● 言えなかった言葉を贈ろう  ●

 隣の席の海堂くんとは、二年生になって初めて同じクラスになった。
 青学では人気が高いテニス部の子だし、ちょっと目立つ男の子だから一年の時からなんとなく知ってはいたけれど、『海堂薫くん』として認識したのはこうやって同じクラスで、隣の席になってからだ。
 彼は、二年生だけどテニス部レギュラーですごく練習熱心。授業の科目では英語が得意。いつもすごく豪華なお弁当を行儀良く食べている。お母さんがとても料理上手みたい。そして彼は見かけによらず犬や猫が大好きで、弟が一人いるらしい。きっと弟の面倒見はいいんだろうな。
 そんな風に、私はざっと上げただけでも海堂くんのことをよく知っている。
 けれど、私、実は彼とは一度も口をきいたことがない。
 だって、海堂くんはほんっとうにぶっきらぼうで無口なんだもの!
 女の子としゃべってるとこなんて、まず、見たことない。
 だから、きっと彼女はいないだろうと決め付けているんだけど、友達の一人が、
『海堂って、あれ意外と年上の女の人と付き合ってたりしそうだよね』
 なんてなにげなく言うのを聞いて、私は自分でもびっくりするくらいにギュウと胸が苦しくなったっけ。
 それで、ああ、私は海堂くんのことが好きなんだなあと気付いた。
 それが、半月前くらいだろうか。
 それ以来、なんとか私は海堂くんに話しかけてみようとは思うのだけど、まったく何から声をかけていいのかわからない。
 
 校内ランキング戦、調子よかったんだって?

 今日のお弁当も美味しそうだね。

 英語の課題のここ、ちょっとわからないんだけど、教えてもらえる?

 そんな風に、対・海堂くん用に考えぬいた台詞はいくつもいくつも胸の中にあるんだけど、言えたためしがない。
 だって、海堂くんはいつもぎゅっと視線が強くて、その整った眉をちょっとひそめたけわしい雰囲気は、まったく何気ない会話ができる気がしない。
 私が気が弱すぎるのかもしれないけど。
 きっと、この世のどこかに『言えなかった言葉牧場』なんかがあって、言いたかったけど言えなかった言葉たちが放牧されているとしたら、(あ、私の名前ね)とフダのつけられた海堂くんあての言葉が、恐ろしくたくさんぶらついてるに違いない。
 言えなかった言葉たちの一大ファームを形成してると思う。

 そんな私は、今日も机でつっぷして居眠りするふりをして、自分の二の腕と前髪の隙間から薄目を開けて隣の席の海堂くんをこっそり見つめるのだ。
 こうやって彼を見るのが大好き。
 海堂くんはちょっと恐そうで、普段なかなかじっくり見られないのだけど、とてもきれいな目をしているから。

「ねえ、、知ってた?」
 少々ダルい連休明けの学校での日々は、天気が良いのだけが救い。
私と友人は校庭のベンチでお弁当を食べている。木陰は程よい風通しで、とても気持ちがいい。
「海堂って、ああ見えて結構オバケとか怪談とか超苦手なんだって! 桃城が言ってたよ!」
 JCIAの長官、沙恵が得意げに教えてくれる。
 私が海堂くんを好きだと、彼女にカムアウトしたわけじゃないんだけど、なんとなくバレてしまってこうやって海堂くんについての情報をいろいろと教えてくれるのだ。
 ああ、JCIAって、ベタだけど女子CIAね。安心して。私が脳内で勝手に言ってるだけだから。
だって、中学女子の情報網ってすごいもん。
一度も口をきいたことのない男の子の情報が、これだけ集まってくるんだからね。
CIAを名乗ってもいいと思わない?
「へー、苦手なの? こわがりってことかな? 意外ー、霊だとかそんな話、フンて鼻で笑って相手にしなさそうなのに」
「ねえ? あんな恐い顔してさ、データだけだと女の子みたいだよね。キレイ好きで動物が好きでオバケが苦手なんて」
「あはは、だよねえ。この前、ソーイングセット持ってるのも見たし!」
 私と沙恵は、勝手に得た情報から、勝手に海堂くんのイメージをふくらませる。
「あっ、そうそう、とっておきのプラチナ情報をに言うの忘れてた!」
 盛り上がってる話の途中で、沙恵はごくりと一口、お茶を飲む。
「海堂くんの誕生日って、11日なんだって。今週末」
「えっ、明後日!?」
 私はなぜだか、胸がドクンと大きく飛び上がるのを感じた。
 明後日が、海堂くんの誕生日? 彼が14歳になる日?
 私はぽかんと口をあけたまま、しばらく黙ったまま。
 一度もしゃべったことのない好きな男の子の誕生日に、私が何かできるわけがない。
 なのに、好きな男の子の誕生日がすぐそこに迫っているのだと思うと、得体の知れないドキドキ感が私を襲う。なんだか、落ち着かなくて遠吠えでもしたくなる。
「そうかー。うーん、明後日が誕生日なんだー」
 あーあ、これで私の『言えなかった言葉牧場』に放牧される言葉が増えるのは決定だ。

