● レターマン  ●

 こんにちは、はじめまして。
 この度、わたくし、あなたの事が好きになりました。
 また、お手紙を書いてもよろしいでしょうか。



 力強く丁寧な美しい筆跡で書かれたその手紙を、私は授業中に手元で何度も読み返していた。
 今朝、私が貰った手紙だ。
 ちなみに、この三行が全て。
 差出人も宛名もなく、白い封筒に入れられた白い便箋に、このシンプルな内容が書かれていた。
 差出人はないけれど、誰がくれたかは分かっている。
 だって、直接手渡されたのだから。
 それは誰かというと、隣のクラスの樺地崇弘くんだ。

 今朝、私は部活の朝練を終えて着替えて部室を出る時、樺地くんに会った。
 私は山岳部で、週に何回かは朝夕の走りこみがあって、今日はその走りこみの日だったのだ。
 樺地くんというのは、同じ二年生なんだけどちょっと変わった男の子だ。
 まず、とにかくものすごく体が大きい。
 そして、ものすごく無口。
 クラスが違って元々親しくないという事もあるけれど、私は彼がまともにしゃべるのを聞いたことがない。
 それなのに、なぜ彼の名前や存在を知っているかというと、彼はこの氷帝学園テニス部のレギュラー選手で、そして学園一人気のあるテニス部部長の跡部先輩の幼馴染でいつも一緒にいて、そういう点でとても目立つ人だからだ。本人は、極めて大人しい感じの男の子なんだけど。
 そんな彼が、部室を出た私の前に立ちはだかったのだ。
 彼とほとんど面識がなく、面と向かうのが初めての私は、とにかく彼があまりに背が高いので驚いてしまった。小柄な私は首が痛くなるくらいに見上げないと、目があわせられない。
 そして次に驚いたのは、思い切り首を曲げて見上げた彼の目が、とてもとてもきれいで優しげだった事だ。
 厳しいテニス部のレギュラーで、あんなに体が大きくて無口で、もっと恐い人だと思っていたのに。
 そんな事に驚いて私が呆然としていると、彼は、『ウス』と小さな声で言って、そして白い封筒を私に手渡しぺこっと頭を下げ、その場を去っていったのだ。
 その手紙の内容が、冒頭の通りだという訳。

 順当に考えれば、この手紙の差出人が樺地くんで、つまりは樺地くんが私に告白をしたという事になる。
しかし、私は樺地くんとはまったく面識がないし、とにかく彼は無口で何を考えているか分からない。それに彼は、テニス部でレギュラーではあるけれど二年生だからか、よく先輩の用事なんかを言いつけられたりしている何というか使われやすそうな人だから、もしかしたら何らかの理由で人に頼まれたものなのかもしれない。
 私はそんな事をぐるぐると考えながら、何度も手紙を読み返していた。

! !」

 当然、そんな私は先生に怒鳴りつけられ、あわてて手紙を教科書に挟んだ。
 当てられた課題は、たまたまきちんとやってきたところだったので、ほっと胸をなでおろしながら前で出て板書する。
 そんな事をしながらも私の頭のに浮かぶのは、あの白い便箋の力強い文字と、朝に見た樺地くんの穏やかなまなざしだった。


 さて、その手紙に対してどうするのか。
 問いかけ内容は
「つきあってください」
 とかではなく、
「また、お手紙を書いてもよろしいでしょうか」
 だった。
 家に帰って、私はまた手紙を眺める。
 何も言わない、話した事もない男の子から渡された、差出人も宛名もない手紙。
 普通だったら、
「なに、コレ、気持ち悪い」
 で終るところだと思う。
 けれど、私はこの静謐で美しい筆跡が、他にどんなメッセージを紡ぎ出すのか見てみたいという気持ちになった。
 それは、あの時の樺地くんのきれいな目のせいもあるかもしれない。
 私は彼の事を知らないし、もし彼が私を好きなのだとしても、何とも答えようがない。
 それでも、私は机の引き出しから薄い青の封筒と便箋を取り出し、手紙を書いた。

 お手紙ありがとう。
 あなたのお便りを、また楽しみにしています。

 それだけを記した便箋を折りたたんで、封筒に入れて封をした。
 彼が持ってきた手紙と同じく、差出人も宛名もなしで。



 それを一体いつどうやって手渡すのかという案などないまま、翌日に私はその手紙を鞄に入れて登校した。
 その日は朝練はなく、朝からずっと樺地くんと顔を合わせることはなかった。
 別にわざわざ渡しに行く事もない。
 何かの機会に顔を合わせた時でいい、と思いながら私は放課後、部室でのミーティングを終えて部室棟を出ると、ちょうどそこで、まだテニス部のジャージを身に付けた樺地くんに会った。
 私は彼を見ると、あわてて鞄から手紙を取り出した。

