● サバランマカロンタルトタタン  ●

          【1】

 3年生のクラスが発表されて、同じ3年3組になる子たちの声のトーンは2種類。
 男子も混じった低めのトーンは、有名な不良である亜久津仁が同じクラスになるっていうことに対する。そして女子オンリーの高いトーンは、あの千石清純も3年3組だってことによる。
 3年3組に所属することとなった私は無言で腕組みをし、ゆっくりと深呼吸をした。
 私の約2年にわたる執念の集大成が、ついにやってくる。
 1年生の時、実は当時も私は千石清純と同じクラスだった。
 その頃の出来事は忘れられない。
 2年前の事を頭の中で思い返していると、クラス分けを貼り出された前で男子のやや高めのトーンが響く。
 その声に振り返ると、3年3組になったと思しき男子が数名。ふと目が合い、彼らはやや浮き足立った顔で照れくさそうに笑う。
、同じクラスになったんだ、よろしくな」
「俺、俺、1年の時に同じクラスだったけど覚えてる?」
 と、口々に言うので私はにっこりと笑って、「ありがとう、こちらこそよろしくね」と返した。
 再び男子のやや高めのトーンが響く。

!」
 私の腕を掴んできたのは、1年生の時からの親友であり師匠の果歩。果歩の登場で、男子たちの声のトーンがまた上がった。
「また同じクラスだね、やった!」
「うん、それに、ほら」私がクラス表を指差すと、「わかってる」果歩は目配せをして見せて、私たちは連れ立って新しい教室に向かった。
「満を持して、眠れる殺し屋・が活動する時が来たようね」
「人聞きの悪い。正義の鉄槌を下す時が来た、とか言って」
「神か!」
 果歩は魅力的な笑顔を見せて、豪快に笑った。
 
 話は2年前に戻るけど、さっき言ったように私は1年の時も千石清純と同じクラスだった。中学生になったばかりの私は、初めての制服、クラスメイトはやけに大人びていたり私と同じようにまだ小学生気分が抜けなかったり様々、新しいことだらけの環境に不安や期待ではちきれそうな時だった。
 それまで通っていた小学校よりも通学距離が長くなるのが最初はつらかったけど、それも数日でなれて友達と寄り道をする楽しさを知った。
 そんなまだまだフレッシュな4月のある朝、教室で私は情報誌をめくっていた。クーポン券がついてるような、無料のタウン誌ね。いろんなカフェが載ってて、イチオシのお菓子の写真がすごく美味しそうだった。「今度、皆でここ寄りたいなー」なんて思いながらページを開いてたら、私の机の隣で立ち止まる人影。
「へーえ、美味しそうだね」
 顔を上げた私は、息をのんだ。そこに立っていた男の子は蜂蜜みたいな明るい髪に、そしておひさまみたいなまぶしい笑顔。
 千石清純だ。
 当時同じクラスになったばかりの私は、「うわあ、中学生になるとかっこいい男の子がいるなあ」と遠目に見ていただけだった。そんな彼が目の前に立っている。
「これ、なんてお菓子?」
 私が開いているページを指差すので、「サバラン」と答えた。「これは?」同じページで紹介されているお菓子を次々指差した。「マカロン」「タルトタタン」と、私も続けて答える。
「へーえ」彼はまた笑った。
「サバランにマカロン、タルトタタンか。何かの呪文みたいだね、でもすごく美味しそう。これ、クーポンついてるんだ。今度一緒に食べに行かない?」
 笑顔でそう言う彼の言葉に、私のハートは大爆発をした。
 思わずばっとその情報誌を閉じて、胸に抱きかかえた。
 こんな突然のデートの誘いに果たしてすぐに答えて良いのかどうか、とにかく中学生になったばかりの私にはさっぱりわからない。でも、こんなにかっこいい男の子から突然デートに誘われるなんて中学ってやっぱりすごい。
「……ええと、あの、考えとく」
 そして、私はうつむいてそんな返事しかできなかった。
「じゃ、返事待ってるよー」
 うつむいた私は彼の顔を見ることができなかった。だって、多分私は真っ赤で口元がにやにやしちゃってたと思う。
 その日の授業は何一つ耳に入ってこなかった。気がつくと教室で千石清純の姿を探して、目が合いそうになるとすぐにうつむいた。
 時間が経つにつれて、私は徐々に『クラスで一番素敵な(と私が思っている)男の子からデートに誘われた』という甘い実感に押しつぶされそうになって、その日の夜は眠れなかった。
 翌日、私はタウン誌から切り取ったクーポン券を握り締め、教室でクラスメイトと談笑している彼の背中を熱く見つめた。
 千石清純がテニス部だっていうことは女子のたしなみとして知っていた。
 私はいつでもいいよ、千石くんの部活のない日に誘ってね。
 そう言ってクーポン券を差し出そうと思っていた。
 そして、彼の席へ一歩踏み出した瞬間。
「あー、これってあのもんじゃ屋のクーポン券もついてるじゃん、ラッキー↑」
 千石清純の楽しそうな声が響いた。彼の背中越しに見えたのは、昨日私が持っていたのと同じタウン誌。
「この店のもんじゃ、美味しいんだよ。ねえねえ、今度一緒に食べに行かない?」
 彼は、タウン誌を一緒に覗き込んでいた女子にそう言った。「行く行くー!」その髪の長い可愛い女の子は間髪入れずに二つ返事。
「やったー! じゃあ、今日の帰りに行こう!」
 そんな会話を耳にしながら、私はクーポン券を握り締めた。

