●● スタンドバイミー ●●
六角中に入学をしたその日から、彼は周囲から「ダビデ」と呼ばれていて、中学から千葉に引っ越してきた私にはその所以など知りえないのだけれど、一目見た時からすぐに理由はわかった。きりっとした顔つきに、長身、そして強烈なくせ毛をハードムースでスタイリングした様は、まさに教科書に載ってるミケランジェロのダビデ像を彷彿とさせるから。
さて、ミケランジェロのダビデ像のモデルはどういう青年かはわからないけれど、六角中でダビデとあだ名される天根ヒカルはちょっと変わった男の子だ。前述のように、見た目きりりと麗しくテニス部レギュラー選手というスポーツマン。それでいて寡黙で、口を開けばビミョウなダジャレしかしゃべらないという飄々とした子。
そんなダビデとは、私は1年生の時から引き続き、2年生になっても同じクラス。
中学で初めて彼と出会った私は、最初はちょっと驚いたけど、彼のダジャレ癖にクラスメイトは皆慣れっこのようで、まあ私もすぐに慣れた。そもそもうちの学校はみんな明るくて親切で、私はあっというまに六角中が大好きになったものだ。
そういった私と六角中の歴史はおいといて。
2年生も終わりがけの2月、ちょっとした異変が起こっている。
今、私はダビデの隣の席なんだけど、ここ最近彼がダジャレを言わないのだ。
最初は、あれ、気のせいかな? 私が拾い損ねてるだけかな、と思ったけど、今週になって注意深く彼の発言を聞いていても、やっぱり一言もダジャレを発していない。天変地異の前触れ?
「どうしたの、ダビデ。なんかこのところ寡黙だよね。あっ、今日は苦手な科目の音楽があるから、寡黙になっちゃう?」
教室の席にて、そうやって何気ない風に言ってみて彼の顔を覗き込むと、相変わらずのクールな無表情のまま「……イマイチ」なんて言うのだ。
ムッカー!
私は1年の時から新聞部で、結構いろんな部活動の取材をしてきた。おかげで、学校に馴染むのも早かったんだ。で、うちのテニス部はなかなかに強くって、去年の夏は全国大会にも出場したからわりと頻繁に取材をした。そのせいもあって、実は結構テニス部の子たちとは仲が良い。だから、ダビデのダジャレだって嫌いじゃないし、いつもきっちりきっちり拾ってるつもりなのに!たまに自分が言ってみて、イマイチなんてリアクションされると、ほんっとムッカー!
ま、いいや、そんな慣れないダジャレを言ってみた私が悪かった。
問題は、どうしてダビデがここ最近、こんなに無口なのか。つまり、ダジャレを言わなくなっちゃったのかってこと。ダビデがダジャレを言わないってことは、つまり、元気がないんじゃないかってことなんだよね。
「もしかして、ダイオウグソクムシの絶食と張り合おうとしてる? ダビデがダジャレを言わなくなって、2週間です、とか」
そうやっていじってみても、彼は黙ったまま。
あっ、もしかして、バレンタインにクラスの女子からチョコもらえるかどうかって気にしてる?
って言おうとして思いとどまった。
それは多分ない。
だってね、前にテニス部を取材した時に言ってたんだよね。ダビデは女の子から物をもらうのが、すごく苦手なんだって。こういった変わり者の子だけど、何しろぱっと見はすごくかっこよくて目立つし、テニスだって強いから、ファンになる女の子は結構いるんだと思う。でも、そういう子からバレンタインチョコとか誕生日のプレゼントをもうらうのは、すっごく苦手でだめなんだってさ。純情なのか面倒くさがりやなのか。多分、後者だと思ってるけどね。
そういうわけだから、この2月に入ってからのダビデの憂鬱はバレンタインのせいではないだろう。
スランプ?
ネタ帳落としちゃった?
