● つごもり  ●

 あと少しで今年も終ろうとしている時、私は大好きな恋人にメールをした。
『東京は雪降ったりしてへん? 家族で楽しい正月をすごしてなー』
 東京の実家に帰省している銀さんへのメール。
 冬休みになると同時に実家へ帰り、しばらくは忙しいやろな、と連絡を控えていたけれど、年の終わりに少しでも言葉を交わしたいと思ったから。
 彼からのメールはすぐに返信され、そしてその内容に私はぎょっと目を丸くした。
『訳あってまだ寮におる。今年の正月はそれほど寒ないみたいやな』
 えっ、寮に? ってことは大阪にいるの? 冬休みになったらすぐに帰るって言ってたのに?
 びっくりした私はすぐに電話をしてしまった。
「銀さん、大阪におるん? どないしたん?」
 突然の電話に、彼はすぐ出てくれた。
『ああ、はん。いや実はな、恥ずかしながら休みに入ってすぐに風邪ひいてしもてな。指定を取った日に新幹線に乗られへんかってん』
 それだけを聞くと、私は、今から行くから!と言って電話を切った。切る間際に銀さんが慌てて、『アカンアカン、こんな時間や……』なんて言っていたのは当然無視。
 
 私の家から四天宝寺中の寮は実はほど近い。
 ウールのマキシスカートにブーツ、コートにマフラーをひっかけて私は憤慨しながら家を出た。大晦日の夜は人出も多くにぎやかで、深夜という感じがしない。
 それにしても、まったく銀さんてば!

 四天宝中の寮の玄関でインターホンを鳴らすと、作務衣の上に丹前を来た銀さんが申し訳なさそうな顔で現れた。
「銀さん、風邪引いたんやったらそう言うてよー!」
 開口一番、私は怒鳴ってしまった。
「すまんすまん、しかしもう熱も下がってほとんど治っとるから、平気や。心配せんでもええで」
 銀さんはいつもの穏やかな顔。
 まったく、そうじゃなくてさー。
 私のそんな気持ちは概ね察しているようではあった。
 寮生全員が帰省して、静まり返った中、銀さんは寮に通してくれた。