 海堂くん、お誕生日おめでとう。

なんて、言えるわけがない。
そもそも、しゃべったこともない女が誕生日を知ってるなんていう時点でヘンだっつの。
私は知らず知らずのうちにため息をついていた。

「せっかく隣なんだからさ、ちょっとくらいしゃべればいいのに」

 私のため息をさらりといなして、沙恵が笑いながら言う。

「他人事だと思って。きっと『んだよ、コラ』って、にらまれておしまいだと思う」
 私は二度目のため息をついて頭をかかえた。
 空になった弁当箱をバッグに仕舞った沙恵は、目の前で素振りをしてみせる。
 ちなみに私と沙恵は剣道部なので、この場合の素振りとは、竹刀の素振りね。
「ま、いいんだけどさ。、相手と切先も合わせず、まったく間合いに入らないで『ヤーヤー』って竹刀振ってるみたいなもんだよね。それじゃあ、相手にやられることもまずないけど、一本を取ることも絶対ない」
 沙恵はJCIA長官として、絶大なる情報収集能力を持っていると同時に、剣道部の選手としてもなかなかの腕前なのだ。
 私は彼女のその正論に、三度目のため息をついて、『わかってるけど!』と、だだっ子のように叫んで手足をじたばたさせる。
 触らなば斬らんという海堂くんに、なかなか近づくことのできないこの臆病な乙女心はしかたのないことだと思わない?


 校庭から戻って、午後の授業が始まるまでの間、いつものように私は机につっぷしたまま。
 海堂くんの、すっきりした横顔をみつめる。
 明日、誕生日なんだ。
 男の子って、自分の誕生日にわくわくしたりするのかな。私たち女の子みたいに。
 友達同士で、祝いあったりするんだろうか。
 海堂くんが、誕生日で浮かれる姿は想像できないなー。
 あっ、それに。
 今週の日曜は母の日じゃん。
 あの豪華なお弁当を作るお母さんに、海堂くんは照れくさそうに感謝の言葉を伝えるのだろうか。自分の誕生日を祝われるよりも先に。
 目を閉じて、そんなところを想像すると、またどきどきしてきた。



