モクジ

● 君が降りてきた夏  ●

人生、自分の選択がベストで今現在の自分があるのかどうか、年々わからなくなる。
 そんな、どうしようもないことを考えて歩くのは、花火大会の夜。
 職場の退屈な付き合いでかりだされ、最後の大玉が上がった後、そそくさと一人抜けてきた。先輩たちや上司はそのまま飲み会だというけれど、なんだかとてもそんな気分にはなれなかった。皆が嫌いで仕事に不満、というわけじゃないけれど。
 こういう、なんとなくのこころのわだかまりを無視できなくなったのは、私が社会人になって3年目という節目だからだろうか。
 帯をきゅっと上げて、さっさと帰ろうと人ごみの中、駅に向かっていた時。
 人ごみの中、ひときわ目を惹く男性がいた。
 すっきりとしじら織の浴衣をまとった長身の彼は、一見して周囲の花火見物の客とは違う雰囲気を醸し出していた。
 私は息を飲んで足を止め、後ろから歩いて来た人にぶつかられてしまう。
 ごめんなさい、と言いながらも気はそぞろで、彼から目を離すことができなかった。
 私と彼の距離は約3メートルといったところ。
 彼は、遊歩道のハナミズキの傍で、花火の終わった空を眺めるような角度で佇んでいた。
 私が、気を取り直して一歩踏み出すその瞬間、まるでそのタイミングを読んだかのように、彼は顔を私の方に向けた。
 私の一歩はすでに踏み出してしまっている。
 私と彼の距離は物理的に縮まった。

「……ああ、じゃないか。久しぶりだな」

 周囲の喧騒にも関わらず、彼の声はまるでヘッドホンで聴くかのように、私の耳を通して脳にしみわたった。
「……あ、うん、柳も花火、見に来てたんだ」
 言いながら、自分の受け答えがまるで中学生の頃に戻ってしまったようで、焦る。
 彼、柳蓮二とは立海大附属中の頃からの同級生。その後、附属の高校と大学まで同じだった。
 そんな、まさに昔なじみだ。言い換えると、単なる同級生。
「人ごみなんて、苦手そうなのにどうしたの。彼女にでもせがまれた?」
 私が気を取り直して言うと、彼はくくくと笑う。
「せがまれる相手など、残念ながら今はいない。俺は、花火は嫌いな方じゃないんでね、ふらりと出てきたまでだ。お前の方こそ、連れはいないのか」
「私? 私は会社の集まりに付き合わされて、イチ抜けしてきたとこ」
 ふうん、と彼は言って、私のなりを見た。
「……浴衣、似合っているじゃないか。自分で着付けたのか?」
 私は、職場の集まりにそれほど頑張ってるとは思われたくなくて、大人しい色目の紫陽花柄の浴衣を着てきた。けど、着付けには自信ないから行きつけのサロンできっちりやってもらったなんてことを、いちいち言いたくはない。
「まあね」
 さらりと言うと、彼はふと空を見上げた。
 花火の煙がおさまって、そこには月が顔を出していた。ちょうど半分で割ったような半月だ。
「食事はしたのか?」
「は?」
 予想外の彼の言葉に、私はまた間抜けな反応をしてしまった。
「食事はとったのか、と聞いている。俺はまだなんだ。よかったら鱧でも食べないか」
「はも!?」
 これまた予想外なメニュー。鱧料理って、京都の名物だよね。
「鱧は嫌いか?」
「え? 別に嫌いじゃないけど」
 彼は袂から携帯電話を取り出して、電話をした。
「……ええ、今から鱧のコースを二人。……よかった、では向かいます。よろしくお願いします」
 電話を切った彼を、私はぽかんとみつめるばかり。
「予約はできた。さあ、行こうか」
 くるりと私に背を向けて歩き出した。
 私はあわてて彼に追いつく。
「……鱧って、高いんじゃないの」
「心配するな、久しぶりに会ったんだ、おごってやる。夏といえば鱧だろう」
 隣を歩きながら、私は柳蓮二とのことを『補正』することに懸命になった。
 中学の時に初めて会って、それ以来の同級生。
 大学を卒業してからは一度も会っていなかった。
 彼とのことを思い出すと、どうしても中学の時の自分に戻ってしまう。
 けれども、私はもう中学生ではない。当然、彼も。
 それは当たり前のことなのだけど、不思議なことに彼は中学の頃からちっとも変わっていないのだ。
 高校の時も大学の時もそう思っていたけれど、今でもやはりそう感じた。
 彼は中学の時から変わらず『柳蓮二』だ。
 私はといえば、今の今まで、あっちにいったりこっちに行ったり。
 中学の頃は気取った優等生キャラでいて、高校になったらちょっと焦って洒落っ気出して彼を作ったりして、でも結局すぐ別れて、大学受験で学部を選ぶ頃には今度はまた勉強に焦って、みたいなね。
 中学生の頃の自分って、イタイ。
 だって、本当は可愛くなって男の子と仲良くしたかったのに、素直にそんな事できなくて勉強してイイ子ぶって、なんていう時代だった。
「……どうかしたのか、。やはり鱧はきらいか?」
「えっ、あ、そんなことないって。鱧きらいな人なんかいないでしょ」
 あんまり食べたことないけど。
 中学の頃のことを思い出しながら苦々しく歩いていた私の隣で、柳が急に話し出すものだから、また私は焦ってしまう。
 ダメだ、やっぱり私、中学生みたい。
「……鱧、どこのお店なの?」
 私は大きく深呼吸をして、落ち着くようにこころがける。
「父親が昔からなじみの店でね、美味いぞ。ここからしばらく山の手の方に歩いたところだ。歩けるか?」
 私の下駄のことが心配になったのだろうか? 彼はちらりと私の足元を見た。
「大丈夫よ」
 私はちょっと憤慨して答えた。
 中学生女子じゃないんだから。
 隣で、彼が静かに笑う空気を感じながら、私たちは並んで歩いた。

