モアプリ攻略記念SS 乾編



 卒業式を直前に控えたその日、私は自分が所属していた家庭部の活動場所である家庭科室に顔を出していた。
 今日はホワイトデーで、後輩達がケーキを作って振る舞ってくれたのだ。
 ウチの部は3年生は女子しかいないけど、1年と2年には二人ずつ男子がいて、今回はその子たちがケーキを焼いてくれたの。いいでしょう、可愛いケーキ男子。
 シンクやオーブンの片付けも終えて、解散の段取り。
「先輩、卒業してもまた時々顔出してくださいよ〜」
後輩たちにそんなことを言われながら、私は家庭科室に残っている自分の私物を片付けていた。
「うん、ありがと。じゃあね、また」
 手を振って笑う。私物の片付けをするから、と私はしばし家庭科室に残った。
 私は青学の高等部に進むから、卒業って言ってもそれほどお別れ感はないのだけど、それでも3年間すごしたこの家庭科室とお別れと思うと、少々感慨深かった。
 普段見もしない、天井の染みなんかを見上げてみる。
 と。
 扉の開く音。
「やあ」
 静かな声は乾だった。
「あ、乾」
 乾は当然、家庭部員ではないけど、なんだかヘンな汁を作るのによく家庭科室を使いに来てて、準部員みたいなポジションだったのだ。
「片付けか?」
「うん、さすがにもう私物は全部引き上げとかないとね。乾も何か残ってるの?」
「いや、俺はもう全て片付けた」
 じゃあ何しに来たの、なんて思っていると乾はショルダーバッグから小さな紙袋を取り出す。明らかにプレゼント仕様の可愛らしいものだ。
「これ、ホワイトデーのお返しだ」
 普段と何ら変わらない調子で言う。私は目を丸くして、その可愛らしい袋と乾を見比べた。
 ああ!
 そういえば先月のバレンタインデーの時、家庭部の子たちでチョコクッキーを作って部の後輩の男子たちにあげたの(今日がそのお返し)。で、その時に乾も家庭科室で汁作りをしていたものだから、乾の分もつつんであげたんだった。
「あ、まじで? なんか悪いねー」
 私が紙袋を受け取ると、乾はまだバッグから何かを取り出す。
「もう一つある」
 そして、棚からまな板と包丁を取り出すと、持参したらしいフルーツをカットし出すのだ。
 やだ、まな板とか片付けたばかりなのに! などと思いつつ見ていると、奴は手早くカットしたフルーツ類をミキサーにかける。
「ちょ、ちょっと、乾汁? 言っとくけど私、飲まないよ!」
 あわてて言うと、ミキサーをまわしながら乾はふふっと笑う。
「大丈夫だ。今回は乾汁おいしいバージョンだからな」
 乾はミキサーからグラスにそそいだ汁をぐい、と私に差し出した。
「なによ、唐突に」
 用心しつつ受け取ったけど、たしかに『おいしいバージョン』と言うだけあって色も匂いも極めて普通、というかむしろおいしそう。そもそも制作過程で妙なものは入れてなかったしね。
「言っただろう。ホワイトデーだからだ。今回の乾汁おいしいバージョンは柑橘系のフルーツを中心に、酸味と甘みのバランスの取れた味わいにしている。かつ、コラーゲン粉末カルシウム粉末クエン酸粉末を添加し、美容と健康・疲労回復の効果も期待できるぞ。さあ冷たいうちに飲め」
 能書きに押されて私はグラスにくちをつけた。フレッシュなフルーツの香り。
 おいしい。
 ぐいぐいと飲み干して、ふうっと息をつく。
「……美味しかった! 乾、美味しいのも作れるんじゃん!」
「言っただろう、おいしいバージョンだと。そもそもお前は俺のドリンクを試飲してくれたことなどなかったじゃないか」
「だって制作過程を見てるし原料も知ってるから、飲む気しないって」
「今回のものも、本来であればまだモロヘイヤとアロエ、きな粉にセロリとセージを追加したいところだったんだがな」
「いらないいらない」
 あわてて言うと、乾はまた笑った。
「今回はドリンクの成分による健康効果というものよりも、このドリンクの味や香りによって飲んだ者の副交感神経に働きかけようといった目的で作成した」
