● 生活向上バレンタイン  ●

 花の立海大附属中に入学して、私が担当することになった委員って、どんなのか聞いてもらえますか?
 その名も、生活向上委員会。
 読んで字のごとく、学生生活を向上させるために尽力する委員会です。
 明治11年に創設された長い歴史のあるわが校は、なかなかに校則や校風が厳しくて、もちろんそれが売りの一つではある。だけど、実際に通う学生としては、この平成の時代、明治からの校風にはそぐわない部分もあって、しかし簡単に校風を翻すわけにはいかないという折衷案で設立されたのが、生活向上委員会。
 日々生徒の意見を吸い上げては、まとめていく、いわば生徒のQuality of Life を向上させていくための委員会として、平成元年に設立された。
 しかし、その実情としては、「一応、言い分を聞くだけ聞いてるからいいでしょ」というお飾りみたいなもので、生活向上委員会に「女子のソックスを自由にしてほしい」だとか、「学食のおかずの量を増やしてほしい」と意見してもらっても、一応伝えるだけ伝えるという形であって、現実的に学生生活の向上には結びつくことはほとんどないと思う。いや、私が無能だというわけじゃなくて、歴史的に代々そうなんだって。生活向上委員が意見して通ったという事実は、立海大付属中の歴史上、ほとんど、ない。
 そういう、やる気の起きない委員になってしまったのも、1年生の時、HRの時間にぼけーっとしてたらいつのまにか割り振られてしまったというついてない思い出。
 そして、1年生の春、一番最初の委員会総会でのことは忘れもしない。
 うちの学校の委員会総会には、委員長の他にも各学年の代表が出席することになっていて、私は生活向上委員会の1年生代表になってしまったんだけど、同じクラスの男の子が風紀委員の学年代表で出席していたことに気づいた。
 背が高くて声の大きい、割りとカッコいい目立つ子だ。
 それが、真田弦一郎、真田くんだった。
 テニス部で、入部して早々に3年生の先輩とも渡り合ってる有名人らしい、ということは知っていたけど話はしたことがなかった。
 真田くん、真面目そうだから風紀委員ってお似合いだよなーなんて思いながら過ごした委員会総会。
 ほとんど自己紹介や年間予定の確認で終わり、会議室を後にする時だった。

 声をかけられて、びくっとして立ち止まり振り返ると、テニスバッグを背負った真田くん。委員会が終わったらこの足ですぐに部活に行くのだろう。
も学年代表だったのか。俺は風紀委員の学年代表になった、よろしく頼む」
「あ、うん、こちらこそよろしく。まだ、何をやったらいいのかよくわからないけど」
 真田くんって、やっぱり真面目なんだなあ。同じクラスの中でも背が高いし、凛々しい顔してる。うん、近くで見るとやっぱり結構カッコいい……。なんて思っていたら。
「学生生活の質を上げていくということについては、風紀委員も同じ。同じクラスのよしみで、協力してやっていこうじゃないか。俺も生向委員のことはよくわからないが、学年代表としてこれからにいろいろ教えてもらうことになるだろう。頼んだぞ、生向委員」
 真田くんはそれだけを言うと、ずかずかと会議室を出ていった。
「……あれ、誰?」
 生活向上委員の2年生の女の先輩がを怪訝そうに聞いてくる。
「……ええと、同じクラスだけど……知らない子です……」
、あの男子に『せいこういいん』とやらのいろはを教えてやらないといけないのか、大変そうだな」
 3年生の男の先輩が笑いながら言うので、私と2年生の先輩は、セクハラセクハラ! と怒り出し、それをきっかけに、会議室に残っていた先輩たちも大声で笑った。
 真田くん!
 生活向上委員会を変なふうに略さないでほしい! そして、大声で連呼しないでほしい!


