● 僕のハートを傷つけないで(前編)  ●

あいつ、よくも俺の気持ちを弄んで……。
絶対に思い知らせてやる、


*************

クラスメイトのと初めて口をきいたのは、初秋。
新しい学級委員を決めた後。
テニス部の全国大会も終わって部活動も落ち着いた時期だと判断されたのか、男子の委員は俺にあっさりと決まってしまい、女子はというと、欠席裁判でその日学校を休んでいたに決まっていた。
』というクラスメイトについて、その顔も性格も、さっぱり記憶していなかった俺はただその名前だけを何気なく頭の片隅に留めた。

学級委員を決めるHRがあった翌日、自分の机で本を読んでいた俺は、机の前に人が立ち止まる影がさすのを感じた。
顔を上げると、女子生徒が立っている。
「おはよう、幸村くん。あの、なんか学級委員になったんだって? 私、そういうの初めてなんだけど、よろしくね」
唐突な話しぶりだが、話の流れからすると彼女がなんだろうな、と俺は改めて彼女をみつめた。
前日に学校を休んでいたにしては健康そうな顔色、遠慮なく口を開け放つ笑顔。平凡な顔立ちだが、かわいらいしと言えないこともない。
「うん、さん? 今日はもう大丈夫なの?」
俺は確認の意味で名前を呼んでみた。
名を呼ぶと、彼女の笑った目はさらに細くなった。
「あ、うん! もうね、昨日はズル休みみたいなもん。休んでる間に学級委員になっちゃったよーって友達からメールもらって、もうサイアク〜って思ってたんだけど、その後にね、男子の委員は幸村くんだよーって教えてもらって。マジー? ラッキーって、今日ははりきって学校来たんだよ」
笑って話す彼女の笑顔はひどくストレートで、女子から好意を示されることには慣れている俺も、なんとなく興味深くて聞き返してみた。
「へえ。俺と一緒の委員だと、ラッキーって思う?」
そう言うと、彼女は一瞬目を丸くして、また大きく笑った。
「当たり前じゃん。だって幸村くんは頭良くてかっこいいし、けど普段はテニス部のことで忙しいから、普通の女子はなかなか口をきくこともないでしょ。一緒の委員になったらいろいろ話せてラッキー。委員の投票、男子を決めてから女子を決めるっていう風にすればよかったーって、友達は皆悔しがってる」
彼女はそう言って、手をひらひらさせ、自分の席にカバンを置きに行った。
彼女の席は、俺と同じ列の二つ隣だった。
一旦閉じた手元の文庫のページを再び開きながら彼女を視線で追うと、彼女はカバンを置いた後仲良しグループらしい女子たちの輪に入った。
たちのグループを見て、俺はなんだか納得した。
彼女たちはなんていうか、まず誰一人、彼氏はいなさそうな感じ。
そして、私服なんかの買い物はいいとこ駅ビルですますんだろう。
普段の会話は、テレビドラマや深夜のアニメ、アイドルグループなんかのこと。
そういった、クラスの中でも特に目立ちはしないがそれなりに楽しくすごしている、とにかく普通の女の子たち。
俺が普段話したりはしないようなタイプの女の子たちだ。
というか、俺は普段からそんなに大勢の人間とわいわい話すタイプじゃない。
男も女も、つきあう人間は選ぶ方だ。
だが、自分が女子から好意を持たれやすい方だということは自覚している。
俺は自分で言うのも何だけれど、そう気軽に話しかけられる方じゃないから、近づいてくる女子というのはいわゆる自分に自信のあるような子が多い。だからといって、俺が気を許すかどうかというのはまた別の話ではあるけれど。
うん? で、今まで俺がそういう女の子たちと深い仲になったのかどうかだって?
まあ、それはご想像にお任せすると言っておくよ。ふふ。
とにかく俺はそういった具合なので、みたいな『その他大勢』タイプの女子と親しく話すことというのは、あまり多くはないのだ。
のグループの女子たちは、俺の方を興味深そうにちらちらと見たりして、まあ話している内容は大体想像できる。
ちょっと意外だったのは、俺の机の前に来た時のの態度。
この俺に、あんな普通のタイプの子が、ああやって気軽に好意を示すような言葉をさらりと言うっていうことが珍しかったのだ。
つまり、俺に近づいてくる、自分に自信のあるタイプの女の子はもうちょっと駆け引きを匂わせて来るし、その他に意を決して俺に気持ちを打ち明けようとやって来る子はもう少し緊張を漂わせる。俺を好きでも嫌いでもないような子でも、大概の生徒は俺に一目置いているから、少々構えていることが多い。
だからと言って、の態度が気に障ったというわけではない。
窓際あたりで仲間と騒いでいるは、楽しそうに机をバンバンたたいたりしている。
女の子が、まったく普通の態度で、『幸村くんって頭良くてかっこいいし』と、俺と一緒の委員になったことをストレートな笑顔で喜んでくれるというのは、意外にいい気分なものだな、と思う。
つまり、俺は同じ学級委員になったに、悪くない印象を持った。
それまで『その他大勢、生徒A』だった彼女に、『』という名が与えられて、そして彼女の存在に色や台詞もついた。
そんな感じだ。