 到着したお店は「海ほたる亭」という小さな看板のかかった、古民家を改装したような店だった。
 門を抜けて、庭の燈篭に足元を照らされながらゆっくり歩いていくと、『海ほたる亭にようこそ』と穏やかな雰囲気の女将が迎えてくれた。
 料亭なんて初めての私は、もっと緊張する場所かと思ったけれど意外に落ち着く雰囲気でほっとした。
「どうぞ、蓮二さん。こちらへ」
 ふくよかな女将は見た目と裏腹に無口で、さっと私たちを部屋に案内し、お品書きとお茶を前に置いてくれた。
「お腹すいてるでしょ。すぐに、冷たい茶碗蒸しから持ってきますからね」
 女将の言葉どおり、私たちの目の前には、まもなく鱧の冷製茶碗蒸しが運ばれた。
 実はお腹がすいていた私は、お匙でそれをすくって口に入れて、きゅーっと眼を閉じてしまった。
 それくらい美味しい。
「……美味しい〜……」
 思わず口にしてしまう。
「そうか、よかった」
 柳はフフ、と微笑んで上品に茶碗蒸しを口にする。
「……柳って、今、大学院に戻ってるんだっけ?」
 私はふと思い出して尋ねた。
 彼は大学を出て就職した後、また大学院に入ったと人づてに聞いたことがある。
「ああ、職場に籍を置いたまま、大学院に行かせてもらっている」
「へー、柳ってほんと勉強好きだよね」
 ぺろりと茶碗蒸しを食べてしまった私は、そんな一言。
「そういう訳でもないがな、まあ、その時に思ったことをやってみた方が後悔がないと、最近は思っている」
 後悔、なんて言葉が彼から出ることが意外で、私は眼を丸くした。
「へえ、柳でも後悔することがあるんだ。絶対に間違った選択なんて、しそうにないのに」
 思わず口にすると、彼はいつもの口端を軽く上げるだけの笑みを浮かべて私を見た。
「後悔をしない人間など、そうそういないだろう」
「……ま、そうだけどさ」
 私なんて、後悔だらけかもしれないしね。
 そんなことをあれこれ考えるまもなく、次の料理が運ばれてきた。
 鱧の南蛮サラダだ。
 わーお、とまた思わず声が出てしまう。
 鱧の南蛮漬けに淡路島のたまねぎです、と女将が説明をしてくれる。なんて美味しそう。
 鱧は中身がふわふわで、酸味の利いた味付けに、思わず、くーっとうなってしまう。
「……相変わらず、美味そうに食べるな」
 柳がそんなことを言うものだから、私はこれまたちょっと意外。
「柳とご飯食べに行ったことなんか、ほとんどないじゃない」
「中学の時、海原祭の打ち合わせで、よく昼に学食で一緒に食べたじゃないか」
「あ……」
 そこまでさかのぼるのか!
「……3年のとき、一緒に委員だったもんね……」
 思い出して、私はまた落ち着かなくなる。
 そう、中学3年の時、私は彼と初めて同じクラスになったんだった。その前から、転校生でテニス部の彼はちょっと目立つ存在ではあったけれど、まともに見知ったのは3年になってから。
 海原祭の委員になって、初めて話すようになった。
 そして、その時、私は確かに彼に、恋をした。
「……は、飲めるのか?」
「は?」
「せっかくの鱧だ。冷酒で、少々口を潤すのもいいだろう」
「あ……うん、柳が飲むんだったらいただくけど……」
 実は、冷酒飲みたいな、なんて思ってたのが見透かされたようで、気恥ずかしい。
 柳は女将を呼んで、さらりと冷酒をオーダーしてくれた。
 そう、私たちは、今はもう中学生じゃない。
 高校生になったときも、大学生になったときも、そう自分で自分に言い聞かせてきた。
 けれど。
 体育大会が終わった、その日。
 きっと確かに彼に恋をしていたはずの私は、一緒に帰るかと彼に言われて、私の手に彼のそれが触れられたその瞬間。

