さかのぼる事数日、千鶴がセッティングしたという男テニレギュラーとの合コンの準備担当のメンツと顔を合わせて、私はさすが仁王くんだなあ、と思った。
女子からは私と勿論千鶴が準備担当で、男子はジャッカルくんとそして柳生くんなのだった。男子側の幹事の仁王くんが派遣してきた二人、いかにも準備でキリキリ働きそうでしょ?
柳生くんは、千鶴が用意してくれる肉と野菜の他の、飲み物やお菓子類なんかがどれだけ要るかさっと見積もってくれて、そして皆で買い物に行くと力持ちのジャッカルくんがさっさと運んでくれるのだった。
今回の合コンの準備で一緒になる前から、私ははっきり言って柳生くんに興味があった。
なんて言うんだろう上手く言えないんだけれど、文字通り興味があるのだ。
柳生くんはテニス部レギュラーの中でも勿論女の子に人気がある方だ。
背は高くて多分筋肉質だと思うんだけどすらりと細身で暑苦しくない体型に、すっきりときれいな顔立ち。勿論頭も良くて、落ち着いていて性格も穏やかで。なんといっても、『紳士』という通り名を持つくらいに洗練された男の子だ。
私が興味を持つきっかけになったのは何だったかな、確か以前、柳生くんのクラスにいる私の友達に会いに行った時だった。
私が友達としゃべっていると、彼は確か新聞部の取材を受けていたんだったと思う。
インタビュー内容に、
『好きなタイプの女の子は』
っていうのがあって、へえ柳生くんそんな質問に答えるのかな、と私は何気なく耳を澄ませていた。
すると彼は
『私は、清らかな女子が……』
と答えていたのだった。
清らかな女子が、の続きはわからない。
だって、それを聞いた私と友達の笑い声でかき消されてしまったから。
彼のコメントに私たちが笑ってしまったとは多分気付かれなかったけれど、とにかく私にはその件が非常に印象深い。
自分の事を『ワタシ』と言う、『清らかな女子』を好む中学生。
そんなありえないくらいに紳士な彼の動向に、私は注目しているのだ。
さて、焼肉合コンの当日、当然準備担当の私たちは大忙しだ。
皆手伝ってくれるんだけど、何がどこにあるんだとか、何をどうするとか結局指示を出さないと回らないんだよね。柳生くんはそういう事を実に的確に、さりげなくこなす。
焼肉が始まってからもそうだった。
私と千鶴は肉や野菜を運んだり、紙皿やなんかが足りなくなってないか確認したりとにかく目の前の事で精一杯なんだけど、柳生くんはまるで全身に目がついてるんじゃないかというくらいに会場全部を見渡しているのだ。
飲み物が足りなくなりそうなテーブルにさりげなくペットボトルを追加したり、使われなくなった紙皿をさっさと片付けてテーブルを広くしたり。
きっと周りの人から、「あ、柳生くんが働いてくれてる」と気付かれる事なくいろんな事をやっている。
感心しながら、私が野菜を載せた皿を運ぼうとしていると、紙コップを持った柳生くんと目が合った。
「あちらのテーブルでいいんですよね?」
彼はそう言うと穏やかに微笑んで、私の手からその皿を受け取るとテーブルに運んで行くのだった。
まったく、『紳士』という称号は伊達ではない。
柳生くんは、ジャッカルくんみたいにバタバタキリキリと動き回っているイメージはないんだけれど、とにかく会場ではひとところにじっとはしていなかった。
女の子が肉や野菜を焼こうとして火が強くなったりしていると、氷を使ってさっと火を収め、トングを受け取ってさっさと網に並べてくれる。
火が通って焦げそうになる前に、これまたさっさと皿に取り分ける。
時には二年生の切原くんをひきつれて紹介していたり、そんな先輩らしい事もしている。
うーん、さすが柳生くん。
「さん、よかったらどうぞ」
そして、そう言うと私に皿を差し出してくれた。
「いろいろ忙しくて、まだあまり食べられていないんじゃないですか」
彼がくれた皿には、丁度よく焼けたお肉と野菜がほどよく載せられていた。
「あ、ありがとう。柳生くんもちゃんと食べてる?」
私はありがたくそれを受け取って、彼を見上げた。
「ハイ、私はそれなりにちゃんと食べていますよ」
静かに頷いて言う彼に、ああー、ホントに紳士だなァと、私は心で唸ってしまう。
タレのほかに、柳生くんが用意してくれたポン酢や大根おろしを添えて私はお肉を頂く。素敵な男の子が持って来てくれたお肉はまた、一段と美味しい。
焼肉も後半になってきて、私たち準備係りも前半ほどは忙しくなくて千鶴もジャッカルくんもようやく落ち着いてお肉を食べられているようだった。
ジャッカルくんは野点をやってる野梨子に茶碗を洗いに行かされたりしたついでに、食べ物も取りに行かされてるみたいだ。これでもかと、ヤケになったかのように皿に肉や野菜を山盛りに取って、野梨子のいる緋毛氈のところへ戻った。あーあ、野梨子あんなに食べないのに。それに、どうせだったらポン酢とか大根おろしも持っていってあげればいいのに。
そんな事を考えながらジャッカルくんの後姿を見ていたら、隣で柳生くんが小皿に大根おろしを盛った。そして、それを持って野梨子のところへ行くのだった。
上品な手つきでお抹茶を頂く柳生くんを見て、そういえば柳生くんは『清らかな女子』が好きだって言ってたけど、確かに野梨子みたいなのがいいのかもねーなんて思いながら見ていると、柳生くんは持って行った大根おろしを野梨子に差し出して、そして珍しく野梨子が会釈をして御礼なんか言っているらしい。そして隣ではムッとしてるジャッカルくん。あらあら、どうするのかしら。
私は三人のその先の展開を楽しみにしていたのだけれど、柳生くんはそれだけであっさりとその場を去るのだった。あれ、それでおしまいなの?
