立海 DE 合コン〜Boy MEAT Girl〜


切原赤也の場合


 俺の中では、とにかく勝負に勝つ事が一番正しくて美しい事だ。
 それは恋だって同じで、俺はコレだ! と思った女の子を諦めたり妥協する事なんて考えられない。
 チアリーダー部の江波先輩がセッティングしてくれたこの焼肉合コンで、早速俺は素晴らしく好みな女の人を発見した。

 炭に火をおこすというワクワクする仕事をすっかり副部長に奪われてしまった俺は、退屈しつつもウクレレを弾いてくれる先輩の演奏で歌ったり楽しく過ごしていたのだけれど、その彼女を見つけてからは、どうやって彼女に近づいてゆこうかと作戦を立てるので落ち着かない。
 
 まず肉が焼けた頃、俺はささっといくつかを皿に取って彼女の隣りに駆け寄った。
 当然最初の争奪戦に敗れたらしい彼女の皿はまだ空っぽだ。

「あの、これ、よかったらどうぞ」
 
 俺がそう言って肉の入った皿を差し出すと、彼女は少し驚いた顔をして俺を見上げた。

「ん……。ありがとう」

 そしてそう言うと空の皿をテーブルに置いて両手で俺の差し出した皿を受け取り、また俺を見上げて微笑むのだった。
 ほんの一言なのに、初めて耳にするはずの彼女の声は、なぜだかするりとなじむように俺の中に入り込んできて、そしてそれはぞくりとするくらいに俺の心を捉えた。
 高すぎず低すぎず柔らかな彼女の「ん」という言葉の余韻は俺の周りを包み込む。
 ふっくらした可愛らしい唇を少し開いて笑う。
 俺はぺこりと頭を下げて、一旦をその場を去った。
 とにかく、話をして仲良くなりたい。
 でも俺は二年生で、さっぱり面識もないしちょっといきなりはしゃいで話しかけるのもどうかという感じの人なので、これは出直してきちんと作戦を練るしかない。

「ウクレレ先輩!」

 会場でウクレレを弾いてくれてる先輩に声をかけながら俺は走った。

「ちょっと切原くん、私ウクレレ先輩なんて名前じゃないんだから」
「いいじゃないスか」
 ちなみにこのウクレレを弾いてくれる先輩は軽音部だそうで、クールな美人なんだけど結構親しみやすくて話しやすいから俺は気安く話し掛けてしまう。
「ほら、あの、あそこにいる先輩て、何て名前なんスか? 小柄で可愛らしい人」
 俺はウクレレ先輩に、お目当ての彼女の名前を尋ねた。
「ああ、ね。。切原くん、気に入ったの?」
「ああ、もう、かわいいし、声もめっちゃ好みなんスよー。紹介してくれませんか?」
 俺が強請るとウクレレ先輩は少々困った顔。そして俺の腕をつかむと、
「千鶴ー!」
 と、江波先輩を呼んで先輩のところに連れて行こうとするのだ。
 あ、ヤバイヤバイ! 江波先輩には俺、いっつも叱られてばかりだから今回わざわざウクレレ先輩のトコに来たのに!
「どうしたの、赤也がもう何かやらかした?」
 ほら、江波先輩はぜったい俺が何かすると決め付けてるんだからな。
「まだ何もしてないけど。切原くん、が気に入ったんだって」
 ウクレレ先輩がそう言うと、江波先輩はギロリと俺を睨んだ。
「なに、を? 赤也、何言ってるの! はダメよ!」
 そして容赦ない一喝。
「えええー? どうしてスかあ?」
 俺は思わず情けない声を出す。
「だって、これ合コンでショ? 気に入った女の人狙って、何がいけないんスかぁ?」
「とにかくダメよ。にはもう少しね、落ち着いてやさしい大人の男じゃないとダメなのよ。赤也はね、お肉でも食べてそして、そうね、お抹茶でもいただいてきなさいよ」
 俺は江波先輩に指差される方を見た。
 和服を着た先輩が優雅に茶をたてている。
「えええ、あの先輩、すげーキレイなんスけど、めちゃ怖そうじゃないスか」
「贅沢いうんじゃないの。とにかくはダメよ」
 江波先輩の返事はにべもなかった。
 そしてそれだけを言うと、さっさと飲み物を運んだりの仕事に戻ってゆくのだった。

