● おこりんぼ  ●

 バードウォッチングをするの、と言って父親から借りた双眼鏡に、私はぎゅっと両目をあてた。
 しかし、その先にいるの目標物は、愛らしくさえずる小鳥ではない。
 お父さん、ごめんなさい。
 私、嘘をついてます。
 私が双眼鏡で観察しているのは、鳥ではなく愛しの子猫ちゃんなんです。
 私の愛する子猫ちゃんはおそろしく用心深くて、えさを与えてもなかなか食べようとしないんです。そして、私はどうやら猫アレルギー。
 だから、私は愛する子猫ちゃんが、私のあげたご飯を食べてくれているか、こうして遠巻きにそうっと観察するしかないのです……。

「あのごっつい男のどこが子猫ちゃんよ! いいとこ猪でしょ! それにあんたも、テニスコートを双眼鏡でのぞくなんてヘンタイみたいなマネはやめて、堂々と見学に行ったらいいでしょ!」

 同じクラスの友達の香里奈ちゃんが、双眼鏡をのぞく私の後頭部を軽くはたきながら呆れたように言い放つ。
「だって、そんなの無理無理! 私、真田くんと顔合わせたら、絶対になにかしら怒られて泣くことになるから! もうね、真田くんに近づくのは当分控えることにしたの! もうちょっと泣き虫じゃなくなるまで!」
 頭をひっぱたかれても、私は双眼鏡から目を離すことなくテニスコートの真田くんを追う。
 今、彼がベンチに向かう大切なところ!
 彼の誕生日のプレゼントに渡したタオルを使ってくれてるかどうか、どうしても確認したいの。
「まったく、あんな面倒な奴やめときなよ! のこといいって言ってる男の子なんか、他に結構いるんだよ。なにもあんなさあ」
「あー!」
 香里奈ちゃんの言葉に構わず、私は思わず声を上げる。
 双眼鏡をぐっと両目にしっかりとくっつけた。
 私のいる校庭の片隅から若干離れたテニスコートのベンチで休憩中の真田くん、汗を拭くために手にしているタオルは、見覚えのあるアイボリーのもの。
「ねえ、香里奈ちゃん! あのタオル、私があげたやつかも……! どう思う!?」
 少々興奮した私が双眼鏡を押し付けると、彼女は『え〜』とかなり嫌そうにしぶしぶとそれを受け取ってのぞきこんだ。
「……う〜ん、わかんないよ。だって、私、あんたが真田にあげたタオルってちらっとしか見てないし、わりとよくある色だしね」
 彼女は決して気休めを言わないタイプなので、あっさりとそれだけを言うと私に双眼鏡を返してよこした。
「ええ〜、そっか〜、確かにあれは私があげた以外の自前のタオルかもしれないよね……。でもさ、もしかしたら、もしかしたら……!!」
 私が身悶えしてると、香里奈ちゃんはぴょこんと、私たちが陣取っていた階段の隅から飛び降りた。
「こんなとこでストーカーみたいなことしてないでさ、見に行ったらいいじゃん。間近で見たら、あのタオルがのあげたやつかわかるでしょ」
 そう言うと、私のスカートを引っ張る。
「見に行くって、テニスコートに!?」
「あたりまえじゃん!」
 うんざりしたように彼女はバッグを肩にかける。
「いいかげんにしなよね。こんなことにつきあうの、もうたくさん! ハイ、さっさとテニスコート行くから!!」
 彼女は私のバッグもぶらさげると勢い良く校庭を歩き出した。
 私は双眼鏡を手にさげて、心臓がばくばく動くのを感じる。
「ちょ……ちょっと待ってよー! マジで行くの!? マジで!? お願い、待って、心の準備が!!!」
 どれだけ私が懇願しても足を止めようとしない彼女を、私は必死で追いかけた。
 香里奈ちゃんの先導のもと、私は不本意ながらテニスコートの近くまで足を運ぶ。彼女は腕を組んで、まるで現場監督のようにテニスコートを眺めた。
「ほら、今ちょうど真田がラリーやってるじゃん。もう少ししたら、インターバルじゃない? このへんで見張ってたら、あのタオルがのやつかどうかわかるって」
