● ラブレター(後編)  ●

 そんな具合に私の立海での日々は過ぎて、思いのほか毎日楽しかったし皆も親切で『やっぱり帰ってきて立海に入ってよかったなー』ってつくづく思った。
そして、唯一の気がかりが、真田くんのこと。
というか、真田くんに昔渡した手紙の処遇がどうなったのだろうということ。
内容が内容なだけに、さすがに『あのー真田くん、あれってどうした?』なんて聞けやしない。
それにしても真田くん、二年ぶりに会って、最初は見た目の変わりようにただただびっくりしたけど、こうやってしばらく過ごすと確かにヒカリが言うように中身はあんまり変わってないんだなあとつくづく思った。
外見があまりに男男していて、そして振る舞いのいかめしさが相当にパワーアップしてるからちょっと戸惑ってしまうんだけど。
この日の昼休み、お弁当を持ってきていなかった私は、購買か学食にでも行こうと思って隣のクラスに走った。ヒカリを探したけど、見当たらない。
「どうしたんじゃ?」
教室の後ろ側の扉から教室内を見渡している私に声をかけてきたのは、仁王くんだった。
「あ、仁王くん、だっけ? 大崎ヒカリを探してるんだけど」
仁王くんは、すっと廊下に出てきてくれた。
「ん? 大崎か。あいつはツレと学食に行ったぜよ」
なんだ、一歩遅かった。
「あ、そうなんだ、もう行っちゃったんだ。約束してなかったからなあ、まあいいや、ありがと仁王くん」
私が手を振って礼を言うと、彼は私を呼び止めた。
「学食行くんか?」
「ん? あ、ヒカリがいたら一緒に行こうと思ったんだけど。まあ購買でいいかなって」
仁王くんはすっと扉の前から進み出て私の隣に並んだ。
「まだ学食行ったことないんじゃろ? 俺が一緒に行っちゃるよ。システムとか教えちゃる」
涼しい声で言う彼を見上げた。うわー、こういうことさらっとこなすんだ、仁王くんって。見た目かっこいいし、きっと相当モテるんだろうなあ。
なんて感心して彼を見てると。
!」
血相を変えた真田くんがA組の方からやってくる。
「わ、どうしたの、真田くん!」
私がびっくりして尋ねると、真田くんは私と仁王くんを交互に見て、これまた険しい顔をする。
「お前こそ、どうした! 仁王とどこへ行く!」
「どこって……学食行こうと思ってヒカリを探しに来たらもういなくって、そしたら仁王くんが一緒に行って案内してくれるって言うから……」
「そうか、仁王、面倒をかけたな。は俺が責任を持って案内するから大丈夫だ」
私があっけにとられていると、真田くんは仁王くんを睨みつけるようにしながら言うのだ。仁王くんは目を丸くして、くくくと笑った。
「そっかそっか、じゃあ行ってきんしゃい」
ポケットに手をつっこんだちょっと猫背のいつもの姿勢で、肩をすくめてみせる。
「行くぞ、。財布は持ったか」
「あ、うん……」
私は真田くんの勢いに押されてしまう。
学食のある海風館へ向かいながら、私は隣を歩く真田くんを見た。
とにかく背の高い真田くんは、あごの線なんかもしっかりしていて本当に大人っぽい。黒い髪がつやつやなのは子供の頃のままで、顔立ちはあの頃のように可愛らしいというのとは違うけど、かなりかっこいい部類。きっと、それなりにモテるんだろうなあ。小学生の時は塾の優等生の真田くん、だったけど、今は全国でも有名人のテニスプレイヤーだもんね。
学食へ行くと、真田くんはメニューや食券のシステムを教えてくれる。やはり日替わり定食がお得らしい。なお、ご飯は男子中心でかなり量が多いらしいから、女子は小ライスにした方がいいだろう、だって。さすが真田くん、こまやかだ。
