ボインはぁ〜、赤ちゃんが吸うためにぃ〜、あるんやでぇ〜
私はバーベキュー会場で、ウクレレで月亭可朝師匠の「嘆きのボイン」を弾き語っていた。
チアリーダー部の部長をやっている友人の千鶴から、「男テニレギュラーと合コンやるから、参加するよね!」と言われて二つ返事でOKしたのは間違いだったかもしれない。
最近落ち込み気味な友人の春香を元気づけるイベントとして、そしてテニス部全国大会優勝祈願を兼ねて、パーッと盛り上がろうよ! と言われ、そりゃあワクワクしたものだ。
だって、テニス部レギュラー陣ともなれば学校中の女の子の憧れ。
けれど規律の厳しい部だから、普段は彼らとそんなに騒げないし。
そんな彼らとの焼肉パーティなんて参加しないはずがない。
けど、千鶴に「、ギター持ってきてよね。あ、でも他にいろいろ運ぶものあるから、軽くてちっちゃいウクレレでいいや! 皆が知ってるような盛り上がる曲、練習しといてよ! ギター侍とかでもいいからさあ」なんて言われたあたりから、ちょっと嫌な予感はしていた。
千鶴の計画は用意周到だった。
とにかく盛り上げていこう! 場がしらけそうになったり、真面目な真田くんが怒り出しそうになったりしたら、はなんか曲を披露して気をそらして盛り上げてね!
彼女のそんな真剣な依頼を私は断る事ができず、こうしてウクレレを持って会場にやってきたというわけ。
今回は、肉で胸焼けした場合に備えて、茶道部の野梨子は野点のブースなどを用意させられているのだけど、何事にも完璧な彼女は可愛らしい桜色の小紋を着て緋毛氈の上にいる。
彼女と比べて、ワークブーツにライダーズジャケットでウクレレを抱えた私はどうなの。
軽音部だから音楽担当なのは仕方ないけれど、千鶴の依頼はどう考えてもお笑い担当をよろしくという事なのじゃないだろうか。
普通、合コンのネタ仕込みは男の子がするものじゃない?
でも千鶴の頼みだし、仕方がない。
さて、会場では千鶴のキューサインがすぐに出た。
会場に真田くんが到着したと思ったら、いきなり怒鳴り出したのだ。
! 音楽音楽! とサインを出す彼女に応じて、私はウクレレの演奏を始めた。
ギター侍でスベるくらいなら月亭可朝でスベった方がまだマシだと、冒頭のように「嘆きのボイン」を披露するにいたる。
けれど、真田くんは自分で火を起こし始めたらそれに熱中してご満悦のようで、私のウクレレはさほど意味をなさなかった。
どうやら、しょっぱなからスベったようだった。
けれど、私は中途半端でやめるわけにもいかず、淡々と「ボインはぁ〜」と唄い続けているというわけだ。
あ〜、もう今日の合コンは駄目だ。
こういう滑り出しは、まず絶対駄目だ。
そうやって内心ため息をつきながら、私の心情にぴったりなマイナー調のコードをつまびき続けていると、ふと傍に柳くんが立ち止まった。
いつもほとんど開いているところを見たことのない、その切れ長な目をほんの少し開いて、口がもそもそと動いている。
んん?
よくよく耳を澄ますと、「こら、ほんまやでぇ〜……」と、唄ってるじゃないか。嘆きのボインを!