「あの、これ」
「……ウス」

 私が手紙を渡すと、彼は一瞬その小さな目を見開いたような気がした。
 ほんの一瞬。
 そして、手紙を受け取って頭を下げ、それ以上何も言わず去ってゆくのだった。



 それ以来、私と樺地くんは毎日部室を出たあたりで、手紙のやりとりをした。
 私が手紙を出した翌日に、樺地くんが手紙をくれて、またその翌日に私が、という感じだ。
 彼が持ってくる手紙の内容はというと、最初の手紙のアグレッシブさからくらべると、意外なほどにのんびりとしている。
 例えば、ひとつ引用するとこのような感じ。

『僕には妹が一人います。昨日は妹に勉強を教えたのですが、小学校の時の理科など、ほんのちょっと前の事のようなのに、ひどく懐かしく感じました』

 こんな風に、彼の持ってくる手紙の内容はとてもシンプルだ。
 そして私もそれに対して、短い返事を書いたり、また私がその日に見たテレビの事などを簡潔に書いたりする。
 そういう風に、私たちの手紙での話題は一往復するのに丸一日かかるわけで、もしメールだったら15分くらいで済みそうなやりとりを、一週間ほどかけてやっている。
 でも……。
 私は、あいかわらず丁寧で力強い文字の彼の手紙を見ながら思った。
 もしこの内容が、携帯のメールのデジタリックな画面だったりしたらどうだろう。
 何ウザい事言ってんの、なんて私は思ってしまったかもしれない。
 時折そんな風に我に返ってみては、私はこの、自分でも思っても見なかった古風なやりとりを可笑しく思った。
 ちなみに今の時点でも、この手紙を書いた主が樺地くんなのか、という事について私は確信を持てていない。
 勿論その可能性が極めて高くはあるのだけど、確実な決め手に欠けるのだ。
 つまり、手紙の主ニアリーイコール樺地くんという段階だ。
 だから私は手紙を書いた主を、『レターマン』と呼ぶことにした。



 その後、月が変わって陽射しが強くなってきても、私たちの短い手紙のやりとりは相変わらず繰り返され、私は少しずつレターマンの事が分かってきた。
 彼の好きな食べ物、得意な科目、好きな映画……。
 レターマンは結構家庭的で、家では自分で料理を作ったりもするらしい。
 そして、趣味はボトルシップ作りだそうだ。
 私はそんな事の書いてある手紙を、とても楽しみに読んだ。
 尚レターマンを思い浮かべる時、私は便宜上、樺地くんの顔を思い浮かべる。
 彼が料理をしたり、あの大きな手でボトルシップを作るところなんか、なかなか想像できなくて、家で手紙を読みながらクククと笑ってしまう。
 でも私なりに一生懸命想像してみると、それは結構悪くないものだな、とも思った。
 私と樺地くんの会話は依然として、手紙をやりとりする時の
「ウス」
「あの、これ」
もしくは私が手紙をもらう時の、
「どうも」
 という、挨拶にもならないような声のかけあいのみだった。
でも、私は少なくともレターマンの事ならば、だいぶよく分かるようになってきたのだった。



 その日は私が手紙をもらう番で、いつも私は手紙をもらうと開けるのを家まで待ちきれず、朝に手渡されたりしたら授業前に開封して見てしまう。
 内容自体は、いつも本当に短い数行ですぐに暗記できてしまうようなものなのだけど、何て言うのだろう、真っ白の便箋の、黒いボールペンの力強いきれいな優しい文字。
 そこからは、レターマン自身の真摯で静謐な空気があふれているようで、その文面を見ると私はなんとも幸せな気持ちで体中が満たされるのだ。
 その日、朝にもらった封筒からは手紙と、あともうひとつ、便箋以外のものが出てきた。
 四葉のクローバーだった。

『本日、わたくし、プレゼントをあなたに。四葉のクローバー、やっとみつけました』

 今回の手紙はその一行。
 私は同封されていた、おそらく朝に摘んできたのだろう、まだ生き生きとした小さなクローバーを指でつまんだ。
 そもそも、手紙のやりとりなんて。
 そして、今どき、四葉のクローバーなんて。
 多分、こんな事、友達に話したらお腹を抱えて笑われるに違いない。
 けれど、私はなんともいえない幸福な気持ちが胸からどんどんあふれてきて、しばらく指でくるくるとそのクローバーをもてあそび、そしてそれをそっと生徒手帳に挟んだ。
 そしてまた手紙に目を落とす。
 そうそう、レターマンはいつもちょっとかしこまった内容になると「わたくし」なんて書いて、日常のなんてことない話をする時は「僕」になるのだ。
 そんなところが、なんともおかしくて、私は普段よりもぐっと短い本日の手紙の一行を何度も何度も読み返していた。
 レターマンがしゃがみこんで四つ葉のクローバーを探すところを想像してみる。
 勿論私の想像上のレターマンは、樺地くんの姿で。
 あの大きな指で、この小さなクローバーをそうっと摘んでくれたのだろうか。