「……ウクレレ先輩、ね? 江波先輩が見てない時にちょっとでいいから、一緒に行って紹介してくださいよ。ほら、先輩て言うんでしたっけ?」
 俺は必死で言うのだが、ウクレレ先輩は困った顔でぽろんぽろんとウクレレをかきならすばかり。
「うーん、でも千鶴がああ言うんじゃねえ。それに確かに切原くんじゃなぁ。うーん……どうしよう。あ、幸村くんにも相談してみよか?」
 そんな感じでどうにもウクレレ先輩は頼りない事この上ないのだ。
 そんなもん部長になんか相談されたらたまったもんじゃない。
 じゃーもういいっス! と俺はとりあえず肉を食いながら考え込む。
 合コンなんて、チームワークが基本じゃないか。
 ここは江波先輩ん家でつまりアウェイだしこの中では俺は唯一の二年生だし、不利な条件ばかり。誰か味方をつけなくてどうする。
 俺は肉をほおばりながら会場を見渡した。
 女子チームで唯一なんとかなりそうなウクレレ先輩には断られてしまった。
 そして我がテニス部ではまず、三強はパスだ。
 合コンでチームを組む相手としては考えられない。
 比較的仲の良いジャッカル先輩は、忙しそうに動き回っていてさっぱり合コンでの相棒としては役に立ちそうもない。丸井先輩は食ってばかりだ。
 仁王先輩は味方につければそりゃ心強い事この上ないのだが、あの人はちょっとわからないところがあるから、もしかするとギリギリのところで持っていかれてしまうかもしれないしこういう場でチームを組む相手には難しい。
 そういうわけで、俺が目をつけたのは柳生先輩だった。
 柳生先輩は今回の準備係もやっていて、じっと見ていると会場のあちこちに目を配り歩き回り、女の子たちともまんべんなく話していた。
 ここはやはり柳生先輩だろう。
 俺は心を決めると、柳生先輩のところへ走った。

「どうしました、切原君」

 柳生先輩は落ち着いた声で紙皿を持ったまま俺を見る。
「柳生先輩、どうスか。どの人、狙いでいきます?」
 俺はストレートに尋ねる。
 こういう時はもったいぶって遠まわしに言っても仕方がない。
 時間が勝負だからな。
「は? 何の事です?」
 しかし、この人はこうなのだ。
「何じゃないスよ。これ、合コンですよ! 協力しあいましょうよ! 柳生先輩の気に入りの人って誰なんスか?」
 俺がゴリゴリとせまると、柳生先輩はやれやれというようにため息をつきながら眼鏡のブリッジを持ち上げた。
「……私は今回は全国大会へ向けての壮行会という事で来たまでで、特にそういった気持ちは持っていません。……切原君はどなたか気に入りでも?」
 これまた本当なのかどうなのかよくわからない柳生先輩らしいレスポンスだったが、とにかく俺は協力してもらえればそれで良い。
「ほら、あの人スよ。先輩って人」
 俺はさっそく彼女をさした。
 ちょうど江波先輩と仁王先輩と柳先輩の四人で話しているところだった。
「……ああ、彼女ですか……」
 柳生先輩は表情も変えずにつぶやく。
 まあ少なくとも、柳生先輩の狙いではなさそうだ。
「俺、二年生だし面識ないし、ちょっと紹介してくださいよ」
「……確かに切原君はここでは唯一の二年生、親睦を深めるには一人では心細いかもしれませんね。良いでしょう。彼女は同じクラスで顔見知りですから、ご紹介いたしましょう」
 おお、さすが紳士・柳生先輩だ。
 俺は江波先輩が去るのを待ってからここぞとばかりに柳生先輩を促した。

「やあ、さん、食べていますか? 冷えた飲み物はいかがです?」

 柳生先輩は先輩の傍らへ行くと、優雅に話し掛けた。
 そして、テーブルに出してある大きなサイズのペットボトルとは別の、クーラーボックスで冷やしてあった小さなペットボトルの飲み物を差し出した。

