●● 走り出した恋を止めて ●●
「なあなあ、〜、昨日の『名探偵モンク』見たぁ?」
「見た見た、モンクさん、危機一髪やったなあ」
「それより、やっぱりディッシャー警部補が可愛いわぁ〜」
朝イチに教室で、昨夜のBS海外ドラマの話をする相手は、私が一年の時から同じクラスの仲良しの友達。
ドラマに出てくるトボけた青年警部補がどれだけカッコイイかを、身もだえしながら語り続けるその子は、女の子ではない。
金色小春という、昭和の女優みたいな名前をした男の子だ。
女の子みたいな名前だけど、花も恥らう美少年というタイプではなくて、坊主頭に眼鏡をかけた、いつもニコニコと目を細めている一昔前のお笑い芸人みたいな子。
「小春、キモいって〜」
近くの席の女の子達が笑いながら突っ込みを入れるけど、小春くんはまったく気にしない。
そう、小春くんは、すごく変った男の子なのだ。
一年生の頃、まだ友達が少なかった私は、教室で窓の外を見ていたんだったと思う。その時、何気なく鼻歌を唄ってた。自分では気づかなかったけど。
そうしたら、小春くんがいきなり背後から声をかけてきたんだった。
「あっ、それ、キング・クリムゾンやんな? 自分、プログレッシブロック好きなん?」
私はその人懐こい笑顔の彼にも驚いたし、キング・クリムゾンを知ってる同級生がいた事にも驚いた。
私は両親の聴く音楽がそのままに好きで、かなり古い趣味をしているのだけど、小春くんは別に親の影響とかでもなく、独自にそういった古いロックやジャズが好きなのだという。
他に好きな映画やテレビ番組の趣味も、びっくりするくらいぴったりで、私たちはそれ以来、とても仲の良い友達になったのだ。
小春くんがおネェ言葉でしゃべる子で、男の子とつきあっていて、ものすごく頭が良くて、テニスが強いって知ったのは、そのちょっと後。
「なあ、小春〜、歴史のグループワークの提出期限やねんけどな、アレ、ちょと早すぎやと思わへん? グループ全員で集まるのかて授業時間以外やとなかなか難しいし、なんとかならへんかなぁ?」
昼休みにクラスの子が数人、小春くんに話しかけてきた。
「ああ、あれなぁ。期限、なご〜してもどうせやる時はギリギリなんやし、変わらへんとちゃうのぉ?」
小春くんはニヤニヤ笑いながら舌を出す。
「そら、小春のいるグループはすぐできるかもしれへんけどさぁ。ま、そんな事言わんと、な?」
「しゃぁないなァ、いっつもアタシが先生と交渉する事になるんやから〜。ええよ、今度の授業の時に言うてみたるわ」
「ヤッター! 小春は先生丸め込むん、上手いからな〜」
「もう〜、人聞きの悪い事言わんといてぇ」
小春くんがシナを作ると、皆がドッと笑う。
いつも皆は小春くんを笑うけれど、こんなときに頼りにされるのも小春くん。
金色小春くんっていうのは、そんな男の子だった。
「なあなあ、は男の子とつきあったりせぇへんの?」
ある日の昼休みに、お弁当を食べた後おしゃべりをしていたら、小春くんがそんな事を言い出した。私は他の女の子の友達とそうするように、小春くんともよく男の子の話(誰々がかっこいいとか)をするから、そんな事も時々聞かれるのだ。
「うう〜ん、ウチがええな〜思た子ぉは大概、彼女いてたりするし、なかなか上手くいかへん〜」
私が不機嫌そうに言うと、小春くんは大げさにため息をついた。
「はアタシと似て、面食いやからなぁ。けど、たまには思い切りガーッと行ったらええやないのぉ」
「言うのは簡単やわ。小春くんはええよね、かっこいい彼氏いてるもん」
「ユウくんは渡さへんでぇ〜」
いつものように目を細めて舌を出すものだから、私もイーッとおどけてみせる。
「そんなん、取らへんて!」
小春くんが甘い声で呼ぶ『ユウくん』と言うのは、一氏ユウジくんっていうテニス部の男の子だ。小春くんのダブルスのコンビの相手。そして、小春くんのつきあっている男の子。