 ……レターマンが樺地くんだといい。

 私はふと、そう思った。勿論、そう思うのは初めてではない。
 多分……多分、まちがいなくそうなのだとは思うけど、確実にそうだという決定打が、私は欲しかった。
 それなのに私は、彼とやりとりした手紙が増えれば増えるほど、
『樺地くん、いつも手紙を書いてくれてありがとう』
という一言を口に出来ず、なんとも言えない不安がふくらんでゆくのだった。
 それは、もしレターマンが樺地くんじゃなかったらどうしよう、という不安……。



 山岳部っていうのは、もちろん毎日山に登るわけにはいかないから、前にも言ったように普段は体力作りに走り込みをしたり、あとは部室で気象や地理の勉強会をする。
 今日は部室で勉強会をする日で、OBの先輩がきて、夏の天気についてのミニ講義をしてくれた。
 その講義が終ると今日の部活は解散で、私は帰宅の準備をする。
 帰り際にホワイトボードのところにぶら下げてあった各部への回覧ボードに気付き、『私、これ、まわしておきます』と先輩方に言って回覧板を持って部室を出た。
 うちの部の次に回すのは、テニス部だ。テニス部の正レギュラー室。
 そこは他の部室とちょっと雰囲気が違うので、訪れるには私はちょっと緊張する。
 廊下を歩いて部室の前まで行き、ノックをしようとしたらドアが少し開いていた。
 すいませーん、と私は小声で言いながら扉を開ける。
 すると、中にはミーティングテーブルがあって、そこに広がっていたのは見覚えのあるものだった。
 薄い青の封筒に、便箋。
 間違いようがない。
 私が樺地くんに渡していた手紙だ。
 そして、そのミーティングテーブルの傍にいたのは、部長の跡部先輩と、多分三年生の人たち。
 跡部先輩がその薄い青の封筒をいくつか手に持っていて、他の三年生がテーブルの上の他の封筒をまとめ、何かを言いながら彼に手渡していた。
 
 どうして私が樺地くんに渡した手紙が、こんな風に扱われているの?

 私は扉のところで立ちすくんで、頭の中が真っ白になってしまう。
 しばらく私がそこで動けないでいると、跡部先輩が私の方を見た。

「……ああ、?」

 ちょっと驚いたような顔をして私を見た。
 どうして跡部先輩が私の名を知っているのだろう。
「……これ、回覧です」
 混乱してしまった私はそれだけ言うと、回覧板をロッカーの上に放り投げるようにしてその場を去った。
私はいつのまにかものすごい勢いで脈打っていた心臓をかかえながら、必死で走っていた。
 
 部室棟だけじゃなく校門までを走って抜けた私は、ようやく歩きながら頭の中を整理する。
 混乱した頭を落ち着けて考えた。
 どうしてテニス部の皆が私の手紙を見ていた?
 そして跡部先輩はどうして私の名前を知ってた?
 私の下した結論はこうだ。
 樺地くんは、跡部先輩と幼馴染で大の仲良しで、そして跡部先輩の言う事なら何でも聞くのだと、よく耳にする。跡部先輩は、いわゆる王様だ。
 私は、跡部先輩が私を好きで樺地くんに手紙を託していた、なんて考える程おめでたくはない。
 何らかの理由で、これは跡部先輩が設定したゲームなのではないだろうか?
 なぜ私がターゲットに選ばれたのかはわからない。
 わからないけれど、とにかく私はおふざけの相手をさせられていた可能性が高い、という事だけはわかる。
 だって真剣ならば、レターマンは私の手紙を人に見せたりするはずがない。
 つまり、私の考えていたレターマンなど存在しないのだ。



 テニス部の部室を訪れた日の夜は何だか眠れなくて、翌日私は少し寝不足の頭をかかえて学校へ行った。
 調子の悪いまま一日を過ごした後、部室に顔を出して昨日の講義の資料を整理しなおして提出し、私は帰宅しようとしていた。
 部室棟を出たところで、いつものように樺地くんが白い封筒を持って待っていた。
 この日初めて私は樺地くんに、『あの、これ』と『どうも』以外の言葉を伝えた。

