● 麗しのアフロディーテ  ●

さん、あなたは私のアフロディーテです。どうかこの私と、交際していただけないでしょうか」

 三年生になったばかりの4月。
 初めて同じクラスになった柳生比呂士くんが、突然にそんなことを言ってきたのは、晴れた日の放課後だった。
 図書館に行こうと校庭を歩いているところを呼び止められたのだ。
 私は、

「ごめんなさい、無理です」

 と返すので精一杯だった。
 そして、ぺこりと頭を下げると図書館へ走った。

 だって。

 なに! アフロディーテって!
 柳生くん、こわいよ! ヘン!

 図書館に入って、私は動悸がおさまるのを待つ。
 なかなかおさまらない。
 いや、だって、相当に動揺したよ。びっくりした!
 私はゆっくりと図書館の窓から外を見る。
 テニス部の部室に向かうのだろう柳生くんの後ろ姿。
 一体何なんだ? 何かの罰ゲーム? 
 
 柳生くんってのは、とにかく優等生でそしてテニス部のレギュラー選手で割と有名な子だ。すっごく上品で物腰が柔らかで、クラスメイトにも親切で、同い年の他の男子なんかとは比べ物にならないくらいに大人っぽいから『紳士』なんて呼ばれてる。女の子がクラスの仕事で荷物を運んだりしてると、さっとすぐに手伝ってくれるような、そんな子。その上、背も高いしきれいな顔をしててなかなかにかっこいいから、女の子から結構人気がある。
 けど、まあ中学生で自分のことを『私』なんて言うのはちょっと変わってるよねー、なんて、私や私の友達は彼のことはもちろん嫌いじゃないけど、特別に好きでもないってくらいのクラスメイトにすぎなかったのだ。
 
 それにしても、さっきのあれ、何?
 そもそも、アフロディーテって何?
 
 どうせ暇だし、ちょうどここは図書館だし、ちょっと調べてみた。

 そして、ドン引きした。

『ギリシャ神話の、愛と美を司る女神。ローマ神話ではウェヌスと呼ばれ、英語読みではヴィーナス』

 ヴィーナスって!
 私はさっきの柳生くんの真剣な顔とあの、
『あなたは私のアフロディーテです』
 なんて台詞を思い出して、ぎゃーって叫び出しそうになってしまった。
 だめだめ、こんな状態で図書館にいては挙動不審で図書委員の人に注意されてしまう。
 私は本をしまうと、さっさと図書館を出て帰路についた。
 一体あれは何だったんだろう。
 何かの間違い? いや、そうとしか思えないよね。
 だって、ほんと柳生くんにあんなふうに言われるような心当たりはまったくないもの、私。

