● 男心を唄います  ●

 女になんか興味がない、なんて格好つける気はない。
 部室に置いてあったりする、誰のものともない雑誌をたまにめくっては、水着のグラビアを眺めたりするような、そんな当たり前の感覚が、俺にだってある。
 しかし、実際の身近な女はどうなんだとなると話は別だ。
 正直なところ、会話をしてもつまらない。
 見ていても、つきあってみたいだとか、そんな気持ちにならない。
 そんなことよりも、自分の好きな本を読むだとか、テニスのトレーニングを重ねて正レギュラーの座を狙うんだとか、そういったことの方がずっと夢中に、熱くなれる。
 実際のところ大抵の男はそういう奴、多いんじゃないか。
 よりわかりやすく言うと、女の体には興味があっても、実際に話したりつきあうことには興味がないってこと。
 つまり、そんな程度には、俺は女というものに興味はあり、同時にどうでもいいと思っていた。
 あのひとに話しかけられるまでは。



 彼女……は、同じ委員会の一学年上の女子だった。
 その日の報道委員会で俺は、学園誌用に撮ったもののいつものように没になった自分の力作の写真を眺めていた。
 そんな時に、彼女が話しかけてきた。
 なんて言っていたのかは覚えていない。
 それどころではなかった。
 それまでも同じ委員で顔見知りではあった彼女を、初めて真正面から間近で見て、俺は驚いてしまったのだ。
 唐突に俺の視界が裸眼から矯正視力になったような、または白黒だった画面が急にフルカラーになったような。
 そんな感じだった。
 彼女はとてもきれいだったし、どうしてかはわからないが、俺は初めて、学校で会うような女に対してひどく胸がどきどきとした。
 確か彼女は、俺が撮った写真について何か聞いてきたので、俺は内心焦ってしまい、ひどく蕩々と俺が激写した理科準備室の謎の高エネルギー体について熱く語った。
 それが、彼女の質問への返事として妥当なものだったのか、また年上のきれいな女の人との話題として適切なものだったのか、俺にはわからない。
 が、ふと気づくと俺と彼女は委員会の仕事をそっちのけで、「新耳袋」と、その怪談集に出てくる実在の怪奇スポットについて熱く語っていた。
 彼女は表情豊かに楽しそうに俺の話を聞くし、そして自分もとても生き生きと話してくれる。
 よく考えたら、学校の女子と、これだけ話をするなんて初めてだったかもしれない。
 そして委員会が終わって解散する頃、俺は生まれて初めて、女を相手に、まだまだ話をしたいなと思った。
 話をしたいし、俺を見て笑ったり手足をばたばたさせる彼女を見るのが楽しかったのだ。
「じゃあね、日吉」
 気軽に俺の名を呼んで手を振る彼女に軽く会釈をして、委員会の教室を後にする。
 部活に向かおうとする俺に、同じ委員の同級生が声をかけてきた。
「よぉ、日吉。先輩とずいぶん親しげに話してたなぁ」
 俺は目を細めて肩をすくめた。
「学園誌の没写真について話してただけだ」
 そいつは軽くため息をついた。
「でも盛り上がってたよなー、うらやましー。俺も先輩と話してー」
 ひどくうらやましそうに言うものだから、俺はフンと鼻を鳴らす。
「話しかけりゃいいんじゃねーのか。気さくな先輩みたいだし」
「だけど、大人っぽくてキレイな人だからさー、こっちからは話しかけにくいぜー。だって、前はよく高等部の男とつきあってたらしいじゃん、あの人。俺みてーなガキじゃ、何を話していいものやら。日吉、お前、何話してたんだよ?」
 高等部の男とね。ああ、確かにそういう感じの人だ。
 俺はさして興味もない風にテニスバッグを肩にかけなおした。
「別に、どうってことない。ガキっぽい、怪奇スポットなんかについての話さ」
 俺はそれだけを言うとやつを振り切って部室に向かった。
 


 と俺は、それからも委員会で顔を合わせるたび、よく話をした。
「俺はスカイフィッシュは、地球外生物だと思いますね」
「そう? 私は古代生物が進化したんだっていう説の方がロマンティックで好き」
 単に俺をからかうために話を合わせてるのだろうかと思った彼女は、俺と同じく兄貴がいるらしく、そのコレクション本のオーパーツ物なんかを読むのが好きなのだという。
 彼女の読んだことのないという本の内容を俺が話すと、それはそれは興味深そうに嬉しそうに聞いている。だから、俺もついつい熱く話してしまう。
 彼女の交際範囲が広いであろうことは、容易に想像がつく。
 他のやつと、一体彼女はどんな話をするのだろう。
 俺以外のやつと他の話をしても、こんなふうに盛り上がって楽しそうな顔をするのだろうか。
 俺は時々そんな事を頭の中でぐるぐると考えた。
 そして、彼女が高等部の男と云々……なんて話を思い出す。
 そりゃあ彼女だったらそういうこともあるだろう。普通のことだ。
 高等部のやつといったら、例えば3年だとしたら18か。
 俺より5歳年上の男。
 そうか。
 俺は、仮想敵である5歳上の男とも十分に渡り合えなければならない。
 一体どうして、何をどう渡り合おうというのかはわからないが、俺はぴりりと全身を引き締めて眉間にしわをよせた。