「あの、もう手紙はいらないし、私も書かないから」

 それだけを言うと、私は彼の顔も見ないで小走りで校門へ向かった。
 料理が好きで、妹思いで、ボトルシップ作りが趣味のレターマンなど、もともと存在しないのだ。
 私は自分で自分に言い聞かせながら、家まで走った。



 しばし続いた手紙を書く習慣というのはなかなか抜けないもので、もう書く必要はないとわかっているのに、私はどうしても何か美味しいものを食べたり、面白いテレビを見たりすると、『あ、これ、レターマンへの手紙に書こう』なんて思ってしまったりする。
 でも、もう手紙を書いても、読んでくれる相手はいなくって。
 『文通中止宣言』を行った翌日、私はそんな重苦しい気分のまま一日を過ごしていた。
 幸いこの日は部活がない。
 部室の近くで樺地くんと顔を合わせてしまう事もないだろう。
 放課後、私はさっさと帰宅の準備をして、校庭を歩いていた。

「おい、

 すると誰かが私に声をかける。
 聞き覚えがあるようなないような声に慌てて振り返ると、それは跡部先輩だった。
 私は驚いて足を止める。
 やはり一昨日の件だろうかと、私は少し緊張した。

「昨日、樺地の手紙を断っただろう」

 彼は言った。
 私に、残酷な種明かしをする気になったのだろうか。
 跡部先輩は、改めて見ると本当にきれいな顔をしていて、そしてなんとも言えない迫力のある人だった。

「……はい、何だか、ふざけていたみたいだって、分かりましたから」

 私は彼の迫力に若干萎縮しながらそう答えた。
 跡部先輩は、フンと鼻を鳴らす。

「部の奴らが手紙を見ていたのは、樺地の鞄がうっかり開いたままロッカーからはみ出していて、手紙がばら撒かれてしまっていたからだ。面白半分に見てたあいつらには注意をして、罰を言い与えてある。……悪気はなかったのだろうが……悪かったな」

 私は先輩の言っている事の意味を理解しようと、思わず目を丸くして聞き入る。
 じゃあ、あの時、跡部先輩はあの人たちを注意してたところだった?

「……樺地は、あんたからの手紙を全部大切にまとめて、いつも肌身はなさず持っていたみたいなんでね。あんたもあれと同じくらいの数の手紙を、樺地からもらっていたんだろう?」

 跡部先輩は、少し笑って私を見ながら言った。

「……でも、その……差出人も宛名もないし、本当に樺地くんが私に書いてくれていたのか、わかりませんでした」

 私が少し動揺しながら言うと、跡部先輩はやれやれというようにため息をついて更に笑った。

「あいつは気の優しい奴だからな。名前の入った手紙が、例えば昨日みたいにうっかり誰かの目に入って、あんたがからかわれたりしたら可愛そうだと思ったんだろう」

 先輩の言葉を聞いて私は、あっ、と思った。
 そうか、そうだったのか……。

「ずっと前から、山岳部の練習がある時は、いつもあいつはあんたを見てたぜ。……手紙も、きっと書いては破り書いては破りを繰り返していたんだろう」

 私は自分の顔が熱くなるのを感じながら、跡部先輩を見上げた。

「……樺地くん、そういう事、跡部先輩にはいろいろと話すんですか」

 私が言うと、先輩は左手をくいっと額のあたりに当てて笑った。

「ばーか。あいつはあの通り、口下手だろ? 何も言いやしねーよ。けど、あいつはあれで分かりやすい奴なんでね。あいつが何を大切に思って、何を考えてるかなんざ、俺にはすぐ分かるのさ」

 そして先輩は私に、ひょいと白い封筒を差し出した。

「これは、樺地からあんたへと預かったものだ」

 それはいつもの真っ白な封筒。
 私があわてて封を開けて中をみると、いつもの白い便箋にいつもの筆跡で一行のメッセージが。

『よろしければ、二人で一緒に帰りませんか』

 私が目を丸くして顔を上げると、跡部先輩がクイと顎で私の後ろを指した。
 振り返ると木陰のベンチに、大きな大きな体をシュンと小さくさせて座った樺地くんの姿。
 跡部先輩が右手を上げ、パチンと指を鳴らす。
 すると、樺地くんはハッとしたように立ち上がり、少しためらうような顔をしながらゆっくり私たちの方へ向かって歩いてきた。
 私はドキドキしながら彼をみつめる。
 樺地くんは、一体どんな声で、どんな一言を、私に言うのだろうか。
 樺地くん……私のレターマン。

(了)
「レターマン」

<参考>
ローリー寺西,作詞・作曲,「レターマン」,アルバム「double double chocolate」(すかんち)より

2007.7.10

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