールに笑ってたその横顔が忘れられない。
 つまりは。
 私は、ずっと忍足のこと、好きなんだ。
 忍足は3年になって、ぐっと大人っぽくなった。
 特にその静かで低い、それでいて甘い声は独特。

「でな、それくらいはええやろ」

「えっ? 何?」
 一瞬ぼーっとしていた私は忍足が私に何を話していたのか、さっぱりわからない。
「おいおい、つれないねんなあ。日常会話くらい聞いてくれや」
「ごめんごめん、ぼーっとしちゃって」
「全国大会の試合、見にきてくれるやろって話や」
「ああ、試合ね」
 テニス部の試合、私、実は見に行ったことない。
 だって、あまりに応援の女の子たちがにぎやかで、気恥ずかしくて。
「派手に応援してくれや、俺の試合」
「……気が向いたら行く」
 忍足は大げさに眉間にしわをよせて、唇をとがらせてみせる。
、いつもそんなんやん」
 おどけた風にしてみせても、忍足の顔はやっぱりきれいで整ってる。
 私は何も言わず、デザートのヨーグルトのフタを開けて、プラスチックのスプーンでかきこんだ。
「デートしようや言うても、いっつもはぐらかしよって」
 私はちらりと時計を見た。
「忍足、早く食べないと午後の練習あるんじゃないの。跡部がうるさいよ」
「え? なんや、もうこないな時間か!」
 忍足がサラダをつつきはじめて、私は席を立った。
「うわっ、つっ……!」
 直後の忍足の声に驚いて振り返る。
「え? どうしたの?」
「あ、なんでもないねん、スープこぼしてもて」
 忍足は左手の親指の付け根あたりをナプキンで拭いて、ふーふーと息を吹きかけてる。
「……もしかして、今、私が立つ時に揺らした?」
 今日のスープは、その都度あたためてくれるアツアツのミネストローネだから、ちょっと心配。忍足の手は火傷のように、赤くなってた。
「あ、別に自分のせいちゃうから、ええねん、平気平気」
 手早くコップの水をひたしたナプキンを手に当ててる。
「それより、なあ、試合! 見に来てくれるやろ?」
 続く忍足の声。
 いつになく真剣な声のように聞こえる。私は忍足の火傷が心配なくせに、くいと身体をひねって振り返っただけ。
「暇だったらね!」
 ついつい、それだけを行ってカフェを後にした。
 そうか、中学最後の全国大会か。
 生徒会の会計室に戻る道すがら、廊下の窓からグラウンドを眺める。
 今は7月も末で、当然夏休みなんだけど、私はなんやかんや会計の仕事をしに学校に出てきてるし、部活をやってる子たちは当然練習。だから、カフェテリアもほとんど通常営業で(ちょっとメニューは少なくなってるけど)助かってる。今の時期熱心に部活やってる3年生は、たいがい試合でいいとこいってる子たちばっかりなんだよね。テニス部もしかり。
 私は会計っていう役割がら、各部の状況はよく知ってる。どこの部が強くて、どこの部は次の年はかなりいけそう、だとかね。だけど、試合なんてほとんど見に行ったことがない。
 会計室で、エクセルの表をまとめながら窓の外を眺めた。
 エアコンの効いた部屋は涼しいけど、きっと外はすごい暑さだろうな。濃くて澄んだ青い空の力強さは、窓ガラスをつきやぶってきそう。私はなんだか作業に集中できなかった。
 パタン、とPCを閉じる。
 こういう時は切り上げるのが一番。
 ちょっと暑い時間帯だけど、もう帰ろ。
 身支度をして、エアコンを切って部屋を施錠した。
 職員室に鍵を返しに行って、外へ出る。
 一瞬、後悔。
 肌がじりじり焦げ付くような太陽。
 空を見上げると、太陽をさえぎる雲ひとつない。
 ふぅーと息をついて、校門に向かう前に足を止めた。
 それは、私のいつもの癖。
 テニスコートの方を、一瞬だけ見るのだ。
 いつもは、そこから大勢の女の子の声が聞こえて、私はそれを耳にして門へ向う。
 それがいつものことなんだけど、今日はちょっと違った。
 夏休み期間中だからか、いつもより少し静か。
