● ラブラブ・マンハッタン  ●

「……アキラくん。私、アキラくんのことが好きなの……!」
 俺は、橘杏ちゃんからの熱い告白を受けていた。
 もちろん、夢の中でだ。
 不思議なもので、これは夢なんだなと、夢の中の俺にはちゃんとわかっている。
 夢の中で、俺は舞い上がるような、飛び出しそうな心臓を抱えながらも、一方で頭に浮かぶのは他の女の子の顔だった。
 大好きな杏ちゃんから告白をされて、夢の中でくらい、「お、俺も杏ちゃんが大好きだ!」って言って抱きしめればいいのに。
 なぜか、俺はそうしなくて、妙に胸が痛くて苦しい。

 ごめん、杏ちゃん、俺……

 続きを言おうとして口を開くけれど、声が出ない。口の中に、粘土のかたまりでも詰まったみたいだ。
 待て、俺は何て言おうとしているんだ?

 はっ、と目が覚めた時は、寝汗でびっしょり。
 Tシャツを脱ぎ捨てて、ベッドから飛び起きた。
 心臓がバクバクしている。
 その心臓のリズムに、俺はなかなか乗り切ることができなかった。



「神尾、おはよー」

 教室に行くと、隣の席のがいつものようにさらりと挨拶をしてくる。
 俺はビクッとして、イヤホンを外した。
「……どうかした?」
 俺のそぶりに驚いたのか、は目を丸くした。
「別に」
 俺はふうっと息を吐いて、またイヤホンを耳につっこむ。
 いつもなら、しばらく音楽を聴くことを中断して、とくだらないバカ話を始めるのに。
 どうしてだか、今日はの顔を見ることができない。
 イヤホンをつけた俺の隣で、が少しだけ寂しそうな顔をしている気がした。
 また、今朝のあの、妙なリズムの心臓の動きが始まった。俺がついていけないリズム。

 は同じクラスで、隣の席。
 以前にバス代貸してやったことがあって、それ以来よく話をするようになった。
 面白いし、いい奴なんだ。
 どこがどうっていうのは、うまく言えない。
 普段、俺はどんなにノリノリで大好きな音楽を大音量で聴いていたとしても、傍にがいて俺に話しかけようとしていると、不思議とふわっとした暖かい甘い空気が俺を包む。それで、俺がはっとしてイヤホンをはずすと、は嬉しそうな顔をして、矢継ぎ早に俺に話しかけてくるのだ。テレビ番組の話や、コンビニで見つけた美味しいお菓子の話や、そんな他愛ない話。
 そして、時には恋の話を。
 俺が杏ちゃんを好きだということを、なぜだかはすぐに察して、かといってヘンにからかうわけでもなく、いつしかそういう話をするようになった。

 イヤホンで音楽を聴いたまま、俺はちらりとを見た。
 は俺の方を見ていないけれど、多分、きっと話しかけようと思っている。
 でも、は話しかけてこない。
 俺がイヤホンを外さないから。
 こういう時、いつもなら、「ねえ、ちょっと、神尾!」とか言って、イヤホンを引き抜いてくることもある。
 でも、今日はそれをしない。
 俺は、自分の心臓と相談をした。
 おい、俺のリズムに関係なく走るとは何事だ。たまには俺が、自分の心臓のリズムに追いつかないといけないってことなのか?

 俺は思い切って、イヤホンを外しての方を見た。

「おい、あのな!」

 いきなり言うと、は「ひゃい!」みたいな素っ頓狂な声を出して驚いた顔。
「なに? びっくりした、音楽聴いてるんだと思ってた」
 俺は、まだ自分の心臓のリズムに追いついていない。
 リズムを上げていかなければならない。
「試合、関東大会!」
「は?」
 あー、俺は何をいっぱいいっぱいになってるんだ!
 がたん、と立ち上がった。
「ちょっと、走ってくる」
「え? もうすぐ授業……」
 が言うのを最後まで聞くことなく、俺は教室を飛び出した。

