● 恋のライフセービング  ●

 去年のバレンタインは土曜日で、学校のない日だった。
 片思い女子にとって、そういうの困るよね。バレンタインがお休みの日に当たった場合は振り替えるって法律を作って欲しい。
 だから、前日にあたる金曜日に渡すべきか、週明けの月曜日に渡すべきかで悩んだわけ。
 で、前日だと必死すぎると思われるかもしれないし、13日の金曜日ってなんだか縁起が悪いじゃない。だから、決行するのは月曜日と決めた。「お父さんに作ったの余ったから」ってさりげなく。
 そんな熟考を重ねた作戦でバレンタインのチョコクッキーを渡そうと思っていた相手は、16日の月曜日、バッグにそれまでみたことのないハートをあしらったチャームをつけて教室にやってきた。そして、バッグのチャームを凝視する私を見るなり言うのだ。
「おっ、気づいたか? さすが、めざといな。実は一昨日のバレンタインにもらったんだ」
 浮かれ顔をした私の片思いの相手は、テニス部の赤澤。
既にイヤな予感がする。
「へ、へえ〜……。か、彼女から?」
「こいつと一緒に手作りチョコをくれて、その日に告白をされてな。それでつきあうことになったんだ、めでたいだろう!」
 照れもせずに嬉しそうに言う赤澤。
 相手は他校の同じ学年の子で、出会いは海のイベントで、とかいろいろ聞いてもいない事を話してくるけれど頭に入ってこない。
 だって!
 もし私が13日の金曜日なんかに拘らずに先まわりをして渡しておけば、もしかして……? とか、頭をぐるぐるまわっちゃって。
「で、はバレンタインどうだったんだ? 誰かにチョコ贈ったのか?」
 赤澤は私の気も知らず、豪快な笑顔でそんな無神経なことを言う。
 突然に赤澤に彼女ができてしまったことに、あまりに動揺した私はとっさにバッグの中から包みを出した。
「あたりまえじゃん。私も手作りのチョコクッキーをあげたよ。沢山作りすぎたから、はい、これ残り。食べる?」
 赤澤の机に強引に包みを置いた。アイボリーの包みにピンクのリボンをあしらった「できるだけ可愛くしたいけど、あまり必死すぎないさりげないラッピング」だ。
「おっ、マジか」
 赤澤はそのラッピングを開くと、さっそくチョコクッキーをつまんでバリッとかじる。
「美味いな! サンキュ、ありがたくいただくぜ」
 見事な食べっぷりで、赤澤はバリバリとチョコクッキーを食べつくすのを、私は複雑な気分で見つめていた。
「お前、結構菓子作るの上手いんだな。ところでお前の彼って、同じ学校の奴? 他校?」
「……他校」
 とっさに答える。
「ほー、部活の関係?」
「あ、うん記録会で知り合ったの」
 聞かれるままに、でまかせ。
「へー、って事は陸上部か」
 というわけで、その日から私には、実在しない架空の彼氏ができた。
 だって、バレンタインにあわよくば告白をしようとしていた赤澤に彼女ができてしまったという衝撃は「いやいや、私だって彼いるから」っていう見栄でも張らないと受け止められない。

 赤澤って、2年で同じクラスになったばかりの時は「うわっ、チャラそうな奴!」ってびっくりした。けど裏表のない良い奴で、男っぽくて、なんだかすぐに好きになっちゃったんだよね。身体も声がでかいから最初はちょっと怖いかなと思ったけど、実際には優しくて面倒見は良いし、話も楽しくてすぐに仲良くなれた。
こういう男の子って早い者勝ちだよなー、としみじみ13日の金曜日に失敗した事を激しく後悔しながら3年生に進級した私は、また赤澤と同じクラスになった。
「おー、、また同じクラスだな!」
 その頃は自然に名前で呼ばれるようになって、友達としては着々と仲良くなっているのがまた切ない。
 皮肉なことに、2年のバレンタインの時に赤澤に彼女ができたこととか、私の彼氏(架空の)についてをお互い話したことで、私たちはどんどん仲が良くなった。
 ほら、よくあるじゃん。彼女へのプレゼント何がいいと思うとか、デートはどこがおすすめかとか。
 デザートも充実したインド料理屋のランチクーポンをあげたりすると「さすが、いろいろ知ってるな! いつも充実したデートしてんだろ」なんて感謝されるけど、存在もしない彼とデートが充実してるわけないだろ! と内心で罵声を浴びせたりね。
 



 3年生になった私たちは、夏まではそれぞれに部活も忙しい。
本当は私もルドルフのテニス部を応援に行きたかったのに自分の記録会と重なって行けなかったし、記録会の結果もいまひとつだったし、片思いがうまくいかないままの3年生の夏はとにかく不完全燃焼。
そんな不完全燃焼の夏が終わった秋のこと。
