● 捕まえよう、罠をしかけて  ●

 チャンスは一度きりだ
 一発でしとめろ、仕損じるな
 奴は手強い
 失敗をすれば、自分の命がないと思え

 私の脳内のゴルゴ13……デューク東郷がドスのきいた声でささやく。
 いつものことだ。
 その声は、年が明けてから頻繁に繰り返されるようになってきている。
!」
 私ははっと顔を上げた。
「あ、なに?」
 クラスメイトの声で、私の脳内のデューク東郷は姿を消した。
「明日の帰りに児玉くんたちとカラオケ行こうって話になったんだけどさ、も行くよね?」
 席が近くの仲の良い子がニコニコと話しかけて来る。
 新しい席になってから班のみんなで遊びに行くことが、ここ最近頻繁なのだ。
「え、ああ、うんいいよ。どうせヒマだし」
「やったー! が行くと盛り上がるしさー」
 現実世界の私はスナイパーではないので、普通に友達とカラオケに行ったりもする。
 そんな友達の肩越しに、教室の真ん中の列の後ろあたりをちらりと見た。
 そこには、姿勢のいい男の子が険しい顔で立派なお重のお弁当を食べている姿。
 海堂薫くんだ。
 
 奴をしっかり観察しろ
 隙を見逃すな

 ゴルゴ13が再び語り始める。
 そう。
 私は海堂くんが好き。1年の時からずっと。
 けど、なんていうか、彼は。
 ものすごく手強い。


 実は1年の時も彼と同じクラスだった私は、去年のバレンタインにチョコを贈ろうと思ったこともあった。
 けど、去年のバレンタインは土曜日で、学校のない日。
 だから金曜日に、仲のいい仲間たちでチョコでも持ち寄ってわいわいやろうよっていう形になったのだ。
 当時は駆け出しのスナイパーだった私は、勿論その時から海堂くんが好きだったのだけど、『友チョコみたいな感じであげてみて、そして仲良くなろう』なんて手ぬるい考えを持っていた。
 教室で友達とチョコを広げ合いながら、私が海堂くんにチョコを渡すタイミングをはかっている時。
「あ、ねえ、海堂くんもチョコ食べない?」
 なんでもない感じで彼にチョコを渡す女子が現れたのだ。
 やられた! 先を越された!
 私は自分の胸を銃で撃たれたかのように、押さえてしまう。
 ドキドキしながら海堂くんの様子を伺うと、彼はいつも通り眉間にしわをよせたまま。
「ああ悪ぃ、俺、あんまりそういうの食わねえから、他の奴と食ってくれ」
 今よりもまだ若干子供っぽかったけどそれでも十分迫力のある声でそれだけを言うと、テニスバッグを持って教室を出て行ったのだ。
 その女の子がどういうつもりであげたのか、その後どういうリアクションを取ったのか、私にはわからない。
 ただ、やっぱり海堂くんってかっこいいって胸がぎゅっとなったのと、そして、やっぱり海堂くんって手強い……と打ちのめされたことを覚えてる。私はなんでもないふりをして、こっそり彼のために用意したチョコを皆の前で広げたっけ。
 そんな、去年の思い出。
 

「それにしてもさー、去年も今年も、バレンタインってラブラブ仕様だよね」
 一緒に帰り支度をしていた友達が突然言い出す。
 私は去年の海堂くんを思い出してどきりとした。
「えっ? どういうこと?」
 私は自分が海堂くんを好きだっていうことを、誰にも話していない。私、そういうことを人に話すタイプじゃないから。
「だってバレンタイン、去年は土曜日でしょ、今年は日曜じゃん。既にラブラブな二人がバレンタインデートをするって感じの日程だよねえ」
 彼女は笑った。
「あ、そ、そういえばそうだよね」
「でもは彼とかいるんでしょ? いいスケジュールだよねー。ほら、来年になると進学のこともあるから忙しい時期になっちゃうし」
「いや、別に、彼とかいないって」
「またまたー、秘密主義なんだからー」
 そう、なぜかわからないが、私はどうにもつきあっている彼がいると思われがちだ。秘密主義というのはあながち外れてはいなくて、前述のように私は海堂くんへの片思いをひた隠しにしているのではあるけれど。
はカワイイしノリもいいから、絶対つきあってる子がいるよねーって皆言ってるよ。別に冷やかしたりなんかしないって」
「やだな、ほんと、いないってば」
 まあどうでもいいや、と思いながら軽くため息をついた。
 そう、今年のバレンタインも休日だ。
 私が生まれた時から決まっていた運命。
 神様に意地悪をされているとしか思えない。
 私はいろいろ考えた結果、海堂くんに告白をするとしたらバレンタインしかないと思ってる。
 そんな日に、学校で彼と会えないなんて。
 