私は真田くんが特に気に入りだという焼肉定食(小ライス)を注文して、同じものの大盛りをトレイに載せた真田くんとテーブルで向かいあう。
「へー、結構美味しいねえ、この焼肉」
「そうだろう。人気メニューだ」
そんなことを言いながら、私たちはもくもくと食べ続ける。実は、そんなに会話が弾むわけでもない。
「あの……真田くん、今日はありがと。けど、真田くんも、テニス部のことやクラス委員のことで忙しいだろうし、私も小学生じゃないし、そんなに一生懸命面倒みてくれなくても大丈夫だよ」
真田くんは、ヒカリがああ言ったからなのか、ほんとすごくよく面倒を見てくれる。昔、塾が同じだったからというだけで、本当に義理堅いよ。けど、こういうの、なんか私も気を遣うし、なんていうか……こっちも真田くんの好意を過剰に誤解してしまいそう。
私が言うと、真田くんは箸を止めて私を睨む。
「……は、俺がこうやって学内を案内することなどが迷惑か?」
「えっ、ううん、そんな迷惑とかじゃないって! なんか、気を遣ってもらっちゃって、悪いなあって思うの」
「……仁王や柳生と飯を食う方がいいか? 俺はただ……あまりなじみない相手よりも、昔なじみの方が気が楽かと思ったのだが……」
「あ、うん、確かにそうだよ。ありがたいと思ってる」
気が楽か、というと微妙。
だって……。
あの手紙、一体どうなったの!?
というハラハラさが常につきまとうんだもの、真田くんといると。
でも、とてもそんなことは言えないわけで……。
私は軽くため息をついた。
「……飯を食い終わったら、あと一箇所案内しよう」
「うん?」
食事を終えた私たちは、海風館を出ると校舎に戻る。
「この1号館は別名海志館とも言う。屋上には庭園もあるのだ」
「へ〜この校舎にはそんな名前があったんだ」
そんな説明を聞きながら、3階へ階段を登った。
「それと、おそらくお前はまだ行ったことがないだろう。ここ3階には和室があってな、書道などで使うことができるのだ」
「ふうん、いろんな部屋があるんだねえ」
真田くんが案内してくれた和室は、静かで落ち着いたたたずまい。畳のいい匂いがした。
「昨年畳替えをしたところだからな、まだ新しい」
上履きを脱いで中に入るものだから、私もなんとなくそれに倣う。
「うん、きれいな部屋だね。なんだか落ち着く感じ」
部屋に入ると、真田くんは時代劇に出てくる武将のような動きで畳の上に胡坐をかいた。
え? ここに座るの?
私は胡坐をかくわけにいかないので、正座をした。
「……
「はい」
何か、説教でもされるようなシチュエーションだ。
怒られるような心当たりはないんだけど、なんだか不安。
私がおそるおそる彼を見上げていると、真田くんは制服のジャケットの内ポケットに手を入れた。
そして、そこから出されたものを見て。
私は、あっ、と声にならない声を出す。
古ぼけた、薄いオレンジ色の封筒。
まぎれもない、2年前に私が真田くんに渡した手紙だった。
私の顔からは、さあっと血の気が引いて、そして次の瞬間には逆にがーっと血があがってくる感じ。
思わず両手で顔を覆ってうつむいてしまう。
「……まず、何から話したものかと思うのだが……」
真田くんがいつものドスのきいた声で言うので、私ははっと顔を上げた。
何気ない昼休みに、こんな危険物が登場すると思わなかった。
恐ろしいくらいのスピードで私の心臓は動いている。
どうしよう、どうしよう、もう走って逃げ出してしまいたい!

