テニプリエロバトンいろんな場所編(木手)


「身体が熱いのは風呂に入ってるからですか? それとも感じているからですか?」 二人で入浴。もちろん眼鏡はなしの木手。



 全国大会が終ってから、夏休みだというのにさんざんな日々だ。
 慧くんの買い食いのせいで飛行機に乗り遅れた私たちは、沖縄に帰る手段を失った。
 監督の晴美ちゃんは、なかなかお金を振りこんでくれないし。
 ちなみに、これは別に晴美ちゃんがケチっていうわけじゃなく、さすがにこの人数のエアチケットのお金を工面するのに苦労してるからなのだろう、という話だ。木手くんによると。
「はあ〜」
 ため息をつく私を、木手くんは見逃さなかった。
「どうしました。カレーは嫌いですか」
「えっ? いやいや、おいしいよ」
 今、私たちは岡山で大学のクライミング部の合宿場にまぜてもらっていて、ご飯をごちそうになっているところ。
 東京から岡山までどうやって南下してきたかって?
 それはヒッチハイクだ。
 ちなみに木手くんの発案で私たちは、木手くん・凛くん・マネージャーの私のグループと、甲斐くん・慧くん・知念くんのグループとに別れて、それぞれで移動している。
 凛くんからの連絡によると、案の定彼らは兵庫あたりでスタックしているらしい。
 それにしても、木手くんはなかなかやり手だ。
 だって、このメンバー、ちょっと考えたら分かるよね。
 ご飯をたくさん食べて、かつ車のスペースをたくさんとる慧くん、ご飯はそれほどでもないけど縦のスペースがかなり必要な知念くん、そして目を離すとすぐにフラフラどっかいっちゃう甲斐くん。
 ね? 
『心配要りません。我々がさっさと到着して、彼らの交通費を送金するよう、部のOBなどに依頼をする手伝いをすればいいのです』
 木手くんはいかにももっともらしいことを言う。
 さっさと自分に有利なメンバーを組んで移動するあたり、さすが木手くんだと思うわけよ。
 しかも木手くんは、車をつかまえる役をいつも私にやらせるし。
 木手くんと一緒のグループにしてもらえてラッキー! とときめいていた私の気持ちはあっという間にとしぼんでしまった。 
 私のことが心配で同じグループにしたんじゃなくて、女子がいた方が便利だからってだけなんだよね、結局。
「ごちそうさまー」
 私はそれだけ言うと、みんなの食器を下げて合宿所の人たちの片付けを手伝ってお礼を言った。
 木手くんは、こういう人たちをみつけて交渉して寝食を確保してくれるのが上手いから、私も凛くんも助かってるんだけど。
 それにしても、ヒッチハイクだと観光地に行く車が多かったりするから、私たちの帰路はどうにも蛇行する。
 今回も岡山の山奥でスタック気味。
 なんだか疲れた私は、寝かせてもらう部屋にひっこんで窓から外を眺めた。星がきれい。
 本当は。
 全国大会の後、飛行機に乗り損ねて帰れなくなって、少しわくわくしたのだ。
 だって、木手くんと一緒にいられる時間が長くなるから。
 全国大会を終えて沖縄に帰ったら、私たち三年はもう引退だもの。
 それなのに、せっかくこの予定外に一緒にすごす時間、木手くんは普段の部活での態度とまったく何も変わらなくて、私の期待感は完膚なきまでにしぼんでし まったのだ。
 何もすることがないまま部屋でぼーっとしていて、ふと気づくと時刻は真夜中過ぎ。
 私は洗面道具を持って合宿所を出た。
 この合宿所には風呂はない。けど、『西の横綱』と言われている、無料の天然露天風呂があって、合宿所の人はみんなそれを利用するそうで、私もそれに倣うのだ。
 木手くんたちやクライミング部の男子の人はもっと早い時間に入りに行ってるけど、当然私は一緒に入れるわけがない。合宿中の女子の人は少し遅い時間、暗くなってから皆で行くよって教えられてたんだけど、今日は一緒に行き損ねちゃった。
 簡易脱衣所で服を脱いで、人気のない露天風呂にすべりこんだ。
 ふう。
 こんな時だけど、お風呂はやっぱりいい。私は大きく息をついて星空を見上げた。
 早く沖縄に帰りたいなあ。
 そして、木手くんのこともちょっと忘れたい。
 もうこんな風に、期待してみて、そしてやっぱりがっくりしてっていうの、疲れたよ。
 目を閉じていると、温泉の湯が揺れた。
 どきりとして岩場にもたれていた体を起こす。
 誰か来た?
 閉じていた目を開いて焦点を合わせると、私の隣に身体をしずめているのは木手くんだった。
「ちょっ……」
 私は声も出ない。