 廊下を抜けて、グラウンドに出る。
 走っていると、俺は自分の心臓にやっと追いついてきた。

 に好きな男がいるのを知っている。
 俺は、その事を時々からかいながら聞いていた。
 がそいつのことを、すごく好きだということを聞いた。
 そして、そいつには好きな女の子がいるんだって聞いた。
 昨日、は、自分はそいつにとって二番目の女の子になれたら、それでもいいと言っていた。
 なんでもないようにそんなことを言うを見て、俺は心臓が止まりそうになった。

 俺は、大変なことをしていたのかもしれない。

 走っていると、バッグを持った杏ちゃんとすれ違う。
「アキラくん、がんばってるね! もうすぐ授業始まっちゃうよ!」
 元気いっぱいの笑顔で手を振る杏ちゃんを見て、俺の心臓が跳ねる。
 杏ちゃんの笑顔は、俺の夢に出てきたそのままだ。

 俺が息を切らせながら教室に戻ると同時に、始業のベル。
「どーしたの、神尾」
 が心配そうに俺を見た。
「……試合が近いからな」
「あ、そっか。トレーニング」
 こくりと頷いた。
「そうそう神尾、朝から言おうと思ってたんだけど、髪、寝ぐせついてるよ」
 に言われて、俺はあわててバッグから鏡を取り出した。
「まじかよ!」
 くそ、髪型がきまってないのは最悪だ!
 必死に髪をなでつけていると、教師がやってきて「おい、神尾! 授業だぞ、鏡しまえ! 女子か!」と怒鳴った。


「神尾、走りに行く前に、何か言いかけてなかった? 試合がなんとかって」
 授業が終わると、が思い出したように聞いてきた。
 心臓のリズムが上がる。
「ああ……えーと、昼飯食いながら話す」
 俺は、自分の心臓においていかれないように必死でリズムを上げていく。
「へー、今でもいいのに。へんなの」
「お前、ほんとせっかちだよな」
「だって、気になるじゃん。試合がどうしたの」
「だから、昼飯ん時って言ってるだろ」
 あ、ちょっと、いつもの調子になってきている。俺たちの会話。
 こうやって話している時、まるでなにか不思議な暖かいフワフワに包まれているような気がするんだ。
 が傍にいる時しか感じない、不思議なフワフワ。


「で、試合がどうしたの? 勝ってるの?」
 パンをかじりながら、がせっついてくる。
 購買でパンやジュースを買って、今日は風が気持ちいい天気だから、外で食うことにした。
 俺は、こうして風にあたって過ごすことがとても好きだ。風が顔にあたると、じっとしていても走っているみたいな気分になれるから。
 うちの学校には特段、景色のいいポイントがあるわけじゃないけど、ひとまず日差しを遮ってくれる木陰のベンチは気持ちがよかった。
「勝ち進んでるから試合があるんじゃねーか」
「あー、そりゃそうだよね」
 はそう言って笑い、野菜ジュースをズズズと飲んだ。
「……関東大会があるんだ」
 俺は、パンの袋をくしゃくしゃと丸めてポケットにつっこみながら言う。
「へえ」
「お前、うちの新テニス部の試合観たことねーだろ」
「前のテニス部のもないけど」
「たまには観に来いよ。今年は橘さんと一緒に、全国を目指してるんだぜ。今度の関東大会で、出場が決まる」

 うん、行く行く!

 そういった、いつものリズムのいい二つ返事を想像していたら、意外な沈黙。
 ん? と思っての顔を覗き込むと、もぐもぐとパンを咀嚼しながら眉間にしわを寄せ、妙な顔をしている。
 俺もつられて神妙な顔になってしまった。
「……あ、ごめんごめん、あー、うーん」
 そして、はまたしばし考え込むのだ。
 朝から感じている心臓のリズムとはまた違う、ざわざわとした感覚が俺を襲う。比較的涼しい木陰だというのに、俺の背中に汗が一筋流れるのを感じた。2つ目のパンの袋を開けて中身を頬張り、運動靴のつま先で地べたの土くれをもてあそびながら、の返事を待った。
「せっかくだけど、やめとく」
 隣で、は背筋を伸ばして言う。
「だって、思い切りアウェイだしさ」
 そう付け足して、ふにゃっと笑うと立ち上がった。スカートのすそを払って、校舎の方へ歩き出す。
 なんだよ、俺、まだ食ってるだろ、と言おうにも口の中にはコロッケパンを思い切りほおばっていたので、あわてて飲み込んでから後を追った。
「アウェイってなんだよ、自分の学校の応援だろ」
 そう言ってから、少しぬるくなったコーヒー牛乳を一口飲んで、口の中のパンのかけらを飲み下した。
 は立ち止まって、振り返る。
 いつものフワフワとしたゆるい笑顔じゃなくて、困ったような悲しそうな怒ったような、なんともいえない表情。
「……そういうんじゃなくてさ」
 続きを言うかどうか、迷っているような、少し泣きそうな顔。