 サバランマカロンタルトタタタン。

 その瞬間から、それが私の呪いの言葉となったのだ。


          【2】

「あれから2年かあ。、すごい頑張ったよね」
 隣を歩く果歩が、しみじみと言った。
「果歩のおかげだよ」
 私は春の風になびく髪を押さえながら頷く。
 果歩は小学生の時からの友達で、当時からぐっと大人びた美人。
 サバランマカロンタルトタタン事件の直後、私はすぐに果歩に泣きついた。
「千石くん、わざわざ私の席まで来て、一緒にケーキ食べに行こうって言ったのに! それって、デートの誘いでしょ? 好きってことでしょ? なのに、翌日にはもう違う女の子をもんじゃに誘ってるんだよ?」
 世紀の一大事を訴えかける私に、果歩はクールなものだった。
「千石清純でしょ? あの子、なんかチャラいじゃん。ああいう子は、女子みんなに甘い顔するんだよ」
「えー、なにそれ? そんなのってアリ?」
 何しろ当時の私は中1になりたてですから。男子とまともに口をきいたこともなかったものですから。そんな世界というのはまったく理解ができなかったのだ。
「そういう子はそういうもんなの」
 めそめそする私に果歩はポケットティッシュを手渡してくれた。
「……なんか、釈然としない……」
 私は涙を拭く余裕もなく、ティッシュを握り締める。
「やり返したれ!」
 そんな私の背中を、果歩がバンッと叩いた。
は地味にしてるけど、素材が可愛いんだからもっとキレイになれるよ。そんで、モッテモテになって、もう一度千石清純が言い寄ってきたら、思わせぶりにした挙句ビシッと振ってやれ!」
 気の強そうに笑う果歩は、すごくキレイだった。
「……よし、私はやる! 果歩、私を特訓して!」
「やるとなったら容赦しないからね」
「覚悟はできてる。合言葉はサバランマカロンタルトタタン!」
 その日から、私の女子力アップのための修行が始まった。
 美容、ファッションは勿論、キャラ設定はこんな感じとか、彼女の指導を受けながらのモテ修行。
 修行の甲斐あって、私もそれなりにモテるようになりクラスわけの時には男子の歓声が上がるまでにはなったという次第。
 それもこれも、千石清純。
 奴の息の根を止めるため。

 新しいクラスで席も決まり、わが宿敵・千石清純は隣の列の二つ前の席。よし、背後は取ったり。
 人差し指でバキュンと撃つ振りをした。
 と、その瞬間、見えないはずの弾丸の先の千石清純が振り返ってばっちり目が合う。
 私の胸の奥がバキュンと音を立てた気がした。
 こんなにばっちり目が合うのは、サバランマカロンタルトタタン事件以来だ。
「あっさん、また同じクラスになったんだ。久しぶりだね」
 彼はそう言って笑うと手を振った。
 私は瞬時に中1の時の自分に戻ってしまう。顔が熱くなりそう、言葉が出ない。
 サバランマカロンタルトタタン。
 心の中で唱えると、私の修行の日々が甦る。そう、私はもう昔の私じゃない。
 私はにっこりとキメ顔の笑顔を作り、余裕で軽く手を振って見せる。
「ほんとだね、よろしく」
 私がそう言うと、彼はいっそう明るい笑顔を見せた。
 千石清純、私にあのような仕打ちをしておきながらいけしゃーしゃーと!
 敵にとって不足なし。
 とは言うものの、2年ぶりに千石清純の笑顔を真正面から受け止めた私は、その威力にやられたのか夜には熱を出して翌日は学校を休んでしまった。