真田くんはその手紙をついと畳に置くと、いきなり両手を畳についた。
「すまない!」
そして土下座をするのだ。
想像を絶する展開に、私は口をぽかんと開けたままリアクションに困ってしまう。
どうしたの、一体何が起こったの!?
真田くんは、がば、と上体を起こした。
「俺は、約束を破ってしまった!」
「えっ? 約束って!?」
私が言うと、真田くんは気まずそうにもう一度手紙を手に取った。
「二年前、お前がこの手紙を俺にくれた時、は確か『神奈川に帰ってきてまた真田くんに会える日まで、開けないで持っていて』と言って、俺はそう約束をした」
真田くん、ちゃんとあの約束覚えててくれたんだ!
「しかしだな」
真田くんの眉間のしわはどんどん深くなる。
「……実は俺はこの手紙を、もらったその日の夜に開けて読んでしまったのだ」
「えーっ!!」
確かに真田くんが手にしている手紙は、よく見ると封が切られていた。
「ええっ、手渡したその日に読んじゃったの!?」
いくらなんでも約束破るの早すぎないか、と私は相当に慌ててしまった。
「さ、真田くん、それ、読んだんだ……」
とりあえず震える声でそれだけを言う。
「……すまなかった。お前が引っ越すと聞いて驚いて、しかし手紙をくれたことが嬉しかったものだから……つい、待てずに読んでしまった……」
私の前からは真田くんの深呼吸が聞こえた。
「始業式の日にお前の姿を見て、お前が戻ってきたことを知った。手紙の約束を破ったことが後ろめたかったので……封をしなおして読んでいないことにしようかとも思ったのだが、男としてそのような卑怯なこともできず……」
目の前の真田くんの顔は険しいんだけど、なんだか困ったような顔。
そういえば、塾のテストの結果があまりにも悪くて教室で私が泣いてしまった時、隣でこんな顔をしてたっけ。
「お前に、手紙のことをいつ切り出そうか、しかしお前の方から何かを言うかもしれんと思っていたのだが……」
もう一度深呼吸。
「しかし冷静に考えれば、お前が俺にこの手紙を書いてくれたのは、2年も前のことだ。俺ばかりが、この手紙を真剣に受け止めて持ち続けていても、お前に迷惑だったかもしれんな」
真田くんは、手にした手紙をもう一度畳の上に置いて、つい、と私の方にさし返した。
「あ、ちょ、ちょっと、真田くん! 迷惑だなんて!」
私は慌ててしまう。
「真田くん、この手紙、読んでからずっと持っててくれたの?」
私は手紙をそうっと手にとってみた。
擦り切れた封筒。
「……ああ、何度も読んだ。嬉しかったからな」
パチン、と何かがつながる音がした気がした。
塾で一緒に勉強していた頃の真田くんは、いつも親切にしてくれて『ありがとう』なんてお礼を言うと、すごく照れくさそうにしてたっけ。
やっぱり真田くんは、変わってるけど変わってない。
大人になった新しい真田くんの部分もたくさんあるけど、私が好きになったところはそのまんま残ってる。
私、やっぱり真田くんが好きだ。
こんな立派になった真田くんを、私なんかが好きでいちゃいけないって、ずっとそんな気がしてたけど。
「……、お前は立海で俺と会ってから、どうもよそよそしかっただろう。最初はなれない環境に緊張しているのかと思ったが、もしかしたら俺が悪かったのかもしれん」
「ええ? 悪かったって、何が?」
今度は何?
「……お前はしきりに俺の背が伸びただの何だの言うが……お前こそ、大分変わった。ひどく大人びて女っぽくなっているから、俺だって驚いてしまうだろうが」
「あ、そうだった? まあそりゃあ、2年経ってるし……」
真田くんはこれまたひどく難しい顔をする。
「もしかしたら俺のお前を見る目が……ふしだらなものに感じられて、お前が俺を避けているのかもしれん、と思ってな」
顔をしかめながら搾り出すように言う。
「ふしだらって!? ええ? どういうこと!?」
真田くんの言うことがさっぱりわからなくて、私はストレートに聞き返してしまう。すると彼は厳しい顔のまま、慌てたように畳を叩く。
「いや、違うぞ! 俺はそういうつもりではないのだが、もしかしたらお前がそう感じたかもしれないと思ったのだ! 俺は気をつけているつもりなのだが!」
ものすごい慌て方の真田くんに、私はつい笑い出してしまった。
「気をつけててもムラムラするってこと?」
思わずからかうように言うと、真田くんはこぶしでドカンと畳を叩いた。
「そ、そのようなことなどない! そもそも女子がそんなことを口にするな!」
大声で怒鳴る真田くんの、その床にたたきつけたこぶしに私はそっと触れた。
それは、私なりに勇気のいることだったけど、今は絶対にこうしなくちゃいけないって思ったから。
「真田くん、ごめん、私も照れくさくって、からかうみたいなこと言っちゃった」
そう言うと、真田くんは少し驚いたような顔で私をじっと見た。
「最初から整理しようよ」
そして、私も深呼吸。
「私、この手紙を渡した時、ほんとずっと真田くんが好きだった。そして久しぶりに会ったら、やっぱり最初は真田くんがまったく違う人になったみたいでびっくりしたけど、ここしばらく話しをしたり、一緒にすごして、やっぱり真田くんが好きだなあって思ったよ。手紙を読まれちゃったのはびっくりしたけど、真田くんが大事に持っててくれたのが嬉しい。時々真田くんによそよそしかったのは……手紙どうなったかなあって、ドキドキして恥ずかしかったから。今となっては、とても自分からは聞けなかったし」
私がそう言うと、真田くんの険しい眉間がふうっとやわらかくなった。
まっすぐな目で私をじっと見る。
「そうか……! 俺は、いつでもいいぞ!」
そして、そんなことを言う。
「え? いつでもって、何が?」
私がびっくりして訪ねると、彼は怪訝そうに私を見る。
「お前の手紙の、最後に書いてあったことだ」
最後? 私、なんて締めくくったっけ?
あわてて封筒から便箋を取り出して広げてみた。