 あー、俺は本当にバカだ。

 髪をかきむしった。
 どうせ、今日は髪型がきまってない。
 の言わんとすることを、俺はちゃんとわかってる。
 どうして俺は、昨日も今日も、にこんな顔をさせちまうんだ。

 今朝方の夢を思い返す。
 杏ちゃんに告白をされた夢。
 夢の中の杏ちゃんは、いつものように可愛かった。
 元気いっぱいで、ちょっと気が強くて、テニスが上手くて、俺が好きな杏ちゃんそのものだった。
 夢の中なのに、ちょうど今朝グラウンドですれちがった現実の杏ちゃんとほとんど変わらなかった。
 今朝のことなのに、ものすごく前のことのようだ。
 胸が痛い。
 夢の中で杏ちゃんを目の前にして、俺の頭に浮かんでいたのは……。

「なあ、!」
 俺の、少し裏返った声には驚いた顔をした。
「うん?」
「ランプの精のやつ、あるだろ」
「はあ?」
 今度は、が裏返った声を出す番だった。
「ほら、あれだよ……。ネットのやつでさ、芸能人とか漫画のキャラクターを思い浮かべてさ、ランプの精の質問に答えていくやつだよ」
「ああ、あれ。うん、知ってるけど」
「お前、ランプの精になって……俺の好きな子当ててみろよ」
 はポカンと口をあけた。
「……橘杏ちゃんでしょ」
 俺はまた髪をかきまわす。
「ちゃんと質問から始めろよ!」
「えー、わかりきってることなのに、あほくさいなー。えーと、じゃあその子はテニス部ですか」
 深呼吸をして、今朝の夢の中にいた時のことを思い出す。
 夢の中の俺は、杏ちゃんを目の前にして、違う女の子のことを思い浮かべていいた。
「NO」
 は目を丸くする。
「えー? うそ、わかんない」
「バカ! もうちょっと粘れよ!」
「……同じ学校の人ですか」
「YES」
 日差しの中、立ち話になっている俺達を太陽がじりじりと照らす。
「……同じ学年の人ですか」
「YES」
「同じクラスの人ですか」
「YES」
 は困り顔で首をかしげた。
「橘杏ちゃんじゃないなら、わかんないよー」
「じゃあ、次は俺がランプの精をやる」
「はあ?」
「だから、お前が自分の好きな奴を思い浮かべて、俺がお前に質問するんだよ」
「ええー! いいよー」
「俺はちゃんと答えただろ!」
「ぜんぜんわかんなかったし!」
 俺が額の汗を拭うと、もポケットからタオルハンカチを出して鼻の頭を押さえ、ふうっと睫毛をふせた。

「……そいつは、同じクラスですか」
「YES」

 にバス代を貸した時のことを思い出す。こいつ、バスの乗り口で思い切り焦った顔してバッグやポケットをさぐってて、おかしかったな。

「そいつは、運動が得意ですか」
「YES」

 いつも教室で、とどんな会話をしてるのかっていうと、これといった重要な内容じゃない。けど、何を話していても、飽きることがない。

「そいつは、走るのが速いですか」
「YES」

 杏ちゃんを好きだっていうことがこいつにバレた時は、俺は照れくさくてバカみたいにおたおたしちまったけど、存外気まずくもなくて、こいつにだったら話してもいいかなあと思うようになったっけ。