********

「おはようございます」

 翌日、教室へ行くと入り口のところでいきなり柳生くんと顔を合わせてしまい、まさに口から心臓が飛び出るような思いをした。
 けど、柳生くんはいつものように丁寧な朝の挨拶をするだけで、別段変わったところはない。
「あ、ああ、おはよう柳生くん」
 私は飛び出しそうな心臓をおさえて、かろうじて普通に挨拶をする。
 ふらふらと席に着いて、そして真田くんと立ち話をしている柳生くんをちらりと見た。
 なんだ、まったく何事もなかったみたい。ちょっとほっとした。
 あれはやっぱり何かの間違いだったんだろうな。
 まったく、びっくりさせないでよねー。
「おはよ、
 ぽん、と背中をたたいてきたのは去年も同じクラスだった友達の真帆。
「あ、おはよ」
「ねえねえ、ちょっと面白い話」
 真帆は目をキラキラさせて、私の隣の席に座った。真帆がこういう顔する時って、大概とびきりのうわさ話を仕入れて来た時だ。
「なに? もったいつけないでよ」
 何しろうわさ話好きの女子ですからね。私は期待で胸を膨らませて、身を乗り出した。
「この前、女テニの後輩がさ」
 そう、私と違って運動神経がいい真帆はテニス部なのだ。
「うん、後輩の子がどうしたの?」
 先を促すように真帆のジャケット引っ張ると彼女は一段と声を低くして続けた。
「柳生に告ったんだって!」
 柳生くんが女の子に告白されたなんて話は珍しくはないんだけど、今はタイミングがタイミングなだけに私はその名を聞いただけで少々動揺してしまう。
「へー、そんで」
 真帆に気取られないよう、なるべくテンションを一定に保ちつつ。
「でね、柳生はいつもみたいに丁重に断ったらしいんだけどね、その時はなんと、『お気持ちはありがたいのですが、私には思いをよせている女性がいます、私のアフロディーテが』なんて言ったんだって!」
 私と真帆は目と目をあわせてしばし、沈黙。
「柳生ってば、外人の子に片思い中ってわけ? 紳士のくせにやるよね〜」
 私はあんまり頭よくないけど、真帆もあまり勉強ができる方ではない。
「………いや、アフロディーテってのはギリシャ神話に出てくる女神のことだよ」
 私は相変わらず動揺しながらも、昨日仕入れたばかりの知識を披露した。
「えっ、そうなの!  ってばいつのまにそんな賢くなってんのよ! ま、いいや。ってことは、柳生は熱烈片思い中で、相手の女の子を女神と崇め奉ってるってわけね」
 真帆はくっくっと笑いながら、真田くんと話している柳生くんをちらちらと見る。
「片思いとかする柄じゃないように見えるのになあ。アフロディーテって! ま、よっぽどきれいな子なんだろうねぇ」
 しみじみとつぶやく真帆に、私はあわててしまった。
「でもさいくら好きでも、女神とか、ないよね〜」
 そして、おたおたしながらそんな風に言ってみる。
「だよね〜。引くよね〜。まあ、紳士だもんね〜。かっこいいし優しいんだけど、なんかちょっと違うんだよな〜」
「うん、まあ好みによるよね。好きだっていう子はすごい好きみたいだし」
 私の胸はバンバンに弾みっぱなし。
 昨日のあれはマジ? アフロディーテって、私?
 ちらりと、真帆の顔を見た。
 もしも。
 私がアフロディーテなんて知ったら、バカ笑いするんだろうな、こいつ!
 そんな私の気持ちをよそに、真帆はすでに次の話題にうつってた。
「……でさ、二年の切原がほんと生意気でむかつくわけ。だから昨日は『いい加減にしろ、この童貞!』って言ったらマジギレしちゃってさ。テキトーに言っただけなのに、そこまでキレるってことは図星かよーって、皆でウケたウケた!」
 普段なら転がって笑うようなネタにも力なく笑うばかり。
 斜め前の席に目をやると、真田くんとの話を終えたらしい柳生くんが自分の席についていて、そして私と目が合った。
 私はまるで電気に感電したみたいにびくりとして、目をそらしてしまう。それと同時にチャイムが鳴ったことに、ほっとした。

 授業中、私はどうしても柳生くんを見てしまう。
 だって、気になるじゃん!
 はっきり言って私、男の子から告白されたなんて初めてだし。
 まあ、ブサイクってわけじゃないけど、どう考えてもアフロディーテって柄じゃないし。
 観察していると、柳生くんはこの授業始まってから8回目の挙手をした。
 背筋がぴんとのばして、右手をまっすぐに天井に向けて上げる。
 そしてその答えはいつだって正解で。
 こんなに度を越した優等生で、顔だってなかなかのそれなりにモテる男の子が私にあんなことを言うなんて、ぜったいおかしい。
 からかわれたか、柳生くんが何かを間違えたとしか思えないんだけどなあ。