大丈夫? いきなり休むからびっくりしちゃったじゃない」
 一日欠席をした後、お昼を食べながら果歩が心配そうに言う。
「あ……うん、多分大丈夫。なんか一昨日、奴の笑顔を真正面から見ちゃって……知恵熱みたいな感じ」
 私が言うと果歩は軽くため息をついて「やっぱりカッコいいよね、しょうがないな」と言いながら手足を広げて伸びをした。
 私と果歩はこの2年間千石清純の動向はくまなく伺っていた。テニス部の試合だって見に行ってたし、千石清純の女の子好きっぷりだって淡々と観察してきた。
 そして結局のところ、毎回毎回結論は「悔しいけど、カッコいい」ってなる。
 最初に彼を見た時は単に「カッコいい」と思っただけだったけど、2年間つけ狙うといろんな面が見えてきた。
 部活でやってるテニス、すごく強いんだ。
 へらへらしてるように見えるし部長とかじゃないけど、中学のジュニア選抜にだって選ばれてたしやっぱり練習一生懸命やってる。自分はすごくテニスが上手いし強いけど、他の部員が試合に負けてもちっとも責めるようなことはしない。意外と、自分に厳しく他人に優しいタイプなのかもしれない。
 あと、女の子とのことも。
 あれだけ女子とわいわいやっている彼だし、千石清純のことが好きだっていう女子だってわんさかいるけれど、意外と具体的に誰とつきあっているだとか、誰が千石清純に振られただとか、そういう話は耳にしない。
「それだけソツなくやってるってことかな。さすが、千石清純」
 果歩は感心したように言う。
「でも、こうして3年生になって同じクラスになったってのも、天はに味方してるってことよ。がんばろ」
「……でもこう、いざ敵と直接対決となると武者ぶるいというか……」
 昨日の彼の笑顔を思い出す。
 あんな強力な敵と戦えるのだろうか。
「大丈夫、は今まで沢山の武器を身につけてきたじゃない」
「武器……」
 果歩に協力してもらって私が今まで成長してきたのは、見た目だけじゃない。もちろん、髪型や服装・美容のこともかなり努力をしたけれど「男子に対してどう受け答えをするか」っていう事に、かなりの指導を受けた。サバランマカロンタルトタタン事件の時の敗因は、そもそも私の受け答えにもある、との果歩の指摘だった。つまり、男子と話すことにさっぱり慣れてなくて、びっくりしてしまったりどきどきしてしまったり動揺するのがよくないってこと。

「落ち着いて、相手をよく観察しながら対応するの。自分に対するリアクションもね」
 と、私が修行を始めた頃、果歩先生は言った。
 果歩はそもそも美人だし、男子に対しても女王様タイプの振る舞いで人気だ。じゃあ私もそういう風にしたらいいの? と言うと、果歩は笑って首を横に振る。
はそもそもそういうキャラじゃないでしょ。はそうね……天然キャラで行くべし!」
 師匠からの指導である。
「男子はね、だいたい天然っぽい女子が好きなのよ。それとギャップね。は基本しっかりしてるから、そこに実はちょっと抜けたとこがあって天然のとこもあるっていうキャラ設定にするといいと思う」
「天然って、どんな風によ」
「うーん……そうだなー……例えば『野球のブルペンって、ブルペン投手っていう外人選手かと思ってた』とか『ニコラス刑事って、ミステリーのシリーズ物じゃないの? ニコラス・ケイジ?』とかかな」
「えー……天然ってそういうのだっけ? 本当にそんなんでモテるの?」
 私はつい疑わしげに言ってしまう。
「例えばだって! つまり、しっかりもので美人のが実はちょっと抜けたとこがある、くらいの設定がいいってこと。あんまりアホっぽくてもダメ」
「……そっか、わかった。やってみる。ニコラス刑事ね」
「だからそれは例だって! ニコラス刑事は忘れて!」
「……それにしても、モテ女子を目指すためには見た目もキャラ設定もこんなに苦労するんだね。果歩は、心から好きになった男の子には本当の姿を見てもらいたいとか思ったりはしない?」
 怒られるかなって思いながら言うと、果歩はいつもの強気な美しい笑顔。果歩って美人で強気で女王様タイプだけど、実は泣き虫。そんなところを、きっと男の子は誰も知らない。
はまだまだだねー。ちょっと話したりするくらいの男子に、ありのままの姿なんて簡単に見せてやることないじゃない。それに本当にこれだっていう男なら、何ぁに? の言う『本当の姿』っての? そんなのすぐ見抜くと思うよ」
 ね、果歩って実はロマンチストでしょ。で、女子二人でそんなこと思いながら作戦会議してるのも悪くないでしょ。
 そんな具合に「キャラ設定」にも綿密にこだわった私は、やってみれば簡単に男子とわいわい、時には受け流し時には盛り上げ、そこそこのモテ道を歩いてきた。それもこれも、千石清純を倒すため。
 そんな事を思い出しながらお昼を食べ終えて教室に向かった私たちの背景には『ゴゴゴゴゴ』という効果音が似合ってたと思う。