 という出来事が、私と真田くんの実質上の初対面。
 そして、それから2年生になっても真田くんは風紀委員、私は生活向上委員だった。
 うちの学校は、決まり事というわけじゃないけど、1年生の時に決まった委員をそのまま続けることが多いんだよね。
 あの時の出来事があってから、どうも真田くんって面倒くさそうだから、あまりかかわらないようにしようと思ったのだけど、そんな私の意向は1ヶ月も続かなくて、というのは冒頭で言ったような生活向上委員の仕事はなにかと風紀委員と話し合うことが多いから。
 特に2年生になってからは、委員会での実質の業務を主に担っていく立場になるものだから、私と真田くんの一騎打ちということも増えてきた。
 だけど。
 初対面の印象はアレだったけど、真田くんは意外にわからずやだったり、おかしな子ではないということに気づいた。
 すぐに大きな声で怒鳴ったり、融通がきかなかったりはするけど、やっぱり真面目なだけあってちゃんとしてる。
 2年生になってから私が初めて一人で担当した案件に、目安箱に意見されていた「学校指定のセーター・マフラーの自由化」というものがあった。
 風紀委員に申し入れに行ったところ、対応したのが真田くんだった。
 まじかー! と思いつつ、彼が私が持っていった申し入れ文書に目を通すのを待つ。
「……俺は、感心せんな。セーター、マフラーも制服の一部だ」
 と、予想通りの答え。
「でもね、真田くん」
 この頃になると、私も生活向上委員の仕事をわきまえてきていた。
 生活向上委員の意見がずばり通ることはないけど、生活向上委員の仕事は、少しずつ風紀委員にジャブを放って行くことなの!
 つまり、明確にオッケーとは言われないけど、ここまでならヨシというラインを、私が体現していくというか。
 風紀委員と交渉をする生活向上委員として、私は「リップのグロスはこれくらいまでなら大丈夫」とか「靴やソックスはこれくらいなら違ってても大丈夫」とかね、日々チャレンジャーなんです。立海大附属中の女子として、校則違反にならないぎりぎりのオシャレさを極めるための!
 もちろん、「それは校則違反だろう!」と怒号を浴びることもしばしばだけど、半年もしないうちに慣れてしまった。
 で、今回はマフラーね。
「あのね、セーターはまあ置いといて、マフラーってね、真田くん。よく、なくしちゃったりするじゃない」
「俺は、なくしたことなどない!」
「うん、真田くんはきちんとしてるからなくしたりしないと思うけど。でも、どうしても電車に置き忘れちゃったり、冬になっていざ使おうとするとどこにしまったわからなくなっちゃったり、そういう話も多いの。でね、指定マフラーって指定のお店に行かないと売ってないでしょう。お店でも、取り寄せだったりするでしょう。そうやって、手に入れるまでマフラーなしで寒いまま過ごさないといけないわけ。マフラーなくしちゃった子は。だったら、ユニクロやしまむらで買ったのを使えたら、すぐ入手できるし、安いし……」
 私がそう言うと、真田くんは、むむう、と額に手を当てて考え込む。
 ね、こういうとこ。
 私、真田くんって、こういう話だったら『それは、なくす本人の自己責任だろう! そんなことで校則を変えるわけにはいかない!』って感じで頭ごなしかと思ってたんだよね。特に、相手がこんなぼーっとした生活向上委員会の私なんかだったら。
 でも、結構ちゃんと話を聞いて、考えてくれる。
「そう言われてみると、確かに入手しやすさ、という点では難があると言える。しかし、そうそう紛失するというケースを考慮するべきなのかどうか……」
 難しい顔をした。
「それにね、制服については文句は聞かないけど、どうしてもマフラーくらいは自前で好きなのを使いたいっていう子が多いの。だってほら、女の子でさ、好きな男子にマフラー編んでプレゼントしたくても、使ってもらえないのって寂しいじゃない」
 真田くんが、ぐわっと目を剥いた。
「なんだと! 、お前は好きな男にマフラーを編んで贈りたいのか!」
「ちがうちがう、私が編み物するタイプなわけないじゃない。そういうご意見も、生活向上委員会に寄せられております、という話よ」
「……そうだな、は編み物という感じはしないな」
 失礼なとこで納得するなー、真田くんは!