 香里奈ちゃんは意外と楽しそうにテニスコートを眺めてた。
 私は彼女の陰に隠れるようにしてどきどきしながら見てるわけだけど、ああ、やっぱりテニス部って女子に人気あるのか、見学者が多いなあ。
 うん、これなら上手く紛れていれば真田くんに見つかることはないかもしれない。
 私はテニスコートで走り回る真剣な顔の真田くんを見つめた。
 やっぱりかっこいいなあ。
 黒いキャップがよく似合う。
 そして、いつも制服の時はきっちり校則を守って厳格に封印しているかっちりした腹まわりが、ユニフォーム姿でコートを走り回ってると少々ガードがゆるいところもいい。
 あ、イカンイカン、こんなことを言ってるから香里奈ちゃんからヤイヤイ言われるんだ。
 ううん、とにかくテニスをしてる真田くんてやっぱりかっこいいなあ。今まで遠目にしか見たことなかったけど。
 きっと、彼を好きな女の子、たくさんいるに違いない。
 みんな、どうやって仲良くなったりしてるんだろう。
 私には想像できないな。
 どうやって、泣かずに真田くんと話したりするかなんて。
 真田くんが他の見知らぬ女の子とわきあいあいと話をするようなところを想像してみては、妙にもやもやした感じになったりして挙動不審な様でいると、香里奈ちゃんが私の腕をぎゅうぎゅうとつかむ。
! インターバルだよ! 真田、ベンチに向かってる!」
 コートで柳くんと打ち合っていた真田くんは、ラケットを持ったままベンチの方へ歩いた。
 私は一瞬足がすくんでしまうのだけど、フェンスの近くまで香里奈ちゃんにひっぱられていく。
 大股でベンチに向かった真田くんは、帽子を取ることもせず、まずはドリンクをごくごくと口に含む。
 7月の初めの今、日差しはカンカンにきつくて真田くんは汗だく。
 水分摂取とか、気をつけてるんだろうな。
 そして!
 ついに彼はドリンクのボトルの隣に置いてあったタオルに手を伸ばす。
 きちんとたたんであるそれを手に取ると、ぐっと額の汗を拭った。
「どう? ?」
 香里奈ちゃんもひどく神妙に声を落として私に聞いてきた。
 私は彼の手元をじっと見つめる。
「……ううん、たたんだままだから、よく……わかんないよ……」
 たいしたことじゃないのに。
 あのタオルが私があげたものだったとしてもそうじゃなくても。
 それなのに、私の胸は信じられないくらいドンドンと跳ねてる。
 あれが私のあげたタオルだったら、私はうれしくて死んでしまうかもしれない。でもそんなふうに思うと、もしそうじゃなかった場合にはあまりの落胆で、私の心臓は止まってしまうかもしれない。
 どっちにしても、真田くんは私の心臓を止めてしまう。
「あっ!」
 香里奈ちゃんが小さく叫んだ。
「タオル、広げるよ!」
 彼女が言った通り、真田くんはタオルをばさっとひろげて首にひっかけた。
 そして、襟元の汗を拭き取るとタオルの端でもう一度額の汗を拭うのだ。
 なんていうことのない仕草なんだけど、男の子らしくて本当にかっこよかった。
「どうなのっ!?」
 香里奈ちゃんが私をせっつく。
「あっ……うん……」
 私はタオルのはしっこのロゴに目を凝らした。
 焦げ茶色で『adidas』の刺繍。
 もしも真田くんが。
 私のあげたタオルと同じ物を持っていた、というのでなければ、あれは彼の誕生日に私がプレゼントして、そして廊下で怒られて泣き出した私の涙(と鼻水)をぬぐったあのタオル。
 そう、多分、きっと、まちがいなく、私が彼の誕生日にプレゼントしたあのタオル。
 真田くんは、ちゃんと使ってくれてたんだ。
 私は去年の5月21日の惨劇や今年の同日の苦労が頭にフラッシュバックして、しばらくぼーっとする。