『海原祭が終わっても、友達でいてね』

 と言って、その手を引いてしまったのだ。
 どうしてそんなことを言って、そんなことをしたのか、わからないとは言わない。
 私は、こわかったのだ。
 柳蓮二のように、完璧にきれいな男の子が、どうして私の手を握ろうとするのか。
 私が、その手を握り返したら、一体どんなことになるのか。
 中学生の私には、一方的な恋をすることしか、気持ちの準備ができていなかった。
 その後の柳蓮二は、やはり完璧だった。
 同じ高校に進学しても、大学に進学しても。
 相変わらず、こころやすく話をする、あたりさわりのない関係。
 そのまま、現在に至る。
 大学を卒業してからの空白はあるけれど。

 夏らしい琉球硝子の徳利とお猪口が、私たちの前に運ばれてきた。
 お酒についての説明は特にはない。
 柳が、私のお猪口に注いでくれた。
「多分、辛口の新潟の酒だ」
 私が手を出すまでもなく、彼は自分のお猪口にも注いで、二人で乾杯。
 彼の言った通り、すっきり辛口の美味しい冷酒だった。
 冷酒を飲みながら、鱧の南蛮サラダを食べ終えたほど良い頃に、鱧の落としがやってきた。

「わ、こんなの、雑誌やテレビでしか見たことない」
 
 見事に骨切りされた美しいふわふわの鱧に、梅肉。
 口に入れると、さらりととろけるようだった。
 中学生の頃の自分から今の自分への、柳についての補正は、徒労だと思い知らされる。
 美味しい料理に、美味しいお酒。
 目の前に、懐かしい昔なじみがいれば、もうそれはそれでいいかなと思う。
「美味しいよね」
 ふうっとため息をつきながら言うと、柳はふわりとその細い目を珍しく見開いて笑った。
「そうだろう。夏の夜の花火、美味しい料理、そういうことを心から楽しむことは大切だ」
 柳がお猪口をつまんで口をつける仕草は、とても優雅だった。
 肘の角度や、浴衣の袖口の感じなんか。
 あの時、どうして彼の手を握り返さなかったんだろう。
 どうして、勇気を出さなかったんだろう。
 だけど、彼みたいな眩しい男の子に怖気づくのは仕方ないよね。
 くい、と冷酒を一口飲んだ。