なんてからかってみても、ダビデはあの、風がなくてもそよいだようなダビデ風の髪を軽くかきあげて、相変わらずの無表情な男前顔を見せるだけ。
建国記念日を過ぎたあたりから、さすがに違和感がハンパない。
だってね。
何度も言うけど、ダビデはダジャレを言わなければ、普段は本当に無口でただの男前なんだよ。そんなの、物足りない。
黙ったままのダビデの隣の席で、私の頭の中では走馬灯のようにダビデがダジャレを言っては、それにつっこんだりしていた日々がよみがえる。
ダビデのダジャレはまさに質より量という感じで、笑えるネタは1日に1個あるかないか。それでも、なーんかダビデのダジャレ聞いてるの好きだったんだよなー。
ダビデのダジャレがないのは寂しいし、それになんだか明らかに元気がない。
一体、何がダビデからダジャレを奪ってしまったんだろう。
私は頬杖をついて窓の外に顔を向け、冬空と強めの風に煽られる欅の枝をみるともなく見つめた。
節分も過ぎてバレンタインデーも終わったら2月もなかば。卒業式もあっという間だなー……なんて思って、ハッと顔を上げた。
「……ダビデ、そういえばバネさんやサエさんたち3年生は、卒業しちゃうんだよね。寂しいなあ」
うちの学校はのんびりしていて、運動部でもあんまり先輩後輩っていう感じの垣根がないからつい忘れがちなんだけど、ダビデの相棒・バネさんこと黒羽春風はじめとしたテニス部の仲間たちって3年生なんだよね。
部室に取材に行って、ダビデがダジャレを言うたびに強烈なつっこみをするバネさんとのコンビを見るのはすっごく楽しかった。あの掛け合いが見られなくなるなんて想像がつかないな、と思いながらふとダビデを見ると。
彼は突然にガタッと立ち上がり、ショルダーバッグを手にするとそのまま教室を走り出ていってしまったのだ。
「あれっ、ダビデ、まだあと6時間目の授業……」
珍しい彼の行動に、クラスメイトたちは心配そうにその後ろ姿を見送るけれど、ダビデは脇目も振らずに教室を出ていってしまったものだから、誰もそれ以上声をかけられなかった。
それが建国記念日の翌日、12日のできごと。
翌13日は、私は普段より少し早く教室に行って、ドキドキしながら席に座っていた。
昨日のダビデは一体どうしたんだろう。
具合が悪かったの?
それとも、私が言ったあの言葉のせい?
胸の奥が痛んだ。
何気ないつもりで言ったけれど、無神経すぎたんだろうかと、何度も後悔した。
机でうつむいていると、なじみのある暖かい空気。
顔ををあげたら、普段と変わらない様子の(つまり、ほとんど無表情の)ダビデが登校してきていた。
「ダビデ!」
思わず声を上げると、彼は、ん?と顔を向ける。
「昨日、どうしたの? 急に帰っちゃって、みんなびっくりしたよ。お腹でも痛かったの?」
ダビデはいつも無表情だけれど、決して冷たいような怒ってるような感じはしない。そういうの、不思議だな。今、改めて思った。
「……泣きそうになったから、帰った」
そして、彼はそう言った。
「えっ……」
思わず言葉につまる。
「……あの、バネさんたちが卒業していくのが寂しいから?」
私が尋ねると、ダビデはこくりとうなずいた。
今度は私が教室を飛び出す番だった。
ただし、私が行った先は3年生の教室。
「バネさん、大変!」
A組の教室で、バネさんを呼び出すと私はそう叫んだ。
「おう、どうした、」
気のいいバネさんはすぐさま廊下まで来てくれる。
「ダビデが大変なの! ダジャレを言わなくなっちゃった! 寂しくて泣きそうなんだって!」
私がまくしたてると、バネさんは困ったように首を傾げる。
「……あのなあ、。お前、新聞部だし結構勉強もできるやつだったよな。いつも取材に来ると、主語と述語をはっきりさせてしゃべれとか、俺達にえらそうに言ってたよな。そのお前の言ってることがわからないってことは、やっぱり俺の頭が悪い……なわけあるか!」
そして、流れるようなノリツッコミ。
「やっぱりバネさんのノリツッコミは鮮やかだなー……」
思わず感心してつぶやくと、ポンポンと頭をたたかれた。
「じゃねーだろ。ダビデがどうしたんだよ。もっとわかるように言ってみろ」
バネさんの大きな手が頭に乗っかると、本当に涙が出そう。
私は深呼吸をして、このたびの顛末をバネさんに話した。
「おお、ダビデがダジャレを言わないとは確かにただ事じゃねーな」
