恋はサンパウロで


エピローグ


 ダンスが好きなブラジル美人とヤマ師の日本人がその後サンパウロでどうなったかって言うと、こうやって俺が生まれてるわけだから、推して知るべしといったところだ。
 二人の若い頃の話は決してそれがクライマックスではなく、その後父の宝石の仕事が軌道に乗ったと思ったら相棒に騙されたり、次は先物取引で当てたと思ったら、今度は別の相棒の手形の裏書きでやられたり、まったく落ち着くことがなかったらしい。
 今、父が何をやろうとしているのか、俺は知らない。
 けれど、父も母もとにかく毎日楽しそうだから、これでいいんだろうなと思う。

 俺は自転車を走らせて海辺のサーフショップの近くへ行った。
 父が若い頃にそれであちこちを回っていたというトレーラーハウスが、馴染みのサーフショップの敷地内に置いてある。
 トレーラーハウスの傍には、最近父が夢中になっているカイトサーフィンがだらしなく置きっぱなしになっていた。

「おい、寝てんのか!」

 俺がノックもせずにトレーラーハウスの扉を開けると、案の定、父はサーフパンツ一丁でベッドに横になっていた。
 ひとしきり滑って疲れて寝ているのだろう。
「親父! 起きろよ! スーパーに行く時間だって、母さんが怒ってるぜ!」
 俺は父の筋肉質の腹に思い切りパンチをお見舞いした。
「……グッ……ジャッカルか……。起こすんなら、色っぽいネーチャンでも連れて来てくれよ」
 父は顔をしかめて腹をおさえながら起き上がった。
「ああ、もうこんな時間か。そりゃ、行かないといけねーな」
 父は伸びをして、煙草を一本口にくわえた。
 父のこの隠れ家は、簡単なキッチンやシャワーもついていて設備としては快適なはずなのに、煙草の吸殻、ハイネケンの空き缶、様々な本、楽器、馬鹿みたいなおもちゃなんかが散乱していて無残なありさまだ。
「まったくここは、いつ来ても煙草くさくてたまらねぇ」
 俺はまっぴらごめんというように、さっさとトレーラーハウスを出た。
 父はサーフパンツの上にMamboの派手なアロハを羽織ると、カカカと笑いながら外に出てきた。
「ほい、ジャッカル、これ」
 そして俺に何かを放ってよこした。
 それは朝の太陽を受けてキラリと光る。
 鍵だった。
「ここの鍵だ。母さんは煙草嫌いだから、ここには近寄りもしねぇ。お前、掃除しといてくれよ」
「ばっ……誰が!」
 俺が鍵を投げ返そうとすると、父は鍵を握った俺の手を、両手でぐっと握り締めた。
 父の手は、俺よりもまだまだ大きくて力強いんだという事に改めて気付き、少し驚く。
「俺は少ししたら、しばらく出かける。ここは適当に掃除して、お前が好きに使え。ジャッカル、お前も今年で15だろ? 一人前の男だ。一人になって考えたい事もあるだろう」
 父は真っ黒に焼けた顔で、じっと俺を見た。
 そして、あご髯をかきまわしながら悪戯っぽく笑う。
「俺のエロDVDを好きなだけ観てもいいし、なんだったら女の子を連れ込んだっていいんだぜ?」
「……ばっ馬鹿野郎! そんなヤツ、いねえよ!」
 このところ好きになった女の子から軒並み振られてばかりの俺は、本気で腹が立って思わず怒鳴るが、父はそんな俺に構わず笑いながら俺の乗ってきた自転車を車のキャリアに軽々と乗っけた。その腕はやっぱり、俺よりも太くてたくましい。
 父はむすっとしたままの俺を車に乗せて家へ向かい、家の前で一旦停車させると、さっと母が助手席に乗り込んできた。
「遅いよ、早くしないと78円の卵売り切れちゃう!」
「悪い悪い」
 そんな事を言い合いながらも、二人は本当に幸せそうに目を合わせた。
 二人の首にはそろいのチョーカーがかかっている。
 真っ赤な色のトパーズ、インペリアルトパーズという石で、母の生まれ故郷の特産品らしい。
 俺は母の生まれ故郷にはブラジルにいるときに数回訪れただけだが、とても好きな場所だった。
 二人がそこから飛び立ったという、あのとがった岩山は今でも目に浮かぶ。
 俺は自分のテニスで世界に出て、またブラジルへ行きたい。
 そして、運転席と助手席の二人を見ていると、俺もいつか好きな女の子とイビツルナ山に登りたいと、ふと思った。
 俺はそんな事を考えながら、父から押し付けられたトレーラーハウスの鍵をポケットの中でぎゅっと握り締める。

(了)
「恋はサンパウロで」

2007.7.5




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