●● 君と夏と甘い蜜 ●●
夏休みを目前とした六角中のテニス部の部室は、もうすでに夏休み気分で大騒ぎだ。
「ちょっと、これ、見てくださいよ!」
一年生で部長の剣太郎がでかい声でわめきながら、何かを部室の古い机の上に出した。
「おーっ、ガンダム仕様のヤドカリじゃねーか!」
首藤が感心したように声を上げる。
このところ、海で捕ったヤドカリをおのおののケースに入れて持って来て、お互い自慢げに見せびらかすのが流行っている。
剣太郎が目をキラキラさせて見せびらかしたのは、白と赤と青のカラフルなマイホームを持ったヤドカリだった。
「ガンプラの部品っす! コイツに引っ越させるのに、めっちゃ苦労したんスよー!」
「おい、剣太郎! 俺のヤドカリ、北斗一号と対決させてみようぜ!」
亮が興奮したように自分のヤドカリを持ち出した。
「ふふふ、皆、ヤドカリはデリケートで臆病なんだから。そんなに騒いでると、せっかくのモビルスーツから出ていっちゃうよ」
大騒ぎしている奴らを、佐伯が落ち着いた声で諭すように言う。
そんな佐伯も、自分のケースに入っている大きなヤドカリを愛しそうに見ているわけだが。
「サエさんのは、みんな長生きしててデカいからなー。さすがー。あっ、ところでバネさんのヤドカリは最近どうッスか?」
部室の隅から奴らを眺めていた俺に、剣太郎がいきなり話を振ってくる。
「俺か? うん、俺のはな……」
突然皆の注目を浴びた俺は少々焦りつつ、自分の持っているケースにジャージの上着をかぶせ、手元に寄せた。
「もったいぶってないで見せてくださいよ〜」
剣太郎は俺の傍まで走りよって、無理やり俺のケースの上のジャージを剥ぎ取った。
「おいっ、こらっ……!」
俺はあわてて奴からジャージを奪い返そうとしたが、もう遅かった。
「あっ……バネさんっ……それって……」
俺の持っていたケースの中身を見て、剣太郎は一瞬言葉を失う。
そしてその場にいた全員が俺の手元のケースに注目し、皆、突然静かになった。
俺は何かを言おうとしたが、何も言葉が出て来ず、思わず首をうなだれる。
「バネさん、これ、クワガタじゃないっスかー!」
ついに剣太郎が、信じられない! というように声を上げた。
「……俺、バネが学校帰りに林の樹に蜜を塗ってるの、見たもんね……」
そしてたたみかけるように、樹が淡々と言うのだった。
「バネ、海の男として、ヤドカリを裏切ってクワガタに走るのはどうかと思うよ」
とどめは佐伯の一言だ。
「……ウルセーよ! お前ら、いい年してヤドカリなんてガキすぎんだよ!」
俺はついに怒鳴りながら立ち上がると、奴らの集まってる机にドカンと片足をのせた。
「……靴をのせたら、クワガタ(靴型)がつく……ぷっ……」
自分のヤドカリのケースを抱えた天根がつぶやいて、一人小さく吹き出す。
「バカヤロー!」
俺はいつものように奴に蹴りをお見舞いして、クワガタのケースを抱えると部室を飛び出した。
夕暮れが近いが外はまだまだ暑くて、西日が俺を突き刺す。俺は構わず走り続ける。
バカ野郎、なんで皆、中学生にもなってヤドカリなんだ!
あんなもんは普通、小学校で卒業だろう!
大人の男はクワガタに決まってるじゃねーか、何で皆わからねーんだ、チクショウ!