 この日も放課後にはいつものように図書館に向かった。曇り空の今日はちょっと寒くて、雨降ったりしないよねーと空を見上げる。
 しかし、昨日のアフロディーテは強烈だったなー、なんて思い出しながら歩いていると、私を呼び止める声。
 もちろんその声に聞き覚えはある。
 大きく深呼吸をして振り返ると、そこにはテニスバッグを背負った柳生くんがいた。
「昨日は、突然にあんなことを申し上げて、驚かせてしまったかもしれません。申し訳ありませんでした」
 彼は優雅なしぐさで、軽く会釈をした。
「え? あ、ああ、そりゃびっくりしたけど……」
 今日は一体何なの!
「昨日、あれから考えたのです」
 何を!
 柳生くんは、まっすぐ私の顔を見たまま言う。
 あまりにまっすぐなので、なんだかもう、いたたまれない気持ちになってしまう。
「私の申し出に対し、 さんは『無理』とおっしゃいましたね。無理、ということは何か事情がおありで……つまり、他におつきあいをされている男性がいらっしゃるということでしょうか。すいません、どうにも気になってしまい……」
 柳生くんは眼鏡のブリッジを指で押さえて、少しうつむきながら言った。
 ああ、そういえば、昨日は『無理!』って言ってダッシュしたんだったなあ。
「あ、ううん、別につきあってる人がいるとかじゃないけど」
 そう言うと、柳生くんは口元をほころばせ、ぐいと一歩前へ出る。その意外な喜怒哀楽の明確さに、私はまた動揺してしまう。
「ああそうですか。ではその……無理、というのは、私を嫌いなあまりどうにも無理、といった意味合いと思えばよろしいのでしょうか」
 今度は握りしめた拳を胸のあたりにあてながら、これまた真剣に聞いてくる。
 私は後ずさりながらも、彼の視線から逃げる事はできない。
「え、いや、嫌いってわけじゃないよ。柳生くん、親切だしかっこいいし。た、ただ私、柳生くんとほとんど話した事ないじゃん。ほら、私って柳生くんと違って勉強もできないから、多分いや絶対話とか合わないし。言葉遣いだって、柳生くんみたいに丁寧で上品じゃないしね」
「嫌いではない! 嫌いというわけではないのですね!」
 声のトーンの上がった彼に、私はまた一歩あとずさったけど柳生くんがまた一歩前に出るものだから、私たちの距離はかわらない。
「…… さん……ありがとうございます! その言葉だけで、私は救われました! ……ああ、私のアフロディーテ……」
 感極まったように言うと同時に、深々と頭を下げた。
「それでは、私はテニス部の練習に参ります。また明日お会いいたしましょう」
 そう言って、彼はテニス部の部室の方へ歩いて行くのだった。
 ……アフロディーテって……。

 私は図書館へ行って、美術の本を眺めながらため息をついた。
 柳生くんは想像以上に思い込みが強い恋愛体質なんだろうか。ちょっと強烈だったな、あれはー。
 彼は一体なにを勘違いしてるんだろう?
 まあ、柳生くんは今、何かのブームなのかもしれないな。アフロディーテブーム。
 私は広げた本の、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を見て、こんなに腹出てないっつの! と、心でつぶやいた。
 