 お父さん。
 私の子猫ちゃんは、やっとエサを食べてくれました。

 一瞬硬直したままの私の体と視線、そんななんとも無防備なところに、いきなり真田くんの厳しく鋭い視線が注がれた。
 思わずびくりと香里奈ちゃんの肩をつかんでしまう。
 次の瞬間、彼は例の大股でずかずか私たちの方へ歩いてくるではないか。
 しかも、眉間にしわをよせたあのけわしい顔で。
 問答無用。
 私はくるりときびすを返して思い切り走り出した。
 振り返る余裕なんてない。
 とにかく、走る。
 真田くんに何かを言われて泣き出してしまうなんて、もう絶対にしたくないから。
 走って走って、夢中で走ってこれ以上走れないというころでようやく足を止めると、そこは校門の外。はあはあと肩で息をしていたら、同じく息を切らせた香里奈ちゃんが後ろにいた。
「ちょっと、何なのよ〜、なんで急に!」
 怒りと呆れとが半々といった感じに彼女は声を上げる。
「……だって、真田くんと目があって……なんだかこっちに来そうな感じだったんだもん」
「だったらいいじゃないのよ! タオル使ってくれてるの、ありがと、とか話したらいいじゃん! 何考えてんのよ!」
 彼女はちょっとキレ気味。
「いいじゃん、じゃないよ!」
 そして、私は逆ギレ気味。
「あんなおっかない顔で、大きな声でなんだかんだ言われたら、私、絶対に泣く! そして更に真田くんに嫌われちゃうんだよ!」
 私の言葉に、香里奈ちゃんは額に手をあてて大きくため息をついた。
「……じゃあなんでそんな男がいいのよ」
「だって……かっこいいんだもん……」
「でも、顔を合わせて口も聞けないんじゃ意味ないでしょ」
「だから、双眼鏡でのぞいてるんじゃないの!」
 私は既に涙目。
 香里奈ちゃんは、まったくしょうがないな、というように側の自動販売機でジュースをおごってくれた。



 そんなことがあった翌日、なんだかんだ言って私の気分は悪くはなかった。
 5月の真田くんの誕生日に、彼の手にあのタオルが収まっていたのは、私の幻なんかじゃなかったんだ。
 昨日、彼のふっとい首に、あのタオルがきっちり巻かれてた。
 ちゃんとあのタオル、使ってくれてるんだ。
 そのことが、私はうれしくてうれしくて仕方がない。
 きっと真田くんは女の子に人気があるだろう。女の子からタオルをプレゼントされるなんて、よくあることなんだと思う。だから、私があげたタオルを使うなんて、まったくどうってことないんだっていうのはわかってる。
 だけど、やっぱりこういうの、うれしいよね。
 去年の失敗が失敗なだけに。
 2時間目の休み時間、私は他のクラスの友達に借りた英語の辞書を返すのに教室を出て、かなりいい気分で廊下を歩いていた。



 その時だった。
 私の名を呼ぶ、聞き覚えのある低い落ち着いた声。
 はっと振り返ると、眉間にしわをよせて、そしていつも通りきっちりシャツをズボンにインした真田くんが腕組みをして立っている。
 私の頭の中ではダースベイダーのテーマが流れた。
 とっさに走り出そうとするけれど、『廊下を走るな!』と怒られ泣かされたことを思い出す。
 まるで猛犬をやりすごすかのように、私はそうっと彼に背を向けるとゆっくり歩を進めた。

!」

 聞こえなかったと思ったのか、彼は更に大きな声で私の名を呼ぶ。
 私の取れる手だてはひとつしかない。
 急ぎ足で廊下を歩き、女子トイレに飛び込んだ。
 ドクドクと騒ぐ心臓をおさえながら、洗面所に両手をついて水を流し、手を冷やして気持ちを落ち着けた。
 どうしよう。
 今度は一体何で怒っているのだろう。
 私は何をしたんだろう。
 やはり昨日テニスコートに行ったのが、何かまずかったのだろうか。
 はっ、それとも!
 もしや、双眼鏡でのぞいていたのがバレたとか!?
 あの鋭そうな真田くんならありえる!
 どうしよう!
 風紀に抵触するとかで、風紀委員の裁判にかけられてしまうのだろうか!
 洗面所で崩れ落ちそうになっていると、私の肩をぽんとたたく手。
、どうしたの、気分悪いの?」
 香里奈ちゃんだった。
 思わずほっとして、涙がこぼれる。
「香里奈ちゃん! 大変なの。追われてるの。私はもうだめかもしれない。軍法会議にかけられて、重営倉に入れられるのかもしれない!」
 ほっとしてついついまくしたてる私に、彼女はあいかわらず『バカ、何言ってんの』と冷静に言い放つ。
 私も彼女から油取り紙をもらって、しばらく鏡の前でうろうろしていたら落ち着いて、そうっとトイレの出口から廊下をのぞいた。
 さすがに真田くんはもういないようだった。
 背後に注意しながら、香里奈ちゃんと連れ立って教室に戻る。
 
