● 15歳の密かな欲望  ●

 キスをして欲しい

 の耳元で弦一郎がささやいた言葉が花火の煙とともに闇に溶け込む頃、はようやく顔を上げて大きな目で弦一郎を見つめた。
 弦一郎の言葉を聞いて、意味を咀嚼して、彼がそんな事を言う意外さがの心をざわつかせた。
 心なしか赤く染まり、そして驚いたの顔。
 彼女のその反応に弦一郎も決まりが悪いようで、ネクタイを整えたり帽子をかぶりなおしたりそわそわしながら立ち尽くす。
「……キスって……どこに、すればいいの?」
 は自分の髪をもてあそびながらうつむいて、小さな声で尋ねた。
「どこにって、それは自分で考えろ」
 弦一郎は自分が言い出した事ながら照れくさいのか、ぶっきらぼうに答えた。
「自分で考えろって……ねえ。うーん……」
 はうつむいて唸って、考え込む。
 うつむいている自分を、弦一郎が食い入るように見守っているのを感じた。
「ねえ、それって、私が真田くんにしないといけないの?」
 は思い切ったように言うと、ようやく顔を上げた。
「……誕生日にあたって、俺に希望をという事だったろう? それはやはりが、俺に、だ」
 弦一郎は、これは譲れん、というように腕組みをして言った。
「……真田くん、女の子とキスをしたことある?」
「あるわけない」
 弦一郎はの質問に胸を張って答える。
 は額に手を当ててため息をついた。
「あのね、ただでさえ私は、真面目な真田くんをたぶらかしたワルイ女みたいに言われてるのに、しかも初めてのキスまで私の方からなんて、ちょっといかにもって感じでイヤ!」
 点火器で火をつけたり消したりしながら、は弦一郎に言い放った。
「……は、その……キスをした事はあるのか」
「ないけど」
「じゃあ、五分五分だからいいじゃないか。人の言うことなど気にするな」
 弦一郎もひるまない。
「五分五分って、ねえ、そういう問題じゃなくて……」
 二人は火の消えた花火に囲まれて、仁王立ちになってにらみ合った。
「まず、火の始末からしないか。安全第一だ」
 弦一郎が提案をして、二人は落ちている花火を拾い集めた。
 水道で十分に消火し、ビニール袋に入れて口を閉じる。
「で、どこまで話したんだったか」
 ビニール袋を片手にぶら下げたまま腕組みをした弦一郎は、じっとを見る。
「五分五分ってところ」
 も弦一郎を睨み上げながら腕組みをする。
「……そうだ、そもそもの原点に戻ろう。、お前は俺とキスをするのは嫌か?」
 いつもの険しい表情で尋ねる弦一郎の視線を、はぐっと受け止めた。
「嫌じゃないけど」
「だったら、そもそもの『キス』という前提はクリアだな。いいか、俺からするにしろお前からするにしろ、行為の結果というのは同じ『接吻』だ。その結果に至るに際して、俺はこの誕生日の日の祝いとして、お前にして欲しいという希望を出した。この俺の希望に沿うというのは、そんなに困難な事か?」
「……行為の結果は同じって言うなら、じゃあ真田くんが私にしたら良いじゃないの」
「お前の誕生日に、俺がお前にするというのならわかるが、今日は俺の誕生日だ。俺が、して欲しいと言っている」
「真田くん、本当に頑固ね」
 にらみ合う二人は、まるでリングに立つボクサーのようだった。
「……さっきまでは、なんか照れくさそうだったくせに、こうやって議論になると生き生きしちゃて」
 まずはジャブを放った。
「べ、別に俺は照れてなどいないし、議論に際して生き生きもしていない。いたって普段どおりだ」
 弦一郎はジャブを真正面から受けたようだった。
「……そんなにこだわらなくたっていいじゃない。普通に真田くんが私にキスをすれば、誕生日記念キスになるんだから」
「それがOKなら、が俺にしてくれてもいいだろう。例えば俺がキスの達人でが初心者で、それでお前にしろと言うなら、男として不甲斐ないと責められてもやむを得んかもしれんが、ここは初心者同士だ。かつ、俺の誕生日。俺に分があるのは、自明の理ではないか?」
 お互い一歩も譲らぬ攻防戦は続いた。
 こんな時でも相変わらず理詰めで来る弦一郎がまったく憎憎しい、と言わんばかりには彼をにらみ続けた。
 ここは『キス』自体をお流れにすれば終わる話ではあるのだが、そうすればは負けを認める事になり、なかなか安易にその選択はできないのであった。
「そりゃあ、理屈じゃそうかもしれないけど、こういうのって理屈だけじゃないでしょ。どうして、最初のキスは男の子の方からしてほしいっていう、女の子の普通の感覚をわかってもらえないの」
「女が思うのであれば、男だって思う。都合の良い時ばかり、男とか女とか持ち出すな」
 弦一郎の言う事はいちいち正しいのだが、ひとつひとつ憎たらしい言いぐさであった。
「……真田くん、憎ったらしい〜……。私、あんまり怒るほうじゃないけど、ほんっと憎たらしいよ、真田くん!」
 は勘弁ならんというように、点火器を振り回しながら声を上げた。
「夜分だ、静かに落ち着け、
 落ち着いた声で言う彼に、は心の中で罵声を浴びせながらため息をついた。
「……どうしてそんなに頑固にこだわるの」
 彼を睨み上げて再度尋ねた。
 弦一郎はをじっと見て、しばらく黙って、そして口を開いた。
「……は俺を好きなのだ、と実感したい」
 小さくつぶやくその言葉を耳にして、は驚いた顔で見上げた。
「……私は真田くんが好きだって、そんなのわかってるでしょう?」
「わかっているが、実感したいんだ」
 眉間にしわを寄せて相変わらず険しい顔で言う。
 はそんな彼の顔を、じっと見つめた。
「……もう、子供みたい」
 そう言って笑うと、ついに根負けしたというように弦一郎の腕を取った。
「座って」
 ベンチに促して、並んで腰掛けた。
 いつも大きく立ちはだかっている弦一郎が、小さな子供のように見えた。
 はそっと彼の帽子を取って、ベンチに置く。彼はなされるがまま。
 その髪に触れ、彼の頭をそうっと胸に抱いた。力の抜けた彼の身体は、にもたれかかるように抱きしめられる。
 は目を閉じて、彼の重みと体温を感じた。
 いつも人をまとめ人を率いる、真田弦一郎。
 受身であった事などかつてなかったろうし、これからもないに違いない。
 けれど、14歳のが自分の中に時に弱い心を感じるように、15歳の少年も、何かに包まれたいと思う時があるのだろう。
 はしばらく弦一郎の髪をなでた後、そっと彼の頭を起こした。
 目の前にあるものは、いつも通りの強いまっすぐなまなざしであったけれど、やはり15歳の少年だ。
 はそっと顔を近づけると、自分の唇で弦一郎のそれを優しく包んだ。
 暖かく柔らかい彼の唇からは、強いエネルギーが流れてくるようだった。
 自分も彼に何かを伝える事ができているだろうか。
 14歳と15歳、まだまだ弱い生き物だけれど、きっとこうやって二人で強くなれる。
 いつの間にか彼女を強く抱きしめる弦一郎の腕の力を感じながら、はそんな事を思っていた。

(了)

2007.5.21

-Powered by HTML DWARF-