● Quartermaster  ●

 任務を終えて本部へ戻り、上司への報告や一通りをすませてから、私は開発主任である乾のラボへ怒鳴り込んだ。

「ちょっと、乾!」

 ラボではスーツ姿の乾が精密ドライバーを手にしていた。
「ああ、お帰り。無事に任務が終了したようだね」
 乾は手元に集中したまま、普段どおりの穏やかな声でささやくような返事。
 顔くらい上げたらどうなのよ、と思うけれど何やら重要な作業なのだろう、とその一言は飲み込んだ。
「よし」
 彼は満足そうな声を発すると、手元の眼鏡を掛けた。
「すまない、眼鏡のネジが少々緩んでいたようでね、増し締めをしていたんだ。俺はこういうのが気になるたちだから」
 私はついふうっとため息をついてしまう。
「はい、これ、今回の任務での備品ね。必要書類は書いたし、破損はないから」
 仕事用の特別仕様のスマートフォンや車のキーに腕時計、コンタクトレンズ等を一式返却する。
「確かに受けとった、お疲れ様。無事で何よりだ」
 書類と合わせて備品をチェックする乾に、私は思い出したようにまくしたてた。
「それより、乾! 本部に帰ってくる時、車を運転してたら途中でいきなり勝手に音楽が鳴り出したんだけど!」
 憤慨して言う私に、乾は顔を上げて緩く笑った。
「忙しいきみに、ささやかな贈り物だよ」
 昨夜日付が変わる直前に任務を終了して本部へ戻る時、私が運転していた車の中で突然ハッピーバースデーの曲が流れ出したのだ。ラジオもつけていないのに。その日が私の誕生日だと気づくには、1フレーズ分くらいの時間はかかった。
「だってねえ、もしその時にターゲットを車に乗せていたりしたらどうするの。場の流れがおかしくなっちゃうでしょ。それに、もしも私が任務に失敗して戻ってる時だったら、がっくりきててぜんぜんハッピーバースデーって気分じゃないんだけど」
 乾は私の抗議もまったく気に留めることなく、保管庫から新しいスマートフォンを取り出した。はいはい、次の任務のための備品ね。
「でも、きみは任務に成功をして、ほっと一息ついた気分での誕生日のひと時だっただろ?」
「そ……それはたまたまそうだったけど、そうじゃないタイミングだってあるかもしれないでしょ! ああいうのやめてくれる」
 少々きつめに言ったにもかかわらず、乾は得意げに眼鏡のブリッジを持ち上げた。さきほどきっちりとネジを締めた眼鏡の感覚に、満足そうだ。
「きみが計画通りに任務を終えた場合の、帰路につく時間は当然計算済み。何らかのトラブルで車に同乗者がいた場合は、車重が変わってくる。また、任務に失 敗をして戻る場合には、今回持ち帰るケースが車に載っていないので、これまた車重がちがう。きみがあの音楽をハッピーな気持ちで聴ける条件でしか、音楽が 鳴らないように設定はしておいた」
 何一つ反論の余地のない彼の言葉に、私は「……ありがと」としか言いようがない。
 確かに昨夜疲れ切って本部へ戻る最中、ハッピーバースデーの曲を聴きながら、乾に会いたいと思ってしまったけれど、そんなこと言うはずもなく。
「さて、次の任務はもう聞いているんだろう? 新しい備品の一式だ。大体普段どおりのものだが、動作確認はしておけ」
 新しい任務につくたびに、使う備品はすべて乾の部署に戻してからまた新しいものを使う。支給されるたびに、乾が丁寧にオーバーホールして手入れをしたり、新しい技術を組み込んだりして、使いやすくしてくれるんだなーって感謝する。
 スマートフォンの認証のチェック、腕時計の仕込みのリューズの動き具合なんかを一通りチェック。今回はサングラスがあった。次は南の方で屋外での行動が多いから、モニター付サングラスがあると楽なのよね。コンタクトレンズ型のだと眼が疲れちゃう。
「ん?」
 乾が並べてくれた備品をチェックしながら、私は首をかしげた。
 それをどれだけ操作しても、どこも動かないし何も起こらない。ガジェットを扱い慣れた諜報員の私でもまったく仕掛けがわからないなんて、これは、乾が開発した最新兵器かしら。
「ねえ、乾、これ、使い方がわからないんだけど」
 ものものしく小箱に入っていた指輪を乾に差し出した。
「石が外れるのか、と思ったらそうでもないし」
 乾は備品を並べたデスクの向こうから一歩近づいて、私の手からそれを取り上げた。
「ああ、すまない、これは俺の私物だ」
「そうだったの、ごめん、いじり倒しちゃった。傷はついてないと思うけど」
 私はあわてて両手を挙げてみる。
「いいんだ、どちらにしろ、きみに贈るものだから」
 眼鏡拭きのクロスで指輪をきゅっと一度磨いて、私を見た。
「これは備品ではないし、ガジェットでもない。何の仕掛けもない、ただの指輪だ」
 備品を並べたデスクの前で、乾はまた一歩私に近寄った。背の高い彼は、長身の私からしても近くに来ると見上げるほど。
「使い方を教えよう」
 そう言うと彼は軽く屈んで、私の手を取った。
「難しいことはない。つまり、きみのこの左手の、この指に嵌める、ただそれだけのことなんだ」
 そう言って、ふいに真剣な少し困ったような顔になる。
「勿論、それはきみが了承すれば、の話なんだが」
 屈んだ乾の顔は普段より近くて、眼鏡越しの眼を覗き込むと、彼は照れくさそうに角度をそらす。
「……乾の言う使い方通りに、してみて」
 私が言うと、彼はその長い人差し指と親指とでつまんだ指輪を、ゆっくりと私の薬指に嵌める。
 驚くくらいにぴったりだ。さすが開発部主任。
 いろんな気持ちがあふれかえって、なんて言ったらいいのかわからなくて、そしてなんだか乾の顔をまともに見ることができない。
「あの、でも、なんていうの、私、またこれから任務なんだけど。こういうのって、ほらあのフラグみたいで、ちょっと不吉じゃない? この戦いが終わったら俺、あの娘と結婚するんだっていう兵士が大概死んじゃうみたいな、例のフラグの……」
 つい照れ隠しにそんな風に言うと、乾は私から離れてデスクの引き出しを開けた。
「そのことなら心配はいらない!」
 自信たっぷりに言う彼は、デスクから出してきた書類を私の前に置いてみせた。
「任務に行く前に書類を提出して手続きしておけば良いだろう。今なら役所も開いている。もうすぐ昼休みだ、つきあうから一緒に必要なものを取り揃えて提出をすませよう」
「えーっ!」
 思わず叫ぶと、彼は封書を取り出した。
「俺は自分の分は用意してある。あとは、きみの分だけそろえて印を押せばいい。手続きをしてから十分にランチを取れる。異論はあるかい?」
 異論はあるかい、だって?
 ……あるわけないじゃない。

fin

2016.08.07

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