2年のバレンタインの時以来の衝撃的な出来事が起こった。
「おい、、これやるよ」
朝、教室で赤澤がひらりと差し出してきたのは、何かのチケットのようだった。
「ん? なあに?」
受け取って内容を見ると、水族館のチケット。
「どうしたの? 彼女と行けばいいじゃない」
素朴な疑問をぶつけると、彼は気まずそうな顔をする。
「それが、振られてしまってな」
一瞬の間を置いて、私は「えー!!」と赤澤ばりの大声を出してしまった。
 だって、本当に驚いたんだもの。
「春からずっと部活も休みなしで忙しかっただろ。夏も過ぎてひと段落したし、水族館でもと誘ったら、この様だ」
「……そ、そうなんだ。いつも仲よさそうな話聞いてたからびっくりしちゃって……」
 いろいろな意味で衝撃の事実を受け止めるに私は少々時間がかかり、水族館のチケットを握り締めた。
「俺もそう思ってたんだが。やっぱり学校が違ってなかなか会えなかったりすると、つまらなくなったり不安になったりするみたいなんだな、女子ってのは」
 赤澤はめずらしく静かな声で、しみじみと言ってから顔を上げた。
「そういうわけで!」
 赤澤は右手で私の肩をバシッと力強く叩いた。
「お前も夏までは部活で忙しかっただろう。俺みたいにならないよう、ちゃんとしとけよ。応援するぜ!」
「あ、うん、ありがと……」
「まあ、お前の彼は結構こまめな奴なんだろ? 心配ないと思うけどな」
「え、そ、そうだよ、大丈夫……」
 がんばれよ、と彼が自分の席に戻る後姿を眺めながら、「どーして、私も夏の間に別れちゃったって言わなかったんだろ!」と内心手足をバタバタさせる。
 なんかね、私、いっつもこう。
 陸上部の練習でグラウンドでおもいきり転んで、めっちゃくちゃ痛くても、「あ、大丈夫大丈夫」って言っちゃうの。



 さて、チケットをもらった数日後、赤澤はさっそくチェックをしてくる。
「水族館行ったか? クラゲのイベント11月までだったろ」
 赤澤ってなんだかんだ面倒見が良いものだから、こういうのちゃんと確認してくる。
 絶対に「どうだったか」って感想を聞いてくるのは分かってたから、ちゃーんとお母さんと行って来ました、水族館。
「うん、行ってきた。すっごいキレイだったよ、ありがとね」
「お前の彼もよろこんでたか」
「……水族館とか滅多に行かないからいろいろ珍しいみたいで、喜んでた」
「そうか、そいつはよかったな!」
 永らく赤澤と彼氏(架空)のことを話していると、あれこれ聞かれるものだから、こう、彼氏のキャラ設定だけは着々とはっきりしてきてしまっている。
 ちなみに、私の架空の彼氏の設定は「横浜に住む陸上部の3年生。長距離選手で部長。細身で身長は175センチ、物静かで真面目で優しく読書が好き」といった感じ。なんだかむきになって、赤澤とはまったく違うタイプの設定にしてしまって。
 私ってば何やってるんだろうなあ。
 ひとの不幸を喜んではいけないけれど、せっかく赤澤がフリーになったというのに!
 しかし困った。
 成り行き上出来上がった架空の彼氏は、優しくてちょっとやそっとの事では別れるとかそんなことにはならなさそうな設定なんだもの。




 秋が過ぎて冬になり12月になると、また私は焦り始める。
 12月!
 クリスマス!
 ルドルフのクリスマスといえば、クリスマス礼拝もあるし結構盛り上がるの。
 なんとかこれを機に赤澤と上手くいかないかな……と思うけど、私はいまだ架空の彼氏と別れることができていない。
「いやー、うちの学校は12月に入るとクリスマスムードで盛り上がるなー」
 昼休みに教室でお弁当を食べながら、教室の窓から外を眺めてしみじみ赤澤が言った。
「ほんとだよね。赤澤はクリスマスはどうするの? 新しく彼女できた?」
 私はさりげなく探りを入れてみる。だって、赤澤って多分結構人気ある。2年生の女子で、赤澤のファンの子がいるとかも聞いたことあるし。
 私の質問に赤澤は大声で笑った。
「バーカ、そんなにホイホイできるかよ。クリスマスあたりはテニス部の寮の奴らと紅茶飲んでケーキを食うくらいだ。寮住まいの後輩のお姉さんが、よくケーキ作ってくれるんでな」
 健全な男子中学生らしい返答に、ほっと胸をなでおろす。
 私が架空の彼氏と別れられないままボヤボヤしている間に、また赤澤に彼女ができてしまったらもう立ち直れない。
「そっかー、手作りケーキかー。いいなー、楽しそう」
 ほっとしたあまり、素直な感想を口にする。
、お前はどーなんだ。彼と何かイルミネーション見に行ったりすんのか」
 油断していると、すぐこれだ!