そういうことがあった数日後。
朝、教室へ行くとたちのグループが机を前に集まっていてひどく真剣な顔をしている。
傍らを通りながら、何をやっているのだろうかとちらりと覗き見ると、英語の辞書とノートとテキストが広がっていた。
俺が一瞬立ち止まったことに気づいたのか、が顔を上げた。
「あ、幸村くん、おはよ!」
笑顔が少々さえない。
「ああ、おはよう。どうしたんだい、皆で難しい顔をして」
大体のことは察したけれど、あえて俺は尋ねる。
「うん、今日の授業の英作文の課題ね、出席番号順からして私が当たりそうなんだよ。けど結構難しくて、夕べ頑張ったんだけどなんかイマイチなんだよねー。みんな、今日は早めに来てよねーって召集をかけたんだけど、うちらアホばっかだから、こうやって悪戦苦闘してるの」
普段は晴れやかな笑顔のは眉間にしわを寄せている。
課題なんて大分前からわかってることなのに、手をつけるのが夕べっていう時点でまずかったんじゃないのか。俺は内心そう思うけど、もちろん口に出したりしない。
「……ここ」
俺はの手からシャープペンを取り上げて、彼女のノートの英文を指した。
「こうやってつなぐなら、先行詞が主語にならないといけないだろ」
彼女たちなりの努力の跡の見られるノートに、俺は簡単に書き込みをする。
と彼女の仲間たちは、息を潜めて俺が走らせるペンの先を見つめていた。
「……これで、なんとか格好がついたんじゃないかな」
俺がくるりとペン先を自分の方に向けてからそれをに返す格好にすると、はペンを受け取ることも忘れたように俺を見上げてうれしそうに笑った。
「うわー、幸村くん、ありがとう! さすが、すごいね! もう、大好き!」
開け放った窓から軽く吹き込む秋の風が彼女の髪を軽くかきまわし、太陽の光に透けて輝いた。
これまたストレートな彼女の言葉に俺は一瞬目を丸くして、そして思わず吹き出す。
彼女の友達は『ってばー!』と呆れて笑いながら、バシンと背中をたたいたりした。
シャープペンを受け取った彼女は、うれしそうに俺にぶんぶんと手を振って、それから英作文を清書するために机に向かった。
俺はくくくと笑ったまま、自分の席へ向かう。

大好き。

の言葉を反芻すると、また吹き出しそうになってしまう。
幼稚園の子供みたいだな。
自分の席と同じ列のふたつ左隣。
離れていても、なんだかそこから暖かい空気が流れてくるような。
そんな感じがしたんだ。



と話をするようになってから、教室で彼女と目が合うと、彼女は大げさなくらい顔をほころばせてすぐ近くだというのに、大きく手を振ったり。意外に俺はそういうのが嫌じゃなくて、そんなを見てはくくくと笑って手を振り返したりをして過ごしていた。。
の、俺への好意の示し方は心地よかった。
素直でストレートで媚びてなくて。