 美術の本とか見てると結構面白くて、ふと気づくと下校時間が迫ってる。
 あわてて図書館を出ようとすると。
 最悪。
 雨が降ってた。
 今日は一日降らないって天気予報で言ってたのにー!
 ためいきをついて、雨粒のはねる地面を眺めた。
 まあ、そんなにひどい雨じゃないし、それに雲の厚さからしてしばらく待ってたらやむかもしれないし、と再度あきらめのため息をついた時だった。
さん!」
 走って来たのは、傘をさした柳生くんだった。
「ああ、やっぱり。あなたは傘をお持ちじゃない」
 傘をたたんでエントランスに入って来た彼は、ぎょっとしている私の前に立ち、そしてその傘を差し出すのだ。
「さあ、これをお使いなさい」
「ええーっ!」
 思わず叫んでしまう。
「あなたはこういう天気の日に傘を持って来るような、また折り畳み傘を常備するようなタイプではありませんからね、きっと困っておいでなのではないかと、部活が終ってからいそいでやって来ました。さあ、お使いなさい」
「え、いや、いいから! 柳生くんだって傘ないと困るでしょ」
さん、あなたが雨に濡れることの方が、私は困る。もしも さんが風邪を引いて学校を休むようなことになりましたら、きっと私の胸はぽっかりと穴があいたようになってしまうでしょう」
「えっ、いや、そんな、ほんといいから! そんな、傘貸してもらっちゃうなんて、ちょっと重いから!」
「大丈夫、この傘は軽量です。重くなんかありませんよ、ほら、手に持ってごらんなさい」
 柳生くんはぐいぐいと私に傘を押し付けようとする。
「ちがうの、傘の重量のことじゃなくて、そんな、柳生くんの使ってる傘を借りちゃうなんて、その気持ちが重いってこと!」
 思わず叫ぶと、柳生くんは傘を手にしたままうなだれた。
「……お、重いですか……あなたが風邪を引かないかと心配する私の気持ちが……」
 そんな彼を見てると、なんだかお母さんに悪い事言っちゃった時みたいな妙な罪悪感がこみ上げて来て、困った気分になってしまう。
「あの、だって、私が傘使っちゃうと柳生くんが傘なくなるでしょ。私のために、柳生くんの傘をってのが、ちょっとねえ」
「では、この傘に一緒に入って帰られますか!?」
 妙に力強く言う彼の言葉を私は即座に却下した。
「男物でちょっと大きいとはいえ折り畳み傘だから、現実的に二人は無理だってば」
「……確かにそうですね。私としたことが……」
 またもや柳生くんはうなだれてしまった。
「この雨の中、 さんがお困りだというのに、傘をお貸しすることもできない、一緒に入って帰ることもできない。私という男は、まったく無力です……」
 彼はぐっと空を見上げた。
 困ってるのは雨のせいというより、もはや柳生くんのせいなんだけど!
 私はなんだかはらはらしてしまう。柳生くんって、大丈夫なのかな?
「……あの、そんなおおげさな。あのね、私、大丈夫だから。この雨、多分そのうちやむだろうし、ちょっと待ってようかなって思ってるの。だから、ほんと気にしないで」
 なるべく刺激しないように言葉を選んで、ちらちらと彼の顔を見上げながらそう言うと、柳生くんは傘をくるくると丁寧にたたんだ。
「でしたら、私も一緒にここでやむのを待ちましょう。いかがですか? それくらいなら、重くないと感じていただけるでしょうか」
 えー!
 傘を借りる。 一緒に傘に入って帰る。 やむまで一緒に待つ。
 究極の選択か!
 っていうか、もう選択のしようがないわけだけど。
「あ、うん、じゃ、一緒にやむの待ってよか」
 仕方なしにそう言うと、ほっとしたように口元がほころぶのだ。やっぱりきれいな顔してるなあ。
 どうして、私ごときにそんないいお顔するかなー、この紳士。
 ついつい大きなため息が出た。
「……ねえ柳生くん」
「はい、なんでしょう、 さん」
「あの、昨日のあれ、本気?」
 おそるおそる尋ねると、彼は少し身を屈めて私の顔を覗き込んだ。
「ええ、もちろんですよ。私は、冗談であんなことを言う男ではありません」
「だ、だけど、私と柳生くんってほとんど話した事もないし、クラスも同じだったことないし、これまた一体どうして? 私、明らかに一目惚れされるようなタイプの美人じゃないし」
 私が言うと、柳生くんは図書館の方を振り返る。
さんがここで本を読んでる姿、私は去年、何度もお見かけしました」
「はあ」
「本を読んでいらっしゃる時の、首の角度などがですね、なんともお美しいのですよ」
「はあっ!?」
 つい声を上げてしまう。
 柳生くんはまた背筋を伸ばして、指先で眼鏡のブリッジをいじる。
「どうして、だとか、どこが、だとかそういったことははっきりはわかりません。ただ、ここで本を読むあなたに、惹かれずにはいられなかったということです。三年で同じクラスになって、これはきっと運命なのだと思い、昨日あのような申し出をさせていただくに至りました」