「えっ? あっ、あー、うーん、どうだろ……」
 返事も用意してないし、実際には彼もいないし、彼がいたとしてクリスマスにどんなデートをするのかなんて想像もつかないから、当然しどろもどろ。
「ああ、そうだ!」
 赤澤は突然言うと、バッグの中からナイロン袋を取り出した。
「これ、やるよ」
「ん? なあに?」
 ナイロン袋から赤澤が取り出したのはTシャツだ。
「俺、自分で着ようと思って買って来たんだが、着てみるとちょっと小さくてな」
 真ん中にでかでかと「部長」と描いてあるTシャツだ。なんとも微妙なデザイン。
「……部長。確かに、赤澤、部長だもんね」
 で、これを私にどうしろと。
「他の奴にやろうと思っても、部長じゃないだろ。後輩で部長になる予定の奴にやるって言ったんだが、『自分は、まだそんなTシャツを着て部長と胸を張れるレベルではありません』と丁重に断られてな。お前のつきあってる奴、陸上部部長だろ? で、ちょっと細身の奴だろ? 多分このサイズでちょうど良いぞ。クリスマスプレゼントにどうだ」
「え? ああ、はあ……」
 その、後輩に「いらない」と言われるのも分かるような、なんともいえないデザインのTシャツを広げて見つつ、赤澤が試着したTシャツ……と思うと「いる!」とつい返事をしてしまった。
「いいぞ、もっていけ!」
「うん、か、かっこいいデザインだし、彼もきっと喜ぶと思う」
「そうだろう、そうだろう」
 嬉しそうな顔をする赤澤を見ながら、また私は「あー! どうして、このかっこいいTシャツ、私が着たいから私がもらっていい?」って言わなかったんだろ! って猛反省。
 一体私は何度後悔したらすむんだろうなあ。
 

 12月の収穫は赤澤から部長Tシャツをもらったことくらいで、あっさりと冬休みを迎えてしまった。1月になって学校が始まって、手帳を見るとまた焦る。
 私、毎日毎日、勉強したり部活やったりそれなりに全力で過ごしていると思うんだけど、1年間ってなんでこんなにあっさり過ぎちゃうの。
 おそるおそる手帳の2月のページをめくって、愕然とした。
 今年の2月14日は日曜日だ。
 去年は土曜日だったし、中学2年3年とバレンタインがこんな日程って、恋の神様は何を考えてるんだろ。
 赤澤は赤澤で、よう彼と初詣行ったのかとか聞いてくるし、私と架空の彼氏は完全に安定したカップルになってしまっている。
 どうしたらいいんだろう、彼が突然親の転勤で遠くに引っ越してしまったとか? いろいろ設定を考えるけど、どうにも上手い考えが浮かばない。
 だって、熱血な赤澤のこと「遠距離恋愛を頑張れ」とか言い出しそう。
 いっそ、もっと不真面目で浮気性な男子の設定にすればよかった。どうせ架空の彼氏なんだから。




 好きな男の子がいて、奴には今は彼女がいないという状況なのに、自分の架空の彼氏と別れられないがために告白ができないという、まさにバカみたいな状況はなんとかしないといけない。
 私もさすがに腹をくくった。
 今年のバレンタインは、バレンタインが終わった後の月曜日なんて悠長なことはしない。
 12日の金曜日、もしくは14日に自宅に突撃してでもちゃんとチョコを渡す。
 その時に、私の彼は実在しない架空の人物であるということもきちんと説明するつもり。
 今年は絶対に他の女子に先を越されることはしたくない。
 つまらない見栄を張ったり、格好つけたりしない。さらっとごまかしたりしない。
 部活で練習している時、コーチや先輩に言われたことをふと思い出した。
 これ以上はしんどい、きつい、自分には無理かもっていうところを、ほんのちょっとだけ無理をする。そうしないと、先にいけない。失敗をしないように余力を残してたら、ずーっと同じことの繰り返し。私、赤澤への恋はこの1年余りずーっとそうだったんだ。

 2月12日の金曜日、私はチョコを携えて学校に行き、放課後にいつもの何気ない感じで赤澤に声をかけた。
「前に、どこかの輸入食材屋さんにあるレトルトカレーが美味しいって言ってなかった? 買って帰りたいから、つきあってよ」
「おう、いいぜ。俺も久々に食いてぇなと思ってたところだ」
 学校帰りに二人で食材屋に寄り、あれこれ言いながら何種類かのレトルトを買った。あのクッキー食べたことあるけど甘すぎた、このトムヤンクンラーメンは美味しかったとかいろいろ話していると楽しくて、やっぱり赤澤が好きだなあと思う。
 ここまで仲良くなって、あとちょっとのこの先。きっとここが無理のしどころ、頑張りどころ。
 私の家と赤澤の家は方向が同じなものだから、食材屋から途中まで一緒。
 あれこれ下らないことを話しながらぶらぶら歩いていると、帰り道はあっという間で、「じゃあ、俺こっちだから」と別れるタイミングになった。
 ちょっと、ちょっと! 私ってば、ここまで一緒に歩いてたのに、今日店で見てたカレーとカップラーメンの話しか!
「あ、待って! あのさー、赤澤」
 どうしよう、とにかく少なくともチョコだけは渡さないと。いや、でも渡しただけでは、去年みたいにただバリバリ食べられておしまい?
 バッグの中のチョコのパッケージを手にしながら、何て続けようと逡巡していると、赤澤が振り返ってバッグに手を入れた。
「そうだ忘れてた、これ、やるよ」
 赤澤はバッグから取り出したものをポンと私に放った。
 あわててそれを受け取ると、なにやら銀色の小さなアルミパック。お菓子かな、とよく見てみて、私はつい「ぎゃっ!」と可愛くない声を出してしまった。
 だって、そこにはさらりと「コンドーム」と書いてあったから。
「夏前にな、俺も近々必要な時が来るかもしれんと思い、買って持っていたが、まったく必要になる場面はなかった。そういえばこの日曜はバレンタインだし、お前は必要な時が来るかもしれんだろ。使う予定もない俺が持っていても空しいだけだし、お前にやるよ。こういう事は、きちんとしておいた方がいいぞ。安全第一だ」
 からかう風でもなく、真剣な顔でいつものよく通る太い大声で言う。
 まったくなんだってこんなことを、往来で堂々と!
 私、赤澤のこういうとこ、好き。大好き。
 でも赤澤ってば私に、他の男子(架空の彼氏)とこれを使えと!