 
 一撃必殺で倒すためには、敵を知ることが一番だ
 下準備を入念にしろ

 そんな脳内ゴルゴの教えに従い、私は日々海堂くんの行動を観察している。
 もちろん二年続けて同じクラスではあるので、教室内で日常的な会話を交わすことはあるのだけど、何しろ彼は無口だ。必要最低限のことしか話さない。
 多分、彼に嫌われてはいないと思う。私は、勉強だってクラスの仕事だって友達づきあいだって大概ソツなくこなすし、彼に迷惑をかけたこともない。
 嫌われてはいないのだと思うけど、クラスメイト、という以上に話が弾んだ事もないのだ。まあ、彼はとにかくテニスに夢中のようで、テニス部以外の子と話が盛り上がっている様子っていうのはあまり見たこともないけれど。
 盛り上がっているといえば。
 一年越しのスナイパーとして、どうにも気になる人物がいる。
 その日、放課後の図書館で、本棚の隙間から私はその人物と海堂くんをじっと伺っていた。
 図書館で海堂くんと隣同士で座って小声で会話をしている、長身で眼鏡の三年生。乾先輩だ。
 乾先輩と海堂くんはすごく親しいみたいで、いつもいろいろ話をしている。
 同じ二年の桃城くんなんかも海堂くんと仲がいいけど、いつもじゃれ合いの喧嘩をするような雰囲気で、まあ話さなくてもわかりあってる仲っていういかにもな男友達だ。
 けど、乾先輩とはすごくじっくり話していて、一体何を話してるんだろう? っていうのが、気になる。
 だって、その内容がわかれば、私も海堂くんともうちょっと話せるようになるきっかけにならない?
 そう思って、私は彼らがこうやって図書館に来るたび後をつけて、そして二人で肩寄せ合って眺めている本が本棚に返されるたび、後でそれをこっそりチェックするのだ。
 この日も、ひとしきりなにやら話した後、二人は立ち上がって乾先輩が海堂くんに手を振った。おそらく海堂くんはこれで図書館を出て行って、トレーニングということだろう。なにしろ新しい部長だから。それで、乾先輩はもうしばらく図書館で調べものという、いつものスケジュールだ。
 私は二人が別れた後、少しの間をおいて、乾先輩が戻した本のある棚へ向かった。
 彼らが見てたであろう本を手に取って、私はため息をつく。
 またか。
 やっぱり、またもやトレーニング理論や栄養学の本だった。
 たまには、海堂くんの好きな本だとか、興味のある趣味の分野だとか、なんかこう、そういうヒントが得られないかと思うんだけど、毎回この調子。
 『ねえ、バリン・ロイシン・イソロイシンってさー』なんて、会話の導入にもなりはしない。
 ため息をつきながら本を戻していると、私の背中に、ゴツ、と何かが当てられた。
「声を上げるな。両手を腰にあてろ」
 静かな低い声。
 
 油断は命取りと言ったはずだ

 心の中のゴルゴが冷たく言い放つ。そんな事言わないで助けて、デューク東郷!
 私、殺されてしまう!

「両手を腰にあて、そして腰を左右にリズミカルに振れ」

 私が背後を振り返ると、眼鏡を光らせた乾先輩。
 間近で見るその長身の迫力に何も言えないでいると、彼はにっと笑う。

「冗談だ。ここじゃ話ができない。出よう」
 
 先輩はテニスラケットのグリップで私の背中をつついて図書館の出口に促した。
 一体私はどうなってしまうのだろうとビクビクしながら彼に促されるまま外に出ると、乾先輩はエントランスの横のベンチに腰掛けた。
 私はしばし迷ったけど、このままダッシュして逃げたとしても、テニス部レギュラーだった乾先輩から逃げおおせるとは思えないので観念して彼に倣った。
「……必須アミノ酸を三つ言ってみたまえ」
 そして彼が私に尋問する内容はそんなことだった。
「……バリン・ロイシン・イソロイシン」
 私が即答すると乾先輩はくくくとおかしそうに笑った。
「きみの行動について俺の推測は次の三つに絞られる。一つ、青学テニス部の偵察。二つ、俺のことが好き。三つ、海堂のことが好き。さあ、どれだ?」