ユウジくんはちょっとキツい目をした凛々しい男の子で、そして小春くんの事がとても好きだ。一年の時は同じクラスだったけど、二年と三年ではクラスが別になって、それでも小春くんに会いにちょくちょくやってくる。
それくらいに二人は仲が良い。
「オイ、また二人で男の話してんのんか?」
私たちの背後から声がする。噂をすれば、だ。
自分の教室で弁当を食べ終えたらしいユウジくんが、私たちの教室にやってきたのだ。
「ユウく〜ん! らぁぶ!」
小春くんは嬉しそうにユウジくんと肩を組む。
「いややなぁ、ウチらいっつも男の子の話してるんとちゃうよ。ユウジくん、ウチと小春くんに妬いてんとちゃうん」
私がふざけて言うと、ユウジくんはフフンと笑った。
「アホか。小春はみたいなションベンくさい女なんか相手にせぇへんっつの」
「ションベンくさいて、自分、ほんっまムッカつくわ〜」
私がわざと大げさに怒ったふりをすると、小春くんがまあまあ、と私達をなだめる。
「ユウくん、女の子にそんな事言うたらアカンでぇ。は可愛いやん。ユウくんの事もかっこいい言うてくれてるんやし」
「俺は小春のモンや」
「いや、別に取り合おうとかしてへんし!」
こんな感じで、私たちの昼休みは、いつも楽しく賑やかに過ぎてゆくのだった。
ある日の放課後、私は帰りながら鞄の中の携帯を探っていると、薄くて硬いものが手に当たる。CDだ。そういえば、小春くんに頼まれて貸すために持ってきたのに、渡すのをすっかり忘れていた。
私は立ち止まって少し考える。
明日渡すのでもいいけれど、少しでも早く渡して、小春くんの感想を聞いてみたかった。
私はくるりと踵を返して、テニス部の部室の方へ向かう。
すると、ちょうどテニス部のジャージに着替えたユウジくんがやってくるのが見えた。
「あっ、なあ、ユウジくん!」
私は手を振って、ユウジくんを呼び止めた。
「おうか、何やねん」
「あんな、コレ、小春くんに渡しといてもらわれへん?」
CDを出して見せた。
「ええで」
ユウジくんは返事をして、CDを受け取り、ジャケットをじっと見た。
「ふぅん、古そうなん聴くんやな、も小春も」
「うん、70年代のモダンジャズやねん。ウチのお母さんの奴やねんけど、小春くんが聴きたい言うたから」
「へぇ。小春はこういうんが好きなんかぁ」
ユウジくんは、まるで小春くん自身を見つめるかのようにCDのジャケットをじっと眺めた。
「……ユウジくんはホンマに小春くんの事が好きなんやねぇ」
私がしみじみ言うと、ユウジくんは平然と顔を上げる。
「そうやで。小春はスゴイ奴やもん。俺、尊敬しとるもん。小春は俺のモンやねん。俺、小春とおったらどこまででも行けるような気がするんや。……今度の全国大会も、小春と一緒やからな。絶対勝つで!」
そう言うと、ニッと笑って普段はキツい彼の目がちょっと柔らかくなった。
私はそのユウジくんの、まっすぐな目と言葉に感心する。
こんな風に、まっすぐ人の事を好きって言えるってすごいな。
そして、そんな事を言わせる小春くんもすごい。
私はなんだか胸が熱くなった。
「〜、サンキュ〜」
翌日、私が教室にいると朝練を終えた小春くんが、大げさに両手を振って女走りをしながら駆け寄ってきた。
「昨日、ユウくんからCD受け取ったでぇ。サンキューな、めっさ良かったわぁ」
「せやろ? うちのお母さんも、めっさオススメ言うてたもん」
「のマミーのリコメンドは、いつもええわぁ〜」
小春くんは興奮したように、身もだえしてみせる。
「……そうそう、テニス部、全国大会行くんやんね?」
私はふと思い出して言った。
そういえば、小春くんはいつも教室ではふざけてばかりだけどテニス部のレギュラーで、うちの学校はかなりの強豪なのだ。