2年前の私が書いた手紙の全貌はこうだった。


真田弦一郎様

私、真田くんが大好きです。
真田くんが勉強を教えてくれたり、親切にしてくれたこと、忘れない。
私が引越してしまっても、時々でいいから私のことを思い出してくれるとうれしい。

塾で初めて会った時は、ちょっとだけ話しにくい男の子だなって思ったけど、私、真田くんと話せるようになって本当によかった。
二年したらまた神奈川に戻るから、きっと立海に編入します。また真田くんと一緒に勉強したい。

私、本当に真田くんが大好きです。
初めて好きになった男の子です。
真田くんさえよければ、私の初めてのキスは真田くんがいいな。

 


私の顔には再度カーッと血が上る。
「真田くん! この手紙は、もう回収しちゃっていい!?」
私が言うと、真田くんはものすごい勢いで私から手紙をひったくる。
「だめだ! 一度俺がもらったものなのだがら、俺のものだ!」
さっきは返そうとしてたくせに……。
私たちがにらみ合うように向かい合っていると、予鈴が鳴った。
「いかん、授業が始まる、教室に戻るぞ!」
真田くんがあわてて立ち上がった。
「あ、うん」
私もあわてて彼に続いて上履を履いた。
手紙はがっちりと真田くんの手に握られたまま。
和室を出て行く前に真田くんは私を振り返る。

「俺は、いつでもいいんだからな!」

そしてもう一度言うと、私の手をつかみ、廊下を早歩きで教室に向かう。
真田くんの手はびっくりするくらい大きくて、そして熱くて。
思えば、真田くんに触れるのなんて初めてかもしれない。
いつでもいいったって、私たち手をつなぐのも初めてなら、デートをしたこともないんだよ、真田くん。
でも、不思議。
二年も離れてたのに、今はもうずっと一緒にいたみたいな気がする。
ラブレターが、やっと本当に届いたんだ。

(了)

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