「そいつは、テニス部ですか」
「……YES」

 はどんどんうつむいていって、ああこいつ結構睫毛が長かったんだなあと、初めて気がついた。
 こいつって、いつでもなんでもないように振舞っていて、それなのにちょっとすごい。
 すごいって思わせないところが、すごい。
 
「俺、夢を見たんだ」
 俺は急に、ランプの精から神尾アキラに戻ってしまっていた。
「えっ? 夢って?」
「今朝方に見た夢の話」
「ふーん、エッチな夢?」
「バカ! そんなんじゃねーよ!」
 の肩を拳で軽く押した。
「……夢の中で、杏ちゃんに告白されたんだ」
 ハーッと溜息をついたは、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「いかにも中2男子の夢だなー。いい夢見てよかったじゃん」
「だからお前、最後まで話聞けって!」
 俺はもう一度小突いてやる。
 今日何度目かの深呼吸をした。
「俺、夢の中の杏ちゃんの告白に、ごめんって言いかけたところで目が覚めたんだ……。夢の中の俺は、『ごめん、俺、他に好きな子がいるんだ』って言おうとしてた」
 は真ん丸な目をして俺を見る。何かを言おうとして、言葉が見つからないようだった。
「俺にとって杏ちゃんは、現実の世界でも夢みたいなもので……。つまり、なんていうか、現実だけど、なんだか俺の頭の中で勝手に考えて思い描いている。だけど、もっとこう……そいつが目の前にいると、面白かったり、笑ったり、嬉しかったり、びっくりしたりする、俺の想像じゃ追いつかねーやつがいて……あー、くそ!」
 言いながら、俺はまた髪をかき回した。
 俺は何を言ってるんだ! 
「つまり! 俺が好きなのは、なんだ。夢から覚めて、頭の中で何度も杏ちゃんに謝ったよ。杏ちゃんのことが好きだったけど、今は他にもっと好きな人ができたんだって」
 は目も口も大きく開いて、アホ面をして俺を見ていた。
「……つきあってたわけじゃねーし、ちゃんと好きって告白をしたことがあるわけじゃねーし、杏ちゃんも実際俺に謝られたって困るだろうけどな」
 俺も唇をとがらせて、変顔をしてみせた。
 髪型は最悪だし、変顔だし、どーなんだ。
「まあ、そりゃそうだよね……」
 変顔同士の俺たちは、間抜けな沈黙。
 今更、格好つけようがないけど、やっぱり格好良くキメたい。
「俺はバカだから、いつからどうしてが好きだったのか、今じゃ、もうわからねー。でも、夢の中で真っ先に思い浮かんだのは、の顔で、夢から覚めてもやっぱりそうだった。そして、夢の中で思い浮かんだよりも、こうやって目の前で見るの方が、ずっといい」
 一気にまくし立ててから、こほんと咳払い。
「……で、さっきのランプの精に戻るけど、お前と同じクラスでテニス部でって、俺と森の二人だよな。で、俺の方が脚は速いぜ」
 俺の心臓、勝手に走り出すなよ。
「あとは寝ぐせついてますかっていう質問で、わかると思う」
 がちょっと泣きそうに笑って言うものだから、俺は思い切りの髪をぐしゃぐしゃにしてやった。
「何すんの、バカミオ!」
 お互いにヤイヤイ小突き合いながら、校舎に向かう。
「試合観に来るの、アウェイじゃねーだろ。……っていうか、観に来てほしいんだ」
 俺が改めて言うと、は隣で大きく何度も頷いた。
 じんわりとあの、フワフワした暖かくて甘い空気が俺を包む。
 杏ちゃんに恋をしていた俺を好きになってくれて、ありがとう。
 心の中でそうつぶやいてみた。
 まったく俺ときたら、頭の中で勝手にあれこれ、ごめんとかありがとうとか、しかたのない奴。
 だけど、試合でリズムに乗るカッコいい俺を、好きな女の子にはちゃんと見てもらいたい。


(了)
2014.3.6
※グループ魂の「ラブラブ・マンハッタン」を聴きながら書きました。

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