「そやで〜。東京や、ト・ウ・キョ・ウ! 全国大会やとカッコイイ子が一杯いるから楽しみやわぁ〜」
「なんか、ユウジくん、めっさ気合入ってる感じやったで。……ユウジくん、小春くんの事ほんまに信頼してるねんな」
「あったりまえやんか。一心同体少女隊のダブルスやねんでぇ」
小春くんは言ってから、いつもにこにこと細めている目をうっすらと開けた。
「……ユウくんは一生懸命な子ぉやからな。前は、アタシがしっかり面倒見たらなアカン思てたけど、今はすっかり一人前に男らしなって、ホンマかっこええわぁ」
「何やの、ノロケ?」
私が言うと、ヘヘヘと舌を出して笑う。
「ノロケとぉ、あと、ユウくん一人でもしっかりしちゃってぇって、ちょっと寂しいのぉ!」
両手で自分の肩をぎゅうっと抱きしめて、笑いながらクネクネして見せる。
ふざけてるけど、小春くんはやっぱりすごいって、私は思った。
私は一年の時から小春くんとユウジくんを見ていて、確かにユウジくんはすごく変ったように思っていたから。
ユウジくんがチャカチャカして強気なのは昔からだけど、特に静かにしっかりしてきたのは三年になってからのように思う。そういうところ、当たり前だけれど小春くんはしっかり見てて、わかっていたんだなあ。私みたいに、なんとなく、じゃなくて。
そう、小春くんは人の『良い』ところを見つけるのがすごく上手いんだ。
そして、すごく優しい。ユウジくんの事をすごく大事にしてる。
小春くんはいつも人を笑わせてるけど、それは自分が笑われるようにしていて、決して人を傷つけて笑わせたりするような事はしない。
私は、この女の子の友達みたいな男の子を、改めて感心しながら見ていた。
男の子だけど女の子の友達みたいで、でも男の子で。
よく考えたら不思議な友達だ。
小春くんたちが全国大会への遠征に出かけるという前日、午後の最後の授業は体育だった。
私は体育はあまり得意じゃなくて、しかもこの日は特に苦手な陸上だったから、終わってほっとして友達としゃべりながら校舎へ戻ろうとしていた。
フェンスの傍を歩いていたら、男子がふざけながら走ってゆく。
その瞬間。
なんと、フェンスの塗りなおしをしていた業者の塗料を男子の一人がひっくり返してしまい、それは見事に私の身体にかかってしまった。
作業をしていた業者の人も、ひっくり返した男子も、一緒に歩いていた友達も、驚いて一瞬声を上げるが、その後誰も動けない。
「やだ……」
私は、そのオフホワイトの塗料がべったりかかった事にも驚いたし、とにかく体操着がぴったりと体のラインにくっついてしまった事が恥ずかしくて、つい前かがみになる。
「……!」
友達もオロオロしてしまう。
「あ、ペンキ、ついてまうし、ええよ……」
手を貸してくれようとする友達に、私は思わず言ってしまう。
その時、小さくなっていた私に、すうっと影がかかった。
私は前かがみになったまま顔を上げると、そこには小春くんがいた。
小春くんは、ジャージの上着を私のペンキだらけの体に、有無を言わさずかけてくれる。
私が驚いて見上げていると、彼は更に体操着まで脱いだ。
「顔にもついてるやん、早よ、拭いときぃ」
言いながら、脱いだ体操着でぎゅっぎゅっと私の頬を拭ってくれた。
「……これ、ペンキやし、服についてもうたらなかなか落ちひんで?」
私はあわてて小春くんに言った。
「アホか、アタシの服なんかどうでもええの。はよ拭かへんと、溶剤で落とさんとあかんねんで。そんなんで顔拭いたりすんの、肌も荒れるし、イヤやろ」
小春くんは私の髪や体についたペンキを拭うと、私の背中を押す。
「なあ、自分ら、の着替え、シャワー室まで持って来たってな」
一緒にいた私の友達に言い残すと、私の手を引いてシャワー室へと走る。