私が最後のコードをボヨヨンと弾き終えると、彼は満足そうにすっとその場を去って行った。
おそるべし、立海テニス部! なかなか懐が深いな。
ちょっと驚いて彼の後姿を見ていたら、クスクスと笑い声が聞こえる。
振り返ると、幸村くんだった。
そうそう、テニス部部長の。
へえ。
近くでじっくりと顔を見るのは今回が初めて。
私は目を丸くして彼を見た。
もんのすごくテニスが強くて、厳しい部長なんだって千鶴から聞いてたけど、女の子みたいに可愛らしいきれいな顔をしてる。そして、可愛らしく笑うんだなあ。
ちょっと驚いたのだ。
「真田と柳は、昭和歌謡が好きだからね」
彼はそう言うとまた笑った。
「さん、だっけ?」
そして私に尋ねる。私は小さくうなずいた。
「さんも、渋い曲演るんだね」
彼の言葉に、うん、まあね、と私は口ごもる。
私は軽音部とはいえ、スラッシャーなのだ。
つまり、いまどき流行らないハードコアなスラッシュメタルバンドをやっている。ペインキラーのコピーとかね。
だから、みんながカラオケで唄うような流行りの曲はあまり知らなくて、こんな、家のお父さんに教えてもらったような曲しかこんなところでは披露できないのだ。
ウクレレでペインキラーなんて、まずありえないし。
まあ、今回のために千鶴に言われた曲をいくつかは練習してきたけれど。
そんなわけなので、軽音部といえば華やかなイメージをみんな持ってるみたいなのだけど、スラッシャーではなかなか男の子からモテないし、私もそんなに男の子とワイワイやるのが得意ではない。
だから、こんなキリリとした幸村くんと改めて話すのはなんだか照れくさくて、話しながら自分へのBGMみたいにぽろんぽろんとウクレレをつまびく。
結局、自分のためにもウクレレは必要だったみたい。
「ー!」
突然におよびがかかった。
「赤也が、『ボーイフレンド』唄いたいんだって! 確か弾けたよねえ!」
千鶴が叫んでいる。
ああ、あそこにいるのが唯一の二年生レギュラー切原くんか。
火起こしの役目を真田くんに奪われて手持ち無沙汰なのだろう。
やんちゃな暴れん坊だから、と千鶴から要注意メンバーの一人として聞いていた。唄でも唄わせて、大人しくさせておこうという作戦だ。
「あ、幸村くん、私、ウクレレ弾かなきゃ! また後でね!」
「うん、頑張って」
私が手を振ると、幸村くんはまたおかしそうに笑った。
私は千鶴と切原くんのところに飛んでいって、『ボーイフレンド』を演奏した。
まったく、流しじゃないんだから。
っていうか、上級生を呼びつけてウクレレ弾かせて、遠慮なく唄いまくる二年生ってどうなの。しかも「キー下げてよ」って、転調までさせられる始末。テニス部、どういう教育してるのよ。
切原くんってよく先輩に叱られて殴られたりしてるって聞いたけど、何だかんだ言って可愛がられてるんだろうなあ。のびのびしてるもん。
そんな事を思いつつ、ウクレレを弾きながら私は幸村くんをちらり見た。
何か、難しい病気をして、そして夏に手術を受けるのだと。
そう耳にした。
こうしている彼は、どこがどう悪いのかよくわからない。
元気がなさそうにも見えない。
でも結構深刻な病気らしくて、千鶴は心配そうにしてたっけ。
今回、その幸村くんを元気付けて回復祈願をするという意味合いもあって、この会を企画したんだし。
私はウクレレを弾きながら会場を見渡すけれど、とにかく他のレギュラーの子たちは元気一杯だ。これ以上元気で健康な奴らはいないというくらいに。
その中で一番強くて部長なのに、そんな病気になってしまった幸村くんって、どんな気持ちなんだろう。
私は病気も手術もしたことがないし、それがどんな気持ちなのか、そしてどんな風に励ましたらいいのか、よくわからなかった。
バーベキューの準備に向けて皆バタバタしてる中、それを静かに楽しそうに眺めている幸村くんは、部長でエラいからそうやってゆっくりしているのか、皆が気遣ってあまり動かなくていいようにしているのか、それも私にはわからなかった。
私は音楽盛上げ担当と言われているので、皆がバタバタしている中、他に何をしていいやらわからず、ウクレレを持ってうろうろする。
幸村くんみたいに、どっしり構えている器じゃないし、毛氈の上で優雅に座っている野梨子ほど様になるいでたちでもないので、ちょっと落ち着かない。
切原くんは歌って落ち着いたみたいで、大人しく野菜を切ったりしているのでほっといても大丈夫みたいだ。