「ん、ありがとう柳生くん。ちょっと暑くなって来たから、冷たいの、嬉しい」

 彼女はそう言ってペットボトルを受け取ると微笑んで、気持ちよさそうに額にあてた。
 その様はなんともキュートで、俺はこれから自分をアピールしなければならない事もすっかり忘れて見とれてしまう。
 しかし柳生先輩、やっぱり俺と違って大人だな。アプローチの仕方からして、ぜんぜん俺と違うじゃねーか、くそ。

「そうそう、今回はウチの後輩も来ていましてね、彼、切原赤也君。二年生唯一のレギュラーなので、是非お見知りおきください」

 そして、柳生先輩はなんとも無難な紹介をしてくれた。
 俺は隣りでぺこりと頭を下げる。

「ん、さっきお肉を取ってくれた子ね。です、よろしく」

 彼女も礼儀正しく俺に会釈をした。なんだ、優しそうな人じゃねーか! 江波先輩は何で俺じゃダメだとか言うんだ?
「柳生先輩、なんかホラ、もっと俺のいいとことかアピールしてくださいよ」
 俺はちらりと柳生先輩を見て小声でせっついた。
「切原君のアピールポイントですか……」
 柳生先輩は眼鏡をいじりながら咳払いをして、俺と先輩を見比べる。
「あー、うちのテニス部でレギュラーをつとめるというのはなかなかに大変な事でしてね、しかし切原君は二年生ながらなかなか頑張っています。彼の良いところは……勝利への執着が強いというところですね。そのために手段も選ばず、若干お行儀が悪いところがあります。ただ、その手段を選ばぬ勝利への執念というのも彼の強さの秘訣であり、今後どうコントロールをつけて成長させてゆくか、われわれ先輩としては考えつつ見守っているところなのです。ご理解ください」
 彼女は柳生先輩の説明を感心したように聞きながら、俺の方をちらちらと見た。
 いや、柳生先輩、そういうのは選手紹介であって、合コンでのアピールとはちょっと違うんじゃねーかと思うんだが……。
 俺が少々あせっていると、先輩はくすっと笑ってまた俺を見る。
「……そうなの。千鶴が、切原くんはやんちゃで乱暴でマナーが悪くてどうしようもないのに、何だかんだ言って先輩に甘やかされてるって時々愚痴ってるけど、大切に成長を見守られてるのね?」
「そうですね、そう捉えていただけると大変助かります」
 柳生先輩は大きく頷きながら言った。
 まるで、先生と親との三者懇談みたいで俺はすっかり参ってしまう。
 柳生先輩に頼んだのは失敗だったのか?
 いやいや、でもやっぱり柳生先輩と来てよかった、とすぐに思いなおす。
 ちらりと隣りのテーブルを見ると、江波先輩が俺たちを睨んでいるのだ。きっと、俺をここから引っぺがしたいと思っているだろうが、何しろ信頼の篤い柳生先輩と来ているのだからそうもいかない。ちなみにこれがジャッカル先輩だったりすると、俺ともども叱られて終わりだろう。
「そうそう、切原君」
 そして柳生先輩は思い出したように言う。
さんは、放送部です。昼休みの放送などで、君もきっと声は聞いた覚えはあるでしょう」
 言われてみて、俺ははっとした。
 先輩の声。
 部活の後のスポーツドリンクみたいに、しっくりと俺の中に染み渡ってくるそのおだやかな声は確かに聞き覚えがあった。
 それだけに意識を向けて注意して聞いた事があるわけではない。けれど、とても自然に耳に入ってくる心地よい昼休みの放送の時の声。
 彼女だったのか。
「あ……」
 俺は思わずつぶやいて彼女を見た。
「ああ、切原君、私はちょっとあちらで江波さんの手伝いをせねばなりません。さん、では失礼します」
 柳生先輩は隣りのテーブルで江波先輩がきりきりまいしているのを見ると、礼儀正しく辞した。
 残された俺は柄にもなく若干緊張する。
「あの、俺……」
「ん……?」
 俺の胸はぎゅっと握り締められたようになる。
彼女の『ん』はとても甘い。
『なあに』っていう疑問系の意味だったり『ウン』っていう肯定の意味だったりするのだろう。その微妙なイントネーションの甘く短い言葉は、俺をたまらなく舞い上がらせる。