          【3】

さん、もう具合いいの? 昨日、いきなり欠席でびっくりしたな」
 お昼を終えて教室に戻ると、席の近くで千石清純が立ち止まった。どきりとするけど、私は一呼吸をして心を落ち着ける。
「うん、もう大丈夫。毎年、学年上がってクラス替えすると、緊張してちょっと熱が出ちゃうの」
 そう答えてキメ顔の笑顔。すると、千石清純からもあのおひさま笑顔が返ってきた。うっ、本当にまぶしい。でも負けない。
「そっかそっかー、風邪とかじゃなくてよかった」
「心配してくれてありがと」
 自分の席に腰を下ろすけど、彼はまだ傍に立ったまま。
「昨日、聞こうと思ってたんだけど」
「ん? なあに?」
 次の授業の教科書を机に出しながら、彼を見上げる。
「サバランマカロンタルトタタン」
 彼の言葉に、私はノートをバサッと取り落とした。
「おーっと」
 すかさずノートを拾って手渡してくれる彼の指に、私のそれが触れた。顔が熱くなりそう。だめだ、私の中1部分が抑えきれない。
「ほら1年の時。美味しそうなお菓子の店、タウン誌で見てただろ。一緒に食べに行かないって俺が誘ったら、考えとくって言ったよね? 考えてくれた?」
 そう言いながら腰をかがめて私を見る。沸騰して噴出しそうな中1の私を、懸命に押さえ込んだ。
「……お菓子もいいけど、私もんじゃが食べたいな。美味しいお店知ってるって、以前教室で言ってなかった?」
 今の私は中1じゃない。必死で余裕の表情を作って言うと、千石清純は一瞬目を丸くして、また明るく笑った。
「いいねいいねー、よっしゃ決まり。俺の好きなもんじゃの店行こ。今日は部活ではずせない用事があるから、明日行こう」
「あ、テニス部だったよね。これから大会で忙しいんでしょ」
 できるだけゆっくり呼吸をして、心拍数をさげる。すごい、私こんなさりげない会話しながら千石清純ともんじゃ食べに行くことになってる。
「まあ、ちょっとはね。今日は途中入部のやつについて話があるって顧問に言われててさ」
「へえ、途中入部?」
 思わず聞き返すと、彼はくいと空いた席を指差した。
 そこは亜久津仁の席。
「……えっ? 亜久津くん?」
「そっ」
 亜久津仁がテニス部なんて……まるっきり想像ができないし、テニス部大変なんじゃないの、なんて思うけど千石清純はものすごく嬉そうなわくわく顔。
 不思議な奴だなあ。
「じゃ、明日ね! 熱出さないよーに」
 そう言って自分の席に戻っていった。

 もんじゃに行くのが今日じゃなくてよかった。その日の帰りは、果歩と二人でショッピングモールのフードコートで焼きそばを食べながら急遽作戦会議。女子だからって、カフェでスイーツ食べてばかりってわけじゃないの。いろいろ盛り上がって話すと、お腹減るの。
「もんじゃの前日に焼きそばって、がっつりいきすぎじゃない
「そんなことはどうでもいいよ! 緊張するとお腹減る!」
「でも、よかったじゃん。いいペースだよ、さすが千石清純」
「即答したの、間違ってなかった?」
「ぜんぜんオッケー。ああいうタイプにはリズム良く対応しといた方がいい。それに、あいつって結構、来るもの拒まず去るもの追わずなんだと思うから、しょっぱなから焦らすのは得策じゃないよ」
「来るもの拒まず?」
「というか、去るもの追わず、の部分が大きいかな。イメージだけど」
 果歩先生の考察に耳を傾ける。
「千石ってさ、女の子大好きでしょ。誰々可愛いねとかしょっちゅう言ってる」
「そんなこと前から知ってるよ。なんだっけ、新聞部のインタビューでも『好きなタイプ』で『この世の女の子全部』とか答えてたじゃん」
「ああ、あれね、舐めとるよね! いや、それはもういいの。でも、あいつってそうやって女の子にあれこれ言いながらも、言うだけでしょ」
「言うだけ?」
「なんていうか、必死にはならないっていうか」
 果歩は少し難しい顔をして続けた。
「多分気に入った女の子にぐいぐいせまって、でもその子が『えーもう、千石くんったら〜』なんてかわしたら、えへへって笑ってそれでおしまいだと思う。きっとそれ以上は追わないよ」
 ……あ、なんかその感じ、わかる気がする。
「1年の時にが『考えとく』って言って、そのままだったでしょ。今回だって、ちょっとかわしたらそれきりだったんじゃないかな。だから、きっちりつなげといて正解。そうじゃないと、いつまでたっても奴をやりこめることはできない」
 果歩はそう言って、グラスの水を飲み干した。私はすかさずおかわりの水をサーバーから入れてきて、二人でカチンとグラスを合わせた。
「サバランマカロンタルトタタン!」
 フードコートの片隅に、私たちの声が響いた。