「いやいや、指定の切符を取ったその日に熱が出てもうてな。しばらくは咳もひどかったさかい、電車に乗るわけにもいかん。そうこうしているうちに、年末も近づいてチケットも取れへんくてな、まあ今年は寮におるわと家族に連絡したところや」
 銀さんは寮の部屋で、熱いほうじ茶を淹れてくれた。
 こたつに入っていただくそれは、ほっくり甘い、美味しいお茶だった。
「そんなん、ひとこと言うてくれたら、うちお見舞いにきたのに。ずーっと、銀さんは実家に帰っとる思てたやん!」
「おおきに、気持ちだけで十分や。寮生がみんな帰省してまう前に、いろいろ食料とかは買うてきといてくれたから不自由はなかったし、ぎりぎり病院に行くのも間に合うとったからな、心配はいらんで。何より、はんに来てもろて風邪を移したら大変や」
 彼の言うことは非常に理にかなっている。
 一つ年下のこの男の子は、とにかくしっかりして落ち着いていて、まったく隙がないのだ。
 銀さんは私が脱いだコートをハンガーにかけてくれた。
 6畳の寮の部屋は、いかにも銀さんらしく殺風景で、それでも机に飾ってある家族の写真や寺の模型なんかが、ほんのり暖かい雰囲気だ。
 銀さんは優しいし、お茶は美味しいし、こたつは暖かい。
 けど、私はなんともやるせない気持ち。
 だって。
 すぐに帰省するというスケジュールだった銀さんとは、終業式の日に一緒にラーメンを食べて、「じゃあ、良いお年を」と言って別れて、ああ次に会うのは年明けかあって思ってた。冬休みいっぱいは実家で過ごす銀さんと会えるのは、始業式の前の日。
 家族と過ごすのは大切なことだから、もちろんそれはいいの。
 でも、それでも。
 しばらく会えないんだって、私、すごく寂しかったのに。
 風邪を移したくないという銀さんの律儀な気持ちはよくわかるけど、ひとことくらい声をかけてくれればよかったのに。
 ということを、ワーッと言いたいけれど、でも銀さんの言ってることは正しいし、年上の私がわがまま言ってちゃいけない、とぐっと堪える。
「……もう治った?」
「うむ? ああ、だいたいな。もう心配いらんで。ほんまに、この銀、風邪をひくなど恥ずかしい事この上ないわ」
 フと笑って、彼もほうじ茶をすすった。
 テレビもない銀さんの部屋はとても静か。
「……寮の子たち、みんな帰省してるん?」
「せやな、一昨日までは3人くらいおったけど年を越すのはワシ一人や。中学最後の正月を寮で過ごすんも、鬼の寮長らしくてええやないですか、と後輩に笑われたで」
 銀さんは目を細めて笑ってみせる。
 今年の夏前からつきあうようになった銀さんは、本当になかなかに忙しい人だった。
 夏の全国大会が終ると、なんと腕を骨折して帰ってきてびっくりしたっけ。
 それでも8月の終わりがけには、初めてデートをしてくれて、奈良公園での忘れられない不思議な出来事。その日の帰りに、初めて手をつないでキスをしてくれた。
 銀さんの骨折が治ればきっと両手で抱きしめてくれる、と思っていたら治ったら治ったでテニスのU−17の合宿に行くことになり、慌しい日々。
 なんだか、銀さんが忙しすぎて、私が銀さんを好きな気持ちばかりが空回りしているようで、時々不安になる。
 そして、来年の春で四天宝寺中を卒業する銀さんは、いつまで大阪にいるんだろう。
 そんな、普段考えないようにしている不安までもが、こんな時に不意に頭をよぎった。
「……はん、みかん、食べや」
 銀さんは木製のかわいらしいボウルにつんだみかんを差し出してくれた。
「あ、ありがと」
「もうちょい暖まったら、家まで送っていくさかいな」
「えー! もう帰る話!? うち、来たばっかりやで!」
「年越しは、ちゃんと家族で過ごしなはれ。ウチはテレビもないしやな、はん、退屈やろ」
 私は思わずため息をついてしまう。
「……うち、銀さんとこたつに入ってお茶飲んでみかん食べとったら、ちっとも退屈ちゃうよ」
 言うと、銀さんは少し顔を赤らめた。
 そういえば銀さんの寮の部屋は何度か来た事はあるけれど、立ち寄ったというだけであまり長くすごしたことはない。まあ、男子寮だから、そんなに長居するものじゃないし。
 でも、でも。
銀さんひとりしかいない、大晦日の寮の部屋。
「うち、帰りたないなー。朝までここで一緒におったらあかん?」
 銀さんはびくりと肩を震わせ、私をにらみつけるように見た。
「……それは、ならん! ……ワシは寮長なんや……!! 寮の規則を破ることは……ならん!」
 わなわなと震えるように首を振る。
 そう言われるのはわかってた。
 はー。自分で言ってみて情けなくなってしまった。
 年下の男の子に、こんなわがまま言ってしまうなんて。いつものことだけど。
「うん、せやな、ごめんな。うち、銀さんと一緒におるだけでええんやけど」
 本当は銀さんが抱きしめてキスをしてくれたら嬉しい。
 でも、夏のデートのキス以来、それもない。
 時々手を握ってくれるけれど。
 銀さんのこの殺風景な部屋の中のどこかには、アレがあるということは確実だというのに!
そう、以前、銀さんが唐突に私に「これで身を守りなはれ」とドラッグストアで買ってきてくれた、例のブツが!
私は、銀さんと使うんやないとイヤ! といって彼に保管してもらっているはずなんだけれど、こんな調子では使用期限も切れてしまうにちがいない。って、私は一体何を考えているんだろう。
 うつむいてみかんの房をひとくち。