 敵か味方か、的確に判断しろ

 心のゴルゴが突如アドバイスをくれた。
 私は大きく深呼吸をして乾先輩を睨みつけながら、言った。
「……三つめです……」
 そう言うと、乾先輩は軽くため息をついた。
「やっぱりね、わかってはいたんだ。きみは海堂と同じクラスだろう? いや、俺ではないとは思っていたんだ……」
 意外に残念そうな彼に、私は少々慌てる。
「あ、いえ、別に乾先輩のことは嫌いではありませんが……」
「いいんだ、気にしてくれるな」
「あの、でも、クラスの女子の中では、乾先輩カッコイイって言ってる子がたくさんいますよ」
 私はつい若干の誇張を含めて話してしまう。
「そうなのか? あ、いや、もう俺の話はいいんだ。きみ……さんのことだ」
「先輩、私の名前なんて知ってたんですか!」
 驚いた私はつい声を上げてしまう。
「ああ、別にストーカーとかじゃないよ。さんは去年からずっと俺と海堂の様子を伺っていただろう? もしかして海堂をつけねらう殺し屋だったりしたら困るな、と思ってちらりと名前を調べただけだよ」
 先輩は冗談めかして言う。
 殺し屋!
 当たらずとも遠からずだ!
「……乾先輩、私のそういった行動……ずっと知ってたんですか!?」

 未熟者だな、貴様は泳がされていたのだ

 心のゴルゴが鼻で笑う。そんな!
「まあ、俺は鋭い方なんでね。多分、海堂は気づいていないだろうから、安心したまえ」
 私は胸をなで下ろした。ああ、首の皮一枚でつながった……。
「おそらくきみは、海堂のことをもっと知りたくて、俺と海堂が一緒にいるところをさぐり、そして俺と海堂が図書館で見ている本などを後追いしてみたが、どれも恋を育む日常会話には使いがたいもので途方に暮れていたと、そういった見込みなんだがどうだ?」
「……その通りでございます」
 正鵠をつかれ、ぐうの音も出ない。
 乾先輩はおかしそうに笑った。
「海堂はとっつきにくいからな」
「そうなんですよ〜……」
「そして、きみも損なタイプだ」
「え?」
 さくさくと話をすすめる乾先輩を、ついじっと見上げる。
「きみは要領がよくて、だいたい何でもよくできる。そしてなかなかに可愛らしいし、愛想もよくて男子からも人気がある。けど、かなり落ち着いて隙がなく見えるから、誰もきみに『つきあってほしい』と告白をしたりはしない。なぜなら、大概の者はきみにはもうつきあってる男がいるにきまってるって思うからだ」
 初めて話すというのに、なんでこの人、人のことをここまで言う!
 確かに私、男友達多い割に、誰からも告白されたことなんてないけど!
「海堂も、あの調子だ。なかなか女の子は告白しがたいだろうし、あいつもよっぽどのことがなければ自分から女の子に好きだと伝えることもないだろう。そんな海堂ときみが上手く行くというのは、そうとうに難しいだろうな」
 そしていきなりのダメ出し!
 優しい口調ながら、なんてひどい先輩なの!
「そんな! じゃあ、私、どうしたらいいんですか!」
 ちょっと涙声になってしまう。
 去年からずっと好きなのに!
 乾先輩はくくくと笑った。
「そりゃあ、きみが、一撃必殺・不退転の覚悟で奴を仕留めねばならない」
 乾先輩の言葉に、私の心のゴルゴの声が重なった。

 乾先輩と別れて、まだざわつく胸を押さえながら校庭を歩いているとランニングをしている海堂くんが視界に入った。かあっと血が上るのが分かる。
 こうやって不意に彼をみつけてしまうと、本当にどきどきする。
 なんでもないふりをしてそのまま歩き続けていると、走って来た彼は徐々にスピードを落とし、私の傍らで足を止めた。
 なんで!?
 私はびっくりして、彼を見ていいのか、足を止めるべきなのか、戸惑ってしまう。