 それに昼間の時間帯、ギャラリーが少ないんだろう。
 多分、私にとって初めての事。
 私は練習中のテニスコートの方に足を向けた。
 パコーン、と空に吸い込まれるようなきれいな音が響いている。
 コートでは3年のレギュラーの子たちが練習をしていた。
 ちょうど一番手前のコートで、忍足が宍戸くんと打ち合っている。
 ネット越しに、私は息をひそめるようにそれを見ていた。
 そう、私は忍足侑士が好き。
 1年の時から、なれない会計の仕事で、いろんな部の子たちと衝突しては困っている私を、忍足はさりげなく助けてくれた。いつも軽口をたたいてばっかりっていうような、そんなそぶりしか見せないけど、助けてくれたんだって私はわかってる。
 そんな私に、2年生になった頃から忍足はわかりやすくちょっかいを出してきて、私は嬉しいのに、どうしたらいいのかわからないまま今に至ってる。
 だってさ。
 忍足はあんまりアピールしないけど、彼、実は結構女の子から人気がある。やっぱり、話しやすいし、結構面白いからね。
 そんな彼だから、「デートしようや」とか「はべっぴんさんやから」なんて言われても、どこまで本気なのかわからない。
 だいたい、「今度の日曜」っていつなのよ、「デート」って、具体的にどこに行って何しようってのよって、私はどんどんそんなことばかり考えてしまって、ちっともちゃんと返事ができない。
 そんなことを続けて、ついに3年の夏だ。
 忍足が私なんかに愛想をつかしてしまうのも、時間の問題だろう。
 フェンスの向う側で華麗にテニスボールを打ち返している忍足は、やっぱりかっこよかった。
 好きだな。
 全国大会の試合だって、見に行きたい。
 でも、何て言って、どんな顔で見に行ったらいいんだろう。服だって、どんな格好で行ったらいいの? ああもう、何もかもどうしたらいいかわからない! 頭がくらくらする!
 額から汗が流れた。
 あー、くらくらすると思ったら、そりゃこの暑さだ。テニス部の子たち、こんな中でよく動き回れるなー。日焼けもすごそうなのに、みんな結構お肌きれいだし、不思議。
 そんなことを考えてじっとコートを見ていたら。
 ちょうどラリーが終わって、宍戸くんからのボールをパシッと見事に受け取りポケットにいれる忍足が、私の方を見た。
 ばっちり目があってしまう。
 彼は私と目が合うと、ぱあっと顔を輝かせて、片手を大きく振りながら私の方に走ってくるのだ。
! 練習見に来てくれたんか! やっぱり俺のこと応援してくれるんやんなぁ!」
 そう言いながら走り寄る彼に、私は背を向けてダッシュした。
 どうして! 私ったら!
 だけど、長年培った行動パターンはどうしようもない。
 忍足の練習を見に来て、かっこいいって思ったなんて、絶対に言えない!
 私は走ってるはずなのに、なぜかふわふわとした感覚。
 あれ。
 少し気持ち悪い。
 ああ、もしかしてこれが噂の熱中症ってやつ?
 生徒会からも、全校生徒に「熱中症注意」って呼びかけをしたばかりなのに……。
 私の名を呼ぶ忍足の声が聞こえるけど、きっとその声は近づいてきてるはずだけど、それでも声はなんだか遠い。
 意識が遠くなるって、こんな風だったんだ。
 なんだか、手足が自分のものじゃないようなそんな感じ……。
 何度も私の名を呼ぶ忍足の声がどんどん遠くなって、私の脳は何重もの毛布にくるまれてるような重たい感覚。身体は熱いし気持ち悪いのに、妙に眠い……。


 私はきっと倒れて頭を打つんだ、と思った瞬間、突然に意識がクリアになった。
 そして、体が宙に浮く感覚。
 あれ? 私、倒れた?
 そう思った次には、私の目の前にオレンジくらいの大きさの物が飛んできて地面にめり込んだ。
 宙に浮いた私は、紙一重のところでその何かに当たることから逃れたみたい。
 そのオレンジ大の物は地面にめり込んだ勢いで、爆発するような轟音を響かせていた。何、今の! まさか爆弾?