そんな事を考えてると、千鶴が何か叫んでるのが聞こえる。
「どうしたの?」
私があわてて傍に行くと、彼女は疲れたようにふうっとため息をつく。
「集合! って言ってるのに……」
「は? 何が?」
「だから、女子集合よ! 作戦会議でしょ! 集合って言ってるのに、皆食べてばっかりで聞いちゃいないの!」
千鶴は腹立たしそうに言う。
「だって、ちょうど肉が焼けてる頃だからねえ。前半は男の子がワーッと食べちゃって、今やっと皆十分に食べられてる頃なんじゃない?」
「あのねえ、これは合コンなんだから! 男テニの連中が食べてばっかなのは仕方ないけど、女子も食べてばっかじゃない!」
「千鶴ん家のお肉美味しいから、仕方ないよ」
「だけどね、これだけのメンツを集めて、みんな食べて終わりじゃ幹事の私の沽券にも関わるのよ!」
「まあ、落ち着きなよ。仁王くんや柳生くんを見習ってさ。ほら、皆すごく楽しそうにしてるし、いいじゃない。そのうちなるようになるって」
「はどうなの? 誰かお目当てはいないの?」
「ええ? 私はなんだか忙しくて、それどころじゃないっていうか……」
私の頭には一瞬柳生くんが思い浮かぶのだけれど、なぜだかそれは言わずにおいた。
「あーあ、準備係のは仕方ないとしても、ウクレレ係とか抹茶係とか作っちゃって失敗したかも」
千鶴はついに自分を責め始めた。よっぽど疲れてるらしい。
「大丈夫だって。あの二人はそもそも口下手だから、担当を持たせなくてもどうせそんなに愛想よくしゃべんないし同じ事だよ」
「それじゃダメなんだってば!」
なんだか疲れ気味の彼女に、私は、いやいや結構みんなうまくやってるよ、ジャッカルくんなんか良い感じじゃない。と言ってみたけれど、いやアレはパシらされてるだけ、とこれまた私が頭に浮かばせつつも言葉にはしなかった事をズバリという。これだから彼女は男の子といつも上手くいかないんだよね、と私は思いつつそれは心の内にしまう。
「とにかくさ、ほんと、みんな楽しんでるからほっといて大丈夫だって。ね? 千鶴も気楽にお肉食べてきなよ」
私はなんとか彼女をなだめて、そして再度肉を食べようとコンロの近くに寄った。
ふと見ると、柳生くんは珍しく一人で(それまで、大概誰かと話してたりしていたのだ)静かにお肉や野菜を食べ、そしてまた黙々と新しい肉や野菜を網にのせていた。
私がそっと隣りに行くと、にこっと笑って私の皿に焼けたお肉を載せてくれる。
わあ、やっぱり優しい。
きっと誰が来てもこんな風にしてくれるんだろうなあ。
私が彼の穏やかで整った顔を見上げていると、
「! 柳生くん!」
千鶴が再度叫びながら駆け寄ってきた。何事だろうか。彼女はしっかり者だけに苦労が絶えないようだ。
「デザートに用意してたお菓子、もうブン太が半分くらい食べちゃった! どうしよう」
あわてた顔で私たちに訴えかけてきた。
「えっ、マジで! ゼリーとかカップケーキとか、結構買ってあったのに!」
「だってあいつ、肉を食べ飽きたかと思ったらお菓子食べて、甘いものに飽きたら、また肉、の繰り返しでキリがないのよ!」
千鶴は憤慨した声で言う。
「大丈夫ですよ、江波さん」
柳生くんが眼鏡のブリッジを指で持ち上げながら、落ち着いて言う。
「もう少ししたら、私とジャッカルで追加の買い物に走りますから」
静かな声でゆっくりと言い、優しく微笑むのだった。
「本当? ごめんね、柳生くん。あ、私も行くから」
千鶴は安心したように笑った。
丸井くんのお菓子の食べっぷりが予想以上で(肉を食べるからそんなにお菓子は食べないだろうという予想だったのだが、どうやら強烈な別腹を持っていたらしい)、ちょっとあわてていたようだ。
柳生くんの対応で彼女はほっとしたのか、ようやく隣のコンロの前に落ち着いて仁王くんとしみじみ話をしながらしばらくゆっくり食べていた。幹事同士の苦労話だろうか。ま、仁王くんはそんな愚痴を言う柄じゃないけど。
私は改めて隣の柳生くんを見上げる。
柳生くんってねえ。
もしかしたら、ちょっと損してるんじゃないかなあ、とふと思った。
すっきりとした鼻筋に細いフレームの眼鏡、その奥のまなざしの示す表情はなかなか読み取れないけれど、かもし出す雰囲気はいつも穏やか。物腰も柔らかで威圧感があるわけじゃなくて、本当に紳士で、かっこいい。