 名を呼ばれた。
「あ、海堂くん、トレーニング? 熱心だね」
 まるで今気づいた、というように言う。
「図書館に、いたんだろ?」
 私の心臓は口から飛び出してしまいそう。
 見られてた!?
 何て言おうか言葉を探していると、先に海堂くんが口を開いた。
「乾先輩を待ってたのか? 俺が長く話してて悪かったな」
 図書館の前で乾先輩と話してただろう、と彼は続ける。
 彼の言葉の意味を咀嚼して、私はあわてて大きく手を振った。
「ちがうちがう! あの、バリン・ロイシン・イソロイシン!」
「はあ?」
 海堂くんはけげんそうに眉をひそめる。
 私は必死に頭を回転させた。
「私、部活とかちゃんとやってなくて運動不足気味だから、ちょっと筋トレしようと思って、今日、たまたま海堂くんたちが見てた本を参考に読んでたの。難しいなーって思ってたら、乾先輩がちょっと教えてくれてね。必須アミノ酸とか。ほら、ダイエットもしなきゃって思うんだけど、栄養はちゃんと取らないといけないし」
 必死でべらべらしゃべると、海堂くんの眉間のしわはすこしやわらかくなった。
「そうだな、女子は飯が少なすぎる。食うもんちゃんと食って運動するのが一番なんだ」
「だよねー。海堂くん、すごくきちんとトレーニングしてるみたいで、すごいなーって思う」
「部長だしな、また優勝を狙ってるんだから当たり前のことだ」
 当然のことのように熱いひとことを言う彼は、やっぱりすごくかっこよかった。
「三年になったら、もう来年はねぇんだからよ。全力で行くに決まってるだろ。じゃあな」
 彼はそれだけ言って、軽く手を挙げる。
 私の側を、ひらりとバンダナがはためいて通り過ぎた。
 そんな後ろ姿を、じっと見つめる。
 やっぱり、なんとしても、仕留めたい。


「バリン・ロイシン・イソロイシン」
 私のささやくような声に続いて、本棚の向こうから低い声がかえってきた。
「フェニルアラニン」
 合い言葉でお互いを確認した私と乾先輩は、書庫の奥の閲覧室に移動した。
「……どうして合い言葉が必要なのか、俺にはわからないんだが……」
「気持ちを引き締めるためです」
 乾先輩は手帳を取り出す。
「週末のスケジュールだな?」
 私は頷く。今週末はいよいよバレンタインデーだ。
「そういえば、去年もバレンタインデーは休日だったな。今年もか」
 乾先輩は軽くため息をついた。
「……やっぱりバレンタインデーがお休みの日だと、先輩ももらえるチョコの数に影響しますか?」
 そういえば男の子の方もたいへんかもね、なんて改めて思って尋ねてみる。
「俺か? ……俺のことはいちいち追求しないでくれたまえ」
 先輩はさして表情もかえず、手帳をめくる。
「今週の日曜日、部活はオフになっている。海堂は自主トレをするだろう。俺が把握しているスケジュールどおりだとすれば、こうだ」
 乾先輩は、海堂くんの一日のトレーニングの予定を教えてくれた。
 ランニングのコース、それにクールダウンをする公園なんかも。
「チョコはもう用意したのか?」
「前の休日にデパートに買いに行きました」
「手作りじゃないのか?」
「そういう面において手練ではないので」
「なんだ聞いてくれれば、おすすめの栄養満点の食材やスパイスを教えてやったのに」
「いえ……そういうのはいいです」
 乾先輩の作る破壊的な汁については若干の噂を耳にしたことがあり、私はその申し出を丁重に断った。
「今回用意したチョコを最終兵器として、私は不退転・一撃必殺のつもりで臨みます。もう後がありませんから」
「後がないとは大げさだな」
 乾先輩はおかしそうに笑う。
「だって、海堂くんは試合に来年はないって言ってました。私も同じなんです。今度の日曜に決行しなければ、きっと一生できない。そこで失敗すれば、私は死んだも同然。次はないんです」
 また来年にすればいいや、なんて思っていた去年の生温い私とはおさらばだ。
「そうか、週末はまるで果たし合いだな」
「まあ、そんなところですね」
 乾先輩は笑いながら手帳をしまう。
「じゃあ、頑張ってくれ。成功を祈るよ」
「あ、先輩! あの、いろいろありがとうございました!」
「いや、いいんだよ。いつまでも俺と海堂がいるところに、殺気に満ちた視線がおくられちゃたまらないからね」
 先輩は笑いながら閲覧室を出て行く。
 ちょっと変わってるけど、いい先輩だ。
 海堂くんのランニングコースが記されたメモを、私は丁寧に折り畳んで胸ポケットにしまった。