「何してんねん! 危ないやろ!」
 遠くなる爆音を背後にしながら、聞こえる声は忍足侑士のそれだった。
 え? 忍足? 私が倒れるの、助けてくれたの?
 だけど、状況はそんな単純なものではなかった。
 私は激しい揺れとともにものすごいスピードで移動していて、目の前に見えるのは土煙。
 ぐい、と身体を持ち上げられて横座りにさせられたのは、どうやら馬の背中。つまり、私は馬上から、片手で子猫のように横抱きにされていたのだ。
 そして今、私を背後から支えてるのは、鋼鉄の塊!
 当然ながら、絶叫。
「やかましいて! 声上げんなや! 見つかったら面倒やねん!」
 私を両腕の中に抱える形になって馬を走らせているのは、鋼鉄の塊のようなロボコップ、ではなく甲冑を身に着けた忍足侑士だった。
 コレ、何なの、一体!
 さっきまで、氷帝テニス部のジャージを着てテニスの練習をしていたはずの彼が、なぜか中世の騎士のような甲冑を身に着けて馬に乗ってるの?
 私が絶叫してしまうのも無理はないだろう。
「忍足……一体なんでそんな格好してんの、何してんの?」
 私が言うと、彼は目を丸くして驚いた顔をする。
「何や、自分、俺のこと知ってんのん? ま、俺やったら知られとっても当然か」
「ちょっと、忍足、何? 一体何言ってんの?」
 私はわけがわからない。
「何って、聞きたいのはこっちやで」
 忍足はため息をついた。そう、間違いなく忍足の表情だ。
 私が怯えているのがわかったのか、忍足は少しずつ馬の走る速さを緩めた。
「ケリがついて引き上げるとこやとはいえ、ここは試合の真っ最中や。さっきなんか、自分、流れ球に巻き込まれるとこやったんやで。こんな戦場を、ふらっふらしとるからびっくりしたやんか」
 試合? 戦場? 流れ球?
 えええ?
「今回の試合の相手はカキノキっちゅうたいしたことない城のヤツやったしウチの圧勝やからええねんけどな、城主のクキキイチが上手いこと逃げよって、どこにおるかわからんねん。あいつのことや、女子供がおるの見つけたら、かっさらってくかもしれんねんで、危ないんやで」
 カキノキのクキキイチ? どっかで聞いたことあるような気がするけど、なんか言いにくい名前だな。そんな事を考えながらも、私は彼の説明がさっぱりわからないままで、ぽかんと口を開けているしかない。
「……自分、もしかしてカキノキから来たんか?」
 彼は怪訝そうに言う。
 私はあわてて首を横に振った。
「え? 私は氷帝に決まってるじゃん」
 忍足はほっとした顔。
「そうか、うちの領土の子でええんやな。もしかして、試合のとばっちりで家なくしたクチか?」
「は? ええ?」
 私が何も言えないでいると、忍足は馬の手綱をぐいと引いた。
「とにかく、こんなとこにおったらアカン」
「えっ?」
 彼は、馬上での私をもう一度ぐいと抱えて位置を整えた。
 私はあわてて彼の胸を、ぐっと押した。
「いい、いい! 私、家に帰るから」
「……帰る家、あるんか?」
 私はハッとして周りの流れる景色を見渡した。
 そういえば、肌を包む空気が冷たい。空はどんよりとした鉛色。
 明らかに空気が違った。
 青々とした木々に、低い丘の連なる見慣れない景色。
 すがるように忍足を見上げると、彼は穏やかに微笑んだ。
「とりあえずウチ来ぃや」
 馬はさっきまでの荒々しい足並みとは違って、ギャロップといった感じで穏やかに、そしてきびきびと歩き始めた。
「なんやしらんけど、けったいな格好してんねんな。そんな格好じゃこの辺ウロウロできんやろ」
 そういうと、彼はじっと前を見て馬を進ませる。
 私は当然馬に乗るなんて初めてだから、なんだか前に放り出されそうなその感覚におびえてしまう。片手で手綱を扱いながら、忍足はもう片方の手で私の腰を支えてくれた。
「この馬は大人しいから大丈夫や」
 そう言いながらクスッと笑う。
 大丈夫や、じゃない。
 一体、私はどうしちゃったんだろう。
 ここはどこなんだろう。
 そして、この忍足は一体誰なんだろう。
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