          【4】

 翌日の放課後、私は千石清純と鉄板をはさんで向かい合っていた。
 なんというか、ある意味あっけない。2年間狙い続けていた敵と、こんなにあっさりもんじゃ屋さんなんて。
「よーし、きたきた」
 千石清純は運ばれてきたボウルからもんじゃの具を鉄板に広げると手早く炒めた。具を整えて生地を流していく。彼の手は大きくて、指も長くてとてもきれい。その流れるような華麗な手つきを見ながら、ああきっといろんな女の子の前でこうやって鉄板技を披露してるんだろうなあなんて思っていたら、お店の扉が開く音とともに「おっ、千石さん」と男子の声。山吹の制服を着た、サングラスをした子が入ってきた。実は知ってる、テニス部の室町十次くんだ。
「やあ、室町くん。部活がない日ってなると、皆ここ来るねー」
「千石さんこそ、さすが今日もきれいな人連れてるじゃないですか」
「そうだろー、同じクラスのさんだよ」
 千石清純の女の子好きは当然、部内でも公認なんだなーと改めて認識。
さん、ほら端っこもういけるよ」
 気づくと鉄板からは香ばしい匂いが広がっている。ミックスにベビースターをトッピングした人気メニューだ。
「ここ、美味しいし安いし、こうやって部の連中やクラスの子とよく来るんだ。さんは来たことない?」
「うん、初めて」
 ハガシでもんじゃの端をちまっとつついた。
 そっかー、千石清純の公認デート場かー。っていうか、ここに来るくらいは男女の逢瀬というほどでもないのかな彼にとっては。複雑な気分。
「私、家族でもんじゃ食べる時、おこげになるの待ちきれなくてどんどんすくって食べちゃうの。でもやっぱり、端っこからちまちま食べると美味しいね」
「だよね。ちまちま食べながらゆっくりおしゃべりするの楽しいし」
 なるほどなー、千石清純がもんじゃ好きなのはそういうのもあるのか。
 今日のイベントに向けて私は不安と緊張で押しつぶされそうだったけど、いざこうやって彼と二人鉄板を囲むと普通に楽しいなあ。
 ちらりと鉄板から顔を上げると、ばっちり彼と目が合ってにこりと笑いかけられる。うわー、私がしみじみともんじゃ食べてたのじっと見られてたんだろうか。顔が熱くなって、掌で頬を覆った。
「ん? 鉄板、熱いかい?」
「え、あ、ちょっとだけ。大丈夫よ」
 だめだ! 今までの修行で男子への受け答えなんて楽勝のはずだったのに、これじゃまるで中1。だって、千石清純の「ん?」ってなんとも優しくてどきどきする。
 うつむいて、ちまちまともんじゃを食べ続けるけど、きっと彼はにやにやしながら私を見ている。くそ、どうしてくれよう。

 もんじゃ屋さんの帰り道も彼と並んで歩きながら、他愛無い会話が続いた。
 テニス部のこと、彼がとても好きだという占いのこと。
 彼はものすごくおしゃべりというわけじゃないけど、会話は豊富。一方的に話すだけじゃなくて、私が笑ったり、聞き返したりするリアクションを丁寧にキャッチしている。
 楽しいなあ。
 それが、正直な感想。
 千石清純、モテるはずだ。
さん」
 不意に名を呼ばれて、どきっとした。
「あ、うん?」
さんって、俺のこと好きでしょ」
 一瞬、彼の言っている言葉の意味がわからなくてポカンとする。
「え?」
 ばかみたいに聞き返した。
「だから、俺のことを好きなんじゃないかなって」
 やっと耳から脳に到達した。
 ドッドッドッと心臓が跳ねてその振動が地面まで伝わりそう。足が震えた。
 どうしたらいいの。
 果歩に助けを求めたいけれど、彼女はここにはいない。
 昨日のフードコートでの果歩の言葉を反芻した。
 しょっぱなから焦らさない、きっちり次につなげるべし。
 私が今やっちゃいけないのは、動揺して中1に戻ってしまうことだ。
「す、好きだけど」
 私は精一杯に平静を装って言った。声が震えていたかもしれない。
「やった。じゃあ、つきあおうよ」
「いいけど」
 私はとてもいつものキメ顔なんかできていなかったと思うけど、千石清純はあのおひさま笑顔。ラッキー↑決まりだね、と片手を上げてみせる。
 その後、どんな会話をしたのかまったく頭に入ってこなかった。


          【5】

「というわけなのよ」
 帰宅をした私は、即刻果歩に電話をした。
「へええ〜」
 さすがの彼女も驚いた様子。長いまつ毛に縁どられた目を見開くのが想像できた。
「どうしよう」
 私は情けなくそんな事を言い出してしまう。
「いいじゃない。作戦は着々と成功しつつあるってことでしょ」
「……本当に大丈夫なのかな」
「チャーリーズエンジェルもボンドガールも、まずは相手を油断させて近づくところからじゃない。明日から千石清純の彼女として、がんばって」
 千石清純の彼女! 頭が爆発しそう。