 切なすぎるじゃない!!
 私は赤澤がくれたその小さなパッケージをぎゅっと握り締めた。
「赤澤、こんなんポンとくれても、使い方わかんないんだけど!」
 ぐいっと詰め寄ると、彼は目を丸くする。
「お、おう、そうか、そうだな……多分、中に説明書が入っていると思うぞ」
「そんな無責任な! 赤澤、保健体育は得意科目だって言ってたじゃないの!」
「でかい声で言うなよ!」
「赤澤こそ!」
 彼は交差点で仁王立ちになり、困ったように頭を掻いた。
「……わかった、とりあえずウチに来い。こんなとこで説明書広げるわけにはいかんだろ」
 交差点を曲がって2ブロックほど行った先が赤澤の自宅。
 玄関に招き入れられると、暖かい雰囲気の家ながら人気がない。
「うち、おふくろも爺ちゃんも仕事行ってるからな、兄貴は帰りおそいし。気の利いたもんは出せないが」
「あ、いや、そういうのはおかまいなく……」
 同級生の男子の家とか来るの初めてだ、と思いつつ赤澤の部屋に案内される。
 部屋には、きれいな海の写真がいくつか飾ってあった。テニス部部長だし、スキューバダイビングも好きだって言ってたし、赤澤はほんと多趣味だよなーとか思いつつ、「私、好きな男子の部屋に来てるんだ……」と改めて少し緊張してきた。
 赤澤は「これしかないけど」と、牛乳と「ばかうけアソート」の大袋を出してくれた。
「パッケージ、開けてみろよ」
 ばかうけアソートの袋を開けて、何味から食べようかと迷っていると、「ばかうけの方じゃねえよ!」と怒鳴られた。
「え? あ、ああ!」
 あまりの緊張感に、何をしに来たのかすっかり忘れていた。
 バッグのポケットから、赤澤のくれたアルミパックを取り出す。
 私たちは部屋の真ん中の小さなテーブルで、ばかうけアソートを囲みながら、真剣な顔で開封した。
「……な? 中に説明書入ってるだろ? とりあえず読んでおけ」
 私は、ばかうけチーズ味をバリバリかじりながら説明書に目を通す。
「……うーん、この説明図についてはなんとなくわかるのはわかるけど……。でも、いつどういうタイミングで使い始めるのかが、よくわからない……」
 率直な感想を述べた。
 もはや、一体なぜ赤澤の部屋でこんな説明書について真剣に話し合っているのかもわからないけど、とにかく私は今日は赤澤にバレンタインチョコを渡さないといけないし、私の彼が架空の人物であることを説明しなければならない。そのためには、今直面していることに全力で頑張らないと。
「タイミングか!」
 赤澤も説明書を手にしてじっと内容を読んだ。
「……確かにな。しかし……普通の状態では装着できないわけだから、それは、おそらくお互いに準備ができて、さあこれからだ、という時なんじゃないか」
「準備って……! 赤澤、それはちょっと難しすぎる。準備ってどうやってするの。その準備をした上で、そこでこのようなブツを導入してって、すごく難しくない? なんだか、私にはできそうもないな……」
 正直、ラブロマンス映画やちょっと大人な描写のある少女マンガのそういうシーン、見たことはある。けれど実際に、となるとなんて手順が難しいんだろう。必要物品の説明書を読むだけで、これだけ困難感があるなんて。そりゃあ実際に直面する予定はまったくないんだけど。
「諦めるんじゃねぇ!」
 突然の赤澤の大声にビクンとなる。
「そういのが、いかん! どんな流れでどうあっても、ちゃんと使わねーとだめだろ。言い出しにくいとしても、ちゃんと使え!」
 もはや私は何で赤澤に怒鳴られているのかわからない。
「そ、そんな事言われても、そもそも流れがわからないよ! テニスだってそうでしょ! サーブやショットの技術だけじゃなくて、試合運びを習得しないとだめでしょ? そんな風に、わーわー言われてもわかんないもの! ちゃんとこうするんだって説明して!」
 必死に言い返すと、赤澤は私をにらみ返し、立ち上がった。
「俺だってわからん! しかし、多分……」
 制服のジャケットを脱いで、ネクタイをはずし始める。私がぎょっとしていると、
「多分、まずは風呂だ!」
 彼はそう言い放って、部屋を出て行った。
 ドンドンドンと階段を降りる音がして、私は部屋に取り残される。
 しばらくして、おそるおそる扉を開けてみると、階下から「ぬああああ!」と声が聞こえた。赤澤、家の人が誰もいないとはいえ、声でかすぎ。
 部屋に残された私は、途方にくれてしまう。ばかうけをバリバリ食べながら部屋にあった早売りのジャンプに目を通すけれど、内容は頭に入ってこない。
 好きな男子の部屋に来て、避妊具の説明書を熟読して、説教されて、ばかうけを鬼食いして、彼はひとっ風呂あびに行ってって、これ一体どうなるんだろう。
 わーわーでかい声で怒鳴ってばかりいないで、肩のひとつでも抱いてくれたらいいのに、バカ澤この野郎。
 頭に入ってこないと言いつつジャンプを読みふけっていたら、バーンとドアが開いて「いやー、いい湯だった!」とこれまた大声で言いながらさっぱりした顔の赤澤が戻ってきた。
「今日は冷えるし、やっぱり風呂はいいぞ!」
 風呂はいいぞ、と言われても。彼は風呂上り用の飲み物として持ってきたらしいポカリを飲みながら、ベッドに腰掛けた。
「せっかくだ、お前も入ってきたらどうだ。これを貸してやる」
「えっ!」
「俺の中1の時のジャージだ。風呂上りに制服じゃリラックスしてジャンプも読めないだろ。後輩の金田が遊びに来た時にいつも貸してやってるんだが、これくらいのサイズならお前も着れるんじゃないか。安心しろ、ちゃんと洗濯はしてある」
 きちんとたたまれたジャージの上下とTシャツを手渡された。
「えっ? あ、ああ……ありがと」
 浴室に案内され、タオルも渡され、それで私も入浴するに至ってるわけだけど、これは一体なに。遊びに来た同級生がジャージ借りて風呂入ってリラックスしてジャンプ読むパターンに突入なの?
