古今東西、女の子がこっそり信じている恋のジンクスやおまじない、そしていろんな物語に出てくる魔法。誰もが一つや二つ、話のタネに知ってはいると思うけれど、実は私はすごい魔法を使う事ができる。
恋人召還だ。
私は恋人に会いたくなったら、庭で火を焚く。
そしてその焚き火にあたって暖を取り、立ち上る煙をみつめていると、息を切らした恋人が煙の向こうから現れるのだ。
ハクション大魔王のごとく。
いや、ちょっと待った。
ここは、アラビアンナイトの方がロマンティックかもしれない。
訂正。
アラジンと魔法のランプの、ランプの精ジーニーのごとく。
「今日は何だよ」
コーヒー牛乳みたいな色のつややかな肌をした彼は、しょうがないなというように言いながら、肩を弾ませて私の傍にやってくる。
彼は走ってきたから、焚き火で暖を取る必要はないようだけれど。
「英語の宿題やってたら、わかんなくなっちゃってさ。ジャッカル、一緒にやろうよ」
私が言うと、彼はため息をついて苦笑いをする。
「そんな事だろうと思ったぜ」
と、彼はちゃんと英語のテキストとノートを持参してきているのだ。
ね、すごいでしょう。
私の魔法。
この前、小学校が同じだった友達と集まっていて、私が立海でテニス部の子とつきあっていると話したら『ええ! それは是非会いたいし、ちょっと呼び出そうよ!』などと皆が言い出した。
私が『彼、携帯持ってないから、そんな急には呼び出せないよ』と言ったら、友達は意外そうな顔をして、メールも電話もできなかったら不便だしつまんないじゃない? と口々に言ったものだった。私は、まあね、なんて笑っておいたけれど。
会いたくなったら、私が庭でのろしを上げれば彼は走ってやってきてくれるのだと、そんな魔法は二人の秘密。
古今東西、魔法の事は一般人には秘密だと言うからね。
さて、そんな強力な私の魔法は、実は彼を召還するところまでしか効力がないらしい。
たまによく効いているらしい時は、家から二人で海辺に散歩に出る時なんかにぎゅっと手をつないでくれる、というところまで力を発揮するけれど。
しかし、どうものろしの効力はそれまでなのだ。
海を見ながら、結構寒いねーなんて私が彼に近寄ると、彼は困ったような照れたような顔でうつむいたり、突然一人で走り出したり。
これは、私は新たな魔法を習得しなければならないのだろうかと、時折、聞きかじった事のある呪文を試してみたりする。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
風の冷たい浜辺で缶コーヒーを飲みながら私がつぶやくと、ジャッカルは『はあ? なんつった?』ときょとんとする。ああ、なんでもない。と腕組みをする私。
子供の頃古いディズニーの映画で見た、困ったときに何でも解決するという魔法の言葉は効かないようだ。
「バルス」
これもだめだった。ジャッカルの何かが崩壊してワーッとならないかと思ったけど、ラピュタのようにはいかないらしい。
どうも、魔法には限界があるようだ。
そんな事を考えつつ、家の庭の日当たりの良いテラスのテーブルで、私はジャッカルに睨みつけられながら英語の宿題に取り組んでいた。
一緒に英語の宿題やろうよ、という名目であるけれど、当然英語の堪能な彼は実は既にほとんど宿題をすませていて、つまり私の苦手なところを教えてくれるためにここにいるのだ。
すぐに集中力を切らしてぼーっとお菓子なんかを食べたりする私に、その都度『オイ、真面目にやれよ』なんて言いながら、私の目の前にじっと座っていてくれる。
まあ、なんだ。
そうしてると、はかどるんだ、私も。
「ここ、これで合ってる?」
私が完成した(つもりの)英作文をジャッカルに見せると、彼はふんふんと私のノートをチェックした。
「うん、ああ、ここ、過去分詞だろ」
「あ、そっか」
私はジャッカルがチェックしてくれたところをいくつか直して、さて、宿題終了。
「やった、終った! ありがと、ジャッカル! コーヒー取ってくる!」
ノートを閉じた私は、家の中に入ってコーヒーとスコーンを持ってきた。
熱いコーヒーとともにクリームをたっぷりつけたスコーンを食べて、私たちは、テスト気が重いよねーなんて話しながらゆっくりした時間をすごす。
ジャッカルってば、このまま私と茶のみ友達にでもなるつもり? なんて言ってやろうかと、たまには思うけど、まあ実際に言ったりはしない。手をつないで歩いている時のジャッカルは、いつも私の手をぎゅうっと握ってくれて、面とむかって顔を見ると照れくさそうに眉間にしわを寄せたりするけれど、たまにちらりと盗み見をすると、本当に恥ずかしそうな嬉しそうな顔をしているからね。
「あ、そうだ、悪いけど俺もう帰らねーと。母親が風邪気味で、今日は俺が晩飯作んないといけねーんだわ」