 なんて憤慨しつつ、マフラー問題でああだこうだ話し合っていたら、真田くんはふうっと軽くため息をついた。
「そんなに、皆、学校指定のマフラーがいやなのか。俺は……正直マフラーなどどうでもいいが、この立海大附属が好きなんだ。せっかくなのだから、同じ学校の生徒として伝統の装いを貫き通したいというのは、頭が堅すぎるのか?」
 なんて、しまいには言い出す。
「あ、うーん……ええと……」
 そこまで言われてしまうと、なんとも言い返せない。
 うん、確かに、学校の外でこの指定マフラーをしていると「うん、立海だ」っていう感じがして、私も嫌いではない。そうなんだけど……。
「議論が白熱しているようだな、弦一郎」
 海志館の資料室で話し合っていた私たちの前に現れたのは、生徒会の柳くん。彼もテニス部だ。
「よかったら、俺が折衷案をまとめよう」
「え? 折衷案って?」
 柳くんに聞き返した。
「冬季は学校の売店で、常時マフラーを在庫してもらうように依頼してみよう。通常、取扱店で単品でマフラーを購入する場合はやや割高になるが、売店でも入学時に制服と一緒に購入した価格と同じに販売してもらう。これでどうだ、
 私は、柳くんに詰め寄った。
「さすが、柳くん! ありがとう、これで生徒の生活向上に一歩近づいたわ!」
 ノスタルジックだったり、ファッション問題だったり、男女問題だったり、いろんな方向に迷走したマフラー問題は、どうやら利権問題でカタがついた。この生徒数の多い立海附属中でマフラーが指定から外れるとなったら、打撃を受ける業者だって多いはず。そこをついて、交渉に持っていこうなんてさすが生徒会の柳くんだ!
、それでよかったか」
 真田くんは、少々戸惑ったように私を見た。
「いい、いい。生活向上委員としては、これくらいの手土産があれば十分。真田くん、柳くん、ありがとう。部活、頑張ってね!」
 そう言って、私は意気揚々と先輩に報告に戻ったものだ。


 そうやって過ごした2年生ももうすぐ終わりが近づいてきた。
 4月から3年生になる私は、なんと次期生活向上委員長を任命されている。
 そして、当然といえば当然、風紀委員長は真田くんらしい。
 真田くんが所属しているテニス部は1年の頃から全国大会優勝を果たしていて、破竹の勢い。そんな忙しい部活なのに、風紀委員長までやるなんてほんとまじめだ。
 そして、真田くんやテニス部にとってとても大事な人、テニス部の幸村くんが冬のはじめに体調を崩して入院をして以来、真田くんはより一層熱心に部活に取り組むようになっていて、テニス雑誌の取材も来るようになっていて、なんていうか、委員会の関係がなければまず私は絶対こういう人と気安く口をきくことなんてなかったろうな、としみじみ思うようになった日々。
 そんな時期だというのに、1月早々、私は生活向上委員として気が重い、けど重要な任務を果たさねばならなかった。この任務こそ、生活向上委員設立の頃より、風紀委員との間で代々続けられてきた重要な命題の一つである。
 長い歴史の記録を見ても、毎年毎年「却下」となっている問題とは、バレンタインデーのこと。
 簡単に言うと、うちの学校では、バレンタインデーに学校でチョコのやりとりをするのって校則では禁止なの。
 といっても、まあ実際にはやってるけどね。
 でも、禁止する規則を撤廃しましょうという意見を述べるのが、生活向上委員の役目。
 実際に、1年を通しての意見でも一番多い要望だし。
 去年、1年生の時の1月に、委員会の先輩がバレンタイン問題で風紀委員と検討会をする場に私も同席をした。
「どうですかね」「だめですね」「やっぱりね」という、予定調和のやりとり。
「平成になってから毎年繰り返されている風物詩だから。来年は頼んだ」とさらりと言われたっけ。
 

「真田くん、ちょっといい?」
 1月になって最初の委員会総会が終わった後に、声をかける。
「ああ、どうした」
「ほら、あれ。2月のことなんだけど……」
 私が言うと、彼はすぐに、ああと察したようだ。
「議事録を取るか?」