先輩の声、すげー好きです。あ、もちろん、声だけじゃないスけど」

 俺がとっさに言うと、彼女は柳生先輩から受け取ったペットボトルの紅茶を一口飲んで、そしておかしそうに声を上げて笑った。
「ん、ありがとう」
 その笑顔もその一言もたまらなく魅力的なのだが、俺は気恥ずかしくて思わず髪をかきむしる。チクショウ、これじゃまるでガキじゃねーか。
 俺がどうやってリカバリーしようかと考えている隙に、先輩を呼ぶ声が聞こえた。
 江波先輩だった。
「切原くん、ごめん、ちょっと呼ばれてるから」
 彼女はそう言うとペットボトルを持ったまま、俺に手を振った。
 肉を食いながら恨みがましく見ている俺の視線の先では、江波先輩が紹介して先輩が部長や副部長と話しているのが見える。

 くそ、奴らはいつまでたっても先輩だ。

 去年も俺の先輩だったし、今年もそうだ。
 テニスであいつらを倒したくてたまらないのに、いつまでたってもかなわない。
 合コンでも同じかよ。
 俺はガキ扱いで、そして実際にガキだ。
 先輩の話す表情も、俺といた時とはなんだか違う。
 くそ。
 俺はバーベキューコンロの足を蹴飛ばしそうになって、しかし江波先輩にこっぴどく叱られるだろう事を予想して我慢した。
 俺のこういう駄々ッ子みたいなところがダメなんだとわかってるけど、どうしようもない。
 しばらく俺が一人でジリジリしていると、いつのまにか部長と副部長はいなくなっていて、隣りのテーブルでは、今度は江波先輩と先輩が二人で話していた。
 ああ、もう江波先輩に叱られたっていいや。
 俺はおずおずと二人の傍へ行った。少しでも彼女の近くにいたい。
「あ、切原くん、さっき話の途中でごめんね」
 先輩が俺を振り返って微笑むのを見て、少しほっとした。
「赤也ってば! 、ごめんね、こいつしつこくない? 大丈夫?」
 江波先輩は、まさに俺がいると先輩が他の先輩と仲良くなるのに邪魔! と言いたげだ。そんな江波先輩に、先輩はくすりと穏やかに笑う。
「千鶴、いいよ、そんなに気遣わなくて。大丈夫だから。切原くん、良いコだし」
「そう? うるさくてしつこかったら、いつでも追いはらっていいからね?」
 江波先輩は相変わらずな言葉を残して心配そうにしつつも去って行った。
「切原くん、千鶴がきつい事ばかり言ってごめんね」
 彼女はゆっくりと皿に乗せたナスを齧ってから言う。
「彼女、気を遣ってくれてるの。……私がちょっと前に彼と別れたものだから、気晴らしにって今回誘ってくれて」
 ああそうか、と俺は納得。それで、きわめて信頼のない俺を先輩に近づけまいとしていたのか。って事は、先輩は当然今、彼はいないって事で!