 さて、「つきあおうよ」ってなってからの日々は、特段ドラマティックなことが起こるわけではない。毎日千石清純と会話をして、時には一緒にお昼を食べて、部活のない日には一緒に帰って、メッセージを送りあって。テニス部の地区大会や都大会の日程を教えてくれて、「応援に来て」って言われたりする。「うん、友達と一緒に行く」って答える。実は前から試合を観に行っていたことは言ってない。
今まで男の子とつきあったこともない私からすると、特定の男の子とこうやって過ごすことはまったく初めてのことだけど、彼のエスコートが自然だからかとても穏やかで楽しい日々だった。
 それでも学校帰り、隣を歩く彼を見て「つきあってる」のかと思うと不意に、深い谷に渡されたロープの上を渡っているような気分になることもあった。千石清純は軽やかに宙を歩いているのに実は私は綱渡りをしている、そんな感じ。
 それでも、視線を合わせると彼はいつも優しくて。
 この彼の息の根を止めなければならない。
 どうやって?
 決まってる、彼にやられたことをやりかえす。
 私には覚悟はできている。
 彼とこうしているからには、これから手を触れ合ったり、もしかしたらキスをするようなこともあるかもしれない。熱い視線や身体の温度を実感したとしても、私は絶対に奴を谷底につきおとす。そうしないと、私はいつまでも中1の自分に苦しめられたまま。

 ある時、こんなことがあった。
 クラスの女の子が「千石ー」とにぎやかに話しかける。「今度、新しくできたもんじゃの店行こうよ。チラシに割引券がついてたし。次、テニス部の部活がないのっていつだっけ?」
 千石清純は、大げさに両手を合わせて見せた。
「ごめんよー、部活がない日は約束があって」
「なに、もう他の子と約束してるの? モテる男は忙しいなあ」
「つきあってる子がいるからさ」
「えー、マジ?」
 千石清純は、こういう会話が日常的なんだろうか。今まで何人もの女の子とつきあってきたんだろうか。近づいてみても謎のまま。
 今まで彼の息の根を止めるために精進しつづけてきた私だけれど、よく考えたら彼のことを良く知らない。ただ、あのおひさま笑顔の持ち主だっていう事と、ん、っていう声が優しいって事。そして、クラスメイトの女の子より「つきあってる子」を優先してくれるってこと。
 私は果歩の言うところの、チャーリーエンジェルとかボンドガールのはずなのに、どうしてそんなことが嬉しいんだろ。

「わーお、可愛いにゃんこ」
 ある日の学校帰り、白黒ぶちの太った猫がいたものだから、千石清純がチチチと傍に近づいたらものすごい眼で睨まれたあげく、あっさり逃げられた。
「あはは、ダメかー」
 笑って頭を掻く彼を見ながら、いつかの果歩の言葉を思い出した。
「去るもの追わず、だねー」
 何気なく言うと、彼が振り返る。
「ん? 俺のこと?」
 塀の上にジャンプするデブ猫をもう一度見てから、笑った。
「だって、逃げちゃうもんは仕方ないからね」


          【6】

 その日の放課後は教室で果歩とおしゃべりをしていたら、かなり時間が経ってしまって教室には私たち二人だけになっていた。
、なんだかんだ上手くいってるみたいだね」
「え?」
「だから、千石とだよ」
 果歩は楽しそうに笑った。
「上手くいってるって、まだ息の根止めてないよ」
 私が言うと、彼女はまた笑う。
「それはそうだけど、『彼女』活動としてってこと」
「べ、別に上手くいってるってほどじゃないし。普通に会話して、一緒に帰ったりするだけだよ」
「そういうのが普通に楽しくできてたら、上手くいってるってことでしょ」
「楽しくって! ……まあそこそこ楽しくはあるけど……」
「何かのスパイ小説で読んだけど、スパイとして潜入して何十年も正体を隠し続ける諜報員もいるって。息の根を止めるのは10年後でも20年後でもいいんじゃない」
 果歩が面白そうに言うものだから、私はむきになってしまう。
「何言ってるのよー! そんな先、仕留め損ねたらどうするの。この2年間、千石清純ゆるすまじという思いで過ごしてきたのに、一体何のためのモテ修行よ」
「そりゃ、千石から告白されるためでしょ」
「……!」
、私、からかって面白がって言ってるわけじゃないけど。が千石を好きなら、もうそれでいいじゃない」
 果歩がまるで最初からわかってるみたいに言うものだから、私は頭に血が上ってしまった。
「好きとか、そんなはずないでしょ!」
 そう言って、キットカットをバリバリと食べた。集中しておしゃべりすると急にお腹減る。
「果歩だってわかってるはずだよ。私が千石清純に近づいたのは、目的を果たすためだけ。好きなんかじゃない!」
 果歩は個別包装のキットカットを手に持ったまま、ぽかんと目を見開いていた。正面にいる私からそれている彼女の視線を追って振り返り、私は息を呑んだ。
 教室の扉を大きく開いて立っていたのは、テニスバッグを背負った千石清純。彼も果歩に負けないくらい目を丸くしていた。
 なんてベタな展開。
「……部活終わったんだけど、さんが教室にまだ残ってるらしいって聞いたから。でも、取り込み中だったみたいだね、ゴメン」
 彼は軽く手を上げて私たちに背を向けた。