 生活向上委員会に上げられた意見や要望は、内容にもよるが、生活向上委員とその関係の委員で話し合って、そこで同意が得られて初めて、生徒会に上がる。生活向上委員は性質上、風紀委員とまず話し合うことが多いけど、ほとんどの場合は生徒会まで正式に上がることはない。真田くんは、テニスバッグを下ろす気配もなく、「すぐに終わる話し合い」と思っているのだろう。
 私が、ノートとペンを用意して、でね真田くん、と言うと、
「だめだ。以上」
 それだけ言うと、ずんずんと会議室を出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃ報告できないんだけど!」
 あわてて、彼のテニスバッグを引っ張って出ていくのを止めた。
「なんだ、何を話し合うというのだ」
「だから! 校則でのバレンタインチョコのやりとりの全面禁止の緩和について!」
「緩和もなにもなかろう、禁止といったら禁止だ」
 私は深呼吸をした。
 今回、私には、最初っからダメ元で挑むわけにはいかない理由があったから。
 簡単に引き下がる訳にはいかない。
「あのね、真田くんも知ってると思うけど、禁止と言ってもそれは表向きだけ。実際のところは、バレンタインにチョコのやりとりはそれなりになされているじゃない」
 私がまず言うと、彼は眉間にしわを寄せて怖い顔になった。
「なんだと!」
 大きな声で怒鳴るものだから、なれてるはずの私もちょっとびっくりしてしまう。
「えっ……真田くん、まさか知らなかったの?」
「そんなに堂々と、校則破りがなされていたのか!」
 真顔で言うので、私もすっかりあわててしまった。
「え、あ、ううん実際のところはそうだよ。真田くん、去年、一個くらいもらわなかった?」
 つい、余計なことを言ってしまう。だって、幸村くんや丸井くんとかテニス部の子はすっごく沢山チョコもらってたはずなんだけど……。テニス部でも風紀委員には気を遣って気取られぬようにしてたのかな。それにしても、気づかずに過ごしていられる方がすごい……。
「俺がそのようなものをもらうなどと……風紀委員の俺がそのような校則違反を容認するわけがなかろう!」
 やっぱりそうきたか。
、お前は次期委員長でありながら、そのような……まさか、お前も堂々と校則破りをしたのではあるまいな!」
「えー、私は生活向上委員の学年代表だったし、一応そういうことは差し控えてるよ」
 ぎりぎりのところで校則違反にならないのが、生活向上委員の粋なスタイルですから。
「本当だろうな! 校則を破って男にチョコをやったのではないだろうな! 今更罰するということはないが、正直に言え! 言わんか!」
 罰することはないって言われても、こんな剣幕で怒鳴られたら、どんな正直者でも言えないっつの。
「だから、やってないって言ってるじゃん! 今日は、今年の話をしてるの!」
「今年は誰かにやろうとしているのか!」
 たたみかけるような真田くんの怒号に、私は一瞬言葉につまる。
「……だから、そういう個人的な話をしてるんじゃなくて、校則の話。風紀と生活向上の話だよ」
「……そうだっだな」
 真田くんは、バッグを机において、ふうとネクタイを少しゆるめた。怒鳴りすぎて疲れのだろうか。
「話が戻るけどね、バレンタインには実質的には学校でチョコのやりとりはなされてる。校則で明確に禁止されてるけど、こういうのって難しいんだよ。先生だって、見てみぬふりっていうのが実情なの」
「それはけしからんな。職員会議で議題にあげてもらおう」
「じゃなくて。あのね、真田くん。バレンタインでのチョコのやりとりは確かに校則で禁止されていて、それでもみんな、実際にはチョコを贈りあったりしてる。さらに言えば、3月14日のホワイトデーには男の子だってお返しをするよ」
「なんだと! そうなのか! たるんどる!」
「いいから、今は話の腰を折らないで聞いて。あのね、そうやっておそらく昔から、バレンタインとホワイトデーには校則破りは横行してるんだと思う。でもね、それで問題が起こったっていうことは立海大附属中の歴史上、ないの。真田くん、去年マフラーの話をした時、自分は立海が好きなんだって言ってたじゃない。もうちょっと、立海の生徒を信じて」