「……意味がわからないんだけど」
「つまり、おいしいなあと幸せな気分になってもらおうということだ」
「じゃあ最初からそう言ってよ」
「すまない、まずきちんと説明をした方がいいだろうと思ったんだ」
 私はつい苦笑いをしてしまう。乾は本当に理屈っぽい。1年の頃はめんどくさい奴だなあと思ったけど、この『乾語』に慣れてくると、結構それも面白くて可愛いのだ。
「ともかく美味しかったよ、ありがと」
 そう言いながら、私はさっき乾が手渡してくれた紙袋を開いた。
 中には薄いピンクの花柄の大判のハンカチが入っていた。
「わ、かわいい。ありがと」
「弁当を包むのにも使えるサイズだと思うが、どうだ」
「ああ、確かに包めるねー。うれしい、ありがと」
 パッケージに包みなおしながら、乾を見上げた。
「でも、乾汁おいしいバージョンとか、私だけもらっちゃっていいの? バレンタインのあのクッキー、部の後輩の女の子とか皆で作ったんだけど」
 私が言うと乾は眼鏡のブリッジをぐいぐいと押さえた。
「しかし俺に手渡してくれたのはお前だろう。俺は結果重視だ。制作過程にまで言及するということになると、例えばクッキーの原料である小麦粉の麦を育てたお百姓さんであるとか、カカオ粉末を作る工場の工場長であるとか、そういった者全員にホワイトデーのお返しをしなければならないという理屈になる」
 あいかわらずの乾語を聞きながら、私はまた笑った。
 実は、私、知ってる。
 乾は私が好き。
 だけど、乾の言葉はいつもこの調子。
「ま、確かにそうだけど」
「そういえば、結果ということで今さらながらちょっと尋ねたいんだが」
「うん?」
「先月、俺にくれたチョコクッキー、あれは部の後輩の男子たちへあげたものの残りだったな」
「いや、残りっていうわけじゃなくて、乾もいたし、乾にも分配したんだよ、ちゃんと」
 まあ、思い切り義理っぽいということには変わりないけど。
「そう結果として、俺へのチョコクッキーは他の後輩男子へのものと横並びだ。尋ねたいのは、俺にチョコクッキーを分配してくれたモチベーションというのは、それも後輩男子へのものと横並びなのだろうか、ということなんだが」
「……意味がわかんないんだけど」
 私はまた笑いを我慢する。
「つまり、俺にチョコクッキーをくれたのは、やはり義理チョコ友チョコ的なものだったろうか、という質問だ」
 乾の顔はやけに真剣。まあ、話をする時の乾はひどくまじめくさってることが多いのだけど。
「うん? 乾はどう思うの?」
 私がゆっくり聞き返すと、乾の眉毛が、きゅ、と困ったように下がる。
「……わからないから聞いているんだ」
 バレンタイン、乾だけに特別にスペシャルなチョコ菓子を作って贈ったら。
 本当は、そうしようとも思ったのだけど、そんなことをしたら。
 乾はそれですぐに結論を導き出してしまう。
「じゃあ、どうして乾は今日、乾汁おいしいバージョンを作ってくれたり、可愛いハンカチくれたりしたの?」
 そう尋ねると、乾は眉尻を下げたまま。
「……降参だ」
 乾は大きく息をついた。
「意味がわからないんだけど」
 私が言うと、乾はもう一度大きく息を吸う。
「うん、すまない。バレンタインやホワイトデーの過程も結果も、本当はどうでもいい。俺は、きみが好き。卒業しても一緒にいたいんだ」
 最後の家庭科室で、乾の言った言葉はなんとシンプル。
「……じゃあ最初からそう言ってよね!」
 私が乾の胸をゴツンと拳でたたくと、乾は笑ってまた『すまない』と言った。
 普段の乾語も好きだけど、やっぱり好きな男の子からはこういうひとことを聞きたいもの。
『帰ろうよー、早く片付けてよー』なんて言いながら、まな板を洗う乾の後ろ姿を眺める、春の日。
(了)

2010年3月




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