今日の客は最悪だ。
俺はため息をつきながら、両手の上にアゴを乗せて目を閉じる。
しかし、いくら目を閉じても俺の敏感な鼻と耳からは、肉汁の匂いと耳障りな物音を追い出す事ができない。
俺が焼肉屋をやっている家で飼われている犬だからって、たらふく肉を食っていると思っている奴はたくさんいるがとんでもない。
毎日カリカリとした飯しか食っていない。
肉など、たまにほんの少し頂戴するくらいだ。
そうやって肉が食えるのは、主人のお客がやってきて庭で肉を焼いた時が多い。
ご機嫌になった主人が、残った肉の、味のついていない部分を少しだけ俺の飯にまぜてくれるのだ。
だから俺は今回も激しく期待をした。
今日は主人のお嬢さんが、友達らしき客を多数つれてきて大量に肉を焼いていた。
勿論俺は、横からそれをかすめとって叱られるという青臭いガキじゃないので、関心のないフリをしながら横目でちらちらと見て庭を遠巻きにうろうろするばかり。
勿論、騒がしい奴に構われるのも好きじゃないので、概ね部屋に入っていたり、時に木陰から様子を伺ったり控えめにだ。
しかしどうやら今回の客は肉を全部食いきったらしい。
俺は匂いと気配でわかる。
残されたのは、火にあぶられて落ちた肉汁の匂いのみ。
がっくりした俺は、自分の部屋で愕然と膝を折った。
肉がもらえないだけならまだいい。
すっかり肉を食いきったお嬢さんとその忌々しい客たちは、更になにやら騒ぎ出すのだ。
常ー勝ーっ、立海大!
レッツゴーレッツゴー立海っ!
意味はわからないが、お嬢さんが時折庭で手足をばたばたさせながら叫ぶ言葉だ。
これを、いつものようにお嬢さんが叫ぶと、その場にいた全員が叫び出す。
俺はたまらず体を丸め、少しでもその騒音から耳をそむけようとする。
天気の悪い日に空が光ってゴロゴロとやかましい音がしたり、散歩中に道路から『ウ〜ウ〜ウ〜!』とけたたましい音がしたりすると、俺はたまらずウォ〜〜ンと遠吠えをしてしまうのだが、その度に叱られるのでなるべく我慢するようにしている。
今回も俺の遠吠えを誘発しそうな、このやかましい客の叫びなのだが、必死でこらえた。
早く帰ってもらえないか。
そもそももうすぐお嬢さんが俺を散歩に連れてゆく時間なのだ。
肉もなくなった事だし、おそらくあと少しの辛抱だろうと俺がぎゅっと目を閉じて丸まっていると、今度はポロンポロンと奇妙な楽器の音が聞こえてくる。
そして、全員がなにやら重苦しくもやけに力強い歌を歌いだすのだ。
りっかいだ〜い、ふぞ〜く、ちゅ〜うが〜っこう〜
と何やら疎ましい言葉が繰り返し出てくる、つまらない歌だ。
つまらない歌なのに、それを全員が大きな声でえんえんと歌い続けるのだ。
さすがに我慢強い俺も限界だった。
これは、天空からの『ピカッ ゴロゴロ』に匹敵する。
ダメだダメだと思いつつも、俺の咽喉からは『ウォォオオ〜ン!』という声が漏れた。
いつもなら、奥さんがやってきて『ダメでしょ』と一言くらうところだが、今日は俺の声よりもこいつらの声の方が大きい。
常ー勝ーっ、立海大!
レッツゴーレッツゴー立海っ!
歌の後にも更に叫ぶ奴らの傍で、いまいましく思いながら吠え続ける俺を見て、客の中でもいかにも頭の悪そうな、モジャモジャした髪の男が『おっ、こいつも応援してくれてるみてーだぜ』などという。
頭が悪そうだと思ったら本当にバカなんだな、と俺は『ウォン』と一言お見舞いして、そして自分の部屋に戻った。
こんな客は二度と来なければ良いと思った。
(了)
2007.9.21