『だって、逃げちゃうもんは仕方ないからね』

 逃げたデブ猫を見送る笑顔が頭の中に甦った。
 私だったら、息の根を止めるまで逃がさない。
 次の瞬間、私は扉の方へ駆け出して彼のテニスバッグを掴んだ。
「およっ?」
 驚いて振り返った千石清純はバランスを崩してふらついて、テニスバッグを手にした私はつい力が入ったまま。私は慌ててバッグから手を放したけれど、彼はそのままよろけて扉にもたれかかる形となった。
「おっとと……」
 バッグを背負いなおしている彼を間近で見ていると、私の足元にいつかの谷底が広がった。
 私はロープで必死にバランスを取っている。彼は楽勝の空中散歩。
 こうやって彼を見るのも最後なんだ。
 どんなに谷底が深くて怖くても、本当はもっと彼と歩いていたかった。
 でも、私はこいつの息を止めなければならない。
 中1の私のために。
 私は彼が背負いなおそうとしたテニスバッグのショルダーベルトを、今度は正面から掴んで彼を扉に押し付けた。
「およよっ?」
 目を丸くした彼の顔がどんどん近くなり、その唇に私の唇を重ねた。ほんの一瞬。
 そして、彼の隣をすり抜けて廊下を走る。果歩が私を呼ぶ声が聞こえるけれど、振り返ることはできなかった。
 胸が痛いってことは、刺し違えたってことかな。
 走って校門を出て、私は体力ある方じゃないから、学校から一番近い小さな公園で足を止めた。
 はあはあと息を切らして休憩できるところがないか探すけど、ベンチもない公園だったのでブランコに座った。
 梅雨も近いこの時期の夕方は、暑くて少し湿度が高くて、汗ばんだ額を手の甲でぬぐう。
 バッグもなにもかも置いてきてしまった。
 呼吸を整えながら、地面を足で蹴ってブランコを揺らした。
 私は当初の目的通り、千石清純の息を止めることができたのかな。
 仕留めるタイミングは予想外だったけど、自分なりにやるべきことはできたと思う。
 やりきったら、きっと私は溜飲が下がるんだと思ってた。そのことで中1の自分が泣き止むんだと思ってた。
 それなのに。
 手の甲で、今度は額じゃなくて目元をぬぐう。
 今度は中3の私が泣いてる。
 
好きなんかじゃない。

 一度口から出た言葉は消えない。
 わかっていたはずなのに、ひどいことを言った。
本当のことじゃないのに。

最後に感じた千石清純の温度・匂い・唇の感触を思い出すと、カーッと頭に血が上って消え入りたくなってしまう。少しでも熱を冷ましたくて、思い切りブランコを漕いだ。
座った姿勢から座板に立ってムキになって漕ぐと、その遠心力のGと風がここちよかった。子どもの頃は「危ないからやめなさい」と言われていたような高さを越えても、まだまだ漕ぎ続ける。このまま空に飛んでいけたらいいのに。
と、ブランコの横の車止めをすり抜けてくる人影。
千石清純。
「おっ」
 私のバッグを手にした彼はブランコの前に来て、片手を上げてウィンクをした。
「ラッキー! 今日はダブルラッキー!」
 思い切りブランコを立ち漕ぎしていた私は、まず間違いなくパンツ丸見えだったと思う。
 でもブランコは急に止まれない。
 パニックになって、空中で一番高い位置に来た瞬間、まくれ上がるスカートを必死に抑えた。すると当然ながら、鎖から手を放した私の身体はポーンと空中に放り出される。
 だめだ、死ぬ! ぎゅっと目を閉じた。
敵と刺し違えたと思ったら、ついに私は死んでしまうんだ。
 