「ほら、。もうすぐ朝礼始まるじゃないか。ちゃんと点呼して来いよ」

学級委員の面倒くさい役割を、俺が普段の部長としての癖で何気なく彼女に命じても、
「あっ、もうそんな時間! ちょっと急いで数えてくる!」
は俺の言うがままにすっ飛んで行ってクラスメイトの点呼に走る。
弾丸のように戻ってきた彼女は、
「ちゃんと全員いたよ、幸村くん。……っていうか、男子の方は幸村くんが数えるのが普通なんじゃないのー!」
はっと気づいてちょっと憤慨したように言うけど、また彼女はおかしそうに笑う。
よく考えたら俺は、立海に入学してからずっと部活で忙しかったし2年の終わりからは病気を患っていて休みがちだった。なかなか、こうしてクラスメイトと何気ない話をしたり、そういった関係を結ぶことがなかったな。
3年生の終わりがけになって、こういう話し相手ができたというのは、悪くない。



ある朝いつものように教室へ行くと、教卓のところでが花器を前に四苦八苦していた。
陽の差し込む教卓で、一抱えもあるような花束を不器用に扱うの姿はなかなかコミカルで、俺は笑いながら近づいて行く。
「どうしたんだ?」
花器の中で思い思いの方を向いている花たちを見つめながら俺は言った。
「あ、幸村くん、おはよう。あのさ、酒井くんが家から持ってきてくれたんだよね。で、活けようと思うんだけど、なかなか上手くいかなくて」
その花とを交互に眺めて、俺は言った。
「水上げはした?」
そう尋ねると、はきょとんとした顔をしている。
案の定というところか。多分、彼女はこの花たちの名前も知らないだろうな。

職員室から切花用の鋏を借りてきて、水道でバケツに水を張った。
「花瓶の水につかるようなところの葉は全部切り取って」
俺が言うと、彼女は懸命に言うとおりに鋏で丁寧に葉を切り取って行く。
「そうしたら、こうやって……」
俺は紅いケイトウを一本手にとって、水の中でその茎を鋏で斜めに切った。
「切る時に空気に触れないように、水の中で切るんだ。こうすると、生き返ったみたいに水をよく吸い上げるようになって、長持ちするんだよ。はい、次はがそのリコリスでやってみて」
彼女は目を丸くして、俺が指した淡いピンクの花を手に取った。
「これ、リコリスっていうの?」
「そう。こっちはトルコキキョウ、これはリンドウだね。酒井の家の庭はさぞにぎやかなんだろうな」
俺が言ったとおりに茎を鋏で切りながら、は感心したように俺を見上げる。
「幸村くんって、ほんとすごいねえ。運動ができてかっこよくて頭がいいだけじゃなくて、花にも詳しいの? 男の子でこういうこと詳しいのって、すごい意外だよね。しかも、幸村くんみたいにかっこいい子がさあ」
言われながら、俺はちょっと肩をすくめた。
おいおい、幸村精市がガーデニング好きっていうのは、結構有名だと思ってたんだけど。
いつもバレンタインや誕生日に、女の子たちは植物やガーデニングにまつわるものを添えて来る子も多いというのに。
は俺について情報不足だよ。と、心の中で、冗談半分に言ってみる。
「結構好きなんだよ。花とか植物がね」
けど、一応現実に口に出すのは、そういった穏やかな言葉。まあさすがに、俺もね。
「へえ、なんだか、いいねー、幸村くんみたいな子がお花好きって。きっと、女の子ってそういうのぐっとくるよー」
「そういうもの? もそう?」
俺がまた笑いながら言うと、彼女も笑った。
「当たり前じゃーん」
水上げを終えて、きれいに活けなおした花を前に楽しそうに笑って言う彼女は、初めて向かい合った時よりずいぶんかわいらしいように見えた。
花の効果というのは、たいしたものだ。

