● 孤高のマイガール  ●

「ねーねー、不二ってさ」
7月の暑い日の部活の帰り、部室を後にしながら俺は不二に話しかけた。
「うん、何だい英二」
「不二って、女の子からモテるじゃん。告白されたりしたら、いっつもどーしてんの?」
唐突に俺が尋ねると、不二はクククとおかしそうに笑う。
「英二が、そんなこと聞くなんて珍しいね。女の子から告白でもされて、困ってるのかい?」
俺は柄にもなく慌てた。
「ちーがうよっ! 俺の話にすり替えんなってば! 不二はどーしてんのって聞いてんの!」
俺が拗ねてみせると、不二は相変わらずの穏やかなにこにこ顔のままで俺を見た。
「ふふ、そうだなあ」
俺、知ってるんだ。
不二はなんだかんだ言って、こういう質問もはぐらかしたりはしない。
「……英二もきっとそうじゃないかと思うけどさ、好きな女の子以外の気持ちは受け入れられないよね」
普段と変わらない表情で穏やかに言う。
不二って、迷いがないし、裏表がない。
「僕は今、つきあってる女の子も好きな女の子もいないけどね、好きな女の子が現れたら、僕はきっとすぐにわかるんと思うんだ。ああ、この子が僕の女の子だって。だから、僕は自分が好きな女の子以外には何を言われても気を持たせることはしないよ」
7月の下校時刻はまだまだ暑くて、それでも少しは夕暮れを感じさせる風が、不二の前髪をはね上げ、額が西日にさらされた。まぶしそうに目を細めるけれど、不二はまっすぐに前を見ている。
「へえ」
俺は、改めて不二をじっと見る。
意外かい? とでも言いたげにフフと笑った。
「半分は、俺が思った通り。でも俺が想像してたより、だいぶロマンチストなんだね、不二は」
不二のこと、俺は結構知ってると思ってたけど、まだまだ知らない部分があったんだな。
不二は、自分の力でただひとつのものを目指す強い男だけれど、お姫様との出会いを待つ王子様でもあったんだ。
考えてみれば、あまりに似あいすぎて、ニシシと笑ってしまった。
「で、そういう英二はどうなの。僕が話したからには、言いなよね」
で、またこういうところが不二なんだなー。
「えー、俺? うーん、俺は実はそんなにちゃんと告白されたとかそういうことはないけど、えーと、バレンタインにチョコをもらった時は、ねーちゃんたちがお返ししろって言うから、ホワイトデーにお返しはしたにゃー」
「ははは、英二のお姉さんたち、そういうの厳しそうだもんね。で、好きな女の子からはもらえたの?」
ほら、さらりとど真ん中をついてくる。
「んーにゃ!」
俺が口をとがらせると、面白そうに笑った。


さて、俺が不二にこんなことを聞くには、理由があった。
不二とこんな会話をした日の数日前、放課後の部活のロードワークの途中、俺は水道を見かけるとたまらず足を止めて顔を洗ってた。
「ふいー、生き返るぅ」
俺はついついそんなことを言いながら、ぶるんぶるんと頭を振って水気を飛ばした。
水道の先の木陰に、見慣れた人影が目につく。
ちょうどこれから帰る途中に足を止めた、という風に佇んでいるのは、同じ3年6組のクラス委員、だ。クラス委員っていっても、おかたいタイプじゃなくって、ちゃんちゃん、なんて皆が気軽に声かけるような子ね。
だから、俺は「ちゃん、どーしたの」って声をかけようとした。
けれど、すぐに思いとどまる。
一人で佇んでいるちゃんは、真剣でまっすぐな目で、ずっと遠くの一点を見つめていて、それはテニスコートで。
そこからコートまでは結構距離があって、道も挟んでる。
けど、ちゃんはやっぱりコートを見つめていて、コートでは不二と大石がラリーをしていた。こちらから正面が見えるのは、不二のコートで、ちょうどカウンターのポーズを決めたところ。
俺はもう一度頭をぶるんと振って、走り始める。
「よっ」
通りすがりに俺は彼女にそれだけ言って、手を振る。
「あっ、菊丸」
彼女はあわてて振り返る。
俺は手を振ったまま通り過ぎて行くと、「暑いから、気をつけてねー」という声が背中から届いた。
この時、俺はちゃんが不二を好きなんだなと気づいた。
それと同時に、俺はちゃんを好きになった。
まるで一人、真摯にもくもくと走り続けるような表情で不二を見つめる彼女を、好きになった。