 2月14日、日曜日。
 晴れてはいるけど寒いこの日、私はチョコの包みを入れた小さな紙袋をぶらさげて家を出た。
 海堂くんの行動範囲は乾先輩に教えてもらって分かっている。
 あとは私が行動するだけ。
 心のゴルゴに言われなくてもわかってる。
 今日が千載一遇のチャンス。
 このチョコで、海堂くんを一刀両断にしなければならない。
 それをし損じたら、もうチャンスはない。
 やってみて失敗して殺されたら、それはそれで仕方がないと諦められる。
 昼前から、何度か海堂くんが走ってるところを遠目に見た。
 やっぱりかっこいい。
 今日失敗に終れば、こうやって見る事すらできなくなるかもしれない。
 でも、それを恐れていてはだめだ。
 腕時計を見る。
 そろそろ公園でクールダウンをする時間のはず。
 彼がいつも休憩をしてドリンクを飲むというベンチに、私はゆっくりと向かった。
 公園に入ってそのベンチに目をやると、乾先輩の言ったとおり、海堂くんはそこに腰を下ろして汗を拭いていた。
 私は逃げない。
 まっすぐそこをめざして歩く。
 視力のいい彼は、すぐに私に気づいて怪訝そうに顔を上げる。
 心臓がどきどきする。
 彼は私がここにいることを見た。
 もう逃げられない。
 今、やらなければならない。
 もうゴルゴの助言なんかいらない。
 一撃必殺でしとめなくては!
 私は海堂くんの前に立ち、私を見上げる彼に紙袋を差し出した。
「お命頂戴!」
 彼はぽかんとして、私と紙袋を交互に見る。
「お命頂戴って……なんだ、毒でも入ってんのか?」
 彼の言葉に私ははっと我に返る。
「えっ、お命って?」
「お前、今自分で言っただろ?」
 何!? 心の声が出てた?
「まじで? くそ、ゴルゴの奴め……」
「はあ? ゴルゴ? 、お前何言ってんだ?」
 私は混乱してあわてて袋からチョコの包みを取り出した。
「ごめん、なんでもないの、それは聞かなかったことにして。とにかく、これ!」
 私の迫力に押されたのか、彼はなんとかチョコの包みをを手にとってはくれた。
「あの、バレンタインのチョコ。どうしても海堂くんに渡したくて……」
 彼は戸惑ったように包みを手にして、あれこれひっくり返してみたりする。
 別に爆発はしないよ、海堂くん。
「……マジで毒が入ってたりするんじゃねぇだろうな」
「やだ、ほんとにそんなことないから!」
 彼はうさんくさそうに私を見上げる。
「……じゃあ、まずお前が毒味をしろ。とにかくつっ立ってねぇで、ここに座れ」
 私は海堂くんに言われるがまま隣に座った。
 よく考えると、海堂くんと隣り合って座るなんて初めてだ。
 海堂くんは青い包みの水色のリボンを解いて、中を開いた。
、お前、最近よく乾先輩と話してただろ。まさか、チョコの中に妙なモノ入れてねぇだろうな」
 海堂くんは中をじっと見てから私を睨む。
「それはない! 本当にそれだけはないから! これはちゃんとデパートのお菓子売り場で買ったの。ほら、私が一個食べてみるから!」
 あわてて私はそのトリュフを一個つまんで口に入れてみる。
 思った通り、美味しいチョコだ。深い香りと甘さで緊張の糸が少しほぐれる。
 海堂くんは私がもぐもぐとそれを食べるのを見て、自分もひとつ口に放り込んだ。
「……あ、結構美味いな」
「でしょ?」
 自分でも食べたことのないちょっとお高いチョコだけあって、美味しい。も一個食べたいなと思ったけど、さすがにそれはね。
「……美味そうに食ってたな。もう一個くらい食うか?」
「え? あ、いいの?」
 彼の眉間はそれほど険しくなかったので、私はお言葉に甘えてもう一個食べた。
 海堂くんと乾先輩が見てた本に、トレーニング時には血糖値を保つことも重要とか書いてあったっけ。血糖値上がると、気分いいなあ。
「……乾先輩にはもう渡したのか?」
「は?」
 思いがけない一言に、私は驚いて聞き返す。