 授業が始まっても、私はドキドキ落ち着かないまま。
 私は真田くんが好きなのに、近くに来て話しかけられて目が合うと、どうしてあんなにおっかなびっくり逃げてしまうのだろう。
 いや、わかってる。
 泣いてしまうからね。
 どうしてもっと落ち着いて話せないのかな。
 っていうか、真田くんと落ち着いて普通に話せる女の子、うらやましいなあ。
 私はどう考えてもダメだ。
 っていうことは、私は真田くんとはダメなんだなあ。
 好きなのになあ。

 なんだかどっと疲れたその日は、寄り道もしないで帰ろうと、さっさと学校を出た。
 校門を出て歩くと、ふと大きな人影が私に追いつくのを感じる。
 ああ、今はテスト前で部活もないから、結構みんな真面目に帰るんだなあ。
 そんなことを思ってると、その人影は私に並んだまま。



 そして、あの声。
 びくりとして私はとなりの人物を見上げた。
 真田くんだ。
 完全に射程距離に捕らえられた私は、さすがに逃げようがない。
 目を丸くして彼を見上げ、足を止めたまま動けない。
 どうしよう。
 とにかく、泣かない。
 泣かない。
 まず、何があっても泣かないようにしよう。
 ああでも、なんだかもうこの状況だけでびっくりして涙が出そう。
「ちょっと尋ねたいのだが」
 彼は静かに続けた。
 思ったより穏やかで、怒った声ではない。私はちょっとほっとして、その隙に深呼吸をした。
 だけど、真田くんが私に聞きたいことって何だろう。
 なんか不安。
 緊張しながら彼の次の言葉を待つ。
 彼は眉間にしわをよせたまま、顔はちょっと怒ったような、そんな感じ。
「……あの、タオルなんだが」
「うん?」
 彼が続けた言葉がちょっと意外で、私はすぐに聞き返した。
 真田くんからあのタオルのことに触れてくるなんて。
 私が誕生日にあげたタオルに。
「あれは……その、布の厚さといい大きさといい汗の吸い具合といい、非常に使い勝手がいい。……お前が、どこで買い求めたのか、教えてもらえんか」
 あ、ああ〜、タオルを買った店の話かー。
「ええと、あの、スポーツデポ……」
 私が答えると、彼は『スポーツデポか』とつぶやいて、所在無さげにぎゅっぎゅっと帽子のつばを手で引っ張った。
 それだけの会話なんだけど。
 思えば私と真田くんの会話のなかで、今までで一番普通だ。
 私も、真田くんと普通に話せるんだなあ。
 なんだか急に嬉しくなって、帽子を目深にかぶった彼をじっと見上げた。
 じっと見られるのがいやなのか、彼は不機嫌そうな顔で、くいっとあごをしゃくって、さっさと歩けというようなそぶりをする。
 怒られないうちに、と私が歩き出すと、彼もゆっくりとそれにならった。
 うん? 一緒に歩いてる?
 私、真田くんと一緒に歩いてるんだー。
 泣き出すこともなく。
 寝た子をおこさぬようといったふうに、私はそれ以上彼に何かを言われて泣かされたり彼を怒らせたりしないよう、静かにそーっと歩き続ける。
 内心、一体いつまで一緒に歩いたらいいんだろう。
 なんてちょっとどきどきしながら。
「それで、
 なに、まだあるの!? 
 私がびくんとして隣の彼を見上げると、彼は帽子の下でいっそう険しい顔をしているのだ。
「タオルなんだが」
 だから、スポーツデポって言ったじゃない! スポーツデポは校則違反だったとかなんだろうか。
「……どうして俺にくれたのだ」
 えええー!
 絶望的な気分になって、つい足が止まった。
 私たち普通に会話できてる! なんて考えは、能天気すぎたようだ。
 私は、真田くんの厳しい尋問にさらされてる。
「どうしてって……あの……真田くん、誕生日だったから……」
 とりあえずはストレートに答えてみるけれど、真田くんの眉間のしわは一向にほどける気配はない。
「俺の誕生日を、どうしてが知っていた」
 鼻の奥がツンと痛む。
 だめだ、泣きそう。
 真田くんの誕生日、柳くんから聞きましたって、そういう情報源を明かすのって探偵とかスパイには御法度なんだよね、確か。私は探偵でもスパイでもないけど、緊張のあまりちょっと頭がおかしくなってきた。
 私がもごもごと何も言えないでいると、彼はフンと鼻をならす。
「……まあいい。俺の誕生日なぞ、誰からとでも耳にすることもあろう」
 そう言うと、彼はまた帽子のつばをぎゅっと指先で強くつまんだ。
「なぜが、俺の誕生日にタオルをくれたのだ」
 これはまさに絶体絶命。
 正直に話すとしたら、私は真田くんを好きで、ちょっとしたプレゼントをして話をするきっかけにしたかったから。
 そんな、真田くんからしたら超たるんどるだろうことを、このような厳しい尋問において一体どう説明したらいいんだろう。
 だめだ。
 やっぱりだめだ。
 頭の中で鳴り響くダースベイダーのテーマを、なんとか必死にインディー・ジョーンズのテーマに置き換えて明るい気分に持っていこうとしたけれど、鼻の奥の痛みはおさまらない。
 ついに私の目からはぽろぽろと涙がこぼれた。
 だって、こんなに怖い顔で、こんなにも逃げようのない尋問をすることないじゃない、真田くん!
 彼の眉間のしわは一層深くなった。