 湯船に浸かって「確かにいい湯で気持ちいいなー」と思いつつも、ぶるると首を振って気持ちをひきしめた。
 ちがうちがう!
 何のために風呂に入ってるの!
 これはあのブツを使用する「流れ」のためのはず。
 これからどういうデモンストレーションが行われるのかはわからないけど、入浴は念入りに。
 髪を乾かして、畳んだ制服を手に赤澤の部屋の前に立つ。
 深呼吸をひとつ。これからどんな展開になっても、私は逃げないし、ごまかしたりしないし、立ち向かう!
 決意を新たにドアをノックして、中に入ると……。
 赤澤はベッドの上で爆睡していた。
 手元には、例のアルミパックと説明書があるから、一応おさらいをしていたのだろう。
 しかし見事な爆睡っぷり。そういえば、赤澤は3秒で眠れるのが特技って言っていたっけ。
 力の抜けてしまった私は、畳んだ制服を置いて、眠りこける赤澤をじっと見つめた。
 いつもの力強い眼は今は穏やかに閉じられている。日焼けした肌は、それでも意外に肌理がこまかくてきれい。たいして手入れとかもしてないだろうに、男の子はいいなぁ。
 こんなにじっくりと近くで赤澤を見るなんて、初めてかも。背が高いから、普段は下から見上げるくらいだしね。私はベッドに上がって、ここぞとばかりに彼の眉や睫毛、唇なんかをじっと覗き込んで観察した。
 そっと髪に触れてみると、髪は見た目どおり割とかため。生乾きで寝たりすると、寝癖すごくないかなと想像したりしながら。
「……うーん……」
 と、軽い唸り声。びくんと手を離すと同時に彼は眼を見開き「わっ!」と声を上げる。
 その声にびっくりして、私はとびのいた。
、お前、どうして俺の部屋に!」
 慌てて起き上がった彼は、手元のアルミパックを見てはっと我に返った様子。
「……って、いやいや、すまん、すっかり眠ってしまっていた」
「あ、うん、お風呂上りって気持ちいいもんね」
 とびのいた私は、ベッドの隅につい正座をする。
「ふ、風呂、使い方わかったか?」
「うん、大丈夫。いい湯だった」
「そうか、よかったな」
 赤澤もつられて正座をした。
 部屋にはエアコンを入れてくれていて、暖かい。赤澤はTシャツに短パン。私は赤澤の中1の時のジャージ。ぜんぜんときめく状況じゃないけど、私はやっぱりこういう赤澤が好きだなあとしみじみ思った。
「っていうか、私たちそもそもなんでお風呂入ることになったんだっけ?」
「ん? そういえばそうだな、ちょっと待て……」
 赤澤はまだ寝ぼけてるのか、額に手をあてて逡巡する。
「……そうだ、思い出した! お前が、こいつを」
 そう言ってアルミパックを手にする。
「こいつを使うに至る準備とか流れがわかんねえって言うからだな、それにはまず風呂だろってことだ。……これから大事な相手の身体に触ったりするんだから、きちんと清潔にしておかねーと」
 はきはきと言う彼を見つめながら、ふうっとため息をついてしまう。本当に、本当に、こんな赤澤に大事にされる彼女になれたらどんなに良いだろう。
 だけど、だけど、告白とかいう以前に、私は風呂上りのすっぴんのジャージ女だ。
 なんだかもう、前向きな気持ちになれない。
 だって、部屋に来て一緒に避妊具の説明書を読んで、お風呂まで入って、そのあげく爆睡だものね。
 これはもう、赤澤が私の肩を抱いてくれるくらいあるかも、なんていう期待は持てない。
「……その通りだよね……。でもなんて言うか……例えば、もしも好きな男子のために張り切っておしゃれをしてきたとして、ちょっとお化粧も頑張ったとして、だけどいい雰囲気になるための流れの段階として『風呂』があるわけで、その時点で私はジャージなわけじゃん。赤澤の中1の時の。普段は遊びに来た後輩が着てるような。……私では、もうこの先『いい雰囲気の流れ』にして『準備』ができるとは思えない……。せっかく一緒に考えてくれたけど、ちょっとすべてにおいて私にはハードルが高いと思う。赤澤、いろいろありがとうございました。」
 正座をしたまま、がっくりうなだれついでにぺこっと頭を下げた。
 せっかく借りたジャージだけど、さっさと制服に着替えて帰ろう。とてもじゃないけど、リラックスしてジャンプの続きを読む気分ではない。
 顔を上げようとした瞬間、私の両肩に赤澤の大きな手ががしっと触れた。
「バカ野郎!」
 大声が耳に響く。
「ジャージの何が悪い!」
 赤澤の大きな手で私は身体を起こされた。
「ジャージを言い訳にするんじゃねぇ! ジャージ着てたってだ。それにほら、なんだ……風呂上りなら良い匂いするとか、他にもなんかいろいろあるだろ!」
 赤澤の顔が近い。
「えっ……でも、良い匂いっていっても、赤澤ん家でお風呂入ったから、赤澤のシャンプーとか石鹸と同じ匂いだと思うけど」