 そもそも、まだ当日が学校のある日なら、可能性はある。
 私が海堂くんと切先を交える可能性、という意味だけど。
 つまり、

 海堂くん、今日誕生日なんだって? おめでとー。

 なんて軽い調子で言うことができる可能性。
 いや、まあ無理だろうけどね。
 でも、日曜に彼と会ってお祝いの言葉を述べることのできる可能性なんて、まるで火星に知的生物が住んでいる可能性はあるにはある、みたいなそんなくらいの可能性だから。私にとって。
 そんな、グローバルなんだかみみっちんだかよくわかんないことを考えながら、私はぶらぶらと外を歩いていた。
 昨日は雨だったけれど、今日は気持ちよく晴れている。
 この季節の雨上がりは好きだ。
 濡れた地面が太陽に照らされると、ほんのかすかに夏の匂いがする。
 そのかすかな匂いに気付くと、四葉のクローバーを見つけたみたいな嬉しい気持ちになる。
 夏のワンピースにパーカを羽織って、サンダル履きの私が向かうのは花屋。
 お母さんにカーネーションを買いにね。一応、毎年の習慣なの。
 家から少し離れたところにある、いつも行く花屋は、大きくはないけれどとてもセンスの良いものをそろえていて、買いものの予定がない時でもよく見ていくから、お姉さんは顔見知り。
 お店に入ると、にこっと笑って手をふってくれた。
 アレンジメントや、色とりどりのガーベラなんかを一通り見てから、本命のカーネーションの前に立つ。
 いつもどおり、赤白ピンクを何本かもらおうかな、と見てると見慣れない色のカーネーションがあった。
「ああ、それ、きれいでしょう」
 お姉さんが言う。
 深い紫色のカーネーションだった。
「うん、こんな色のがあったんだ」
 私は初めて見るその色に、すっかり見とれた。
「新しい品種で、青いカーネーションよ。実際には紫色だけどね」
「紫でもいいよ、すごいきれいだねえ」
 言いながら、私はその値札を見て、他の色よりちょっと高いのに驚いてしまった。
「もうその三本しか残ってないの。オマケして二本分の値段でいいけど、どうする?」
 お姉さんは私の気持ちを見透かしたように、言った。
 当然私は首をこくこくと縦に振る。
 お母さんもきっと、初めて見るだろうな。こんな色のカーネーション。
 お姉さんの細い指で、きれいにリボンをかけてもらったその花は、いつもより本数は少ないけれど存在感たっぷりで見ているだけでわくわくする。
 お金を払って、その花束を手にすると、まるで自分がお姫さまにでもなった気分だ。
 どうしてだか、昔から花束を持つとそんな気分になってしまう。
ガラじゃないのに、モデル立ちをしてしまったりね。

 そうやって少々テンションが上がった私は、次の瞬間、火星に知的生物の存在を確認してしまったのだ。

 ああ、意味がわからないですね。
 花屋の店内に、海堂くんが入ってきたのである。
 頭にバンダナを巻いて、首にタオルをひっかけ、トレーニングウェアの海堂薫くんが。
 すぐさま、彼と私は目が合った。
 花束を持ったからって意味もなく格好つけていた私は、こっぱずかしくなって、いそいでいつもどおり(?)に何気ない風に立つ。
 そしてあわてて、脳内の『言えなかった言葉牧場』から一匹の首根っこをつかまえてきた。

「……ランニング、してたの?」

 あー、こんなんだっけ? 私がいくつも用意してたはずの言葉。
 わからないけれど、とにかく私は舞い上がってしまってそれだけしか言えない。
「……ああ。終ったとこなんで、母の日の……花、買いに来た」
 ぶっきらぼうだけど、思ったより普通の返事だ。
 私は相変わらず、激しく緊張しつつも、ほんの少しほっとする。
 彼の目が、私の手元に注がれているのに気付いた。
も、母の日用の花か?」
「あ、うん、そう」
「……その色、珍しいな」
「うん、なんか新しい品種なんだって。きれいだし、いいなーって」
 海堂くんは私の手の花をじっと見つめてから、店内に視線を移した。
 これと同じ花を探してるのかな。
 あっ、でもこれで最後ってお姉さん言ってたっけ。
 私は店を出て行くことはせず、自分の手にある花束と海堂くんを交互に見つめる。
 そうっと花束を掲げて、私の視界のフレームで、海堂くんと『青いカーネーション』を重ねてみた。
 ため息がもれ出る。
 ああ、これは一昨日みたいなため息とは違うの。
 黒いトレーニングウェアできりりと立つ海堂くんと、この青いカーネーションがとても似合うのだ。きれいだなあ。
 バカみたいにそんなことを思ってると、お店のお姉さんが海堂くんの視線に気付いたようで、『あっ、ごめんね。その色のカーネーションはもう売り切れてしまったの』と申し訳なさそうに伝える。
 その一言に、海堂くんは一瞬残念そうな顔をする。
「ああ……そうスか。じゃあ、白とピンクと赤のやつを、適当にお願いします」
 ちょっと照れくさそうに、迅速にオーダーをするのだ。
 やっぱり男の子が花屋で花を買うのって照れくさいみたい。
 お姉さんがラッピングするのを、ちょっとジリジリした様子で待っていた。
 リボンのつけられた花束を手に、さっさと店を出ようとする彼と目が合い、彼は『まだいたのか』というような顔で私を見る。
 まあ、当然か。
 でも、私はひるむことはなかった。
「ねえ、海堂くん、あの……よかったらこれ、持って行って。お母さんに」
 店を出たところで、私は青いカーネーションの花束を彼に差し出した。
「はあ?」
 当然ながら、彼はいぶかしげな顔で私を見る。
「……別に、いいよ。お前、自分の母親に買ったんだろ?」
「うん、でも……海堂くん、これ、気に入ったんでしょ?」
 どうして突然私にこんなことができるのか、わからない。
 でも、海堂くんと青いカーネーションの組み合わせの美しさは、私の胸を熱くしたのだ。