 私が言うと、真田くんはちょっと戸惑ったような表情でじっと私と私の手元のノートを見た。
「今から、バレンタインのチョコの禁止をとりやめる、というのは実質的には難しいと思う。PTAへの説明も必要になるかもしれないし。だから、校則の運用を考えてほしいの」
「運用だと?」
「うん、わざわざ校則を変える必要はないの。けれど、その読み込みというか……つまり、6時間目の授業が終わる15時20分までは、禁止だけれどそれ以降のチョコの受け渡しについてはその限りじゃない、という感じ」
「……」
 不満そうな真田くんが何かを言いかける前に、私は続けた。
「だって、部活動の時って、部活によっては、校則で持ち込みを禁止されているようなものでも使うこともあるでしょう? 例えばズバリ言うと、家庭部なんかは部活の時間にお菓子作るんだよ? 手作りチョコだってできちゃうんだよ?」
 真田くんは目を見開いた。
「言われてみれば……!くっ……」
「だからね、授業中はやりとりはダメ、でも授業時間をすぎたら風紀委員としても、まあ目くじらを立てない。そんな感じの運用でどうでしょう」
 真田くんはバッグから黒いキャップを出して、ぎゅっと頭にかぶった。
 彼のトレードマークだ。
「個人的な意見を言わせてもらえば、バレンタインだのホワイトデーだのそのような事自体、たるんどる。しかし、校則の運用・読み込みという点では、の意見には一理ある」
 私は、ほうっと胸をなでおろす。
「でしょ? だから、生徒会にかけて校則を見直すまでは必要ないけど、真田くん、14日の終業後に学校でチョコを持ってる子を見ても怒っちゃだめだよ」
 テニスバッグを抱えた真田くんは、フンと不満そうに鼻を鳴らす。
「お前は、誰かにチョコをやろうとしてるのか」
「えー、それは個人的なことだから」
、お前はもしや、生向委員としての立場を利用してこうやって風紀委員と交渉をし、自分が校則に抵触することなく思いを遂げようとしてるのではあるまいな!」
「ちょっと! 真田くん、声が大きすぎる!」
 お願いだから生活向上委員を略して言わないで、ということをついに言えないまま今まで来ている。
 そういうところは鈍いのに、中途半端なところに鋭い。
 そして、やっぱり鈍い。
 私がわざわざ校則の抜け道の言質まで取ってチョコを渡したい相手なんて、決まってるじゃない。
 真田くん以外にいるというの?
 だって、真田くん以外にだったら、別に校則違反でも全然問題ない。色よい反応かどうかは別として、チョコを渡した瞬間に怒鳴られるということはまずないからね。
「ごまかそうというのか!」
 まだ、やいやい言おうとする真田くんに、もういいから部活行きなよ、いそがしいでしょ、とあしらって会議室を走り出た。
 こうしてはいられない。
 チョコを物色しなければ!
 

 そう、私は、真田くんが好き。
 最初は、まじめすぎて怖くてちょっと変わった子かと思ったけど、「この立海大附属が好きなんだ」と真摯な目で言った彼を見た時から、多分好きになった。
 真田くんはああいう子だから、今日も聞いたように、去年はバレンタインチョコはもらってない。
 うん、だって校則違反だってつっかえされるのが目に見えてるから、誰もあげられないよね。
 そうは思っていたのだけど。
 もし、勇気を出した女の子が、今年のバレンタインにチョコを贈ったりしたら。
 もし、その子が、なんとなく真田くんが好きそうな、大人しくて可愛らしい子で、真田くんもその子が好きになっちゃったりしたら。
 そうだ、3年生の女子でも、真田くんのことをいいっていう先輩がいるって聞いた。3年生だったら、バレンタインなんて卒業間近だし、捨て身でプレゼントをする人だっているかもしれない。うちの学校の3年生には綺麗な人だって沢山いる。そういう先輩に、真田くんがころりとやられてしまったらどうしよう!