 いつも委員会の教室に行くと、大概彼女は少し遅めにやってくる。
 教室の後ろの入り口から入ってくる彼女を、俺は顔を上げて見たりはしない。本を読みながら、視線の片隅で彼女の動きを確認する。
 彼女はどこの席に座るだろうか。
 彼女と話をするようになってから、ほとんどたいていの場合彼女は俺の隣にやってくる。俺は彼女が来るまで、わざと隣の席に鞄なんかを置いて他のやつが座らないようにしているから、そこが塞がっていることはまずない。
 俺は、彼女がちゃんと隣に来るまで、自分でもバカみたいにひどく胸の奥の何かが搾り取られるようなぴりぴりした気持ちになる。
 そして、が俺の隣に腰を下ろす瞬間、体中に甘い何かが広がってひどく安堵するのに、俺は彼女を見ないのだ。彼女が声をかけてきて、それから初めて気づいたように、『ああ、おつかれさまです』なんて言葉をかわす。
 何しろよく話をするようになったといっても、俺はベースとして話上手でもないし、気の利いたことを言える方ではないし、愛想もよくない。
 けれど彼女は、別に気にする風でもなくいつも楽しそうに俺になんやかや話をする。クラスの女子と話をしていたりすると、よく『日吉くん、怒ってるの?』なんておそるおそる聞かれたりすることがあって、そういうことは俺にとってはきわめて鬱陶しいことなのだが(別に怒っているわけではないのだが、そうやって面倒なことを尋ねられると、結局俺は不機嫌になる)、は一度もそんなことを聞いてきたことはなかった。
 まあ、年下のガキが機嫌そこねてようとなかろうと、関係ないって思っているのかもしれない。
 彼女は年上ぶるわけではないけれど、それでもそもそもの雰囲気から何から俺よりずっと大人で、やっぱり俺はからかわれているのだろうか、と思うことはしょっちゅうだ。
 ふと、こんな俺に『ねえ、日吉って女の子とつきあったことある?』なんて聞いてきたりする。
 いくら俺がガキでも、彼女がこんな質問をして俺の反応を見ておもしろがろうとしてるんだなんてことはわかる。
 俺が女とつきあったりしたことあるわけがないと、今まで話していて十分わかってるだろうに。
 俺ができるのは、せいぜいあわてたりせず冷静に答えることくらいだ。
『ありませんよ』とそっけなく答えて、そんな俺を見る彼女の表情は確認しなかった。

 俺はガキだけどバカでも鈍くもない。
 こんなにもここちよく側にいられる話のできる人に、熱くならないわけがない。
 そして、明らかに俺を選んで側にやってくる彼女が、俺を憎からず思っているに違いないとうぬぼれるくらいにはバカだ。
 そんな風にあれやこれや頭の中でだけ考えて、孵らない卵を温め続ける日々はやけに甘くて楽しかった。
 俺はどうしてその先にすすまない?
 彼女が、単に俺をからかっているんだとしたら、それで傷つくことがこわいか? 俺は?
 答えはYes。
 まったく、俺はどうしようもないガキだった。



 春になり、俺は二年生になった。
 そして第一回の報道委員の集まりの時、思わず拳を握りしめてから机の前でひっそりと上地流系の構えを決めてみた。
 ぼちぼちと教室に集まってくる、新メンバーの報道委員。
 うつむいたままの俺の視線は、教室の後ろの入り口から見慣れた歩き方の人物が入ってくるのを見逃さない。
 もまた、報道委員だったのだ。
 俺は二年生になった。もう一年じゃない。
 テニス部でも正レギュラー目前だ。
 一年の時に彼女と初めて話をした頃より身長も伸び、170センチを超えた。
 テニスのトレーニングだって、武術の鍛錬だって毎日欠かしていない。
 5歳やそこら年上の男がいくらかかってきても、きっと俺は負けないだろう。
 はいつものように、俺の隣に座った。
「日吉もまた報道委員だったんだ! なんか嬉しい。またよろしくね」
 そして、いつものようにストレートなひとこと。
 俺は彼女の方も見ずに会釈をするだけ。
 だけど、心に決めた。
 俺はもう二年だ。
 部活では十分に三年の先輩と渡り合っている。
 どんなやつにも負けない。
 
『だから、俺だけのものになったらどうですか』

 そんな風にでも言ったらいいだろうか。
 大人の男は、彼女を自分のものにするためになんて言うだろう。
 委員会が終わるまでに、よく考えることとしよう。
 彼女はきっと驚くに違いない。
 ガキだと思っていた後輩が告げる、熱い甘い言葉に。
 それを想像すると少し楽しくて、俺は本からわずかに顔を上げて、彼女のきれいな横顔をちらりとのぞき見た。

(了)
「男心を唄います」

2008.7.5

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