ジャッカルはコーヒーを飲み干すと、申し訳なさそうに言った。
「あ、そうなんだ! 大変じゃん、ごめんね、そんな時に!」
「いや、どうせ買い物に出ないといけなかったしな。ちょうど帰りに寄れる」
私があわてて立ち上がると、彼は大丈夫、というように笑った。
ジャッカルは若干マザコン気味だ。
でも、それは決して悪い印象じゃなくて、なんだろう、例えばイタリア人のサッカー選手がマンマ大好きみたいな(イメージ的にだけど!)、家族を大事にする優しい男の子という感じで、私は彼のそんなところが好きだ。
私は一度だけ、ジャッカルのお母さんとお父さんを見かけた事がある。
以前、いつものようにジャッカルと海辺を散歩していた時、歩いていたら背後から何やら流暢な英語でまくしたてられ、振り返ると、あご髯をいじりながら悪戯っぽく笑う背の高いサーファーが立っていたのだ。
私は、不良サーファーにからまれた! と青ざめてジャッカルの手をぎゅうっと握った。すると、ジャッカルは怒ったようにこれまた達者な英語で彼に何か言い返し、そんな二人を見ながら、ケンカになったらどうしよう! と私はハラハラしながらジャッカルの手を握り締めていたのだ。
すると、『アンタ、なにやってんのよー!』という声がして、すごくきれいな外国人の女の人が走ってきて、ごめんね、この人ふざけてるだけだから、と私に声をかけてくれた。
なんて事はない、それがジャッカルのお父さんとお母さんで、紹介された私はびっくりしながらも挨拶をしたっけ。肌も髪も瞳も日焼けして、どこの国の人だかよくわからなかったお父さんは、当然日本人らしい。
後で、お父さん英語でなんて言ってたの? とジャッカルに聞いたけど、なんでもねーよ、と恥ずかしそうに顔をそらして教えてくれなかった。
その時に一度だけ会ったお母さんは、ちょっと気が強そうだけれどすごくきれいで優しそうで、ああ、そりゃあジャッカルはお母さんが大好きだろうなと思った。
そして、そのお母さんが調子悪い時、ご飯を作ったりするのは、お父さんじゃなくてジャッカルだろうなあと、あの、ジャッカルとはまるでタイプの違いそうなお父さんを思い出すとおかしくて、私はクスクスと笑ってしまった。
私たちは家を出ると、ジャッカルが買い物に寄るというコンビニまで、一緒に歩いてゆく。私も買いたいものがあるから、というのは建前で、もう少し彼といたかったのだ。
つないだ手をぎゅっと握り締めて、歩きながら彼を見上げると、彼はいつものようにちょっと眉間にしわをよせる。
「うん? どうかしたか?」
「お母さん、風邪ひどくならないといいね」
私が心配そうに言うとジャッカルは、うん本当に、という顔で肯く。
「そうなんだよなー。仕事、休めねーらしいし、今夜ゆっくり休んで治してもらわねーと」
「そうだよねえ。あ……そうだ、お見舞い、預かってくれる?」
私の言葉に、彼は意外そうに私を見下ろした。
「え? そんな気を遣ってもらって、悪ぃな」
「そこのコンビニで、すごくオススメのハーブティー売ってるから、それ買うよ。持って帰ってね」
私は、自分が風邪をひいた時にいつも飲むお茶の事を思い出したのだ。
「おう、サンキュ」
彼は嬉しそうに答えた。本当にお母さんが好きなんだな、とそんな彼を見ると私も嬉しくなった。
そして、私はしばし考える。
この照れ屋で優しい男の子を、私の茶のみ友達で終らせないために私は魔法だけに頼るのをやめなければいけない。
私は、いつもは頭の中でファンタジー映画を検索していたものだけれど、ちょっと検索対象を変えてゆくとしよう。そうだ、あれだ。恋愛映画の方にでも。
「……あと、甘くて暖かいものとか、どう?」
「ああ、そりゃいいな。そういうの、好きだから。何かオススメのドリンクか?」
彼はまた嬉しそうに微笑んで私を見る。
「キスとハグ」
私が言うと、ジャッカルは目を丸くして街路樹の脇で足を止めた。
「はあ?」
そして間抜けな声を上げて、まるで魔法にかかったように動かなくなってしまった。
「預かって、届けてくれる?」
彼を見上げて言う私に、ジャッカルは眉間にしわをよせて、ああ、うん、なんてモゴモゴと口を動かすばかり。
私は彼のマフラーを手繰り寄せ、そのこめかみにそっと唇を寄せた。
北風は冷たいけれど、ジャッカルの形の良い頭は沸騰したヤカンみたいに熱い。
沸騰したヤカンって、これ、言い得て妙じゃないのと自分でもおかしくてクスクス笑いながら彼の首に両腕をまわそうとすると、ジャッカルがぎゅうと私を胸に包み込むのが先だった。彼が着ている、父親のお古だというレザーのジャケットは少しごわごわしていたけれど、優しくて暖かい。
そんなわけで、私のハクション大魔王、もといランプの精ジーニーは、見事「キス」と「ハグ」というアビリティを身につけた。
と、思う。
多分ね。
(了)
「魔法を信じるかい?」
2007.11.3