 料理は次々と運ばれてきた。
 鱧の骨せんべい、鱧のしゃぶしゃぶ、季節のお野菜に、仕上げには、鱧茶漬け。
 柳とは、中学の体育大会のことや高校の学園祭のこと、大学でのアルバイトや就職活動の思い出なんかをほろほろと楽しく話した。
 デザートの後のほうじ茶をいただく頃には、私はすっかりリラックス。
 美味しい料理と、二人で一合だけいただいた美味しい冷酒は、いつのまにか私たちの時間の壁を溶かしたようだった。
「気持ちのいい夜だね」
 部屋はエアコンが効いているけれど、まるで外の夜風が吹いているみたい。
 そんな気持ちにさせられる、いい造りの町屋だった。
 ふと、柳が立ち上がる。
 廊下とは反対方向の中庭の方に向かった。
 案内された時に、女将が『よかったら、中庭ものぞいてください』と言ってたっけ。
 すっと、障子を開ける。
 整えられた日本庭園に、ちょうど夜空の真ん中に見える月。
 そして、庭に立ち上がる湯気。
 庭園には、檜の風呂が据えられていた。
 そのしっとりとした庭を見た瞬間、この場は単なる落ち着いた料亭から、不思議に艶やかな場のイメージに転換した。
 どくり、と私の心臓が大きく拍動すると同時に、柳は、しゅるっと浴衣の帯をとき、夜風に浴衣をたなびかせた。

「掛け流しではないが、温泉だ。入っていかないか」

 そして、振りかえりざまに、ふわりと笑う。
 浴衣の帯を、するりと畳に落とし、かわりに縁側に用意されていた手ぬぐいを手にする。
 風にたなびいた、しじら織の浴衣をふわりと脱ぎ捨てる瞬間、彼の裸体が月光に白く輝いた。
さっと手ぬぐいを腰に巻いて、そのまま庭に降り、湯につかる。
 あまりに滑らかな一連の動作に、ぽかんとしていると、彼は気持ちよさそうに湯船につかったまま振り返る。