 そんなことを考えていたら落ち着かなくなって、私は今年の「バレンタイン交渉」には本気でかかることにしたのだ。
 今年のバレンタイン、15時20分以降、私は勇気を出して真田くんにチョコを贈る。
 お願い、掃除当番に当たりませんように。


 そんな具合で、生まれて初めての本命チョコを携えて登校した2月14日。
 私は手編みのマフラーを編む方じゃないし、当然チョコを手作りするタイプでもないので、よさげなものを買っては友達と試食に試食を重ね、これぞ!というものを真田くんへのプレゼント用にした。
 あとは、授業が終わったどのタイミングで渡すかだなー、部活の前か後か……なんて考えていた昼休み。
 とんでもないニュースが飛び込んできた。
 真田くんが海志館の和室で、女子からバレンタインチョコをもらいまくっているというのだ。
 生活向上委員の後輩からのメールでそれを知った私は、あわてて和室に飛んでいった。
 真田くんは、昼休みに書道の練習でよく和室にいるとは聞いていたけど、この日は和室に数人の女子がいて、真田くんの傍らには山のようなチョコが……。
 後輩からのメールによると、絶対にチョコを受け取らなそうな真田くんが、今年はなぜか穏やかにチョコを受け取ったという噂があっという間に流れて、真田くんにチョコを渡したいけどおっかなくて渡せなかったという層の女子がこぞって渡しに行ったらしい。え、そのチョコが本来渡されるべきだった相手はどうなるの、なんて心配もちらりとよぎったけど、今はそんなことを考えている場合ではない。
 私はうろたえながらも、真田くんにチョコを渡す列に並んだ。
 粛々とチョコを受け取っている真田くんの前の女の子はどんどんはけていって、私の順番が来た。
「……ああ、もくれるのか」
 真田くんはちょっと戸惑ったような顔をするけれど、そう言うだけ。
「あ、うん。まだ終業じゃないけど、いいの?」
「……仕方あるまい」
 私は真田くんにチョコを手渡すと、逃げるように和室を後にした。
 
 教室に戻って、席につくと、私の胸には次々といろんな感情がわいてくる。
 ちょっと、待って。
 私はこんな風に真田くんにチョコを渡したかったわけじゃない。
 もっとこう……チョコを渡す時、なんて言おうとか考えてたのに……。
 真田くんだって、チョコもらっといて「仕方あるまい」って……。去年は一個ももらってなかったくせに!
 私の心はショックと悲しさの段階が済むと、ふつふつと怒りに変わってきた。
 真田くん、あれはない!
 だって、あれほど校則校則ってうるさいくせに!
 今回の緩和策だって、「終業である15時20分以降」でしょ。
 どーして、昼休みに堂々と受け取ってるの! しかも、ちょっとご満悦気味だった!
 私まで、つい「遅れまじ」と焦ってノリで渡しちゃったじゃないの! あんなに真剣にいろいろ考えて選んだのに!
 なんなの、真田くん、中2デビュー?
 次期風紀委員長として、ちょっとたるんでるんじゃないの? 
 

 授業が終わると同時に、怒りのボルテージが上がりっぱなしの私はテニス部の部室に走った。
 やきもちだとか、そういう話じゃない。と自分で自分に言い聞かせる。
 これは、生活向上委員として風紀委員に申し入れをしなければならない。
 次期風紀委員長自ら、おおっぴらに校則破りをしてどうするの! ってね!
 たのもー!っていうぐらいの勢いで、私はテニス部の部室をノックして中を覗いた。
 既にテニス部の辛子色のユニフォームに着替えた真田くんの背中が見えて、私が扉を開けると同時にふりかえり、そしてテーブルにはチョコの包みの山……。そう、今日和室で真田くんがもらってたやつだ……!
 真田くん、部室でみんなにひけらかしてるわけ!