俺は心の中で悪態をつきながら、海の近くまで走った。
海沿いの道まで走ると、俺は少々息をはずませながら足を止める。
スポーツドリンクでも飲もうかと、自動販売機に向かう。
すると、見慣れた顔と目が合った。
「あれ、バネ、ランニング?」
同じクラスのだった。
「……いや、まあ自主トレだ。お前こそ何だよ、こんなとこで」
彼女は一度学校から家に帰った後のようで、水色の涼しそうなワンピースに着替えていた。一年の時から同じクラスの奴だけど、私服姿なんて初めて見た。
「私? ちょっとね、ヤドカリ捕りに行くんだ」
彼女は片手に持った透明のプラスチックケースを持ち上げて笑った。
学校ではいつもひとつにまとめている髪を、今はふわりと下ろしていて、それが風なびいて、なんだかいつもと雰囲気が違う。俺は少々戸惑ってしまった。
「お前も、ヤドカリ派か!!」
いつも気軽に話している奴なのに、俺は突然どう話したら良いのか分からなくなってしまい、とりあえず怒鳴った。
そして当然ながら、はぽかんとした顔で俺を見上げるのだった。
彼女が言うには、この週末に向けて小さな従兄弟が遊びに来てるらしいのだが、なんと風邪をひいてしまい、楽しみにしていた海遊びができなくなってしまったのだそうだ。それでは、ヤドカリでも捕って帰って家で見せてやろうと思い立ったらしい。
「ヤドカリなんてねえ、久しぶりに捕るなあ。どの辺りにたくさんいるか、知ってる?」
彼女が聞いてくるので、俺は渋々海辺の岩場の辺りを案内した。
「どこにいるの?」
彼女はその辺りをじーっと見ながら俺に聞く。
「ばーか、ちょっと見てりゃすぐ見つかるよ」
俺は立ち止まってじっと辺りを見渡した。
「ほら、そこ!」
俺はしゃがみこんで、早速ヤドカリを一匹拾い上げた。
「わっ、バネ、すごいねえ」
感心するように言う彼女の手元のケースに、それをそうっと入れる。
「じっと見てると、一見石ころみたいな奴がちょこっと動くんだよ。そいつがヤドカリだ。定点観測してればすぐに見つかる」
俺はあっというまに4匹ほどの大きなヤドカリを捕獲して、のケースに格納した。
それで十分と見えて、彼女は岩の上に座り満足そうにヤドカリを眺めていた。
「よかった、こんなにすぐに捕まえられると思わなかった。どうもありがとう」
彼女は嬉しそうに俺を見る。
はずっと同じクラスで、いつも何て事ない話をよくする、とにかく何て事のないクラスメイトだ。いかにも千葉の田舎の中学生って感じの、フツーの子。
でも、なんだろう。
こうやってヤドカリをじっと見ているその大きな目は、結構まつ毛なんか長くて、割と可愛いんじゃないかと、俺は初めて思った。
おいおい、がちょっと私服で、いつもと雰囲気が違うからってさ。
そんな事を思っていたら、はふと俺の手のクワガタのケースに目をやる。
「それ、バネのヤドカリ?」
「いや、違う。これはクワガタだ」
俺はケースを彼女の方に差し出して、自慢のクワガタを見せた。
「へえ〜……」
は感心したようにじっとそれを見つめる。そして自分のヤドカリと交互に見比べた。
「へえ〜、クワガタかあ……。ヤドカリは可愛いけど、クワガタはなんていうか……落ち着いてクールな感じでカッコイイねえ」
そう言いながらじっと俺のクワガタを眺めるを、俺はじっと見つめていた。
柔らかそうな髪が風に吹かれるたび、指でそっと耳にかける。
大きな目を何度も瞬きしながら、じっと俺のクワガタを観察する。
俺は立ち上がって、片手にクワガタのケースを持ちながら、もう片方の手で自分の髪をクイとかき上げ、ちょっと格好つけてを見た。
「これからさ、林の樹に、蜜、塗りに行かねぇ?」
俺は女の子をカフェに誘う時のように、クールに言った。
「神社の奥の林に、スゲーよくクワガタが撮れる樹があるんだ。誰にも教えてねーけど。従兄弟の子、来てんだろ。明日、捕れたらお前にやるから、持って行ってやれよ。」
「本当?」
は嬉しそうに笑った。
その笑顔は、やっぱり可愛かった。気のせいなんかじゃなくて。
「ああ。けど、明日の朝、6時に神社に集合だぜ?」
「うん、いいよ、大丈夫起きれる起きれる」
「遅れたら、クワガタ全部俺のモンだかんな」
「絶対遅れないって」
俺とは、それぞれの手にクワガタとヤドカリを持ったまま、海を離れて山手の方の神社に向かった。
明日の朝、蜜を塗った樹にクワガタが集まっているだろう。
そしたら、彼女の手が届かないような高いところにいる奴を、俺がひょいと捕ってやるんだ。
そして朝の涼しい静かな神社の境内で、クワガタ同士を戦わせたり、キュウリをかじらせたりしながら、俺とは缶コーヒーなんかを飲む。明日、はどんな服で来るだろう。
どうだいヤドカリ捕りじゃ、そんな事できないだろ?
剣太郎もサエもみんな、わかってねぇ。
大人の男は、クワガタなんだよ。クワガタ。
(了)
「君と夏と甘い蜜」
2007.7.2