 肩を掴む赤澤の手は本当に大きくて、そして掌が熱い。私はあまりにどきどきしてしまって、間抜けな言葉しか出てこない。
 赤澤は片手を私の肩から離し、髪に触れた。
「……同じシャンプー使っても、お前の髪は柔らかいんだな」
 そう言うと、私の髪にふわりと顔をうずめ大きく呼吸をした。赤澤の息が首にかかる。思わずカーッと顔が熱くなる。
「確かに同じシャンプーの匂いだ。でも、どうしてかわかんねーけど、良い匂いな気がする」
 髪から顔を離し、どぎまぎした私を尻目に彼は深呼吸をした。
「……こーいうのは、ヤバい」
 赤澤はまたぐいと私の肩をつつみこむと、そのまま私を支えながらベッドに仰向けに倒していった。
「……同じだってば。石鹸だって同じのしか使ってないし……」
 思いがけない展開にどきどきしながら、私はすっかり彼の体の陰で覆われていた。
 赤澤はもう一度私の髪に顔をうずめたあと、次は鎖骨のあたりへ。唇が触れた。その感触に、電気が走ったみたいにびくりとする。
「ウチの石鹸の匂いだな。それでも、お前から匂うっていうだけで、すげーいい匂いなんだが」
 顔を私の耳元にうずめたまま彼は言って、ゆっくり顔を上げた。
「ジャージだとか気にするな。そもそも、こーいう事する時っていうのはどうせ脱ぐんだろ」
 うわー、赤澤っぽいがさつな物の言い。でもやっぱり、こういうとこ嫌いじゃないの。赤澤は多分思ったことをズバズバ言ってるだけなのに。にくたらしい。
「……準備って、こういう風でいいの?」
 赤澤の肩をぎゅっと掴みながら、彼を見上げて必死に言う。
「た、多分、そうなんじゃねーか?」
 彼が私から眼をそらして、身体を起こそうとするので、私は彼の肩を掴む手に力を入れた。
「多分じゃ、わかんないじゃん!」
 つい声を上げてしまう。赤澤はそむけた顔をもう一度戻して、私を正面から見た。肩をつかむ私の手を、その手で包んだ。
「よし!」
 そう言って身体を起こすと、Tシャツを脱ぎ捨てた。
「そこまで言うんだったら、俺は脱ぐ!」
 私もつられて身体を起こすと、彼の逆三角形の逞しい背中の筋肉が目に入った。あわてて顔をそらし、ジャージのファスナーに手をやる。
「じゃ、じゃあ、私も脱ぐ」
 ここは赤澤が脱がせてくれるのを待つのが正解なのかどうかわからないけれど、彼がそういうことをしてくれるのかも読めないので、とりあえずジャージとTシャツを脱ぎ始めた。「お前も脱ぐのか! 負けず嫌いだな!」なんて背後から聞こえてくるので、やっぱり自分で脱がなければ埒が明かなかったにちがいないと思い知る。
 裸になって彼の前で仁王立ちになって見せるような勇気はないから、そそくさと布団の中に入ると、しばらくしてから彼も隣に入ってきた。そのがっちりした両腕でしっかりと抱きしめられる。
 うわあ、もうこれだけで幸せ。
 筋肉質で逞しい赤澤の体は、骨格はゴツゴツしているけれどその筋肉は意外にしなやかで柔らかい。顔に当たる上腕の筋肉はふわっとしているくらい。
 彼の胸に額をくっつけて目を閉じた。頭のてっぺんに彼の吐息の熱を感じる。
 なるべくぴったりくっつきたいなあ、と思って脚の位置を動かしていると、お腹の辺りに彼のと思しきものが触れた。ごつっと硬い。思いがけない大きさと質感につい、ひゃっと声を上げてしまった。
「……あのなあ、準備っていっても、俺の方はとっくにできてんだよ」
 頭の上から聞こえる彼の声に私は顔を上げた。見上げると、彼の照れくさそうな表情。
「えっ、そうなの?」
「馬鹿、ジャージ姿でも十分だ」
 珍しく照れくさそうな顔をした彼は、ぐいと私の上にかぶさると、掌で私の胸を覆った。
「あっ……」
 裸の身体を男の子に触れられるなんて、当然初めてのこと。びっくりしていると、彼の手は背中から腰にすべり、鎖骨に触れられた唇はいつのまにか胸にくちづけられている。
「あ、ちょっ……赤澤……!」
 最初は遠慮がちに胸の周囲にくちづけていただけだったのが、胸の先端に舌の感触。次には、ぱくりと食べられてしまうんじゃないかというくらいの熱。私が声を上げて彼の肩を掴むと、一瞬彼はわれに返ったように力を弱めるけれど、すぐに荒い呼吸と激しい動き。突然に始まった激しい愛撫は、まるで嵐のよう。
 胸に触れたり、背中を撫でたりしている手がするりとお腹に滑らされ、お臍の周りを撫でたかと思うと、その下に指が滑り込んだ。
「やっ……!」
 思わず腰が引けてしまうけれど、赤澤のもう片方の手でぐっとヒップを掴まれる。
 赤澤の指で触れられることで、私のそこが溢れる程に潤っていることがよくわかる。そして、強烈な甘い刺激にびっくり。
「赤澤……、なんか、ちょっと……!」
 その甘い刺激に身を任せることがこわくて、ついつい、ぎゅっと赤澤の身体を押し返す。
 赤澤はハッとした顔で私を覗き込む。
「す、すまん、これはなんか違うのか?」
 違うのか、と言われても!