「でしょう? 元気ないなーと思ったら、やっぱりバネさんたちが卒業しちゃうのが寂しいみたいだよ」
「あいつ、結構そういうこと口に出さねーからなあ」
「バネさんのツッコミがなくなった後の、ピン芸人としての生き方を模索してるのかな。あっ、バネさん、卒業前にダビデにもノリツッコミを伝授していってあげて。ノリツッコミはできた方がいいよ、きっと」
「バーカ、あいつにノリツッコミができると思うか?」
私はしばし考えた後、ため息をついて首を横に振った。
「……心配すんな」
バネさんはもう一度私の頭にポンと手を置いた。
「俺達もあいつも、男の子なんだからさ。こういうのは、乗り越えていくもんだ。同じ高校に進学したら、また一緒にテニスできる。海で遊んだり潮干狩りをしたりは、いつだってできる」
「あっさりしてるなー、バネさん」
「バーカ。お前、ダビデがへこんでダジャレ言わねーのが寂しいだけだろ?」
私はぐいっと顔を持ち上げてバネさんを睨んだ。
「そんなことないよ! 別にダビデのダジャレなんか!」
ついムキになると、バネさんはカカカとお日様のような笑顔。
「そろそろ教室に戻らねーと始業だぜ」
そして、大きな手を広げて振って私を送り出した。
教室に戻ると、ダビデは少し心配そうな顔をしていたけれど、私が席に戻った後はいつものポーカーフェイス。
ダビデのポーカーフェイスは優しい。
感情の起伏はわかりにくいけれど、決してとっつきにくくない。
ダビデが誰に向かって言うでもなくつぶやくダジャレに、あーだこーだ絡んでいくのは楽しくて嬉しい。
バネさんに言われた言葉が頭をよぎる。
そーだよ、そーだよ! ダビデがダジャレを言わないの、寂しいよ!
バネさんたちが卒業するからって寂しいダビデがダジャレを言わなくなって、そして私も寂しいの。
クラスの女子たちはバレンタインの話でもちきりのこの時期、私は、ノリツッコミをする無理めなダビデの想像や過去のダジャレで頭がいっぱいだった。
そして迎える14日。
天気予報はばっちり当っていて、この千葉も朝から雪景色。
朝、登校してきたダビデを見て、びっくりした。
手にはユニクロの紙袋を。雪よけのビニールで覆ったその紙袋の中には、可愛いラッピングの包みがつまっていた。一見してバレンタインチョコとわかるそれを見て、私は思わず椅子から落ちそうになった。
だって!
ダビデって、バレンタインのチョコとかそういうの、もらわない子じゃなかった? 女の子からのプレゼントは苦手だって言ってたじゃん! しかも、こんなに沢山もらってるなんて!
「……お、おはよ、ダビデ。なに、ずいぶん沢山チョコもらっちゃって……そんなにあからさまに学校で沢山のチョコ持ってるなんて、校則違反じゃ……あれ?どうだったっけ……」
混乱のあまり、とんちんかんなことを口走ってしまう。
「校則違反。バレタラタイヘンダデー、バレンタインデー……プッ……」
約半月ぶりくらいのダビデのダジャレに、私は脳に酸素が供給されたような気がして、一瞬チョコのことが頭から吹き飛んだ。けれど、酸素が供給されてクリアになった後の頭で改めて確認しても、ダビデの手にあるチョコは消えてなくならない。幻覚ではないようだ。
「ダビデはチョコとかそういうの、もらわないんだと思ってた」
ついしつこく問い詰めてしまう。だって、取材の時そう言ってたのに!
彼はユニクロの紙袋をがさっと机に置いて、飄々と答える。
「これは、俺が作った。テニス部の仲間に感謝を込めて」
「へ?」
私は間抜け顔。
ダビデは案の定2月になってからずっと、卒業式が近づいて寂しいなあと思いながら過ごしていた日々だったらしい。この前つい私があんなことを言ってしまって、ダビデが早退した日、彼が家に帰るとたまたまお姉さんがバレンタインのチョコクッキーを作っている現場に遭遇し、自分もバネさんたちに作ろうと思い立ったのだって。
「へえー」
話を聞いて、私は間抜け顔のまま。
ダビデはすごいな。
素直でまっすぐってことは、強ってことなんだなあ。
そんなわけで、身長180センチの、ダビデ像を彷彿とさせる中学2年生の男子は、バレンタインデーの昼休みに部活仲間の男の子たちに手作りのチョコレートクッキーを配って歩いたのだった。
心配すんな。
バネさんの言葉が、あのお日様のような笑顔と共によみがえる。
ほんと、その通りだった。
男の子っていうのは、思ったよりずっとすごい。