すっかり上半身裸になった小春くんとペンキだらけの私を、周りの人はからかうけれど、何か言われるたび小春くんは、「イヤーン、見ぃひんといてなぁ〜」と胸をかくすふりなんかをして、皆を笑わせる。そして、私から視線をそらしてくれる。
いつもナヨナヨと動いている小春くんの体は、びっくりするくらいがっしりと男の子らしくて、考えてみればテニス部なんだし当たり前の事だけど、私は少し意外で驚いてしまった。
小春くんは、やっぱり男の子だ。
「これ……水道で洗ってみたけどやっぱり落ちひんかってん。家で洗ってみるわ」
私が申し訳なさそうに、ビニールに入れたジャージと体操着を見せると、小春くんは何でもなさそうに手をヒラヒラとさせる。
「ええよええよ、そんなん。部活のジャージもあるしな」
「……あの……ほんま、ありがとう。いつのまに小春くんが来てくれたんかと、びっくりしたわ」
「だって、何かワーって聞こえて何やろ思たら、がペンキかぶってるやん。そんなんアタシかて男やし、女の子が困ってたら助けてあげなアカンやろ」
テニスバッグを肩にかけながらさらりと言う彼を、私はあらためてじっと見た。
あの時、この坊主頭でおネェ言葉のお笑い芸人みたいな同級生が、王子様みたいに見えてしまったのは、やっぱり幻ではなかったみたいだ。
「……ユウジくんがベッタリなんも分かるわ。小春くん、男らしすぎ」
「せやろぉ? らぁぶ!」
私は小春くんのテニスバッグをじっと見る。
「……明日から、全国大会で東京に行くんやんな」
この賑やかな同級生がしばらくいなくなる事は、私はなんとも寂しかった。
「そやねん! そんでな、アタシが東京行ってる間、『名探偵モンク』録画しといてんか? 録画予約して行っても、絶対オカンとかいじりよるから心配なんやわぁ」
彼は、他に録画しておいて欲しいというテレビ番組を私に次々と伝える。
「ええよ、どれもウチも見るやつやし」
「あと、買うた雑誌、とっといてな。試合中は、買いに行くん、結構忘れてまうねんわ」
「うん」
録画したビデオを貸し借りしたり、買った雑誌を見せあいっこしたり、いつもずっとしてきた事なのに、なんだかとても特別な約束のように思えて、私はドキドキしてしまった。
私は、ずっと小春くんを好きだった。
でも、それは男の子としてとか、恋とかじゃなくて……。
そう思っていたけれど、何だかわからなくなってくる。
ずっと女の子の友達みたいに思っていた小春くんは、やっぱり、絶対に男の子だ。
私が知ってるどんな同級生よりも、本当に男らしい男の子だ。
でも、私がそんな風に小春くんを好きになってしまったら、どうなるんだろう。
もうこんな風に仲良くできなくなってしまうんだろうか。
そんな事を考えている私の前に、まさにタイムリーにユウジくんがやってきて、小春くんの肩をぐいっと抱える。
「ほな、、ウチら全国大会行って来るわぁ。体操着、いつでもええで」
小春くんは鼻の穴に指を入れるようなおどけたそぶりをして、笑って言った。
「うん、頑張ってきてなー」
私はそれだけしか言えなくて、やけに胸がぎゅっと苦しいまま、彼らを見送る。
私は小春くんが好きなのかな。
帰ってきたら、いつもみたいにおしゃべりできるかな。
そんな、妙にザワザワした気持ちで二人の後姿を見ていたら、不意に小春くんが振り返る。
「らぁぶ!」
いつもみたいに笑って、私に大きく手を振った。
それは単にいつもの小春くんの口癖・いつものそぶりなのに、まるで私自身にエールを送ってくれてるように見えてしまって、私はバカみたいにうれしくなった。
そしてその瞬間、私は両足で地面を蹴ってジャンプして叫んでいた。
「ドンドンドドドン、四天宝寺!」
小春くんはもう一度振り返ると、らぁぶ!と手を振る。
そしてまた私は、ドンドンドドドンと叫んで。
そんな、バカみたいな、夏の、夕方。
(了)
2007.5.12 大阪Boys様へ寄稿