 じゃあ俺は精一杯大人の男のように振舞って、先輩にふさわしい男なんだと証明してやる。

 そう発奮した俺は、早速彼女の周りを小動物のようにクルクルと動き回っては飲み物や食べ物を取ってきたり、とにかく他の男を近づけないように忙しく働いたりしゃべったりしてみたのだが、自分でもうすうす気づく。
 どうもこれじゃママゴトみたいじゃねーか。
 彼女は楽しそうにクスクス笑ってつきあっていてくれるんだが、どう見てもガキを相手にしているような表情だ。俺は同級生の中でも決してガキっぽい方じゃないのに、それどころかかなりモテる方なのに、一体なんでこう上手くいかねーんだろ。
 俺が思わずため息をつくと、先輩は俺に椅子をすすめた。
「切原くんも座ってゆっくり食べなよね、ん?」
 先輩はものすごく大人っぽいっていう方じゃないけれど、俺の振る舞いがガキくさいせいかそんな一言がとても大人の女の人みたいで、俺はドキドキしてしまう。
 黙ってうなずいて、俺は言われたとおり座ると静かに肉と野菜を食い始めた。
「美味しいよねえ。切原くんが沢山取って来てくれたから、ゆっくり食べられてよかった」
 彼女の笑顔に、肉を頬張りながら俺はコクコクとうなずくばかり。
 副部長が歌ってた歌じゃないけど、くそ、なんだか幸せだなあ。これが、この場限りじゃなければなあ。
 俺はここの皆より一個年下でまったく損だ、なんて思ってたけれど、彼女にこんな風にされるなら年下でも悪くないかもしれない。
 先輩は可愛らしくてキュートな方だし一個くらい上でもたいして変わんねーよ、なんて思ってたけどやっぱり何だか雰囲気は年上のひとだ。
 あー、なんか年上の女の人っていいかもしんねー。
「やっぱり、あの、先輩って大人スね。大人の女の人って感じでいいスね」
 俺はこんな気持ちをどう表わしたら良いのかわからなくて、またバカみたいにそのまんまに言ってしまった。だけれど、もうそれで良いような気がしたのだ。どんなに格好つけても、俺は彼女より一歳年下なんだしそれは百年経っても変わらない。勿論、相対的な意味じゃなくて絶対的に俺自身がもっと大人になる余地はあるわけだけれど、今日や明日に柳生先輩みたいになるのは無理なんだ。
 彼女は相変わらずコドモを見るような目つきで俺の事をじっと見た。
「ん……、切原くん、年上が好きなの?」
「うーん、やっぱり落ち着いてて大人っぽくて、いいッス!」
 俺が両手を握り締めて言うと、彼女はふっとうつむくのだった。
「そう、男の子ってやっぱり大人っぽい人が好きなのね?」
 そうスよ、だから俺は先輩をね、と続けようとすると俺は後ろから首根っこをつかまれた。江波先輩だった。俺は何も言う間もなくバーベキューの材料置き場に連れて行かれる。
「あんたねえ、だからダメって言ったのに! まったくいらない事ばっかり言うんだから!」
 俺は江波先輩の怒ってる意味がわからなかった。
「何なんスか? 俺、いたって大人しく紳士的に話してただけじゃないスか」
 口をとがらせて言うと先輩は、まったくしょうがないというようにため息をつく。
「……の別れた彼ね、高等部の人だったんだけど。彼が、大学に進学した彼の先輩とつきあうようになって別れちゃったの。、やっぱり男の人は大人っぽい女の人が好きなのかなあって落ち込んでたんだから」
 よりによって地雷な事を、と江波先輩は俺を責めるのだった。
「江波先輩、俺と先輩の話聞いてたんスかぁ。趣味悪いっス」
 俺はあっさり頭をはたかれた。
「バカ。あんたがでっかい声で話してるから丸聞こえよ」
 しばらくクドクドと俺は叱られていたのだが、俺は半分も聞いていなくてテーブルに残してきた先輩の事が気になってしかたなかった。
「了解っス! 俺、わかりましたから!」
 話し半ばで俺は江波先輩に一礼をするとその場を走り去った。
「あっ、バカ! ちゃんと話聞けって! ぜんぜんわかってないでしょ!」
 江波先輩の話の内容は、俺に自分がいつまでも先輩と話したりしてないで、さっさと柳生先輩とか柳先輩とかを紹介して、自虐ネタなんかを使いながらうまく取り持てみたいな話だったと思うけれど、当然俺はそんな話をのむわけがない。
 俺は材料置き場につれてかれた土産にと、クーラーボックスからデザートをちょろまかして先輩のところに戻った。