 運命って! クラスメイト、何人いると思ってんの。
「……でも、例えばもうちょっとクラスで一緒にすごして様子見るとかさ。ちょっと友達になってみるとかさ。そういうステップがあってもいいんじゃないの?」
「そうですね、でも、クラスで さんに友人になっていただくとしてですね。私はすでにこういった思いを抱いてしまっているわけですから、つまりは下心を持って友人づきあいをすることになります。それでは、まるで さんを騙すようになってしまうと、どうにも気が引けてしまう。だったら、最初から、私の気持ちを告げておく方がフェアでしょう」
「うーん、わかるようなわからないような……」
 柳生くん、いつもこんなややこしいこと考えてんのかな。優等生の考えることはわかんないなー。
「正直なところ……」
 柳生くんは一瞬顔をそむけ、眼鏡を外すとレンズをハンカチで軽く拭く。
「昨日、 さんにあっさりとあのような返事をいただいて、とても落胆いたしました」
 だって、びっくりしたんだし、しょうがないじゃん! それに、ほんと無理!
「だけれど、同時にやはり私が見込んだ女性だと、賞賛の気持ちを抱くことを禁じ得ませんでした」
「ええ?」
「ろくに口をきいた事のないクラスメイトの男からの愛の告白など、あっさり退ける、その清らかさですよ」
 清らかさって!
「えー、だって、清らかもなにも、普通びっくりして無理でしょ、ああいうの!」
「そうやって謙遜なさるところも、あなたの美点ですね」
「け、謙遜じゃなくってさあ……」
 どうしたらいいんだろうなあ、この紳士は。
 私の隣で、柳生くんはあいかわらずちょっと嬉しそうな顔をして空を見上げている。
 空の雲は少し薄くなって、雨粒も雲の切れ端みたいなものに変わってきた。
「やまない雨はありません。 さん、あなたにおつきあいなさっている男性がいらっしゃらなくて、かつ私のことを嫌いというわけではないということがわかって、私は本当に嬉しいのです」
 柳生くんがそう言って照れくさそうに微笑むと同時に、雲の切れ間からもれた太陽の光がグラウンドを照らし、まわりがさあっと明るくなった。
 なんか柳生くん、本当に嬉しそうだなあ。
 こんな顔する子だったんだ。思わず『よかったねえ!』なんて言ってしまいそうになる。
「これからも、あなたに思いを寄せるクラスメイトとしてよろしくお願いたします」
 そして、そう言うと深々と頭を下げるのだ。
 えー、なんて返事したらいいの。こちらこそ、じゃ変だし。
 せっかくかっこいいのに、まったく柳生くん、こまった人だなあ。
「ああ、昨日のあなたの返事、もしも撤回するお気持ちになられましたら、いつでもおっしゃってください。私はいつでも待っています」
 鞄を持っていない方の手を優雅に広げながら言う。
 柳生くんって、謙虚なんだか自信家なんだかバカポジティブなんだかよくわかんないな……。
「え、ああ、は、はあ……」
 あいかわらず返答に困っていると、彼はエントランスから一歩踏み出した。
「さあ、雨がやみましたよ。家までお送りいたしましょう」
「えっ!? 大丈夫だよ、まだ暗くないし、一人で帰れるって!」
 私はあわてて断るけど、彼は私の側から離れない。
「下校時刻は過ぎてしまいました。私はこの世の悪のすべてから、あなたをお守りしなければなりません。私のアフロディーテですから」
 もう我慢ならない。
「柳生くん! お願いだから、そのアフロディーテはやめて! そんなこと言うなら、絶対一人で帰る!」
 少々爆発しかけた私に、それでも柳生くんは表情も崩さない。
「でもあなたはアフロディーテで、私は風紀委員です。下校時刻を過ぎた生徒を、風紀委員として一人で帰すわけにはいきません。さあ、帰りますよ」
 風紀委員ときたか!
 さすが紳士、油断ならない!
 私は観念して、柳生くんの隣を歩いた。
「あのね、ほんとアフロディーテやめて。私、そういう柄じゃないでしょ」
「お気に召しませんか! では、ヴィーナスで」
「それもだめ!!」
 彼は小柄な私の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれる。
 柳生比呂士は、まごうかたなき紳士だ。
 でも、彼と話してて思い出すのは、小さい頃に私を猫っかわいがりしてくれた世話焼きのおばあちゃんのこと。私のこと、世界一かわいいなんてしょっちゅう言って、遊びに行くともうあれやこれや心配して世話をやいてくれたなあ。
 ほら、そこ、水たまりがありますから、お気をつけなさい。
 私の隣でそんなことを言って歩く彼を見て、まいったなーなんて思いながらも私はついくっくっと笑ってしまうのだった。

(了)
「麗しのアフロディーテ」
2009.1.11

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