同じクラスで話しやすいジャッカルはまるで焼肉屋のバイトの人のようにキリキリ働いているから傍に行くと邪魔そうだし、ブン太は肉が焼けてないから既に箸休め用に用意していたお菓子をバリバリ食べてばかりだし、私はなかなか話し相手もなくて手持ち無沙汰だ。
今日は、朝はちょっと寒かったけれど予報どおりすごくいい天気で動き回っていると汗ばんでくるくらい。絶好のバーベキュー日よりだな、と私は改めて空を見上げた。
千鶴の家はすごく広い典型的な日本家屋で、その広い中庭を借りてこうやってバーベキューをやってるんだけど、こんなところでこうやってみんなでワイワイやってるのってなんだかすごく幸せな感じの風景。
こんなに平和で幸せな感じなのに、幸村くんが病気になっているんだっていう事がどうしても納得がいかなかった。
私はまた幸村くんが気になって、ちらりと見る。
気になるというのは、なんていうんだろう、寂しくないかなあって。
そんなはずはないのに。
皆から尊敬されて、大事にされてる幸村くんが、寂しいはずはないんだけど。
それに、病気だからって変に気遣われるのも嫌なはずだ、きっと。
それでも、どうしてだか彼の勝気そうなんだけど少し儚いような優しい笑顔を見ていたら、なんだか元気付けたいなあと思ってしまう。
私はぶらぶらとウクレレを弾きながら、また彼の傍に立った。
「さん、やっぱりウクレレ上手いね。音楽があると、やっぱりいい感じだよ」
彼がそう言うので、私はちょっと嬉しくなった。
スベってる! と思った私のウクレレが、ちょっとは役に立ったのかな!
「よかった! 普段はエレキギターなんだけどね、ウクレレも家でちょっと練習してるんだ」
私は調子に乗って、ゴンチチの曲を弾いてみたりした。
「あ、その曲は知ってるよ」
「本当?」
私はまた嬉しくなる。
そのままいくつかゴンチチの曲を弾いた。
そんな曲は、このバタバタと騒がしい焼肉会場にはまったくそぐわないけれど、静かに落ち着いた幸村くんにはぴったりだった。
「……ええと、幸村くん、いつから入院するの?」
私はウクレレを弾きながら尋ねた。
「7月からだよ。それまでに調子が悪くなったりしたら、早めに一度入院するかもしれないけれど」
何気なく尋ねた質問の答えは、彼の病気のシビアさを伺わせる。
急に悪くなったりする可能性もある病気なんだ。
今、私の隣でこんなに元気そうにウクレレに合わせて鼻歌を歌ったりしてるのに。
なんだか私はもどかしい。
ウクレレを弾いてあげる事しかできないなんて。
早く、手術が終って元気になって幸村くんが復帰できるといい。
そんな風に祈るしかできないな。
だけど……。
私は会場の皆を見渡した。
今日、初めてまともに口をきく私ですらこんな気持ちになるんだから、レギュラーメンバーの仲間たちはもっとだろう。彼に早くよくなってもらいたくて、そしてそのために何をしたらいいか、それは自分たちが勝ち進むしかなくて。もどかしいけれど、きっと一生懸命なんだろうな。
そう思うと、私は別にお笑い担当でいいから、今日は皆を盛り上げるため、じゃんじゃんウクレレを弾いていこうと心に決めた。
それしかできないし。
「幸村くん、何か、リクエストある? 多分、私の応えられるレパートリーはすごく少ないけど、何かあったら言ってみて!」
がぜんやる気の出てきた私は、高木ブーばりにはりきってウクレレをかきならしながら彼を見て申し出た。
幸村くんはちょっと驚いたような目で私をじっと見て、あの柔らかな笑顔を私に見せる。
「……真田! ちょっと来てくれる?」
そして突然、火を起こし終えて満足そうに炭火を眺めている真田くんを呼びつけたのだ。
「何だ、幸村」
私は突然目の前にやってきた真田くんに圧倒される。
がっしりした体で、いつも険しい顔をしている真田くんが私をジロリと睨んだ。
幸村くん! 私は幸村くんにリクエストを聞いたのであって、真田くんじゃないんだけど。ちょっと真田くんがおっかなくて、私はすがるように幸村くんを見た。
「さん、加山雄三の『君といつまでも』弾ける?」
「え……弾けるけど。ウクレレの定番曲だし……」
「そう、よかった。真田、唄ってよ」
幸村くんは当然というように、クイッと真田くんをアゴで指した。
ええ!
いきなり人を呼びつけて、加山雄三唄えって。
幸村くんってそういう人だったの!