「ち、違う、というわけじゃないと思うけど……ちょっと、あの……」
 赤澤は少し逡巡してから、またゆっくり指を動かした。びくりと身体が振るえて、声が出てしまう。彼は黙ってまた私の鎖骨や首に口付けた。激しいけれど、決して乱暴ではない。スムーズではないしぎこちないけれど彼らしい触れ方に、私の身体はしびれて溶けてしまいそう。
「……あのな、。本当に嫌でやめて欲しかったら、ちゃんと言えよ。可愛い声出されるだけじゃ、俺も止められねーだろ」
「……バカ澤!」
 腰を押さえられたまま彼の指で愛撫を続けられ、私のお腹の奥にはねじ切られるような快感の波。ぐいと彼を押し返していた手で、今度はその背中をぎゅうっと抱きしめた。するとすぐに彼も私を抱きしめる。彼の股間は熱い。
 まるで短距離を走った後のように、私の心臓はドッドッと拍動していて、呼吸を繰り返して落ち着けるのが大変だった。
 私は赤澤が大好き。こんなこと、絶対に赤澤としかできない。
 今こそ、ちゃんと言わないと!
「……赤澤、あのね。今まで赤澤が応援してくれてた彼のことなんだけど……」
 本当は実在しない架空の人物なんです、すいません。って言おうとすると、赤澤の大きな手を口元にあてられた。
、今はそいつの話をするな!」
 顔を上げた赤澤の、眉間にしわをよせた顔が近い。次の瞬間、唇をふさがれる。
 あっ、と思うと赤澤の熱い舌が押し入ってきた。
 さっきまであんなことしてたのに、そういえばキスは初めてだ。
 一瞬躊躇して、私は赤澤の首に両手を廻してぎゅっと抱きつく。
 息も苦しくなった頃に、赤澤は私から離れ身体を起こした。
「……ヤツの出番だな」
 ベッドの端に追いやられていたブツを手にした。
 はっ、これって「使い方わかんないんだけど」って言って上がりこんだ手前、私もちゃんと見ておいた方がいいんだろうか。
 くらくらする頭を持ち上げて身体を起こすと、赤澤が苦笑いをして手を振った。
「馬鹿、見てんじゃねーよ。恥ずかしいだろ。俺はちゃんとするから、心配すんな」
「……そっか、ごめんごめん」
 私はぎゅっと布団にもぐりこむ。布団の向こうからは、痛てッとか声が聞こえて赤澤なりに悪戦苦闘している様子が伺え、クスッと笑ってしまった。
「笑ってんな!」
 布団がめくり上げられ、赤澤が私の身体を覆った。
「ごめんごめん、」
 笑ってないって、って言おうとしたら唇をふさがれる。さっきよりも穏やかで、それでも熱いキス。
 彼の手が私の身体のあちこちを点検するように優しく触れて、さっきの熱が身体の奥に甦った。指がまた私の奥にすべりこまされ、その刺激でどくりと溢れるのがわかる。そのまま、その手で私の脚が広げられた。
「……なあ、
「ん?」
 赤澤は自分のものに手をそえて、私の中心にあてがう。濡れて溢れた中心に、ぬるりと滑らせた。思わず声が漏れる。
「……もし、痛かったり嫌でやめてほしくなったら、俺をひっぱたけよ」
「え?」
「ちょっと言われたくらいじゃ、止められねーと思う。ひっぱたかれるくらいじゃねーと」
「そ、そんなことできないよー」
「いや、やってくれ。お前が嫌でやめてほしいのに止められなかったら、俺が自分で自分を許せないだろ」
「……うん、わかった。でも、ひっぱなかったら大丈夫ってことだから」
「……」
 赤澤は私の髪を撫でて、腰を押し進める。最初の進入で腰が引けてしまうけれど、大丈夫って言いたくて赤澤の手をぎゅっと握り返した。一旦止まった動きが再開され、ぐっと奥まで。焼けるような痛みに、んっ……と声が漏れた。体中にがちがちに力が入ってしまっているのがわかる。
 目を閉じていると、時折、赤澤の苦しそうな声を耳元に感じた。
「……だ、大丈夫か?」
「あ、うん……痛いのは痛いけど、こんなものかなって我慢できると思う、大丈夫」
「そ、そうか。すげぇ申し訳ないんだが……俺の方はめちゃくちゃ……気持ちがいい」
 赤澤が眉間にしわをよせて真剣な顔で言うのがおかしくて、私は痛いながらもふにゃっと笑った。髪を撫でられているうちに、少しずつ身体の力が抜けていく。
「……あの、動いても、大丈夫だと思う……」
「む……そうか」
 ゆっくりとした律動と共に、彼の荒い呼吸が響く。私の中を動く彼のものの質感は、ごつごつと固くてお腹の中がえぐられるよう。それでも、その痛みを伴う刺激は、決して不快ではなくて不思議な感覚。律動を重ねるごとに中が潤うのを感じ、次第に痛みに甘さを伴う。
 私の手を握る赤澤のそれに力が入り、彼の呼吸が更に荒くなった。律動が早まったと思うと、次の瞬間、低い声を漏らして彼は私の上に覆いかぶさった。
 赤澤、と彼の名を呼んで背中に手をまわそうとすると、彼はあわてて体を起こす。