「……生活向上委員・、風紀委員の真田くんにお話があって参りました!」
 怒りもあらわに声を上げると、真田くんが立ち上がった。
 私から見えるちょうど正面には、仁王くんが椅子に体育座りをして、闖入者である私をおもしろそうに見ていた。
 部室には、他に、丸井くんや1年生の切原くんなんかがいて、真田くんのチョコ自慢でも聞かされていたのだろうか。
「あ……あのね、真田くん……今日のことはちょっと風紀委員として、どうかと思うんだよね……」
 ああ言ってやろう、こう言ってやろう、普段から私にはヤイヤイ怒るくせに、自分は一体どういうこと、風紀委員のくせに! と思ったものの、怒り慣れていない私はすぐにそれ以上の言葉が出なかった。
 真田くんは一瞬、チョコの山の方へ振り向くと、包みをひとつ手にした。
、お前の言いたいことはわかる」
 そう言って、私に包みを差し出すのだ。それは、紛れもなく、今日私が渡したチョコの包み。
「それは、お前に差し戻すとしよう」
 差し戻すって……。
 私はさーっと血の気が引いていくのがわかる。
 文句があるなら、チョコは返すってこと……?
 まさか今日という日が、こんなにも踏んだり蹴ったりのバレンタインになるなんて、想像だにしなかった。
「あ、ううん、私は生活向上委員として話をしにきたのであって、チョコのことはもうどうでも……」
 どうでもよくはないけど、私は動揺しすぎて何を言ったらいいのかわからない。
 真田くんは目の前で、ぐわっと険しい表情になった。
! 今日は、お前と生向委員のことは抜きで話がある!」
 がたん! と椅子が倒れる音がする方向に目をやると、1年生の切原くんが目を丸くして立ち上がっていた。
「さ……真田次期副部長……すごいっス! せいこう……せいこうい……! 今日はってことは、普段はその人と、せいこういアリの話をしてるってことっスか!」
 ブハッと吹き出す仁王くんと丸井くんに、『赤也! 何を言っとるかー!』とげんこつを振り上げる真田くんに、もう何がなんだかわからないけど、とりあえず目の前で暴力沙汰はやめてほしい。
 私はあわてて、切原くんに振り上げた真田くんの腕を掴んで止めた。
「……真田くん、ずっと言いたかったけど、言えなくて……。生活向上委員を生向委員って略すの、やめて」
 ハッとした真田くんの腕の力が抜けたので、私は彼の手から離れると部室を飛び出した。
 つきかえされたチョコを携えて。
 なんなんだ、今日という日は一体なんだったんだろう。
 こんなことになるなら、生活向上委員としてのバレンタイン交渉、例年の通り、なあなあですませておけばよかった。あんな取り決め、真田くんとかわさなければよかった。そして、チョコレートを贈ろうなんてしなければよかった……。
 私はもう3年生になったら、生活向上委員はやめよう。
 ……いや、ちょっと待てよ。
 私がやめて、他の子が委員長になって、風紀委員長の真田くんといろいろ生活向上に関する検討事項を話し合って、その子がすっごく真田くんと仲良くなっていったりしたら……! 
 あーでも、もうそんなの関係ない。今日ですべてが終わった。
「待たんかー!」
 私がとぼとぼと歩いていると、ユニフォーム姿の真田くんが走ってきた。
「……わけのわからない事を言うだけ言って、勝手に出ていくな!」
 えー、これ以上どうしろと。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
 思っていることをそのままに口にした。
 だって、そうじゃない。
 真田くんは、今日は女の子からチョコを沢山もらってご満悦で、私のチョコは返されて。
 その事実を粛々と受け止める以外に、私にできることがあるの?
「少々込み入った話だが、いいから聞け」
 真田くんがそう言うので、私はやむなく足を止めて彼を見た。
 こほんと咳払いをして、真田くんはあらためて話し始める。
「……今日、和室にいたのは、俺じゃない。あれは、仁王だ」
「はあ?」
 真田くんらしからぬ、頓狂な話。
「仁王は、実は変装が得意で、今日の昼は俺の成りをして過ごしていたらしい。なぜかって? 昼休みに、バレンタインのチョコを渡しに来る女子の相手をするのが大変だからだそうだ。俺ならば、風紀委員だから渡されないだろうと安心したらしいが、なぜか手渡されることとなり、受け取っているうちにどんどん増えて断りきれなくなったらしい」
 私は内心、あっと声を上げた。
 生活向上委員のメンバーには、風紀委員の真田くんとのやりとりを話している。もしかしたら、それで、「今年は真田くんにチョコを渡しても怒られないらしい」という情報となってリークされたのかもしれない。油断も隙もない……!
