● 獣たちの巣(1)  ●

 職員会議の日の保健委員の当番は大嫌い。
 先生が会議の間、各部活動の終了時刻まで、保健室で留守番してないといけないのだもの。何かあったら、オンコールで先生を呼ぶようにって。
 けど、たいがいそんな何か(誰かが部活で大けがしたとかね)はまずなくて、普段の当番よりも長い拘束時間を、退屈と戦うのが、なにより大変。
 私は先生の机にだらだらと頬杖をついて、携帯をいじってた。
 早く帰りたいな。
 そんで、夕べの深夜アニメの録画を観るの。
 なんて考えてたら、ガタ、と物音がした。
 保健室からグラウンドに通じる外出入り口からだ。
 私はあわてて身体を起こして、扉の方を見た。
 窓からは複数の人の気配。
 イヤな予感。

「悪いな、ちょっと邪魔をする」

 そう言って入ってきたのは、顔を傷だらけにして口元から血を流した男の子。
 彼の後から、お互いに肩を貸しあって同じく傷だらけの男の子が6人続く。

 保健委員になって以来、最悪の事態だ。

「ちょ、ちょ、ちょ……待っててね、先生呼ぶから……」
 私はあわてて先生の机の内線番号表を見た。ええと、先生の学内PHSの番号は……。
 受話器を持ち上げた私の手を、ごつごつとした、これまた傷だらけの手が制した。
「すまない、先生は呼ばなくていい」
 先頭で入ってきた、背の高い男子が強い目で私を見た。
 彼は自分の傷など、まったく気にしていない様子。
「え? でも……」
「俺が、こいつらの手当をするから、少しばかり場所と道具を貸してくれたらいい」
 落ち着いた低い声で言う。
 静かなのに、抗うことのできない空気。

 彼は、男の子たちに「まず、傷を水できれいに洗い流してこい」と指示をした。私はとりあえず、ドレッシング材だとかハサミだとかの救急セットを取り出して、彼に差し出した。
「お、ありがとう」
 彼は口もとから血を流したまま、にこ、と微笑んだ。
 彼の名前は知ってる。
 転校生の橘桔平だ。
 クラスは違うけど、目立つ有名人だもの。
 九州から来た、バリバリの元ヤンだって。

 うちの学校は、とにかく平凡で地味な公立で、まあたまに、運動部で上級生が後輩をボコッたなんて話は聞くけど、あくまで遠い他人事で耳にする程度。
 それが、こんな目の当たりにしてしまうなんて!
 私のビビり具合は、自分が保健委員だというのに、男の子たちの手当にいっさい手を出せないという、この不甲斐ない状態から察してほしい。
 
「えーと……橘、くん?」

 私はおそるおそる彼の名を呼んだ。
「ああ?」
 彼は男の子たちの手当をしながら、振り返った。
「あのさ、保健の先生がいない時に病気や怪我の子が来たら、当番が先生を呼ばないといけなくて……勝手にいろいろして報告しないと、怒られちゃうんだけど。だいたい、先生に看てもらわないで、後で何かあったら大変だしさ」
 私が言うと、彼は今度は身体ごと振り返って、うなずいた。
「そうだな、確かにそうだ。わかってる。けど、今、たぶん職員会議では、俺たちのこの件で大騒動になってるはずだ。勿論、俺は逃げる気はないし、向き合うつもりだが、今日は……」
 そう言いながら、男の子たちを振り返る。
 よく見ると、橘くん以外は1年生のようだ。
 血を流しながらも落ち着いている橘くんと違って、他の子たちは、怯えているというわけではないけれど、怒りや不安やそういった感情の渦の中にいるようだった。
「先生たちと話す前に、俺たちはクールダウンした方たいい。こいつらにも、今日はこれで休ませてやりたい。迷惑かけて、本当にすまない」
 そう言って私に丁寧に頭をさげると、橘くんはびっくりするくらい手早く、男の子たちに簡単で的確な処置を済ませた。そして、丁寧に道具を片づけて私に返してくれる。
「どうもありがとうな。先生たちに見つかる前に、失礼する」
 彼らはそれぞれテニスバッグや通学鞄を持っていて、このまま素早く下校する様子だ。
 橘くんって、やっぱりこういうの、慣れてる?
「……ちょっと待って!」
 私はあわててガーゼを手にして、橘くんの口元をぬぐった。彼は、自分自身の手当はまったくしていなかったのだ。
「そんな血だらけじゃ、目立ちすぎるよ」
 痛いかも、なんて考える間もなく、ぐいぐい彼の顔をぬぐった私は、そのままバンバンといくつか絆創膏を張り付けた。
 どう見ても、橘くんの手当の方がきれいでサマになってるけど、まあ仕方ないだろう。
 私が貼った不細工な絆創膏をひきつらせながら、彼はフと穏やかに笑う。
「ありがとう、……さん、か?」
 彼が一瞬視線を落とした先は、私のスカートのポケットのあたり。あわてて仕舞った携帯電話のストラップがぶらぶらとはみ出してて、おばあちゃんが温泉に行ったおみやげの檜のそれには「」と私の名前が力強く書かれていた。
 私が何かを言う前に、7人の男の子たちはさっと保健室を出ていった。1年生らしき子たちは、礼儀正しくみなきちんと頭を下げて、皆で校舎の裏門の方へ向かっていった。
 時計を見ると、たぶん彼らがやってきてから10分も経っていない。
 私は一瞬呆然とするけれど、ハッと我に返ると、救急用の道具を棚に仕舞って、ベッドやなんかを整える。汚れたガーゼを専用のゴミ袋に入れてしばった。
 証拠隠滅だ。
 それが終わった頃に、保健室の電話の内線のコールが部屋に響いた。私の心臓は飛び出しそう。
「……ハイ、保健当番のです」
 平静を保って電話に出ると、案の定保健の先生から。
 怪我をしたテニス部の子たちが来たら、待っててもらっててって。
 私は少し考えて「来てません」と答えた。
 先生は「あらー、おかしいわねー、怪我してるはずなんだけど……どこ行っちゃったのかなー」と困ったように続ける。先生は、あの子たちの手当のことを考えてるのか、身柄の確保を考えているのか、どっちともとれない。
「部室とかじゃないですか」
 運動部の部室棟は、彼らが出ていくだろう裏門と反対方向にあることを思い出して、とっさに言ってみた。
「ああ、そうね! 部室かな、ありがとう!」
 受話器の向こうでざわざわとする声とともに、内線電話は切れた。
 私はため息をつく。
 やばい、これで私は軽く共犯だ。
 だけど。 
 血を流したままの自分はそっちのけで、1年生たちの手当をしていた橘くんの言うことも尤もかと思ったから。
 何があったか知らないけど、きっと今日は帰って休んだ方がいい。
 1年生のあの子たちも、そして橘くんも。
 もう一度、はぁ〜とため息をついた。
 膝がガクガクする。
 だって、元ヤンの暴力沙汰に関わるようなことが、私の中学生活で起こるなんて思いもしなかったんだもの。
 あーあ、だから職員会議の時の当番なんて、イヤなんだ。

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2012.6.4

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