*********

は単純で子供みたいで、特にきれいな子っていうわけでもなければ、気の利いた会話のできる聡明な女の子というわけでもなかった。
けれど俺は、教室で休み時間に本を読んでいてふと顔を上げた時なんかに、何気なくの方を見る。そうすると、不思議なことにが友達とわいわい騒いでいても、なぜかちゃんと俺と目が合った。そんな時、彼女は友達との会話の途中でもぱあっと嬉しそうに笑って俺に手を振るのだ。
は俺を好きだろう。
これまでまったく接点のなかった俺と、こうやって何気なく会話をしたり視線を合わせることで、きっとわくわくしているのだろう。
そんな風に考えると、俺の左側はふんわりと暖かくなる。
俺を好きな女の子が周囲にいるなんて別段はじめてでもないのにどうしてだろう、と考えてみて、ふと思い出したのは、昨年斜向かいの家が飼い始めたまめ柴のポン助。
俺が見に行くたび、くるくる回って千切れそうなくらいに尻尾を振って喜ぶんだ。
相手は自分をどう思っているかだとか、そんなことお構いなしのまっすぐな好意。
ああ、はポン助なのか。
そう思いつくとその発想はとてもぴったりで、俺は文庫を見やりながらくくくと笑った。


そんなことを思い巡らせていた日の午後、とその仲間たちがいやに騒々しい。
騒々しいのはいつものことなのだが、そのテンションがやや高めだ。
お互い携帯電話を出したり仕舞ったりしながら、笑ったり手足をばたばたさせたり。
辞書を片付けがてら、俺は何気なく彼女たちのところで足を止めた。
それは本当に、何気ない気持ちだったんだ。

「あいかわらず賑やかだね、何かいいことでもあったのかい?」

俺が足を止めると、は今気づいたというようにはっと顔を上げた。
「あ、幸村くん! いいことあったっていうかね、これからなの!」
彼女はうれしそうに携帯電話の画面を開いて俺に見せた。
「今日ね、陸上部の合同練習会に北中が来るんだって。でね、北中陸上部の2年の子で短距離の城山くんって子がチョーかっこいいの! うちら3年は引退したし、もう会うこともないだろうなーって思ってたから、またあの走りが見れるのかーってテンション上がる上がる! ほら、かっこいいでしょー!」
の携帯の画面の写真には、日焼けをしたランニング姿の男が写っていた。ショート丈のユニフォームからは短距離選手らしい筋肉の脚が伸びている。
「2年なんだけどいっつもレースでは上位で、もちろんすっごい女の子から人気だから、うちらみたいな補欠選手じゃまともに口きいたことないんだけど、お姿を見れるだけで十分十分! もー、放課後が楽しみで楽しみで!」
彼女はまだまだその城山という他校の年下の陸上部について延々と語るのだが、俺の耳には入らない。適当なところで、『そうか、よかったね』なんて言いながら、俺は自分の席に戻った。

あいつ、よくも俺の気持ちを弄んで……。
絶対に思い知らせてやる、

椅子の背もたれに体重を預けながら、俺が胸中で考えていたのはそういうこと。
だって、そうだろう?
あれだけ俺に好意を示しておきながら、今度は他校の2年に夢中だって?
なんて、俺と親しく話しができるだけでも嬉しくてたまらないはずのくせに。
俺は別にが好きだっていうわけじゃない。
今さっきまで俺と嬉しそうに遊んでいた子犬が、あっさりと他の人間のところへ遊びに行ってしまったりしたらショックだろう? そういうことだ。
夢中で子犬と遊んでいた俺の気持ちはどうなる?

その日、俺はなじみの園芸用品店に秋植えの球根を見に行こうと思っていたのだが、予定変更して部に顔を出すことにした。
テニスコートに向かう途中に通りすがったグラウンドで、見慣れないジャージを身に着けた生徒たちの一群。教室での携帯の画面で見た男が着ていたユニフォームの色と似ている気がするが、俺は視線を向けない。
興味ないね。
もしかすると、周囲にいた制服姿の女子たちの中に、の姿があったかもしれない。
それも、どうでもいい。
そもそも、俺はが陸上部だなんてことも知らなかった。あいつ、俺にそんなこと一言も話したことないじゃないか。
が何部だろうが、興味ないけどね。