「さっきはそのことで仁王に説教をしていて……仁王が受け取ったからには、仁王自身が相手にきちんと礼なりなんなりをしておくよう話していたのだ。……ホワイトデーとやらには、男子からも礼をしているのだと、が言っていただろう」
「はあ……」
「だから、それは」
 真田くんの視線を追うと、私の手元。
 真田くんからつっかえされたチョコの包み。
「俺にくれるというのならば、ちゃんと俺にくれ」
「えっ!」
 急展開についていけない。
「ちょっと待って、ちょっと待って、整理する。ええと、今日、和室で、ご満悦顔でチョコを沢山受け取ってたのは、真田くんじゃなくて真田くんの格好をした仁王くんで……」
「俺はチョコをもらって、ご満悦な顔などしとらん!」
「だから、仁王くんの真田くんがっていう話なんだって、ややこしいなー。ええと、あれは真田くんじゃないから、私が真田くんにチョコをあげるのはやりなおしっていうことね」
「そうだ! やっとわかったか!」
 どうしてそんなにえらそう。
「あの、じゃ、これ、バレンタインチョコ」
 私が包みを差し出すと、真田くんは大きな手でがしっと掴んだ。
「……念のため尋ねるが……」
 ええっ、まだあるの!
「この、チョコの贈り物の意を確認していいか」
「えっ……」
 包みを片手に、眉間にしわをよせた怖い顔で私を睨むように見下ろす真田くんをじっと見た。
 真田くんとの意見交換には慣れてるけど、これはどう答えたらいいんだろう。
「……俺はこの通り鈍い男だ。お前の所属委員会について、不適切な略し方をして、不適切な発言を続けて来て申し訳なかった。先ほど、柳からも注意を受けた」
 不適切って……。柳くん、注意するならもっと早くにしてほしかった……。
「そういった鈍い男なので、お前からのこの贈り物についても不適切な解釈をしてしまうかもしれん」
「ふ、不適切な解釈って、例えばどんな?」
 私が聞くと、真田くんはこころもち顔を赤らめてそして、またぎゅっと眉間にしわをよせる。
「例えば……が、俺に懸想しているのではないか、など……」
「……ちょ、ちょっと待ってね」
 私はバッグからスマホを出して、けそう、けそう、と辞書アプリで検索をした。
 懸想、という言葉を発見し、かあっと顔が赤くなる。
「それって、この字のことでいいの?」
 スマホの画面を見せると、真田くんはうなずいて、もう少し国語を勉強しろとつぶやいた。
「ふ……不適切じゃなくて、ズバリ適切です……」
「そ、そうか……!」
「あのー……真田くんも、こういうことで、いいの?」
 私は、懸想、という字の辞書画面をさししめして真田くんに聞いた。
 真田くんは、うなずきかけてから背筋をのばした。
「いや、待て!」
「えっ、違うの?」
「そうじゃない、3月14日までは待たせはしないが、しばし待て! そんなスマホ画面ですませるわけにはいかん!」
「あの、真田くん、もうこれで十分だよ、どこいくの、どうするの!」
 真田くんが駆け出した。
「俺の思いを、半紙にしたためてくる!」
「和室で!? 真田くん、わざわざ半紙に書いてくれなくてもいいって!」
 今日という日の放課後は、真田くんにチョコ攻撃をしてくる女の子がきっと沢山いるはず! お願い、真田くん、今日はもうこれ以上うろうろしないで! 
 私はすでにヘトヘトだけど、海志館に走る真田くんの後をあわてて追った。
 真田くんがあの綺麗な力強い字で、半紙に何を書いてくれるのか、楽しみではある。
 今年のバレンタイン、確かに私の中学生生活はかなり向上した。

2014.3.16
 

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