「入らないのか」

 中学3年生の時、彼に手に触れられたことを思い出した。
 そして、その手から逃げた自分を思い出した。
 気づくと私は自分の浴衣の帯をといていた。
 濡れ縁に置いてある、大判のタオルを身体に巻いて庭に出た。
 敷石は滑らかに丸くて、裸足でもちっとも痛くなかった。
 檜のふちをまたいで湯に入り、柳の左隣に腰を落ち着けた。
「ちょうど、月がきれいに見えるだろう」
 男の人らしく、両肘を縁に置いて、彼は夜空を見上げていた。
「うん、花火の時は煙で見えなかったけどね。今日は、そこそこ海風が吹いてて、よかったよね」
「ああ、いい夜だ」
 二人で湯船に浸かるなんて、思いも寄らない状況なのに、私たちは静かに穏やかに会話をした。
、知っているか」
「ん? 何?」
「人間の脳というのは、簡単に言うと、自分にとって正しいことや良いことを積み重ね記憶していて、大概は直感で妥当な判断ができるもののようだ」
 突然の「脳」なんていう話についていけなくて、私は目を丸くしてしまう。
「……つまり、表面的な言葉より、気持ちや直感に従う方がいい場合が多いらしい、ということだ」
「……はあ……」
 胸の鼓動が早くなるのと裏腹に、気のない返事をしてみるけれど、わかってる。
 彼はこういうの、お見通しなんだ。
「俺もお前も、今は中学生ではない。高校生でも大学生でもない。自分の直感で行動するのも悪くないだろう」
 彼はそう言うと、右肩を上げて私の方に半身を向けた。
 右手で私の身体に巻いたタオルを解く。
 それは、ゆるりと湯に泳いでいった。
「あっ……」
 とっさにそれだけ声を出すけれど、すぐに彼の右手が私の左乳房を覆い、右耳に唇が寄せられた。
「くだらない言葉はいらない」
 彼はそう耳元でささやくと、私の耳を軽く噛みながら耳のくぼみを舌でなぞった。
 柳の右手は湯の中で、くるくると私の胸を撫で巧みに先端を刺激する。とろりとした湯の中でのその動作は、驚くくらいに私を昂ぶらせた。
 もっと刺激を求める私の気持ちとは裏腹に、彼の手はすうっと一度私の背中に滑らされたかと思うと、ざっと湯から上がる。
 そして、檜の湯船の縁に腰かけた。
 腰の手ぬぐいはすでに湯船の中に泳いでおり、必然的に彼の屹立したものが私の目の前。
 私の髪を撫でる彼の手は、決して強制するものではないけれど、巧みに私の唇を彼のものに導いた。
 湯に濡れて温まった彼のものは、するりと私の唇に馴染み、咥内で更に力を増す。
 舌で、咥内の粘膜で、彼を感じるだけで、私はこわいくらいにたかまっていった。
 彼のものを咥えて愛撫をしながら、湯の温度以上に自分の身体の芯が熱くなる頃には、それを容易に察しただろう彼が私の両脇に手を差し入れぐいと湯から身体を持ち上げた。
 柳はやはり自信家だ。 
 私の身体の準備できていることに疑いなど持たず、彼に跨らせると、ぐいと彼のものを私にあてがう。
 私は両手で彼の肩につかまりながら、とっさに腰の角度をあわせた。
 彼の両手は私のヒップに添えられ、私が腰を反らせるのと同時にぐいと力を入れ先端を挿入した。
「んんっ……」
 顎を引いて声を殺す。
 同時に、自分が思いがけないほど濡れていることに驚いた。
 前戯らしい前戯もなかったというのに。
 ゆっくりと力を抜いて腰を落とし、ふうっと息をつく。
 柳の肩に置いていた手を、背中にまわした。
 柳の手も、私の腰や背中を愛撫し始める。
 私が何回か息を吐くと、彼はゆっくりと腰をゆすり始めた。
「……あ……あっ……ん……」
 ここは声を出していい場所なのかどうかがわからないから、私は抑えるので精一杯。
 快感から逃げようとして、腰をそらせたりいろいろするけれど、彼のものの刺激がよりいっそう激しくなるだけだった。
 彼が、フフと笑う。
「……一緒に月を見る方がいいな」
「え?」
 彼の言葉の意味が分からないでいると、彼は私の身体をぐいと起こし、自分は座ったままで私を一度立ち上がらせた。
「え、え?」
 くるりと背中を向けさせられた私は、彼の両手で腰を支えられて初めて彼の意図を知る。
 背中越しに、座ったままの彼に挿入されることとなる。
 向かい合った時よりも、角度の異なった挿入の刺激に思わず高い声を出してしまい、湯船の縁をつかんだ。
 けれど、柳はそんな私にはお構いなしに、背後から抱きしめ、乳房を掴んだ。
 左手で私の顎を支える。
「ほら、月が良く見えるだろう」 
 そういいながら、長くて美しい中指で私の唇をなぞった。私はついそれを咥えてしまう。
 それが合図かのように、彼は背後から私を抱きしめたまま激しく揺さぶり始めた。
 刺激を感じて声をもらしてしまうたび、彼はその箇所を記憶するかのように、甘美な刺激が繰り返される。
 周囲が囲われていてプライベートな空間とはいえ、ここは夜空の下で、野外だ。
 自分が抑えられないことが、だんだんこわくなってしまう。
「や……柳っ……、だめ、だめっ……」
 背後から太股や胸・首筋や耳への愛撫に、緩急をつけられた巧みな挿入。私は絶頂を待つばかりだった。あと少し、というところで彼の動きが止まる。
「なんで……っ」
 思わず口にすると、彼は何も言わず、つながったまま立ち上がり私の腰を支えてくるりと位置をかえ、私の両手で湯船の縁をささえるようにさせた。
 立った体勢での、背後からの更に奥への深い挿入。
 今まででも十分に感じていたはずなのに、それを振り切るくらいの快感。
「あっ、あ……っ!!」
 庭に響き渡るような声を上げてしまう。
 後は、彼の抉るような動き数回で絶頂に達してしまい、力が抜けて湯の中に崩れてしまうけれど、彼はその私の身体を掬い上げ、動きをやめてくれはしなかった。
「だ、だめっ……お願い、やだ……っ!」
 収縮する私の中を貫き続ける彼は、更に私を刺激する。
敏感になったままの私は身体の奥の痙攣が全身に響くようで、彼に支えられたまま力は入らないのに身体を反らせる。彼の動きが激しくなり、耳元に荒い息遣いを感じると、ぐいと私の身体が持ち上げられ、彼のものが抜き取られると同時に、腰骨のあたりに湯よりも熱い物が流れるのを感じた。
 私と彼の間にそれが密着することもいとわず、彼は背後から私を抱きしめた。