クラスでは、ちゃんは俺の隣の列の少し後ろの席。班は違う。
そういえば俺、気軽に声はかけるものの、ちゃんと今までどんな会話したっけ? 俺も彼女も友達多い方だからか、これといって何を話したかは覚えてない。意識しはじめると、そんな風だから不思議だ。
そんなことを思いながら振り返って、自分の席に座っている彼女を見ていると、彼女は顔を上げた。
「おはよ。菊丸、いっつも暑い中走ってて、頑張ってるね」
「ウン、今月は関東大会もあるしね」
こんなあたりさわりのない会話なのに、俺は自分がぎこちなくないか気になってしまう。
「……ちゃんってさ」
「え?」
普段は、そこからさして会話が伸びることがないものだから、俺が話を続けたことに、彼女は少し意外に思ったようだった。
「視力、いいの?」
「え? あ、視力はいいよ。両方とも2.0ある」
「へぇー、まじで? いいなあー、俺、動体視力はいいけど実は視力1.5ないんだよにゃー」
「あれっ、そうだったの? 菊丸ってもっと眼がいいと思ってた」
「よく言われる」
俺は苦笑い。
「なんで急に視力のことなんか?」
彼女は、ちょっと不思議そうに聞いて来た。
「え? あ、うーんと、ほらちゃんって、席替えで後ろの方になっても、替わったりしないでそのままじゃん。ちっこい女子とか、眼の悪い子って、よく前の方と替わってもらったりするでしょ」
とっさにそんな事を言った。
「ちっこくて悪かったねー。うん、まあ一番後ろでも黒板はよく見えるし平気」
彼女は俺の質問については、それで納得したようだった。
そうか、2.0か。
やっぱり間違いない、あの時彼女が佇んでいたあの位置からしっかりと見えてたんだ。テニスコートで彼女の方を向いていた、不二のカウンターのポーズや表情が。
ちゃんは、やっぱり不二が好きなんだ、と確信した。
教室で、不二はちゃんよりももう少し後ろの、窓際の席。
今、不二は涼しい顔をして、窓の外を眺めている。窓から吹き込む風が、不二の髪を揺らした。
ちゃんは、振り返ってちらりと不二の方を見る。2秒くらい、そのままでいてまた前を向いた。
どんな顔をして不二を見てたんだろ。
どうして俺は、不二の事を見る瞬間のちゃんを、好きだと思うんだろう。


ちゃんってのは、前にも言ったようにクラス委員でちょっとかわいらしくて感じも良くて、結構男子からも人気があって、女子の友達も多くてっていう感じ。普通にいい子だ。
当然、不二とも時々クラスメイトなりの会話をするけど、クラスで見ている限りはぜんぜん不二を好きなんだなって感じはしない。
あの時、遠くのテニスコートをじっと真剣に強い目で見ていたちゃんは、普段教室で見る彼女とはちょっと違う、意外な感じだった。
教室でみんなでわいわいやっている時とは、まったく違う顔。
ひとりで真剣に闘っているような、強い、りんとした表情。