結局、勝手におたおたしてた私のバレンタイン週間は何もなく終わり、ダビデのノーダジャレ記録は当然ながらダイオウグソクムシの絶食記録にはまったく及ぶことがなかった。
教室で友達と友チョコを食べてひととおり騒いでから、ぼんやりと下校する。慣れない積雪におっかなびっくり歩いていると、私の名を呼ぶ声。
「!」
振り返ると、遠目にも目立つ風貌のダビデが大きく手を振っていた。
私は顔の下半分まで覆っていたマフラーをぐいと下げて、「なあにー!」と返事をした。
「帰るの早い」
ダビデはそう言いながら追い付いてくる。
「早くないよ、普通」
そういえばダビデと連れ立って下校するなんて初めてで、ちょっとドキッとする。
「これ、にまだ渡してなかった」
ユニクロの紙袋から、可愛い包みを差し出してくれた。
「えっ、私にもくれるの?」
驚いて、手袋をしたままその包みを受け取った。
「うわー、ありがとう。……テニス部のみんなも、喜んでたでしょう?」
「みんな喜んでくれた。剣太郎が特に喜んでた」
そうだよね、家には「手作りチョコクッキーをもらった」って持って帰れるもんね。男の先輩からもらったという事実は別として。
「……あのさー」
私は深呼吸をして、そして冷たい空気でむせて咳き込んでしまう。
気を取り直して、背筋を伸ばした。
「別に何ってわけじゃないんだけどさ、最近ダビデが元気なくてダジャレ言わなかったでしょう。やっぱり、ダビデのダジャレがないと寂しいよ。バネさんたちが卒業して、ダビデも寂しいかもしれないけど、高校でバネさんとまた一緒にコンビを組めるようになるまでは、私がちゃんとつっこむから、ダビデには元気にダジャレを言っていてほしい。ノリツッコミとかできるようにならなくても大丈夫だから」
私なりに一生懸命言ってみるけど、ダビデは無表情のまま。
そして、私の手元を指さした。
「食べてみて」
「えっ? あ、チョコね、うん、そうだね」
今、私、結構いいこと言ったと思うのに、ダビデってば相変わらずで拍子抜けするなあ。
片方の手袋を外して、包みのリボンを解く。二重になった紙袋の中には、美味しそうなチョコクッキー。指を突っ込んで、ひとつつまむと口の中に放り込んだ。バリバリと歯ごたえのいいクッキーは絶妙な甘さとほろ苦さで、チョコの塊もゴロゴロと入ってて、最高に美味しい!
「うわ、美味しい! ほら、ダビデも!」
袋を差し出すけれど、ダビデは手袋をしたままだから、もどかしくて私はひとつつまむと、背伸びをしてダビデの口に放り込んだ。
「美味しいよね!」
「知ってる」
もぐもぐと食べて、そう言った。そりゃそうだ、だって自分の手作りだもんね。思わず笑ってしまった。
「そうだ、ダビデ。前に言ってたでしょう。女の子から物をもらうのは苦手だって。ダビデはこんなに美味しいお菓子を作って友達にプレゼントしてくれるのに、自分ではもらうのが苦手なんてどうして?」
2つ目のクッキーをかじりながら、彼に尋ねた。
ダビデは一瞬空を見上げる。つられて顔を上げると、雪がちらついてきていることに気づいた。一旦やんでいたのに、また降り出したようだ。今夜は更に積もるだろう。
「好きな女の子から何かをもらうより、好きな女の子に俺がプレゼントをして、喜ぶ顔を見る方が嬉しい楽しいから」
普段と何も変わらない様子で言った彼の言葉を、頭の中で反芻する。
どこかにダジャレ要素がある? 何か、韻を踏んでいる?
「……別に、考えオチとかじゃない」
私がクッキーをかじりながら考え込んで、ちらちらと彼の顔を見上げているとダビデはそう言った。
「……うん、私も、好きな男の子から美味しいクッキーもらうと嬉しい。……すごく嬉しい」
「知ってる」
心臓のドキドキとともにクッキーをかじり続けていると、あっという間に袋は空になってしまった。ダビデはそれをクシャッと取り上げて、私の、手袋を外した方の手をぎゅっと握る。私の手はダビデの大きな手にすっぽりと包まれてしまった。
「寒みー、寒みー。サミー・デイヴィス・Jr。はい、次、!」
きりっとした顔で私を見る。はいっ、って言われても……!
「えーと、えーと、サミュエル・L・ジャクソン」
「……サミュエル・ホイ!」
「えー、それって誰だっけ?」
サムい会話をしながらも、当然私の手も胸の奥もシュンシュンに熱くって、それは決してチョコのカロリーのせいじゃなくて。
(了)
2014.2.18