● 獣たちの巣(2)  ●

翌日の学校は、案の定、橘くんたちのニュースで賑わっていた。
基本的に派手な話題のない、静かな学校だからさ、不動峰って。
そんな具合だから、彼らが傷だらけになったいきさつなんかは、自然に耳に入ってくる。
なんでも、少し前に道場破りのごとくテニス部に乗り込んだ転校生の橘くん。
有志の1年生たちと新しいテニス部を作ろうとして、従来のテニス部の2年たちから、1年生もろともボコボコにされた後にすぐに顧問に呼び出しをくらった挙げ句、結局のところ橘くんも手を出して先生も含めて大乱闘になってしまったらしい。
そりゃあ、この不動峰では数年に1度のセンセーショナルな話題といったところだろう。
この日はもう、その話題でもちきり。
意外なことに、同級生たちの世論は、橘くんや1年生の子たちに同情的だった。テニス部の顧問の先生が嫌われ者だっていうのもあるのかな。「橘や1年たちは、最初ボコられた時、無抵抗だったらしいぜ」「あの顧問が、面倒くさがって、何もなかったことにして橘たちだけを謹慎させようとして……」なんて、話が耳に入ってくる。
なるほどね、と昨日の橘くんを思い返した。
最初は手を出さないようにして、やられっぱなしだったんだ。でもないと、元ヤンの噂の名高い彼が、あんなに顔をボコボコにされるわけないよねー。なんて、勝手なイメージだけどさ。

この日、私は購買にパンを買いに行ってから教室に戻らず、校舎裏のベンチへ向かった。
というのは、めざといクラスメイトたちが「なあ、昨日保健室に橘たち来たんじゃね? どんなんだった?」なんて聞いてくるものだから。「来てないよ」って言ってあしらっているものの、ちょっと面倒だ。
人気のないベンチでサンドイッチのパックを開ける。
初秋の今、晴れた日はまだまだ汗ばむ陽気だけど、校舎裏の欅の木陰はひんやりしている。これくらいの気温が、一番好き。
サンドイッチをかじりながら、足下の乾いた土を靴のつま先で崩していると、うっすらとした木陰に大きな人影が重なった。
「よ」
見上げると、それは時の人、橘桔平。
「そこ、いいか?」
彼はベンチの、私の隣のスペースを指す。
だめ、という理由もないから私はだまって肩をすくめて、OKのサインを示す。
きっと、彼も聞きたがりのクラスメイトをまいて、ここにたどり着いたんだろうな。
「昨日はありがとうな」
彼の顔には、自宅できちんと貼りなおしただろう絆創膏がきれいに貼り付けられていた。
「クールダウンできた?」
私が尋ねると、彼は口角をあげて少し目を細めた。
へえ、結構笑顔が似合うんだなあ。
「朝イチであいつらと一緒に職員室行ってね、謝ってきたぞ。そしてな……」
橘くんは、たまたま昨日保健室に居合わせだけにすぎない私に、今回のいきさつを丁寧に話してくれる。
律儀なんだな、と思った。と同時に、橘くんは本当にテニスが好きなんだな、と思った。
「で、どういう処分だったの?」 
何しろ、うちの学校で表だった暴力沙汰なんて聞いたこともないから、どうなっちゃうんだろうなって気になるところではあった。
「顧問は解任で、テニス部の秋の新人戦は出場停止だ」
へえ、まあそんなところかなあ、と思いつつ私は、はたと橘くんを見た。
「っていうことは、きれいに両成敗になったってこと?」
 だって、先生にも手を出してしまった「元ヤン」の噂名高い橘くんは、もっと重い処分なのかと思ったから。
 彼はうなずいて、空を見上げた。空、といっても欅でさえぎられていて、青空は見えないけれど。
「……俺は本当に、誓って手を出すまいと思ったんだ。あんな奴らと同じ位置に立ちたくない。なのに、結果として、あんな奴らの、とはいえ新人戦一戦を台無しにしちまった」
 橘くんは、悔やむように眉間にしわを寄せた。自分の処分がどうのこうのはどうでもいいようだった。
「……橘くんがバリバリの元ヤンだったって、ホント?」
 こんな時だというのに、私は思わず聞いてしまった。
 空を見上げていた彼は、ふと私を見て目を丸くし、くくくと笑った。
「さあな。校則ひとつ破ったことのない優等生ってわけではなかったことだけは、確かだが」
 そして、そんな風にかわす。
 私は、自分があまりにも唐突なことを聞いてしまったことに気づいて、気まずくなった。
 だって、橘くん、古い少年マンガみたい。なんかこう、昔にドラマティックな出来事があって心入れ替えた元ヤンみたいなさ。
 彼は笑いながらベンチから立ち上がった。
「昨日はありがとう」
 そして、もう一度言った。
「昨日、保健の先生とあの顧問が、あわてて部室棟の方へ走るのが見えた。さんが、うまいこと言ってくれたんだろう?」
 彼の、さん、という言い方が妙に気恥ずかしくて私もあわてて立ち上がる。
「あの、なんで、そうやって名前で呼ぶの!」
 だって、橘くんみたいな人から「さん」なんて呼ばれると、まるでヤクザの姐さんみたいじゃないの!
 苗字を知らないからな、と彼はそう言って軽く片手を上げると校舎の方へ戻って行った。

 処分を言い渡されたその日に、1年生6人を引き連れて、橘くんが校長室に「新テニス部」設立を嘆願しに行ったと聞いたのは、その翌日だった。

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2012.6.6

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