 彼がこの花を持ってるところが見たいな。
 そして、彼がこの花をお母さんに手渡すところを想像すると、なんともわくわくする。

 だけど、そんなこと、言えやしないから。
 まるで、剣道の試合で竹刀をかまえる時のように、花束を彼の方に差し出した。
 彼が手を伸ばせば、すぐ手に取れる間合いで。
 海堂くんは、相変わらず妙な顔をして私を見てるけれど、ふっと右手に持った赤白ピンクのカーネーションの花束を私に向ける。
「……じゃあ、はこれ、持ってけよ」
 私と彼の間で交差した花束は、お互いの手に渡った。
 私の手には、彼が買った三色のカーネーションの花束。
 青いカーネーションを、ちょっと戸惑ったように手にする彼を、私はドキドキしながら見る。
 うーん、やっぱり似合うな。
 私の頭の中では、剣道の試合での『一本!』という審判の声が鳴り響く。
 きっとうちのお母さんも、私が好きな男の子と交換したカーネーションの価値はわかってくれるに違いない。
「……毎年、お花あげてるの?」
 花束を交換した後、妙に心に余裕ができた私はそんなことを尋ねてみた。
「ああ、まあな。もか?」
 彼は照れくさそうに、いつものぶっきらぼうな声で答えてくれた。
 そういえば、彼が私の名を呼ぶのは今回が初めてだな。彼が低い無愛想な声で言う『』という響きを、どきどきしながら頭のなかで反芻した。
「うん。『いつもありがとう』とか、言うのは恥ずかしいけど、エイヤッってお花あげるのなら、できるからね」
「女でも、そういうの照れるのか?」
「まあねー」
 私たちは、ゆっくりとすっかり乾いた歩道を歩く。花束を持ったまま。
 いかにも、母の日にお母さんのためのカーネーションを買ったほほえましい中学生。
「……海堂くん、休みの日もいつもトレーニングしてるの?」
不思議なことに、『言えなかった言葉牧場』の言葉がするすると出てくる。
「ああ、そうだな」
 そして、海堂くんの反応は思ったほどこわくない。
は、いつも休み時間に居眠りしてるけど、夜遅くまで勉強してんのか」
 その言葉に、私はちょっと顔が熱くなる。
 
 あれは寝てるんじゃないよ。ずっと海堂くんを見てるんだよ。

 当然、それは言えない。
 うん、まあねえ、なんてもごもごと返事をして、私はバイバイと手を振って彼と別れた。

 何かができたような、できなかったような、海堂くんの誕生日。
『言えなかった言葉牧場』からいくつかの言葉たちを成仏させて、そして新入りが『お誕生日おめでとう』か。
 でも、見てて。
 来年は、きっと首根っこをつかまえて、海堂くんの前につれてくるから。
 その言葉を。

(了)
「言えなかった言葉を贈ろう」
2008.5.11

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