「……うん、ごめんな、銀さん。うち、ひとりで帰れるし送ってくれんでええよ。だって、そもそも銀さんが風邪引いて心配やしで来たんやもん。かえって、気ぃつかわせてもて、ごめんな」
 私は立ち上がって、銀さんがハンガーにかけてくれたコートを手に取ろうとした。
 その時、背後から腰のあたりを掬い取られるように引っ張られ、私はバランスを崩す。
 あっ、と声を上げながら、何が起こったのかわからないままあお向け倒れると、そこは壁にくっつけて置いてある銀さんのベッド。藍染めのベッドカバーがきちんとかけられている。
「……そうやない、ワシはそんなんやないんや、はん……」
 背後から、その太い腕ですくい投げるようにベッドに倒した私の上から、銀さんが眉間にしわを寄せて見下ろしている。
「銀さ……」
 私が目を丸くして動けないでいると、銀さんは大きな右手を私の髪に差し入れて、突然の口付け。
 前に一度だけした、触れるだけのキスじゃなくて、まるでこのまま喰いつくされてしまいそうな、激しいキス。
 そんなキスが初めてだし、まるで銀さんが銀さんじゃないみたいで驚いて、私は思わず逃れようとしてしまうけれど、私を組み敷いた銀さんの大きな身体はびくともしない。髪に触れていた銀さんの右手は私の左手首を抑え、腰を抱きしめていた左手が、私のハイネックのセーターの裾から差し入れられ、下着越しに胸に触れた。
「銀さん……っ」
 一瞬唇を離した銀さんの呼吸は荒い。
 大きく息を吸ったかと思うと、また私の唇を覆った。
 侵入する舌は熱くて、溶けるよう。
 私の胸を覆う掌は、最初は少し冷たかったけれど今は私の身体より少し熱い。
 どうしよう。
 まるで、濁流に飲み込まれるみたい。
 私がしがみつくものは、銀さんしかいない。
 逃れようとしている私の片手は銀さんに掴まれているのに、もう片方の手は銀さんの太い首にしがみついてしまう。
 私の身体を組み敷き、密着している銀さんの腰のあたり、隠しようもない固いものが私のお腹にぐいぐいと当たる。
 遠くに除夜の鐘の音が聞こえた。
 荒っぽいくらいに激しかった銀さんのキスが、少しゆっくりになった。
 息継ぎのように息を吐いて、私の耳元に唇を寄せる。
「……はん、ワシはこんな男や。はんのことを思っては、身体も心も反応する。その煩悩は百八ではきかんくらいや」
 横たわったまま、銀さんは私をぎゅっと両手で抱きしめた。
「……銀さん……多分私もそんなん、百八より沢山あるで」
 除夜の鐘を聞きながら、私も思わず言った。
 ゆっくり腕をほどき、彼は私を起き上がらせてくれる。
「……すまなんだ、ワシ、重かったやろ、大丈夫か」
 銀さんは申し訳なさそうに、まだ赤い顔をしながら言う。
「ここまでで辛抱や。ワシは……寮長やからな」
 そして、自分に言い聞かせるように目を閉じてつぶやいた。
 えっ、ここまできて寮長の立場が出てくるの!
 思わずそんな言葉を飲み込むと、彼は続けた。
「除夜の鐘が鳴っているうちに、言うてええか」
「え? うん、なに?」
 彼は不意に改まった。
「あのな、ワシ、大阪の高校に行こうと思うんや」
 私はハッとした。
 私がずっと口に出せなかった心配事。
「両親は東京の高校にせえ言うとったんやけどな、ワシ、将来目指したいことがあるからな。そういう勉強を、こっちでしたいんや」
 銀さんは、きれいな目で私をじっと見た。そう、銀さんって顔つきはいかついけど、よく見ると、切れ長の整った目をしていて結構きれいなんだ。
 どきどきする。
「……そうなんや……」
 ベッドに向かい合って座ったまま、銀さんの手をぎゅっと握り返した。
「せやからな、春になって高校に入ったら、この寮は出てきちんと一人暮らしをする。そうしたらその時は、こんな男の部屋でも、遊びに来てくれるか、はん」
 ゆっくりと神妙な顔つきをしながら言うのだ。
 当たり前やん、と言って銀さんの胸に額をくっつけると、銀さんは私を身体の中に抱え込むように抱きしめた。
 そうして、ゆっくりと長いキス。
 つるつるの銀さんの頭を抱きしめる。
「……ワシがあないなことして、はん、怖い思いせんかったか」
 抱きかかえたまま、ぽつりと言う。
 私は首を横に振った。
「銀さんにやったら、どんなことされてもええよ」
 そう言うと、銀さんは私の両肩をつかんでぐいと身体を離した。
「あかん、今はあかん……。ワシは寮長やからな……」
 眉間にしわをよせてぎゅっと目を閉じた。
 今日は何度、寮長という言葉を聞いただろう。
 思わずくくっと笑って、そうだ、と思いついた。
「そうや、銀さん、今夜からウチに来たらええやん。家を出てくる時な、うちのお母さん、銀さん風邪で寮におるんやったら、ウチで正月してったらええよって言うててん、そういえば」
「い、いや、そんな年の瀬に家に迷惑かけるわけにいかん……」
「迷惑ちゃうよ、うちのお母さん、銀さん結構気に入っとるもん。うちが前はしょーもない男の子ばかり好きになっとったから、銀さんはしっかりしてるわーって誉めとった。ほら、そう決めたら、早よ行こ」
 私がベッドから立ち上がって改まってコートを取ると、銀さんは、しばし待ってくれ心と身体の準備が、とベッドに座ったまま難しい顔で般若心経を唱え始めた。
 除夜の鐘が鳴っているうちに、一緒に家に着けるかな。
 来年の春からも、また一緒に銀さんと季節を重ねられるんだ。
 いくつも重ねたい。
 百八回じゃ足りないくらい。

(了)
2013.1.3

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