「チョコだよ、バレンタインの」
「ううん、渡してない」
「なんだよ、必須アミノ酸とか教えてもらって世話になってんだろうが」
 彼にギッと睨まれる。
「あ、そうなんだけど……」
 私は深呼吸をして空を見上げた。
 青空だけど、冬らしい波打った雲が広がる。雲の動きは早い。
「私のチョコは一撃必殺で、ひとつしかないの」
 そう言って、じっと海堂くんを見つめ返した。
 思えば、こうやって海堂くんとちゃんと話すの、初めてだ。
 しかも一緒にチョコを食べて。
 幸せだなあ。なんだか涙が出そう。
 チョコなんて、こうやって食べればなくなる、それだけのものだ。
 そんなものに頼らないで、私、もっと今まで頑張って海堂くんに話しかけてればよかったな。冷たくされるかもしれないって、臆病にならないで。
 私はゆっくり立ち上がった。
「海堂くん、ありがとう」
 そして振り返って言った。
「今日、会えて、一緒にチョコを食べれてよかった。ありがとうね」
 ぺこりと頭を下げると、海堂くんは戸惑ったように立ち上がる。
「おい!」
「あ、そうだ」
 私の一撃必殺の武器は、チョコなんかじゃなかった。
 ちゃんと言わなくちゃ。
「私、海堂くんがずっと好きだった。なかなか話す機会がなくて、仲良くなれなくて、でも仲良くなりたいなあと思って……その、いつも海堂くんは図書館で乾先輩とどんな本見てるのか知りたかったから、私も図書館にいたりしたの。そんな、狙撃兵みたいなことしてて、ごめん。明日から、もっとちゃんと頑張って普通に話しかけるから」
 今まで仲良くなる努力もちゃんとしないまま、チョコを渡してダメだったらそれまでなんて、私、まだまだだ。
 トリュフ二個分のエネルギーを使って、ようやくそれだけを言うと、私はもう一度頭を下げて彼に背を向けた。
「おい、コラ!」
 すると海堂くんのドスのきいた声。
 びくりと彼を振り返る。
「お前、勝手に命狙って来て、あげく勝手な事だけ言って帰んじゃねぇよ!」
 海堂くんはひどく怖い顔だ。
「お前は、ずっと乾先輩を見てたんだと思ってたから……そんな事言われると、びっくりするじゃねぇか!」
「えっ? あっ、ああ……」
 ちょっと意外な展開に私も戸惑う。
 海堂くんはチョコの箱に蓋をして、包みとリボンと一緒に、ワンショルダーのバッグにしまった。
「……礼はきちんとする」
「あ、ホワイトデー? いや、そんな気は遣わないでいいから……」
 私があわてて言うと、彼はギッとさらに怖い顔で私を睨んだ。
「てめえ、バカか! 俺はそんな、礼を先延ばしにするような男じゃねぇ! ……来月まで待たせたりしねえよ! 今は……その、ちょっと……何て言ったらいいかわからねえから無理だが……そうだな……今夜、電話をする」
 私は目を丸くして彼を見上げた。
「えっ、今夜に死刑宣告?」
 彼はもう一度私にバカと言った。
「お前は何を物騒なことばかり言ってやがんだ! 殺さねえよ!」
 相変わらずの怖い顔で私を睨みつける。
「お前を殺すとか……泣かすとか……そういうのはねぇから。ただ、俺にもちょっとくらい準備させて言わせろってことだ!」
「何を!?」
「だから、それは今夜だっつってんだろうが! いいから携帯出せ!」
 半ギレの彼の前に携帯を差し出すと、さっさと赤外線通信で番号を交換した。
 うわ、海堂くんと番号交換!
「これでいい。遅くならねぇうちにもう帰れ、じゃあな」
 彼はぶっきらぼうに言った。
「うん、トレーニング頑張って!」
 彼は返事もせずに、ベンチから走り去った。
 私は番号交換したてでホカホカの携帯を見つめた。
 今夜、死刑宣告ではない海堂くんの言葉がこの機械を通じてやってくる。
 バレンタインは友チョコよりも、やっぱり一撃必殺狙いだね!

(了)

Seigaku Victory Forever 様へ寄稿
2010.2.22

-Powered by HTML DWARF-