「いかん、余韻に浸っている場合じゃねえ!」
 身体を離すと、ベッドの端に腰掛けてティッシュの箱に手を伸ばした。
「説明書には、速やかに処理を、と書いてあっただろ」
 ああ、そういえば。私ってば、ついぼーっとしているしか。
 さすが保健体育Aの赤澤はしっかりしている。
 まさに嵐のように起こった出来事に、私はいささかぼんやりして掛け布団でぎゅっと身体を覆った。
「……
 赤澤は裸のままベッドの端で脚を下ろして座り、私の名を呼んだ。
「うん?」
「……強引だったかもしんねぇけど、その事に対して俺は謝らねぇよ」
「……うん」
 斜め後ろから、姿勢良く座る赤澤を見つめた。
には前から仲良く付き合ってる彼がいるってのは知ってたし、応援してたよ。お前には幸せになってほしいからな。けど、今日、お前にこいつを」
 そう言って私の方を振り返り、開封ずみのアルミパックを手にしてみせる。
「軽い気持ちでこいつを渡したら、あまりにも不安そうな顔をするもんだから、驚いちまって。だって『大丈夫、彼はこういうの絶対にちゃんとするから、心配いらないよ』くらいに言うもんだと思ってたからな」
「え……?」
「なのに、お前ときたら、使い方とか使うタイミングとかえらく心配しはじめるじゃねえか。お前のつきあってる男、真面目そうなヤツみたいなのに、そういうのもちゃんとしないような奴なのか、と思うと猛烈に腹が立ってな。をそんなに不安にさせるなんて。そんな奴だったら、やめとけ。俺の方が絶対安全だ」
 アルミパックを握り締めたまま私を真剣な顔で見つめた。
「俺にしとけよ、
 彼の言葉で胸が一杯になって、そして私は両手で顔を覆った。
「赤澤、ごめんなさい」
 真剣に心配してくれてたみたいだけど、その彼というのは実在しないの。と言おうとして顔を上げると、ベッドの端でがっくり頭をうなだれる赤澤。
「……そうか、そうだよな……」
「ち、ちがうちがう! そういうごめんなさいじゃないの! 赤澤、話を最後まで聞いて!」
 思わず赤澤の裸に背中にすがりついた。
「あのね、私には彼なんていない。会話の中で出てきてた「横浜に住んでる陸上部の彼」っていうのは……実在しないの。架空の人物なの。そんな人、最初からいないの」
 赤澤は顔を上げて、じっと私を見た。
「……どういうことだ?」
 まさに意味がわからないという顔で聞き返す。そりゃそうだろうなあ。
 ふうっと息をついて、私は繰り返した。
「ごめんなさい。私に彼がいるっていうのは嘘なの。……私は2年の時からずっと赤澤が好きで、でも赤澤、去年のバレンタインに彼女ができたでしょ。私それがショックで、なんかつい『私だって彼いるし』みたいに見栄を張っちゃって、それで後に引けなくなっちゃって……」
「……まるっきり嘘だったってことか?」
「そう」
「じゃあ、水族館やTシャツは?」
「水族館はお母さんと行ったし、部長Tシャツは私がありがたく私服に着てる」
「……マジかよ……」
 赤澤は呆然とした顔で天井を見上げた。
「……俺、『今はそいつの話をするな!』とかめちゃくちゃテンパって言ったんだが、そもそも『そいつ』は存在しなかったと」
「うん」
「俺が腹を立ててた、を不安にさせる奴なんてのも存在しなかったと」
「……うん」
 赤澤は頭を抱えてうなだれた。
「クッソ、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃねーか! 俺、さっきまでどんな思いでお前を抱いてたと思うんだ!」
「そんな、赤澤は恥ずかしくないよ! かっこよかったよ! 大好き! 1年以上も架空の彼の話をしてた私の方が恥ずかしいよ!」
 私がおたおたしていると、赤澤はばっと立ち上がって両手の拳を握り締めた。
 もしや……と慌てて耳をふさぐけど、彼の「ぬあああああああ!」という叫び声は遮断できず。
「よし!」
 両手でバチンと自分の頬をはたいて、私の方を振り返った彼はもういつもの笑顔だ。
、お前、俺の彼女になるか」
「なるなる、もちろんなるよ!」
 どすんと隣に腰をおろして、私の頭をくしゃくしゃと掻き回した。
「じゃあ、さっきのはやりなおしだ」
「え?」
「え、じゃないだろ。やりなおしったら、やりなおしだ!」
 赤澤はアルミパックから個包装のブツをもうひとつ取り出した。
ちゃっかりしてるなあ!
 でも、おっしゃるのはごもっとも。
 赤澤の腕に包み込まれながら、私は目を閉じた。
 絶対的なハッピー感で仕切りなおし。
 そしてバッグに忍ばせたチョコレートも、14日の本番にパワーアップして仕切りなおし。

(了)
2016.1.19

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