さて、俺はこのところスタミナアップを目指してロードワークを増やしてるものだから、この日も一人でグラウンドを走り込んでいた。
すると、またあの場所でちゃんを見かけた。
あの時と同じまなざし。
俺はどきっとして足を止めた。
どうしてだよ、と自分に問う。
どうして、ちゃんは不二を好きだってわかってるのに、好きって思うんだよ、俺。
俺はテニスコートを見る事はしなかった。
だって、確認しなくても、彼女が何を見てるかわかるよ。
水道で足を止めて顔を洗うと、タオルで顔を拭いてから、今度は走らずに歩いてちゃんの方に向かった。
「よっ」
この前と同じように声をかけるけど、違うのは俺はそのまま走りっていかないこと。
「あ、菊丸!」
ちゃんは俺に初めて気づいたようで、ちょっと驚いたように目を丸くした。
「今日も暑いにゃー。ちゃん、熱中症に気をつけなよ」
「菊丸こそ」
俺が言うと、ちゃんは大きく口をあけて笑う。
いつもの、教室で見るちゃんだ。
うん、こういうちゃんも好き。
「俺はちゃんと水分補給してるよ。乾によーく言われてるからね、ニシシ」
そう言ってみてから、俺は大きく息を吸った。
「ね、ちゃん、知ってる? 不二の得意のカウンターさ、時々あの決めポーズ、鏡を見て練習してるんだよ」
俺がそう言うと、ちゃんはさっきよりも目を大きく見開いた。
「……」
ちゃんは何かを言おうとして口を開いて、一瞬うつむく。
「へ、へー、そーなの……」
会話を続けようとしても、上手くいかないみたいだ。ちゃんにしたら、珍しい。
俺は、そんなちゃんをじっと見たまま。
走っている時以上に心臓が大きく拍動しているような気がした。
「……菊丸、どーして私にそんなこと教えてくれるの?」
「だって、ちゃん」
俺はテニスコートを指差した
「不二のこと、見てただろ?」
へへーんといつもの調子で言ってみせると、ちゃんはぽかんと口を開けて俺を見る。
「ほら、こーんなとか、こーんなとか」
俺は不二のマネをして、つばめ返しのポーズを決めてみた。
「あいつってば、ああやってなんでもないようにやってるけど、キメ結構ポーズ研究してやんの。ニシシー」
さらに、そんな不二のマネを続けてるとちゃんは、ぷぷっと吹き出した。
「……菊丸がやると、なーんか雰囲気違うなー」
「そりゃー不二みたいにカッコよくは無理だにゃー」
俺が口を尖らせて言ってみると、一瞬の間をおいて、笑ったまま眉をハの字にした。
「あのさ、菊丸」
「うん?」
「……私が、不二くんを好きなんだって、見てたらすぐわかる?」
笑いながらもちょっと困ったように彼女は言った。
「んーにゃ。ここで、テニスコートを見てるちゃんを見なけりゃ、わかんなかった」
「そっか。どーして菊丸、見て見ぬふりしてくんないのよ、もー」
苦笑いをしながら言う。
言われてみて、俺ははたと首をかしげた。
確かにそうだ。
どうして俺、自分が好きだって思う女の子に、こんなこと言ったんだろう。
「なんかさ……ちゃんがこう、一人もくもくと走ってるみたいでさ」
ついそんな風に言うと、ちゃんは苦笑いをしながら俺の肩をポンポンと叩いた。
「やだ、菊丸。そりゃ片思いだから、一人突っ走ってるよ。でも、告白するつもりはないから、誰にも言わないでよねー」
それだけを言って、ちゃんは俺に背を向けて小走りで去っていく。
ちゃんは、わかってるんだ。
自分が不二のお姫様じゃないってこと。
ゴールがないとわかっているのに、果敢に走り続けるランナーみたい。
走り去る後姿は、とてもランナーには見えないけれど。
ちゃんは不二を思いながら、不二を見て。
そうやって不二を見てるちゃんを、俺は見て。
「どーしたらいいんだよっ、てば!」
わざと明るく口にしてみて、俺はまたジョギングを再開した。


「ねーねー、不二ってさ」
その日の帰り、俺はまた不二に並んで話しかけた。
「うん、何だい英二」
不二って、優しいけど厳しいところがある。
知り合ったばかりの頃は、なんだかちょっと何考えてんだかわかんない奴! なんて思ってたこともあった。
でも、今では、不二の『うん、何だい英二』って聞き返してくれる声のトーンが、俺はすっごく好き。不二の『うん?』って声の響きから、俺が話すことちゃーんと聞いてくれるよって気持ちが伝わってくるから。
不二、こう見えてメールの返事誰よりも早いしね。
「……不二ってさ、もしも自分がこの子だって思う好きな女の子を見つけたとして、その子が別の男を好きだったらどうする?」
あーあ、俺、こんな露骨なわかりやすい事聞いちゃった。
不二は穏やかで、それでも真剣な顔。
うん、不二は決してこういう時、ひとのことを笑ったりからかったりしない。
「そんなの決まってるじゃないか、英二。僕が自分で、この子だって思う女の子なら彼女が誰を好きでも関係ないよ。僕の事を好きになるようにするまでだ」
返事を聞いて、ニシシと笑う。
「だよにゃー。けど、不二、自分はどんな女の子から何を言われても、自分が見つけた女の子以外はいらないってくせに、自分が追う側となると、言うことぜーんぜん違うじゃん」
俺が言うと、不二はふふふと少し照れくさそうに笑う。珍しい。
「そんなの仕方ないだろ、好きだったら」
そうだよね、それが不二。
俺、不二のこういうとこ、好きだよ。
こんな不二を好きなちゃんも、好きだ。