「幸村部長、今日はどうしたんっスかあ?」

俺とのラリーでふらふらになった新部長の切原赤也は、たまらず音を上げた。
予告もなくやって来て、突然に激しくラケットを振るう俺に、さすがに負けず嫌いの赤也も押されたようだ。
「赤也はすぐにいい気になるからね。こうしてたまに、しごいておかないと」
俺はジャージを肩にかけたまま、ふふ、と笑う。
勘弁してくださいよ〜なんて弱音を吐くこの後輩を、当然俺はかなり気に入ってはいる。
が、この俺に勝とうというのはまだ早いんだよ。
ドリンクで口を潤していると、傍らからニヤニヤ笑いを浮かべた男の影。
「よぉ、なんぞ荒れちょるのぉ」
仁王雅治がラケットをくるくると廻しながらたたずんでいる。
少し離れたところからは、柳生比呂士がこちらを伺っていた。おそらく、仁王が今の俺に声をかけることを、柳生は止めたのだろうな、と思いながら仁王の顔を見上げた。
「別に荒れてなんかいないさ。大事な後輩の指導に来ただけだよ」
俺の返答など予想がついていたようで、奴はおかしそうに、くく、と笑った。
人を食ったような男だけれど、憎めないのが不思議だ。
「赤也はちょいと調子に乗せてやるくらいの方が、力が出る。が、たまにお前さんが絞ってやるのも悪くないみたいじゃのぉ」
仁王がニヤニヤしながらコートにいる赤也をちらりと見ると、赤也は俺たちの会話内容を察したのか、びくりとしてグラウンドへランニングに向かった。
「切原くんはなかなかよくやっていますよ。一年の頃はまったく落ち着きがなかったものですが、今はまだ安心して見ていられます」
柳生が眼鏡のブリッジを指で弄びながら近づいてきた。
「今日は二人で後輩の指導かい?」
「まあそんなところですね。気分転換がてらに、という方が正しいですが」
柳生は穏やかに笑った。
一見気が合うようには見えないこの二人は、なんだかんだと仲がいいのだ。
「幸村、お前さんまだ赤也の相手をしていくんか?」
二人はもう上がるようだった。
「……いや、元部長がいつまでもいては赤也もやりにくいだろう。これくらいにしておくよ」
「そうか、じゃあたまにはちょいと何か食って行かんか」
あまり食に感心のない仁王がこういうことを言うのは珍しい。
おそらく俺の態度に興味を持ったのだろう。
そうやって面白がられているのをわかっていても、別段チームメイトの誘いを断る程、俺も無粋ではない。
「ああ、いいよ。久しぶりだよね」
俺たちが帰り支度をしていると、グラウンドでダッシュを終えたらしい赤也と入れ違いになる。
「あれっ、もう帰るんスか?」
嬉しそうな顔をするかと思いきや、名残惜しそうな表情。
赤也はこういうところが、先輩から可愛がられる。
「ああ、いつまでも先輩がいちゃ、新部長もやりづらいだろ」
俺がからかうように言うと、赤也は『そんなことないスよ〜』とあわてて言う。
「俺、ほんと頑張りますからまた来てくださいよ。そうそう、さっきグラウンドで他校の陸上部が来て合同練習してんの見かけたんスけどね、なんか2年の有名選手がいるらしくて、もう女どもがキャーキャーすげーんスよ。いや、俺も同じ2年として負けちゃいらんねーなって……」
言いながら、赤也は俺を見上げ、ぎょっとした顔をする。
「……あっ、別に俺、女子からモテたいとかそういう意味で言ったんじゃないス。そんな怖い顔しないでくださいよ、ブチョー……」
「……仁王、柳生、帰るよ」
仁王が赤也の背中をポンポンと叩くのを尻目に、俺はさっさとテニスコートを後にした。