「……すまない、湯あたりしなかったか?」

 そして、言うのはそんなひとこと。
「……湯あたりっていうのではないと思う……」
 私はすっかりふらふらで身体に力が入らないけれど、それだけを言って、思わず笑った。
 だって、わかってしまったから。
 好きな男の子と手をつなぐなんて、簡単なことだったんだって。
 そして、とても大切なことだって。
 湯船から上がった私たちは、手桶ですくった湯で身体を洗い流し、濡れ縁で身体を拭いた。
 食事をした部屋から襖で仕切られた隣の部屋には布団が敷いてあり、私たちは当然のようにそこで抱き合った。
 さきほどのやや強引な情事とうってかわって、今度は柳はひどく丁寧に私の身体を愛撫する。
 ひどくっていうのは、だって、さっきの行為で私の身体も心もすっかり出来上がっているのに、それはじれったいくらいだってこと。
「さっきは、丁寧にゆっくりしすぎたら、湯あたりしたかもしれないだろう」
 彼はからかうように言う。
 私の胸や鎖骨、腰骨、あらゆるところをまるで調べ上げるかのように唇や舌・指先で巧みに愛撫する。
「……この部屋は声を出しても大丈夫だ」
 そして、またからかうように言うのだ。
「……ばか!」
 強がってみても、私は甘い声を出すことを止めることができなかった。
 さんざん焦らすような甘い愛撫を続け、私がぐったりとなった頃、彼はようやく私の脚を持ち上げた。吸い込まれるような滑らかな挿入。
 なじませる必要もないと感じただろう彼は、すぐに、ぐんと奥まで腰を沈める。
「……俺を見ろ」
「え?」
 待ちに待った快感に眼を潤ませている私の顎を、ぐいと持ち上げた。
「あの時、こうしたかった」
 そう言うと、私に口づける。
 あの時、というのがいつのことなのか、それ以上聞かなくてもわかる。
 彼は私の下唇を、そっとくわえた。
 身体は十分すぎるくらいに交わって溶け合っているというのに、キスだけは中学生みたい。
 彼の頬を掌で覆い、私は舌を押し込んだ。
 それからは、大人のキス。
 喰らいあうように口づけをかわし、腰を絡ませて、私は何度も絶頂に至る。

「どのやり方が、一番よかったんだ?」
 
 呼吸を整えるために深呼吸をしている私の隣で、後始末をしながら彼はいつもの落ち着いた調子で言う。彼がそんな事を言うのは意外だけど、冗談を言う人ではないから、ぞくりとした。
「どの、なんて言われても……わかるでしょ、どれなんて言えない。それより」
「うん、何だ?」
「お父さんの馴染みの料亭で、こんなことしてていいの?」
 私の質問には、クククと笑うだけ。
「俺はもう中学生でも高校生でもないっていうだけのことだ。それより……」
 軽く流されてしまうけれど、なぜか腹も立たない。
「他の心配をしたらどうだ? お前は、俺が着付けてやらないとおそらく浴衣を着て帰れない」
 やっぱり彼は私が浴衣を自分で着付けたんじゃないって、わかってたんだ!
 こういうところは、やっぱり腹が立つ!
「そして……」
 彼はふわりと私の上に覆いかぶさった。
「どれがよかったのか覚えていないなら、また最初からフルコースだな」
 一度くちづけをすると、くるりと私を背後から抱きしめて愛撫を始めた。
 フルコースの前菜が、冷たい茶碗蒸しなんかではないことだけは、私にも、わかった。

(了)
2012.8.15
モクジ

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