不二とそんな話をした翌日、俺は例の場所ですぐにちゃんを見つけることができた。
俺の姿を見ると、ちゃんはあわててなんでもないようにその場を離れようとするけれど、俺が大声で『ちゃーん!』と呼ぶものだから、びっくりして足を止めた。
「なーに? 菊丸」
前回のここでのやりとりのせいか、彼女はやけに気まずそう。
そりゃそうか。
「あのさ」
「うん?」
俺は、ごくんとつばを飲み込んで、息を吸う。
ちゃんは、やっぱり不二が好き?」
俺のストレートな言葉に、ちゃんはちょっと眉をひそめて、困った顔。
「もー、菊丸、どーしてそういう事言うの。……好きだよ。だけど、わかってるからさー」
ちゃんも大きく息を吸った。
「不二くんは、私を好きになったりしないって、わかるから。別に嫌われてるとか相性が悪いとか、そんなんじゃなくて、とにかく、ないんだよね。そういうのわかってるのに、自分がやれることはやりたいからってせめて告白だけでもって、私はそんな風には思わないよ。そういうの、自己満足でしょ。だから、いいの。この気持ちが自然に消火するまで、時々ひとりで好きな男の子を見てたって、いいじゃない」
ひとが真剣に尋ねたことを、絶対に適当にごまかしたりはしない。
こういうとこ、ちゃんは不二と似てるな。
「うん、いいと思うよ」
ちゃんと向かい合ってた俺は、彼女の背中を押してテニスコートの方に向けた。
その隣に並ぶ。
「だけど、ほら、不二は遠いよね。遠くから見てもアイツかっこいいけど、やっぱり遠いよ」
俺は少しかがんで、顔をちゃんと同じ高さにして、テニスコートを指差した。
今、不二はちょうど素振りをやめて何か越前と話している。きっと乾汁のことかなんか、他愛無いことだろう。そんな雰囲気。
俺はそんなことを想像しているけれど、ちらりと見た隣のちゃんは固い表情。
「……菊丸、そんなこと今さら言われなくてもわかってるよ」
もう沢山だと言わんばかり。
そりゃ、そうだろうな。
「そうだよね、ごめんごめん。でもさ、遠くの不二より、近くの菊丸って言うじゃん」
俺が言うと、ちゃんは目を丸くした。
「近くの菊丸も、悪くないって」
ちゃんの頭の高さで、俺はニシシと笑う。
「……えーっ?」
ちゃんは、驚いたようなふいをつかれたような声を上げる。
「俺さ」
今度はしゃんと背筋を伸ばして、鼻の頭をぽりぽとかきながら言った。
「ここで、りりしい顔をしてひとり、不二をじっと見てるちゃんを好きになったよ」
「えーっ?」
ちゃんはまたそんな声を上げるものだから、俺はついクククと笑ってしまった。けど、きゅっと改まる。
「だから、不二だけじゃなくて俺も見て。俺のアクロバティックをさ」
柄にもなく、真剣な顔。って、ちゃんとキマってるかな。
「……菊丸、変なの。不二くんを好きな私のことが好きなの?」
ちゃんがちょっと困ったような泣きそうな顔で聞くものだから、俺は胸を張る。
「そうだよ!」
自信満々で答えた。だって、俺も不二が好きだからね。
ちゃんがひとりでもくもくと走ってるなら、俺はゴールから逆走して迎えにいくよ。だから、大丈夫」
ひと呼吸おいて、ちゃんの手をぎゅっと握る。
「そして、俺のことを見るならもっと近くでね」
ちゃんの手をひいて、テニスコートの方へ一歩踏み出す。
「……でも、そーすると、不二くんも近くで見えるから、『遠くの不二より、近くの菊丸』じゃなくなるじゃん」
彼女の言葉に、あちゃ、と俺が額を打つと、隣ではちゃんの笑い声。
「大丈ブイ! 近くで見てたら、きっと俺を好きになるよ」
胸を張って言ってみると、ちゃんは何か言いたそう。
その顔を覗き込んで、俺は空いている方の手の人差し指を顔の前にかざした。
「……ゴメン、今は何も言わないで。こんなこと言ってみるけど、俺も本当はドキドキ不安だよ。でも、まずは俺を見て。いやじゃなかったら、の話だけど」
ちゃんは、俺の手をふりほどいて行ってしまうだろうか。
ちょっぴり不安になったけれど、彼女の手はまだ俺の手の中。
 俺の手は、緊張と暑さで汗ばんでる。
「遠くの不二より、近くの菊丸、か。……なーんか、ずるい。確かに、今、近いもんね」
隣のちゃんは、少し顔を赤くしてうつむいたまま歩き続ける。
俺は突然に足を止めた。
「……やっぱりテニスコート行くのやめ! 今日は、遠くの不二、のままで!」
思わず言うと、ちゃんは顔を上げてくくと笑う。
「テニスコート行かないと練習できないじゃん」
あちゃ、ともう一度額を打つ。
あーあ、不二だったらこういう時どうするんだろ。
俺よりもかっこよくスマートにキメるかな。
 聞いてみたい気もするけど、今日の出来事は、俺とちゃんとの秘密だ。

2013.1.8

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