「泣くな! どうしてはそんなに泣き虫なのだ!」

 真田くんは相変わらず帽子のつばをぎゅっと触ったりはなしたりして、少々落ち着かなさそうにしながらも、いつもの怒った声で言う。
 一度泣いてしまった私はなかなか泣きやめない。
 それに泣いてしまったら、もう開き直ってしまう。
 去年もそうだったけど、そして今年の誕生日の時もそうだったんだけど、真田くんって、さすがにちょっと怒りすぎなんじゃないだろうか。

「泣き虫って……そりゃ、私は泣き虫だけど、真田くんだって怒りん坊じゃない! どうしてそんなに怒ってばっかりなの!」

 私は泣きながら、キッと彼を見上げて震える声で言った。
 言いながらも自分の台詞のいけてなさにあきれる。
 怒りん坊って……。
「怒りん坊だと!? 俺がか!」
 彼は大きく息を吸って、ぎりぎりと私を見下ろす。
「俺は怒ってなどおらん! お前に、質問をしているだけだ! お前がきちんと答えんから!」
 怒ってるじゃんよ。
 そう思いながら彼を睨みつけて、そして尚も涙をこぼし続ける私。
 真田くんは大きく息をついて、難しい顔をしたままネクタイをゆるめた。
「……わかった、とりあえず、泣き止め」
「……一度涙が出るとね、なかなか止まらないの」
 私たちは、ゆっくりとまた歩き出した。
 私の前に、すっと水色のものが差し出される。
 真田くんの大きな手の中のハンドタオルだった。
「……これは、使っていないものだから安心しろ」
 私は驚いて彼と、そのきれいな水色のハンドタオルを交互にみつめて、おそるおそるそれを受け取って、そっと涙を拭いた。
 やわらかくて、柔軟剤のほのかな香りがする。
 こんな泣き虫じゃない私以外の女の子とは、真田くんももっと普通に話すんだろうなあ。こんなじゃ、やっぱりだめだ。
「真田くん、よく女の子からタオルとかもらったりするの?」
 この水色のタオルも、そういったもののうちのひとつなのかなあなんて思いながら、何気なくつぶやいた。
「俺がか!? 俺は女子から、そういったものをもらったりせん! 俺が使っているタオルは概ね、家の引き出物か香典返しかそういったものだ!」
 すると彼はこれまた怒ったように言う。
 それにしても香典返しとかまで言わなくていいのに……。泣きながらも、私はちょっとおかしくなってしまった。
 そうか、真田くんのタオルは女の子からもらったものとかじゃなくて、引き出物か香典返しか。
 だったら、私があげたアディダスのタオルは、一張羅な方になるのかな。
 そう思うとふっと涙が止まって、ちらりと隣を歩く真田くんを見る。
 真田くんの顔はよくよく見ると、それほど怒っていなくて、ちょっと困ったようなそんな顔に見える。
 私がついついなんでもないことですぐに泣いてしまうように、真田くんが怒って見えるのも、別にたいしたことじゃないのかも。
 そう思いながら彼を見ているとふいに目が合って、すると真田くんはひどくきまり悪そうに顔をしかめるのだった。
『泣きやんだのならば、タオルは返せ』なんて言うから、『だめだめ、洗って返すよ』って言うと、またフンと鼻をならして不機嫌そうな顔。
 うん、不機嫌そうな顔の真田くんと歩くのって結構平気だ。
 すっかり泣きやんだ私は、彼のタオルをぎゅうっと片手に握りしめて、ちょっとニヤニヤしながら歩き続けた。

(了)
「おこりんぼ」
2008.7.2


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