「ハイ、これ!」
 冷え冷えのヨーグルト、ゼリー、プリン、トコロテンなどを彼女の前に並べた。
「そろそろこういうの食いたいでしょ?」
 俺が言うと彼女は目の前のとりどりのデザートをひとつひとつ眺める。
「ん、でも、まだデザートはフライングじゃない?」
「いいじゃないスか。デザート食って、さっぱりしたとこでまた肉ってのも」
 俺が構わずにスプーンを差し出すと、彼女はくすっと笑った。
「切原くん、優しいね」
 彼女は少し迷ってからブルーベリーヨーグルトを手にした。
 うーん、優しいねっていうの、ちょっと違うかもしれない。俺は、優しいね、と言われたいわけじゃないんだ。
「……俺、年上が好きだから先輩がイイってわけじゃないんスよ。だから別に、他にどんなに年上の色っぽい人に迫られたとしても、浮気しないしね」
 そんな俺の言葉に、彼女はヨーグルトを持ったままくくくとおかしそうに笑う。
「なに? 元気づけようとしてくれてるの? 優しいのね?」
 俺はプラスチックのスプーンを握り締めた。
「違いますよ、そんなんじゃないっス! 俺は……俺のいいトコって、そんなんじゃないスよ。俺ガキだし、本当はもっと気がきかねーし、短気だしワガママだし……でも、いいトコあるんス。もっと、そういうトコ、見つけてほしいんスよ」
 俺はちょっと自分でも何を言ってるんだかわからなくなってきた。
 でも、俺は柳生先輩みたいに落ち着いて気が利く男じゃないし、デザートを持ってきたのだって、先輩が冷たいペットボトルを持ってきたマネをしただけ。そういう、いいトコのある男じゃないんだ、俺は。
 スプーンを握り締めたままの俺を、先輩は上から下までじっと見つめた。
 そして、ふうっと息をついてまた笑う。
「ん……。じゃあ、私にわかるように見せてよね。切原くんのいいトコ」
 そう言いながら俺の手からスプーンを取ると、ヨーグルトのフタを開けた。
「……ちゃんと見ててくれるんスか!」
 俺が身を乗り出すと、彼女は美味しそうにヨーグルトを食べ、こくこくと首を縦に振る。
 俺は震えながら大きく息をつくと、まず俺が自分で食うデザートを選んだ。
 ここはひとまず、一番大人っぽそうなセレクトでトコロテンを。
 二種類ついてるタレだって、大人の男らしく黒蜜ではなく三杯酢の方だ。
 俺は気取って、箸でズルズルとそいつをすすった。
 酸味で思わずむせてしまう。
「おっ、これ、結構ウマいっすねえ!」
 それでも俺は落ち着いてそんな風に言って、彼女を見るとおかしそうに笑ってばかり。
「いや、マジ、食ってみてくださいよ。ほら、ちょっとヨーグルトと交換しませんか?」
「ん、私はいいわ、トコロテンは」
「そんな事言わないで、ホラ!」
 正直、俺はトコロテンのタレの酸っぱさよりもヨーグルトの酸っぱさの方が好みだった。
「ん、だからいいってば。切原くん、自分で選んだデザートなんだからちゃんと食べなよ」
「でもほら、半分ずつしましょうよ。これもウマいですってば」
「ほんっと、切原くんてバカねえ」
 俺がしつこく交換をせまり続けると、先輩はおかしくて仕方がないというように肩を震わせて笑う。
「いや、俺、バカじゃないっスよ!」
 彼女の言葉に、勿論俺はムキになって抗議する。
「いいじゃない。切原くんのいいトコね」
「違いますよ、俺バカじゃないし、俺のいいトコってそんなトコじゃないッス!」
 俺が思わず立ち上がると、彼女はまあまあ、と俺の前にスプーンを差し出す。
「ほら、ヨーグルト食べたいならあげるから、ん?」
 俺は彼女がすくってくれたヨーグルトをじっと見つめて、ぱくりと口にした。
 ブルーベリーの入ったヨーグルトは酸っぱいけれど胸をふんわりと包み込むくらいに甘い。
 俺は座って、次の一口を催促するように彼女に向かって口を開けた。
 彼女はくすくす笑いながら、また一口すくって食べさせてくれる。
 あー、これじゃ俺はすっかりバカな子だ。
 でも、もういいや。バカでも。
 先輩が『ん』というクラクラするような一言ともに食べさせてくれるヨーグルトは最高に甘くて、俺の胸を蕩けさせるから。

2007.9.19




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