 空中に放り出された後の衝撃→死を覚悟していた私の耳元で、「トリプルラッキー! 今日のラッキーアイテムはブランコって、おはテレの占いは当たるなあ」と声が聞こえる。おそるおそる目を開けると、私の身体を正面から受け止めて尻餅をついている千石清純。
「お姫様だっこにならなかったのは残念。俺もまだまだだな」
 腰が抜けた私は、立ち上がることもできなかった。
「あの……」
 ごめんというべきか、ありがとうというべきか、と思いながら口を開いた私の口元に千石清純の指が触れて言葉をさえぎった。
「サバランマカロンタルトタタン」
 そして彼の口から出た言葉。
「宙ぶらりんになったままだったね。ごめん、あの頃はわからなかったんだ。俺は今でも馬鹿だけど、中1の時ってもっと馬鹿だから」
 彼が何を言おうとしているのか、よくわからない。
「俺、女の子をもんじゃ屋に誘うのって、本当に部活のやつらを誘うのと何も変らないようなもんなんだよ。だから、わからなくて。さんに、ケーキの店に一緒に行こうって言った後、クラスの女子ともんじゃ屋に行ったの、傷つけてしまったよね」
 思わず地面に手をついて立ち上がろうとするけど、腕を彼に掴まれたまま。
「な、なに、そんなの覚えてない!」
 必死に言うと、彼はクスっと笑った。
「それならそれでいいんだ、俺は覚えてるから。もう少し話してもいいかい?」
 私が黙っていると、それをYESととらえただろう彼は続けた。
「2年の時かな。部活で練習試合してる時に、後輩が『すごいきれいな人たちが、すごい怖い顔で千石さんのコート睨んでるんですけど、何かやったんすか』って慌てて報告に来たんだ」
 それが私と果歩であることは想像にかたくない。確かにいつも私たちはすごい形相でテニスコートの千石清純を睨んでいたと思うけど、テニス部の見学なんて多いからまさか見られていたとは。
「きれいな女の子に強い目で睨まれるの、俺、嫌いじゃないよ。ずっと俺のこと、見ててくれただろう?」
 私はまた立ち上がろうとするけれど、彼の強い力にはかなわない。
「そんなには見てないよ! 自意識過剰!」
「わかった、さんは俺を見てないってことでいいさ。でも、俺はさんを見てたよ。1年の時もかわいかったけど、どんどんきれいになるし男子からは人気だし、ハラハラして目が離せなかった。サバランマカロンタルトタタンの返事を聞きたいってずっと思ってた。ねえ、さん。俺はさんが好きだよ。もんじゃの帰りでは、ちょっとずるい聞き方してごめん。さんがサバランマカロンタルトタタンの仕返しをしたいっていうなら、すればいい。本当は俺を好きじゃないなら、今はそれでもいい。俺は、塀に登って走って逃げるデブ猫は追いかけないけど、大切なものは必死で追いかけるから。結構、諦めが悪いんだ」
 真正面から見る彼の顔は、意外なくらいに真剣。
 立ち上がろうとしていた私の身体の力は抜けていく。
さん、お願いがあるんだけど」
「……え? なに?」
「もし、俺の事少しでも好きなら、俺の名前呼んでくれない?」
 千石清純。
 心の中では何度も繰り返した彼の名を、彼に向かって呼んだことは一度もない。
 だって「千石くん」なんて呼んで彼の笑顔が返ってきたら、中1の私が胸の奥から飛び出してきてしまいそうだから。
 真正面から見据える彼の目は強い。
 私がどれだけ必死にもがいても、胸の奥の中1の私は抑え切れなかった。
「……千石くん、私は千石くんが好き」
 そう言うと、私の背中を支えていた千石清純の手に熱が増す。奥歯をかみ締めたのか、一瞬口元がぎゅっと閉じられて、次はいつものおひさま笑顔じゃなくて、少し照れたような顔。
「もうひとつお願いだ。仕切りなおし」
「え?」
「俺の初めてのキスは、やっぱりちゃんとリードしたい」
「えっ?」
 地面に尻餅をついたまま、彼は左手で私の背中を抱きしめ、右手で頭を抱えると唇を重ねた。教室での私の一撃よりも、もっと長い時間。唇を重ねながら、背中にまわされた彼の手にはどんどん力が入り、いつしか私は強く抱きしめられている。唇に触れる彼の舌が熱い。私の胸の奥はしびれるようで、自分の身体に力が入っているのか入っていないのかもわからなかった。
「……教室のアレ、甘い余韻に、俺は情けないくらいしばらく動けなかったよ。すぐに走って追いかけたかったのに。ヤラレタ」
 身体を離してから、恥ずかしそうに笑う。
「チョコの味だったし」
 そうだ、キットカット食べた後だった。
 千石清純は、王子様のように私の手を取り立ち上がる。
「そうだ今度こそ、二人で食べに行こう」

 サバランマカロンタルトタタン

 私の心も身体も、すっかり中1の私に乗っ取られてしまった。
 2年間あれだけ努力したのに、結局中1。
 多分、千石くんといる限り、ずっと中1。
 

(了)
2016.1.7

-Powered by HTML DWARF-