俺と仁王と柳生は、学校を出てから駅へ行く途中にあるちょっとしたカフェのオープンスペースでテーブルを囲んだ。これが、ブン太や赤也が一緒ならばファストフードの店で食べ物がメインとなるところだが、たまたま俺たちはそんなに食べるほうじゃなく、それぞれにコーヒーや紅茶を前にゆっくりと腰を落ち着けた。
「俺たちも1年の頃は、自分が部を引退する時が来るなんて思いもよらんかったもんじゃの」
仁王はミルクティーをすすりながら静かに言った。
「そうですね。走り続けていると時間はあっという間です。が、まだまだU-17の合宿もありますし、高等部に上がればまた1年からです」
柳生はエスプレッソに砂糖を入れてかきまぜる。言いながらも満足気で、彼はこういった一息つくような時期が好きなのだろうなと感じた。
俺はポットサービスのハーブティをカップに注ぎながら、その香りを楽しむ。
「で、幸村。お前さん、今日は何をイライラしちょったんじゃ?」
その声にちらりと視線を上げると、仁王のいつもの、面白いものを見つけた時のような表情。やはり、その話をする気か。
「別にイライラなんかしてないだろ」
カモミールの香りを肺いっぱいに吸い込みながら言い返す。
「幸村くん、そういえば今期は珍しく学級委員をやっていますね。今まであまり引き受けたことがないと記憶していますから、少々驚きましたよ」
話題を変えようとしたのか、柳生が思い出したように言う。
そういう柳生は1年の頃から学級委員の常連だ。
「ああ、いつも推薦されても部が忙しかったり体調を崩していたりで断っていたからね。今のクラスにはいろいろと世話をかけていたから、今期くらいは引き受けようと思ったんだよ」
「それは素晴らしい。さすが幸村くんです」
柳生が大げさに感嘆の声を上げる。
「どうです、学級委員の仕事は。クラスのために働くというのも、なかなか良いものでしょう。幸村くんは部長として長らく活躍してきましたから、そういった仕事もお手の物なんじゃないですか」
生真面目な柳生はこういった話題になると妙にノリノリだ。
「いや、部長の仕事とはぜんぜん違うよ。部とクラスではやはり団結力が違うだろう。クラスのメンバーというのはいろんな奴がいるからね」
「ま、確かにそうじゃのぉ」
「それに部では、有能は副部長や参謀がいたし」
俺が言うと、仁王が目を光らせて顔を上げた。
「そうじゃ、学級委員はもう一人は大概女子じゃろ。お前さんのクラスの相棒はどんなもんじゃ?」
俺は自分の眉間にしわがよるのがわかる。
俺のこういった表情を、仁王は見逃さないだろうと思いながら、優しい香りのお茶を一口すすった。
「……そうだな、俺のクラスの女子の委員は……不出来だね」
「C組の女子の委員といえば……ああ、さんですね」
何気ない柳生の言葉に俺は顔を上げた。
「へえ、よく知ってるね」
あんな目立たないタイプの子を柳生が認識していたことが意外だった。
「総会で顔を合わせたじゃないですか。それで覚えていただけですよ」
柳生がなだめるように言う。知らず知らずの間に俺の口調はとげとげしかったようだ。
「まあ、勉強の成績はそれほどよろしくないようですが、それなりにまじめそうな女子じゃありませんか」
「まじめそう……? そうでもないようだよ」
俺が苦々しい声で言うと、ミルクティーを飲み干した仁王が身を乗り出した。
「ほう、ってのはどんなんじゃ? 俺もたまに見かける程度でよく知らんのじゃけど。委員の仕事をさぼったりするんか? 幸村を相手にいい度胸じゃのぉ」
「……さぼったりはしないけど……」
俺は今日の昼間の様子を思い起こし、その時の気分がめらめらとよみがえってきた。
「そういうことはないが、あいつは軽くてふしだらな女だよ」
仁王は珍しくぎょっとしたような目をして俺を見た。
「ナニ、あのがか? いや、そんな風には見えんがのぉ……」
首をひねってみせる。
「人は見かけによらないものさ。いや、言っておくけど俺は別にのことなんてなんとも思っていないよ。けど、あいつときたら、さんざん俺のことをかっこいいとか大好きだとか言っておきながら、今日は陸上部の他校の2年に夢中だ。そんなの、許せないだろう?」
俺が言うと、一瞬仁王はきょとんとして、『まあ、それは……』と何かを言いかける。が、それをさえぎる声。
「それはいけませんね、幸村くん」
眉間にしわをよせた柳生だ。
「恋というものは、もっと一途であるべきです。さんのそういった態度というものは、確かにいただけませんよ!」
仁王は、そんな柳生と俺の顔を交互に見つめて、そして、くく、と笑う。あの、何かを面白がっているのだが、妙に憎めないゆるい笑顔。
「ああ、確かにそうじゃな。幸村、そんな女にはおしおきが必要じゃろ」
おしおき。
勿論そうだとも。
俺はカモミールティを飲み干すと、意気揚々とカフェの席を立った。
Next

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