でもね、皆に優しいからね、柳生くんは。
誰にでも同じように、その最高に紳士な顔を向けるんだもの。
今回のバーベキューで、おそらく誰よりも一番かっこいい働きをしてるんだけど、それを誰にも気付かせない。
ちょっと隙がなさすぎてね、彼がどんな『清らかな女子』を好きになってどんな恋をするのか、なかなか想像できないよ。
「……どうかしましたか? さん」
思わずじっと彼を見る私を、柳生くんはお肉を食べながら不思議そうに見下ろして言った。
「ううん。柳生くんてほんと、いつも穏やかで隙がなくてね、すごいなあって思って」
「そうですか? 私は至って普通に振舞っているだけですよ」
案の定彼はふっとかすかに笑ってなんでもないように言うのだった。
「たまには、あわてちゃったり、文句言いたくなっちゃったりする事ないの?」
「それは時にはありますがね」
さらりと笑って言う彼を見て、私はやっとわかった。
私が柳生くんに注目していた理由。
なんとかちょっとでも、一瞬でも、紳士じゃなくなった彼を見て見たいのだ。
だって、どんなに落ち着いてかっこよくたって同じ中学三年生の男の子なんだからさ。
柳生くん、もし恋をしたならば、その相手にはほんのちょっとだけ紳士以外の顔を見せた方がいいよ。ちょっとフテクサれてみたり愚痴ったりでもいいからさ。柳生くんの場合は、きっとそれだけでスペシャルになって女の子の気持ちを捕らえるにちがいないよ。
なーんてね、私なんかから柳生くんへの恋のアドバイスなんておこがましいんだけどね。
などと私が考えている合間にも、彼は相変わらずあちこちのコンロの網の上の野菜をひっくりかえしたり、クーラーボックスから取り出した飲み物をテーブルに追加したりしているのだった。
やっぱり彼が紳士以外の顔を見せるところなんて、想像つかないなあ。
そんな事を思いながら、私は働く彼をじっと見つめていた。
彼がひとしきり会場をパトロールしてまた私のいるテーブルに戻って自分のコップを手にした時、その手がピクリと震えるのが見えた。
落ち着いてはいるけれど、片時も止まらなかった彼の無駄のない優雅な動きが止まる。
私はちょっと意外で、その視線の先をたどった。
その先には、切原くん。
彼がズルズルと何かを食べているのだった。
「おっ、これ、結構ウマいっすねえ!」
はしゃいだ声を出してズルズルとすすっているのは、それはトコロテンだった。
私ははっと柳生くんを振り返る。
確か、あのトコロテンは柳生くんが『好物なのです』と、自分用に用意したデザート。
変わったモン好きなんだなーと思いつつ見ていたから覚えている。
それに、トコロテンなんて他の子は食べないだろうと、私もすっかり油断していた。
「あのワカメ野郎……私のトコロテンを……!」
柳生くんは明らかに眉間にシワをよせ、唇を震わせながら低い静かな声ではっきりと呪うようにつぶやくのだった。
その眼鏡の奥からレーザービームを送り出すかのように切原くんを睨みながら。
私はそんな彼をじっと見つめた。
スペシャルな柳生くんはこんなところに転がっていたのか。
トコロテンを嬉しそうに食べる柳生くんを、ものすごく見てみたくなった。
私はくすっと笑うと箸と皿をテーブルに置いて、彼の背中を押す。
「柳生くん、今から買いに行こうよ。トコロテン」
「は? 今からですか。まだジャッカル君は肉を食べているようですが」
彼は驚いたように会場を振り返りながらも私に促されて歩く。
「いいよ、デザートくらい軽いから私でも持てるし。……私もトコロテン食べてみたくなった」
会場を後にしながら、しばらく柳生くんは戸惑ったような顔をしていたけれど、眼鏡をさわりながらつぶやいた。
「女の人は黒蜜の方が好きな事が多いようですが、三杯酢でもなかなかいけますよ」
そう言ってもっともらしくうなずく。
「じゃあ、半分ずつしようよ」
「……そうですね」
そして彼は満足そうに微笑むのだった。
二人で近くのコンビニに向かいながら、私は、ああこういうのってぬけがけっていうのあなあ、なんて思うけれど、でもどうせ二人でお菓子入りの大袋を抱えてすぐ戻るからね、健全なものだよとくすくす笑う。
柳生くんがおいしそうにトコロテンを食べるところ、早く見たいな。
2007.9.18