 とりあえず、持っていたタオルで胸を隠す。
「……ちょっと、木手くん、なんで入ってきちゃうのよー! 木手くんはもう凛くんとお風呂済ませたでしょー!?」
 私が非難めかせて言うと、彼は少し眉をひそめて見せる。
 いつもの、辛辣な一言を言う時の表情だ。
 胸を隠しながら彼の顔を見上げると、木手くんはいつものあの眼鏡はかけていない。そっか、お風呂だしね。
 だったら、そんなには見えないかな、とちょっと安心する。
「そうですけどね。あなた、こんな時間に1人で露天に入浴とは、非常識じゃありませんか?」
 木手くんは、眼鏡はないけれど目つきはやっぱり鋭くて、そして少し濡れて乱れた前髪のまま私を睨みつける。
「……あ……うん、でも、クライミング部の女子の人たちが行くのに遅れちゃって。それに大体、木手くんや凛くんたちが入る時、一緒に入れるわけないじゃん」
 言い訳がましく言ってみた。
「何か危険なことに合うよりは、我々と一緒に来ていた方がマシなんじゃないですか」
 木手くんは冷ややかな表情のまま、続ける。
「……でも、そんな、さー」
 私の声はしぼむように小さくなった。
 ま、木手くんは私がこうやって一緒に混浴露天に入ってたからといって、別に私が意識する程にはどうも思わないんだろうしなあ。彼の言うことは、ある意味、至極正論だ。
「昼間みんなで入るのが嫌だったら、素直に、俺に『一緒に入って欲しい』と言いなさい」
「……はあ?」
 普段の口調と変わらない様子で言う彼を、私はもう一度まじまじとみつめた。
いつもはきれいに整えられている前髪が、濡れて額にかかっている。
 前髪と眼鏡。その二つだけで、ずいぶんと印象が変わる。
 こんな言葉が適切かどうかわからないけど。
 つまり、とても、普通の男の子に見えたのだ。
 私がじっと彼を見ていることが気に障ったのか、彼はまた眉をひそめた。
「昼間に、平古場クンなんかもいるときに入るよりは、この方がずっといいでしょう」
 いいでしょうって、言われても……。
 湯あたりする程に湯につかっていたわけでもないのに、私の胸は突然にドクドクと激しく動き始めた。
「沖縄に帰り着くまで、あなたから目を離しませんよ」
 木手くんはそう言うと、私の肩に手を置いた。
「もっとしっかり肩までつかりなさい」
「……うん」
 次の瞬間。
 湯面がゆれたと思うと、木手くんの身体が私にかぶさる。
 彼の濡れた前髪と唇の感触がリアルに伝わってきたのは、その一瞬の後。
 私の腰に、彼の内股がゆるくこすれた。
 筋肉質でしなやかなその感触に驚いていると、ゆっくりと唇から舌が侵入してきた。
 木手くんの身体の感触は、まるでこの湯の泉質と同様、ぬるりとなめらかで、いつのまにか身体に染み入るよう。
 彼に覆いかぶさられて、少しのけぞる形になる私の視線の先には、木手くんの顔とそして夜の空の星。
 身体にまといつく、ぬるりとした熱い湯に、筋肉質な身体の感触。
 その、日常ではまったくありえない組み合わせに、私はしばしどう反応していいのかわからなくなる。
 木手くんは、内股で私の腰をさすりながら、そのかぶせた手の指先で背骨をなぞる。
 唇は、相変わらず私のそれを覆い、舌を蠢かせ続ける。

 どうして
 なんで
 突然

 なんて、言葉は、出ない。
 だって、温度の上がった体温のせいか、ねっとりとした湯のせいか、私たちの肌はぴったり溶け合って離れがたい。
「身体が熱いのは風呂に入ってるからですか? それとも感じているからですか?」
 木手くんのそんな一言で、はっと我に返った。
「……木手くん!」
 私はあわてて、とりあえず彼の名を呼ぶ。
「はい?」
 彼は、余裕たっぷりの静かな声で答えてから、その前髪をそっとかきあげた。
「……目を離さないって、沖縄に帰るまでなの? 帰った後は?」
 そして、必死の思いでそれだけを言う。
 木手くんが、どんな表情をしていたのか、確認する余裕は私にはなかった。
 だって、背骨をなぞっていた彼の指が、また違う動きを始めたから。
「正確に言うと、帰ってからも目を離すつもりはありません」
 彼の指の刺激で、私は思い切り身体をそらせた。
 目に入ったのは天に浮かぶ月。
 沖縄に帰るまで、あの月はどれだけ形を変えるだろう。
 そして、私は幾晩、木手くんにこんな思いをさせられることだろう。

(了)




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