私は自分の耳を疑いつつ幸村くんをまじまじと見た。
相変わらずの穏やかな笑顔だ。この笑顔の裏で、一体何を考えてるのやら。
私のウクレレで真田くんが歌う!?
千鶴の青写真でも、そんなのはなかったんだけど!
私が振り返って千鶴を見ると、彼女は網に肉を載せるのに忙しいようでウクレレに構っている暇はなさそうだった。
ちょっと、真田くん、どうするの?
恐る恐る彼を見上げると、帽子をぎゅっと深くかぶり、そしてご満悦そうな顔。
「生演奏か。悪くないな」
ええ! 真田くん、唄っちゃうの!?
動揺しつつも、両者のご機嫌を損ねてはいけないと、私は『君といつまでも』を弾き始めた。
真田くんの歌は、これまた意外に上手で彼は思い切り熱唱する。昭和歌謡が好きだという話は本当だった。
周りのメンバーは思い切り注目して耳を傾けている。
しかし、これは中学生のバーベキューでの歌としてはどうなの。嘆きのボインを演った私が言うのも何だけど、この場で一番エラい人が二番目にエラい人に命じて歌を唄わせて、そしてそれがスベったら会場に核弾頭が落ちたくらいの破壊力となるに違いない。
真田くん、上手に熱唱しすぎ! しかも、「幸せだなァ〜」というセリフの部分まで、ノリノリ! すごく上手いけど、微妙すぎるよ!
私はハラハラしながら演奏して、幸村くんをちらりと見た。
彼はまったく幸せそうな満足そうな顔。
私がドキドキしながら最後のコードを弾くと、真田くんは天を仰ぎながら最後のフレーズを歌い上げた。
すると、会場のメンバーからは彼の歌声を上回る拍手喝采が。
「おお〜、副部長の加山雄三、いつ聴いてもいいっスねえ!」
「のウクレレも、なかなかじゃのう!」
「やるな、弦一郎!」
うおーっというような歓声と拍手がしばし鳴り止まない。
立海大附属テニス部レギュラー、おそるべし。
ものすごい団結力だ。
私は驚きつつも、心からほっとした。
真田くんは、目を閉じてぎゅっと拳を握り締め、最高に満足した様子だった。
そしてその隣の幸村くんは。
会場の皆と真田くんを交互に見て、本当に幸せそうな顔をしていた。
「肉、焼けたよー!」
千鶴の合図で、真田くんは魔法が解けたようにキッと目を開けた。
「何! 肉か!」
そして箸と紙皿をつかむと、バーベキューコンロに走り寄っていく。
他のメンバーも同様だった。
私はふうっと深呼吸をした。
なんとか無事に焼肉パーティが始められそうだ。
ちらりと、相変わらず満足そうな顔の幸村くんを見る。
「……いいもんだね」
「うん、焼肉ってやっぱり盛り上がるよね」
「焼肉もだけどさ、ウクレレ」
「ええ?」
私は驚いて彼を見た。
「誰かが自分のために演奏してくれるって、初めてだけど、いいもんだね。すごく幸せな気分になれる」
そう言って、あの優しい笑顔を私に向けるのだ。
幸村くんを、幸せな気分にした?
その彼の言葉は、まるで天にでも昇るように私をも幸せにした。
いつもお父さんにお前のギターはうるさいって言われてばかりなのに。
幸せな気分になった、なんて。
「ねえ、幸村くん」
「うん?」
「入院して、何か音楽聴きたくなったら、いつでも呼んで。ウクレレ、持っていくから。前もってリクエストしてくれたら、練習しておく」
「本当かい?」
「勿論。手術終わったら……麻酔がさめるまで、ずっとベッドのところで弾いててもいいよ」
「それはすごく嬉しいな。病院に許可が取れたら、是非お願いしたいよ。……手術が終わって、さんのウクレレで真田が唄う『君といつまでも』を聞いて目覚められたら最高だろうな」
私は思わず笑ってしまう。
真田くんの熱唱では、多分病院の許可が下りないよ。
私の想像が伝わったのか、幸村くんもクスクスと笑った。
「肉、食べようか」
「うん」
私はウクレレを紙皿に持ち替えて、幸村くんとバーベキューコンロに向かった。
2007.9.12